88 カゲロウの素性
「カゲロウに弟はいない……だって?」
俺が聞き返すと、リタは静かに頷いた。彼女の目は困惑で満ちている。
「でも、出会った時からずっと、カゲロウは弟を探してるって言ってた。そのためにこっちの大陸に来たって。じゃあカゲロウは一体、この旅で何をしてるんだよ?」
リタは再びジュリアからの手紙に目線を戻した。
「ジュリアさんの手紙によると——」
その内容を要約すると、こうだ。
ジュリアは貴族の会合に出入りしていた商人と話をしたという。その商人は元冒険者で、カゲロウの出身地であるアーニマ大陸にも出入りしており、獣人たちの事情に詳しいらしい。
そこでジュリアはカゲロウについて知っているかと尋ねたところ、その男は冒険者時代にアーニマ大陸に渡った際にカゲロウとパーティを組んだことがあり、よく知っていると答えたそうだ。
「こっちの冒険者がアーニマ大陸に行くこともあるんだな」
「ええ、あちらの方にしかいないモンスターもいますから。素材狙いかもしれません。問題はここからなんです」
その商人によると、カゲロウは天涯孤独の孤児だったそうだ。家族は全員、流行り病で亡くなったという。その後ストリートチルドレンとして生きるうちに腕っぷしを磨き、冒険者になったというが、その後はストリートチルドレン時代の仲間とは一切会っていないと言っていたそうだ。
「天涯孤独のカゲロウが弟を探してるっていうのは……ありえないな。ストリートチルドレン時代の仲間を便宜上弟と呼んで探している可能性もあるが」
「ジュリアさんが会った商人によると、カゲロウはその後、実は冒険者を辞めたそうなんです」
「なんだって!? 俺達には自分の身分を冒険者だと言ってたじゃないか!」
ジュリアの手紙の続きには、こう書いてあった。
『カゲロウさんはどこかの組織に引き抜かれて冒険者を辞めたらしいですわ。でも、その組織がどういうものなのか、誰も知らないそうなのです。一部の情報では、人に言えないほどに怪しい組織に入ったのでは、と獣人族の冒険者たちの間では話題になったそうです。カゲロウ様の素性ははっきりしない部分が多いようです。ヒロさん、くれぐれもお気をつけください』
リタは手紙を全て読み終えると、そのまま押し黙った。
雨宿り中の廃屋の中に、重苦しい空気が流れる。
「うそだろ……じゃあ、カゲロウは一体何者なんだよ?」
「俺様達に嘘をついていたってことニャ?」
「アタシは、カゲ様は一見荒っぽく見えても結構誠実だと思うよ。それはアタシよりも長く旅をしてきたアンタらの方がよく分かってるんじゃないの?」
俺とリタとクロジは、無言で目を合わせた。
確かに、カゲロウは荒っぽいし怒りっぽいけど、それなりにいい奴だ。
でも、俺達だって何年も一緒に旅をしてきた訳じゃない。ほんの数週間だ。言われてみれば、カゲロウの弟についても詳しく聞いたことはなかった。俺達はカゲロウのことを何も分かっちゃいなかったんだ。
「俺達、カゲロウのことをよく分かってなかったみたいだね。ハハハ」
「よく分かってなかっただけなら、いいんです。問題は、カゲロウが嘘を重ねていたことです。彼には弟はいない、冒険者でもない。一体何者なんでしょうか……?」
そこからは、誰も何も言わなかった。
ただ、重苦しい空気だけが辺りに充満している。
その息苦しさに耐え切れなくなった時、廃屋の扉がキィと開いた。
「……おかえり、カゲロウ」
「ああ。また雨が強くなってきおった。これでは孤児院の周りを調べるのに不便ではないか」
カゲロウは不満そうな顔でどっかりと床に座ると、カバンから取り出したタオルでガシガシと頭を拭いた。
「なあ、カゲロウ」
「む?」
皆の視線がカゲロウに集まる。みんな、聞きたいことは一つだけだ。
「カゲロウ、お前は何者なんだ」
「ヒロ、何を言っておる。吾輩はアーニマ大陸出身の冒険者で……」
「いや、アンタは冒険者を辞めてるはずだ」
カゲロウが頭を拭く手をぴたりと止めた。図星なのだ。それと同時に、ジュリアからもたらされた情報は確かなのだ、と俺も確信した。
「おまけにカゲロウは天涯孤独で、家族は全員亡くなっているそうじゃないか。それなのに弟を探しているだって? そんなのありえない。カゲロウ、アンタは一体、この大陸に何をしに来たんだ?」
「ヒロ、それは誰から聞いたのだ? 吾輩はこちらの大陸に来て以降、誰にも身の上話はしておらんが」
「ジュリアさんだ。さっき、ジュリアさんから手紙が来た。そこに書いてあったんだよ、お前のことが! 彼女はアーニマ大陸に出入りしてる人物に会って、アンタのことを色々と聞いたらしい。なあ、カゲロウ」
カゲロウの大きな瞳が俺をまっすぐに見る。
「カゲロウは、どうして俺達に嘘をついたんだ?」
カゲロウが身分を偽っていたことが悲しいというよりも、俺達に本当のことを打ち明けてくれなかったのが悲しかった。
俺達は、いいや、俺はそんなに信用に値しなかったのだろうか。
俺はカゲロウのことを信用してるし、頼りにしてる。でも彼からみた俺はそうじゃなかったんだろうか。
「……吾輩の身の上話は、お前らには関係のないことだ。ただ、吾輩が人探しをしていることと、ゲルセミウムを追っていることは事実だ」
カゲロウはふいっと俺から視線を反らした。
「詳しく教えてよ。カゲロウが今まで俺を助けてくれたように、俺だってカゲロウの力になりたいんだよ」
俺は少し泣きそうになりながら言った。
日本に帰りたがる俺に、青く光る祠について教えてくれたのはカゲロウだ。おかげで、俺は日本に帰る手がかりを掴めた。
今度は俺が彼の力になりたい。
「カゲロウ、これからも一緒に旅をするのであれば、本当のことを言ってくれないと行動は共にできません。あなたは冒険者を辞めたあと、何の組織に入ったんですか? それは人に言えないことですか? もしかしてゲルセミウムのような犯罪組織じゃないんですか⁉」
リタの声が震えた。彼女の目には、うっすら涙が溜まっている。
カゲロウが犯罪組織の一味だなんて、そんな馬鹿な。
でもジュリアさんからの手紙によると、カゲロウが冒険者を辞めたあとの話は誰も知らないのだ。彼が犯罪組織の一味であっても、何も不思議じゃない。
皆の視線がカゲロウに一心に注がれる。
カゲロウは観念したように両手を挙げた。
「わかった、話そう。さすがに犯罪者と勘違いされたままでは困るのでな」
カゲロウはそう言うと、首元からジャラリとネックレスを引っ張り出した。
服の中から引っ張り出されたのは、くすんだ金色のチェーンの先に、鳥のような模様が描かれたコインがついている。
「なに、このネックレス」
「これこそが、吾輩の身分を証明するものだ。吾輩は冒険者ではない。アーニマ大陸の四大王国がひとつ、ミナモト王国に仕える軍人なのだ」
カゲロウはネックレスを俺の手にのせた。見た目よりも、ずっしりと重い。
「吾輩はミナモト王国の第二王子直属部隊の副隊長だ。吾輩が探しているのは弟ではない。……第二王子ナリトモ様なのだ」
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