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77 凍死の危機

 年配のヒーラー ・マノは、このままだとリタは凍死してしまう、と言った。そんなバカな!


「と、凍死!? アイスフォックスに噛まれると、凍死するんですか!?」


 横たわるリタの顔はすでに真っ白だ。唇もかなり青い。素人目に見ても、すでに状況がひっ迫しているのが分かる。


「そうさ。アイスフォックスによく出くわす冬なら特効薬の準備があるんだが、今はその季節じゃない。薬の用意がないんだ。予備の薬は昨日村に来てた若い娘さんに渡しちまったからね」


「若い娘っていうのは……白い奇妙な服を着た子ですか?」


「そうさ。お兄さんの知り合いかい? 彼女が色々な薬を買いたがってたからね、アイスフォックス用の解凍薬も売っちまったんだ。相場より金をはずんでくれるっていうんで、思わず手持ちを全部渡しちまったのさ。こんなことになるなら1つだけでも在庫を残しておくべきだったねぇ」


「薬草茶では駄目なんですか? さっき長老にもらった薬草茶を飲んだら、かなり体が温まりましたよ。凍死は回避できるんじゃ?」


「いや、あまり意味がないね。アイスフォックスの噛み傷から全身に凍結が広がっていくから、そこをどうにかしないといけないのさ。薬草茶には噛み傷を治すほどの効果がない。ああ、薬をいくつか残しておけばこんなことには……」


 マノは心底悔しそうに唇を噛んだ。どうやら、アイスフォックスの噛み傷に効く薬はキリエが根こそぎ持って行ってしまったらしい。彼女はこうなることを見越していたとしか思えない。やはり、雪男が暴走モンスター化したのもキリエが関わっているのだろう。


「じゃぁ、リタはどうすれば回復するんですか!?」


「薬の材料を集めに行かにゃならん」


 俺の背後から、長老のおばあさんが現れた。


「材料があれば、薬を作れるんですか? じゃぁ俺が材料を取ってきます。どこにあるんですか?」


 おばあさんはマノとしばらく顔を見合わせたあと、ゆるゆると首を振った。


「薬の材料がある場所は、ここからそう遠くない。だが、危険なんだよ。あたしらディカマンの毒矢をもってしても、危険すぎる。あるモンスターを捕まえてきて欲しいんだが、これがとにかくやっかいなんだ。通常は材料を取りに行く時は前もって冒険者に依頼をかけて、冒険者10人と薬師10人、合計20人くらいで連れだって行くのさ。ただ、今から冒険者に依頼をかけたんじゃ間に合わない」


「どうして間に合わないって決めつけるんですか!?」


 思わず前のめりになった俺の胸を、おばあさんがそっと押し返す。


「アイスフォックスに噛まれた時は、一日以内に傷口に薬を塗りこまにゃならん。しかし、今からギルドがある街まで冒険者を呼びに行ってたんじゃ、期限までに彼女を救うことはできん。残念だが、彼女はもう助からん。もとより、雪男は災害のようなもんだ。人間の力が及ぶものではない。このお嬢さんのことは諦めなさい。苦しまないように、鎮静剤を与えるくらいのことはできる」


「人の命を、仲間を諦めろだなんて、そんな簡単に言うなよ!!」


 俺が唾を飛ばしながら立ち上がると、ディカマンの人たちは皆ふっと目を反らした。皆一様に眉を寄せ、やりきれない表情で俯いている。

 唯一、おばあさんだけがまっすぐ俺の目を見ている。


「部外者のアンタらを巻き込んで悪かった。冬でもないこの時期に、アイスフォックスがあんなに出てくるとは全くの想定外だった……。だが、あたしらにはどうすることも……」


 おばあさんは苦しそうに言葉を切った。辺りに重苦しい空気が充満する。


 仲間の危機に対して打つ手がないというのが、こんなにも苦しいものだとは思わなかった。指先が冷えて、心臓がキュッと縮まる。


 アーカシから共に旅をしてきたリタを、行方知れずのお兄さんを探しているリタを、ここで死なせてしまっていいのか? 俺にできることはないのか? 

