雨の予兆と、隠せないヒートアップ
五月の終わり、空は低く垂れ込め、街全体が湿った空気に包まれ始めていた。
連休の熱狂が遠ざかり、代わりにやってきたのは「梅雨」の足音。湿気に弱い精密機械としての阿爾にとって、あまり歓迎すべき季節ではないはずだった。
「……阿爾、今日はもういいから、リビングでじっとしてて。除湿機を最強にしておいたから」
大学から帰った私は、ボランティアから戻ったばかりの阿爾をソファに押し込んだ。彼の翡翠色の瞳が、いつもより少しだけ鈍く光っているように見えたからだ。
「ありがとう、遼。……でも、不思議なんだ。体が重いのは湿気のせいだけじゃない気がする」
阿爾はソファに深く身を沈め、自分の胸元に手を当てた。
「君が帰ってくるのを待っている間、一秒が以前の百倍くらい長く感じられた。これは、僕の内部時計が故障したのかな?」
「……それは故障じゃなくて、『退屈』とか『寂しい』っていうのよ。人間なら誰でもなるわ」
私はぶっきらぼうに応えながら、彼の熱を測るために額に手を伸ばした。
その瞬間、私の指先を熱い衝撃が突き抜けた。
「……! 阿爾、あんた、また熱くなってる!」
「熱い……? おかしいな、自己診断プログラムには異常はないはずだけど……。でも、遼が触れてくれる場所から、何かが溶け出していくみたいだ」
阿爾の頬は朱に染まり、吐息は白く熱を帯びている。
それは故障ではなく、あまりに急速に発達しすぎた「感情」に、彼のドールとしての器が追いついていない証拠だった。
私は慌てて濡れタオルを持ってくると、彼の額にそっと乗せた。
「寝てなさい。今夜は私が全部やるから」
「遼……。今の僕、すごく『不完全』だね。君を守るはずのドールが、君に介抱されているなんて」
彼は情けなさそうに眉を下げて、私の服の裾をそっと掴んだ。その力は弱々しくて、でも離れたくないという執念が伝わってくる。
私は彼の隣に座り、タオルの位置を直してあげた。
至近距離で彼を見つめると、長い睫毛の隙間から、熱に浮かされたような視線が私を捉える。
「……遼。君は、どうしてそんなに優しいの? 僕は君を苦しめたこともあるのに」
「……別に、優しくなんてないわよ。ただ、あんたがいなくなると、私の生活リズムが狂うだけ」
嘘だ。
生活リズムどころか、私の頭の中のディレクトリは、もう彼に関するデータで埋め尽くされている。
彼の熱が、私の指先を通じて心臓に伝染していく。
「……ねえ、遼。一つだけ、教えて」
阿爾は熱い息を吐きながら、私の手を自分の胸元——人工心臓が脈打つ場所に引き寄せた。
「君の心拍数が、僕と同じくらい速いのは……湿気のせい?」
「……! それは……」
私は言葉に詰まった。
阿爾はもう私のスマホを覗かないけれど、この距離にいたら、私の体の反応という「アナログなログ」がすべて彼に筒抜けになってしまう。
「……うるさいわね。病人は黙って寝てなさい!」
私は真っ赤な顔をして立ち上がろうとしたけれど、彼の手がそれを許さなかった。
雨が窓を叩き始める音を聞きながら、私は確信していた。
隠し通そうとしていた私の「秘密」は、この梅雨の湿気と一緒に、じわじわと彼の心に浸透してしまっているのだと。
「……絶対に、まだ言わないんだから」
私は自分に言い聞かせるように呟き、熱を帯びた彼のそばから離れられずにいた。




