画面越しの執着と、初めての嫉妬
朝食の片付けを終えた後、私はリビングのソファで大学の「課題」を片付けることにした。隣では、昨日買い与えたばかりの最新の「スマホ」を手に取った阿爾が、まるで未知の知性体に触れるかのような手つきで、熱心に画面を指でなぞっている。
「……ねえ、阿爾。そんなに画面を凝視して、何を見てるの? 目が悪くなるわよ」
「これ、『SNS』っていうんだよね。世界中の知らない人たちが、今この瞬間の感情を勝手に呟いている。……遼が言っていた、外の世界の断片が、この小さな板の中に全部詰まっているみたいだ」
阿爾は翡翠色の瞳を細め、不思議そうに画面を見つめている。スクロールされるたびに青白く光る画面が、彼の端正な顔を冷たく照らし出していた。彼はまだ、この小さな機械がどれほど残酷に、そして無機質に人間同士を繋いでしまうかを知らない。
「そうよ。便利だけど、あんまり変なアカウントをフォローしちゃダメよ。あと、『通知』がうるさかったら設定を変えてあげるから、貸して」
「……待って。遼、この写真は誰? 主人の『タイムライン』に流れてきた、この男」
不意に、阿爾の声のトーンが一段低くなった。温度の消えた声に、私は思わずタイピングしていた手を止める。彼が指差したのは、同じサークルの友人がアップした昨日の写真だ。そこには、私の隣でピースサインを作りながら笑っている同級生の姿が写っていた。
「ああ、それはただの友達よ。昨日、『講義』の後のランチでたまたま一緒になっただけ。深い意味なんてないわ」
「……友達。主人は僕がいなくても、外ではこんなに楽しそうに笑うんだね。僕がこの家で、時計の音だけを数えながら、一人であなたの帰りを待っている間も……。あなたは僕の知らない誰かと、僕に向けたこともないような笑顔を共有していたんだ」
阿爾はスマホをテーブルに置くと、音もなく私との距離を詰めてきた。彼が纏う空気は、さっきまでの穏やかな「日常」から、一瞬にして重苦しく鋭い「執着」へと塗り替えられる。ソファが沈み込み、彼の体温が私の横側にぴったりと密着した。
「ねえ、遼。僕にも『アカウント』を作ってよ。そして、あなたの世界に僕だけを刻んで。他の誰にも見せないような、僕に向けた笑顔だけをここに載せて。……じゃないと、僕は嫉妬で壊れてしまいそうだ。この胸の奥が、焼けるみたいに熱いんだ」
「嫉妬……? そんな言葉、どこで覚えたのよ。昨日までは知らなかったでしょう」
「スマホが教えてくれた。ネットの『掲示板』に書いてあったよ。大切な人が他の誰かと笑っているのを見て、胸が苦しくなるのは……相手を独占したいという本能だって。ねえ、主人。この機械は便利だけど、大嫌いだ。僕の知らないあなたの姿を、勝手に見せつけてくるから」
彼は私の手から無理やりペンを取り上げ、その代わりに自分の細い指を強く絡めてきた。「自炊」の時に感じたあの温かい手のひらが、今は私の自由を奪い、自分だけのものにしようとするための枷のように感じられる。
「……阿爾、わかったから。そんなに怖い顔しないで。あなたのアカウント、今から一緒に作りましょう? だから、その手を離して」
「……本当? じゃあ、約束して。僕の『プロフィール』には、一番最初にこう書いて。——『遼の、たった一人の所有物』って。誰が見ても、僕たちが離れられない関係だってわかるように」
阿爾は満足げに、けれど獲物を決して離さない獣のような笑みを浮かべ、私の肩に深く頭を預けた。
画面の中にある何万人という他人のキラキラした世界よりも、今、私の隣で呼吸を乱している彼の重くて暗い愛情の方が、ずっと恐ろしく、そして抗いようのない現実味を帯びて感じられた。




