外の世界と、独占欲の芽生え
「……本当に、外に行くの?」
玄関先で、アルは不安そうに私の袖をぎゅっと掴んだ。
借り物のスウェットは少し大きすぎて、彼が動くたびに首元から白い鎖骨が覗く。その無防備な姿を外に見せるのは、正直言って少し抵抗があったけれど。
「そうよ。その格好じゃ生活できないし、アル専用の服を選びに行かないと」
私は彼の冷たい——いや、今は少し温かい手を握り、一歩外へ踏み出した。
春の柔らかな日差しが、アルの銀色の髪をキラキラと輝かせる。
彼は眩しそうに目を細め、それから驚いたように周囲を見渡した。
「空が……広い。棚から見ていたのとは、全然違う」
「そうね。今日からは、あの小さな棚があなたの世界の全てじゃないの」
街に出ると、案の定、周囲の視線がアルに集中した。
アンティークドールそのものの整った顔立ちに、どこか浮世離れした雰囲気。通り過ぎる人たちが、思わず足を止めて彼を振り返る。
「……ねえ、あの人見て。モデルかな?」
「すっごい綺麗……」
ひそひそと聞こえてくる声に、私はなぜか、胸の奥がチリりと痛んだ。
昨日までは、彼を眺められるのは私だけだった。
彼に触れられるのも、彼の名前を呼べるのも、私だけの特権だったのに。
「……アル、あんまりキョロキョロしないで。迷子になるわよ」
「迷子? 主人がいれば、迷子にならない」
アルは当たり前のように言い切り、私の指の間に自分の指を滑り込ませた。
いわゆる、恋人繋ぎ。
「ちょっと……! 外でこういうのは、恥ずかしいから……!」
「どうして? 人形の時は、いつもこうして握って歩いてくれたのに」
純粋すぎる瞳で見つめられ、言葉に詰まる。
彼は「人間」になったけれど、中身はまだ、私だけを世界の中心に据えている「人偶」のままなのだ。
「……今は、周りに人がたくさんいるの。人間には『恥じらい』っていう文化があるのよ」
「難しいね。僕は、主人の体温を感じていたいだけなのに」
そう言って、彼は繋いだ手に少しだけ力を込めた。
その強引なまでの純真さに、私の心臓はまたしても勝手なリズムを刻み始める。
目的の服屋に着いても、騒動は収まらなかった。
店員さんが頬を赤らめながらアルに近寄ってくる。
「いらっしゃいませ! あの、こちらの新作なんて、お客様に絶対お似合いだと思います……!」
店員さんがアルの腕に触れようとした瞬間、彼の表情から温度が消えた。
彼は私の背後に隠れるように一歩下がり、店員さんを冷たく、無機質な瞳で射抜いた。
「……主人以外に、触れられるのは嫌だ」
その声は、私と二人の時に見せる甘いトーンとは正反対の、硬い磁器のような響き。
店員さんは一瞬で凍りつき、私は慌ててフォローに回った。
「すみません! この子、ちょっと人見知りで……! アル、失礼でしょう」
店員さんに謝りながら、彼を試着室へと押し込む。
カーテンを閉める直前、アルは私の服の裾を掴んで、消え入りそうな声で呟いた。
「……主人は、他の人が僕に触れても、平気なの?」
その瞳には、今まで見たことのないような、暗くて深い色が混じっていた。
それは、彼の中に初めて芽生えた「独占欲」という名の感情だったのかもしれない。
「平気なわけ、ないじゃない……」
閉まったカーテンに向かって、私は誰にも聞こえないような声で漏らした。
じれったいのは、彼の無知さのせい?
それとも、彼を独り占めしたいと思ってしまった、私のわがままのせい?
鏡に映った自分の顔は、今日もまた、真っ赤に染まっていた。