 いつもだったら、誰かが怪我をした時、調子が悪い時、リタが頼りになってくれる。リタがいる限り、俺達は何度でも立ち上がることができた。でも彼女は今、真っ白い顔で紫色の唇を震わせている。


「リタ、目を開けろ。リタ!」


 俺が耳元で何度声をかけても、リタはピクリともしない。アイスフォックスに噛まれたリタの腕の傷は白く氷り、少しずつ凍結した範囲が広がっていっている。手を握ると驚くほど冷たかった。一日後には彼女の全身が凍ってしまうのだろう。


 俺は自分の無力さを心の底から呪った。

 その時、白い雪の上に漂う重い空気を、カゲロウがぶった斬った。


「吾輩たちが、薬の材料を取りに行く」


 皆がハッとしてカゲロウを見た。


「薬の材料を取りに行くったって、通常は冒険者を何人も手配した上で20人くらいで行くって長老も言ってるじゃないか!? 俺達だけでどうにかできるのかよ」


「では、ここでリタを見殺しにするのか」


 カゲロウは静かに、今までに見たことが無いほどに冷ややかな目で俺を見た。その眼差しには軽蔑が混ざっているような気がした。


「吾輩は仲間を見殺しになどしない。今までだって、任務中に仲間が死にかけたことがある。もう見捨てるべきだと隊長に諭されたこともある。けれど、吾輩は絶対にあきらめない。ヒロが及び腰なのであれば、吾輩一人でも薬の材料を取りに行く」


「俺様も、行くのニャ」


 クロジは俺の服の胸元から出ると、スルリと地面に降り立った。カゲロウとクロジは、危険を承知でリタのために行動すると言っている。俺はどうする? どうすればいい?


 このままだとリタが死ぬかもしれないという恐怖と、無謀を承知で薬の材料を取りに行って死ぬかもしれないという恐怖。どちらにせよ、俺にとっては地獄だ。


「ヒロよ、顔を上げろ」


 ハッとしてカゲロウを見上げる。彼の目は、びっくりするほど穏やかだ。


「迷うのなら、自分が後悔しない方を選べ」


 俺が後悔しない方……。目を閉じ、自分の心へと問いかける。俺の心はすぐに決まった。


「俺も、行く。でも俺だって死にたくない。行くなら、最大限の準備をしていく。おばあさん、薬の材料がある場所について、詳しく教えてください」


◇◆◇


 集落の人に借りたブーツの紐をきつく締めあげる。防水加工もきっちり施されているようで、これで冷たさに怯えることはなくなった。


 クロジは毛糸の腹巻のようなものを胴体に巻いてもらったあと、皮のマントを羽織らせてもらっている。カゲロウもマントを羽織ったあと、首の周りを毛皮の防寒具で何重にも巻いている。


「ねぇ、カゲロウって元々毛皮があるのに、そんなゴツい首巻がいるの?」


「馬鹿者、首を冷やすと全身が冷えるだろう。冷えで体力を奪われている場合ではないのだ」


 ディカマンの人々が毒矢で雪男の動きを止めてから、小一時間ほど経った。しかし、雪は止んだもののまだ寒さは和らがない。雪男も矢が刺さったまま、その場から動かない。


「これ、いつになったら暖かくなるんですか」


 俺達の着替えを静かに見守っていた長老が口を開いた。


「雪男を山へ返せば、時期に雪が溶けだす。まぁ、雪男が動かなくなってからは雪も降っておらん。薬の材料を取りに行くのにも、そこまで支障はないだろう」


「雪男を山へ返す……とは?」


「雪男を弱体化させる薬を飲ませて、山へ返すんだよ。そうすれば、また10年ほどは集落には出て来ない。手練れの冒険者に頼めば雪男を完全に討伐することもできるかもしれんが、そうすると山の生態系が崩れる。アイスフォックスが増えすぎたり、それによって集落が荒らされる可能性もあるのさ。だから、あたしらは薬で弱体化させた雪男を毎回山へと返してる。あんたらが出発したら、その作業に取り掛かるつもりだよ」


「なるほど。それで、俺達が今から取りに行く薬の材料についてなんですけど、倒すモンスターは1匹だけでいいんですね? それだけで、薬の材料は足りるんですよね?」


「ああ、足りる。一匹倒したら、すぐにここへ戻ってくるんだよ。あいつらの群れは厄介だからね、深入りはするんじゃないよ。本当はうちの集落からも戦力を貸し出してやりたかったが、先の戦闘で手練れは全員怪我しちまった。残ってるのは年寄りと子供と、戦闘の経験が乏しい者だけ。連れて行ってもお荷物にしかならんよ。あんたらのことを助けてやれなくて、本当に済まない。ディカマンを代表してお詫びする」


 おばあさんは床に頭がつくのではないか、という程に深く頭を下げた。


「ばあちゃん、頭を上げてよ。この人らの手助けはアタシがする」


 その時、弓矢を背負って俺達の前に現れたのは、シィだった。


次回の更新日は今週の金曜日です。

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