デジタルな残像と、混線する独占欲
阿爾が自分なりに「外の世界」と関わりを持とうと決めたのは、いいことのはずだった。
彼は「人間を知るために、僕も少しだけ社会を見てみたい」と言い出し、近所の図書館でボランティアとして蔵書の整理を手伝い始めた。
ドールとしての驚異的な記憶力と正確さがあれば、そんな仕事は造作もない。
けれど、私が大学の帰りに迎えに行くと、そこには私の知らない阿爾の姿があった。
「阿爾さん、この本の分類が分からなくて……」
「それはこちらの棚ですよ。あ、そのままだと重いから、僕が持ちます」
カウンターの奥で、若い女性職員と親しげに笑い合う阿爾。
彼は持ち前の整った顔立ちと、少し浮世離れした丁寧な物腰で、すっかり図書館の人気者になっていた。
「……何よ、あの顔」
胸の奥が、ちりりと焼けるような感覚。
かつて彼が私に向けた「執着」という名の熱を、あんな風に誰にでも振りまいているの?
帰り道、夕焼けに染まる道を並んで歩く。阿爾はどこか誇らしげに、今日の出来事を報告してくれた。
「遼、今日は子供たちに絵本の読み聞かせをしたんだ。みんな、僕の手の縫い目を見て『サイボーグみたいでかっこいい』って言ってくれたよ」
「……へえ、良かったじゃない。モテモテで」
わざとぶっきらぼうに答えると、阿爾が足を止めて私の顔を覗き込んできた。
「……遼? 何か不機嫌なデータが検出されるんだけど、僕、また何か失敗したかな?」
「別に。阿爾が誰に親切にしようと、私の知ったことじゃないし」
私は早足で彼を追い越した。
自分でも驚くほど子供じみた態度。彼が私を独占しようとしていた時はあんなに嫌がっていたのに、いざ彼の関心が外に向くと、今度は私が彼を「独占」したくなっている。
家に着くなり、私はソファに飛び込んだ。
阿爾は困ったようにキッチンで夕食の準備を始めている。背中越しに聞こえる包丁の音が、妙にリズミカルで癪に障る。
「阿爾」
「なあに、遼?」
「……明日、図書館行くの、やめたら?」
阿爾が手を止めて振り向いた。その翡翠色の瞳には、純粋な驚きが浮かんでいる。
「どうして? 僕はそこで、君以外の人間との距離感を学んでいる最中なんだ。それは君が望んでいたことだと思ってたけど……」
「それはそうだけど……。でも、あそこの職員の人、阿爾のことじろじろ見てたじゃない。阿爾がドールだって分かってて、面白がってるだけかもしれないわよ」
我ながら苦しい言い訳だ。
本当は、彼が私以外の誰かに向けた笑顔を、一秒でも見たくないだけなのに。
「遼」
阿爾が濡れた手を拭きながら近づいてきて、床に座る私の目線に合わせて屈み込んだ。
「もしかして……君は今、僕に『嫉妬』しているの?」
「はあ!? な、何言ってるのよ。私が、ドールに嫉妬? 鏡見てから言いなさいよ!」
私は顔が真っ赤になるのを感じて、クッションで顔を隠した。
阿爾は少しの間沈黙した後、ふふっと、どこか悪戯っぽく笑った。
「嬉しいな。僕の心臓が、今までで一番速く動いている気がする。……君が僕を縛ろうとするのは、僕が君を支配するのとは、全然違う味がするんだ」
「うるさい、黙って!」
「……安心しなよ。僕の網膜に記録される『特別なデータ』は、最初から君の分しかないんだから」
彼はクッション越しに、私の頭を優しく撫でた。
その手の温かさが、先ほどまでの黒い感情を溶かしていく。
けれど、素直になれない私は、「明日はハンバーグがいい」とだけ言って、顔を隠したまま足をバタつかせた。
私の中の独占欲という名のノイズは、彼に甘やかされることで、さらに複雑に絡まり合っていくようだった。




