れぬ夜の執着、あるいは呪い
第十話の内容をさらに深く、そして二人の間に流れる「静かな狂気」と「執着」を強調して拡充しました。阿爾の人間としての危うさと、遼の抗えない心理的変化をより細密に描写しています。
第十話:眠れぬ夜の執着、あるいは呪い
お風呂から上がり、阿爾に新しいパジャマを着せた後、部屋にはしんとした、耳の奥が痛くなるほどの沈黙が降りてきた。
窓の外では、世界を塗りつぶすような激しい雨が相変わらず降り続いており、時折、遠くで轟く雷鳴が部屋の空気を微かに震わせている。
「……主人、まだ寝ないの?」
ベッドの端に腰掛けた阿爾が、濡れた銀髪をタオルで拭いながら、じっと私を見つめている。
先ほど浴室で見せたあの熱狂的で剥き出しの視線は、今は静かな、けれど逃げ場の無い深い執着の色へと変わっていた。私が部屋の中を少し動くたびに、彼の翡翠色の瞳は音もなく、まるで獲物を追うように私を追いかけてくる。その視線に射抜かれるたび、私の背中には冷たい汗が伝った。
「ええ。少し書き物をしたら寝るわ。あなたは先に横になりなさい。今日は初めて外に出たんだから、疲れているでしょう?」
「一人で寝るのは、嫌だ。この暗闇の中に一人でいると、自分がまたあの暗い箱の中……誰にも触れられず、ただ冷たく飾られるだけの『モノ』に戻ってしまいそうで、怖いんだ。……ねえ、そばにいて。僕をこの世界から消さないで」
彼はベッドを軽く叩き、誘うように、あるいは命令するように微笑んだ。その微笑みは無邪気な子供のようで、それでいて全てを飲み込もうとする深淵のように残酷だ。
私は逃げ場を失った溜息をつきながら、彼の隣に腰を下ろした。すると、阿爾は待っていましたと言わんばかりに、私の膝の上に迷いなく頭を乗せてきた。
「……阿爾、重いわよ。それに、まだ髪が少し濡れてるわ」
「嘘だ。主人は僕のこと、物理的な重さよりも、もっとずっと重く感じてるはずだよ。……心の中で、僕という存在がのしかかっているのを、僕は知っているんだ」
彼は私の手を取り、自分の熱を持った頬に無理やり添えさせた。
お風呂上がりの微かな石鹸の香りと、彼自身の体温。その熱が私の指先を優しく、けれど鉄の鎖のように強く縛り付ける。
「ねえ、主人。僕はね、人間になって初めて分かったことがあるんだ。……『愛してる』っていう言葉は、きっと祝福なんかじゃない。それは、逃げられない呪いと同じなんだね。一度それをかけられたら、もう主人のいない世界では生きていけなくなる。心臓が動くたびに、あなたの名前が体中を駆け巡るんだ」
「……誰が、そんな恐ろしいこと教えたの?」
「誰も。僕のこの新しい体が勝手にそう言ってるんだ。主人が僕を人間に変えたあの日から、僕の全細胞はあなただけに反応するように、あなただけを求めるように組み替えられたんだよ。……ねえ、ずっと僕だけを見ていて。明日も、明後日も、死が僕たちを分かつその瞬間まで」
彼の言葉は、甘い毒のように私の耳から入り込み、思考を、理性を、ゆっくりと麻痺させていく。
窓を叩く雨の音が、まるで外の世界を完全に遮断し、この狭い部屋だけを宇宙の孤島に変えてしまったかのように感じられた。
やがて阿爾の穏やかな寝息が聞こえ始めても、私は彼の髪を撫でる手を止めることができなかった。
彼の言う通り、私もまた、彼という名の逃れられない呪いにかかってしまったのかもしれない。
夜はまだ、明ける気配を見せなかった。暗闇の中で、彼の体温だけが唯一の現実として、私の肌に焼き付いていた。




