76 アイスフォックスの群れ
目の前にいる雪男の出現には、エレガンス製薬のキリエが関係している。俺はそう確信していた。
「エレガンス製薬ですか!? キリエって確か、青く光る祠のところでヒロさんに襲い掛かってた変な服の女の人ですか?」
リタが「まさか」と呟き、目を見張る。俺だって、まさかここでもエレガンス製薬、しかもキリエの名前が出てくるとは思わなかった。
「俺の予想が当たっていれば、の話だがな。奇妙な白い服で、切れ長の目でって言ったらもう彼女しか思いつかない。おまけに薬の匂いがしたっていうのも、彼女はエレガンス製薬の人間だから当然だろう。どんな目的だったかは知らないけど、雪男を暴走モンスター化させたのもキリエだと思う。獣人化ポーションとかスキル変性剤とか変な薬を作ってる連中だから、モンスターを狂暴化させるような薬を持っていても不思議じゃない」
もしかすると、今まで遭遇してきた暴走モンスターも全てエレガンス製薬が関わっているのだろうか。あいつらがまともな道徳観を持っているとは思えない。その辺でモンスター相手に薬の実験をしていても全く不思議ではない。
「エレガンス製薬からすれば、質の良い薬を作るディカマンの集落は目障りですよね。だから、ここを潰そうとして暴走モンスターをけしかけた、ということでしょうか」
「それは分からないけど、可能性としては十分にありえると思う。薬師として優秀だからといって、スキル無しの人……空洞の民の集落で暴走モンスターを倒せるとは思えない。おまけにここは他の街からも離れてる。助けだって簡単には呼べないから、もし暴走モンスターに襲われたら……集落は全滅だ」
エレガンス製薬との因縁は、ここでもついて回るらしい。俺はただ日本への帰り方を探したいだけなのに、どうしてこう毎回邪魔をされるのだろうか。
とにかく、今はモンスターをどうにかしなければならない。
気づくと、雪男はじりじりとこちらに寄ってきている。アイスフォックスは円を描くように俺達の周りをとりかこみ、こちらもじりじりと間合いを詰めようとしている。
もう静観を決め込む訳にはいかない。
「カゲロウ! 俺達はどうすればいい!?」
「ばあさん! 吾輩は冒険者のはしくれだ。手を貸してやる。アイスフォックスは吾輩と、そこにいるヒロと猫のクロジが引き受ける! リタは怪我人が出たら処置に回ってくれ。弓矢を持った連中は、とにかく雪男を狙え! 雪男の動きを封じ込めたら我々を援護してくれ。」
「あい分かった。皆の者、獣人の兄さんの話は聞いていたね? 総員、構え。雪男に向かって、撃て!」
おばあさんが声を上げると、それまで狼狽えていたディカマンの人々の顔がふたたび引き締まった。空気がピンと張りつめる。
シィも怯えた表情から一転、りりしい表情へと変わり、雪男めがけて矢を放った。
「勝手に俺様を戦闘要員としてカウントしないでほしいのニャァ……さぶ!」
クロジは俺の胸元からするりと抜け出すと、ぶるぶると毛を震わせた。
「カゲロウは簡単に言ったけど、あのキツネも10匹くらいいるんじゃないかニャ。俺様たちだけで引き受けるには少々荷が重いというやつニャ」
クロジが言うのももっともだ。2人と1匹で10匹のモンスターを引き受けるというのはだいぶ荷が重い。しかし、やるしかない。
「リタ、あのキツネって食べれるのか!?」
「肉は臭くて美味しくないと思いますが、一応食べれるはずです!」
食べられる。それだけ分かれば充分だ。食べられるのなら、俺のスキルが通用する!
「いくぞクロジ! おい、キツネたち、こっちだ!!」
「んもぉ~! やるしかないのニャ! シャァァァ!!」
俺達がアイスフォックスを1匹、2匹と倒していく間にも、頭上には絶えず弓矢の雨が通り過ぎていった。
雪男はその度に、ひらりひらりと弓をかわしていたが、避けきれなかった弓が1本、また1本とその体に突き刺さっていく。
「ダメージは確実に蓄積する! 皆の者、慌てるな。1本1本、確実に撃つんだよ!」
おばあさんが皆を鼓舞する。これなら意外とすぐにモンスターを倒しきれるのではないか、と一瞬気を緩めそうになった時、俺の後方で弓を打っていた人たちの中から悲鳴があがった。なんと、俺やカゲロウの攻撃をかわしていたアイスフォックスのうちの1匹がリタを背後から押し倒しているではないか。
「リタ!」
リタに駆け寄ろうとして、周囲への警戒を怠ったのが良くなかった。
俺は、いつの間にか自分の背後に雪男が迫ってきていたことに全く気付かなかった。
ドン!
雪男の接近に気づくと同時に、重い衝撃が脇腹のあたりに加わり、俺の体は宙を舞った。目に見えるものがスローモーションに見える。
背の高い木や家の屋根にたくさんの雪が積もっている。周囲の人の怯えた表情。真っ白な地面が段々と近づいてくる。
そのままドサリと地面に叩きつけられたが、雪がクッションになったおかげで衝撃はいくらか和らいだようだ。
「ヒロ! 大丈夫かニャ!?」
クロジの声が聞こえる。大丈夫、と返事をしようと思ったが、口からは掠れた息しか出てこない。雪男に殴られた脇腹からは、電気が走ったような痛みを感じる。
これって、アバラが折れてたりするんだろうか……?
「兄さん、逃げろ! 雪男が……」
誰かのひっ迫した声が聞こえる。兄さんって俺の事? もしかして雪男が再度近づいてる?
でも体を動かそうとすると、脇腹に激痛が走る。逃げるどころか、体を起こすことさえままならない。アバラが折れているとしたら、1本では済まないのかもしれない。俺はここで死ぬんだろうか。痛みに顔をしかめた時、誰かの声がすぐそばで聞こえた。
「動けないのか!? 運んでやるから大人しくしとけよ!」
そう言って、その誰かは俺と雪男の間に滑り込み、そのまま俺をお姫様抱っこで抱え込んだ。
抱きかかえたのが男性で、なおかつ俺が女性だったら、胸キュンからの恋の始まりである。
「いてててて! もっと優しく抱きかかえてもらってもいいですか、シィさん!!」
「雪男に狙われてるときに悠長なこと言ってんじゃねぇよ!」
俺を抱きかかえたシィは、濃い化粧に縁取られた目をカッと見開いて言った。近くで見ると増々迫力がある。
シィはその細腕に似合わない腕力で軽々と俺を持ち上げると、雪男と反対方向へと一気に走った。その間に弓矢部隊が弓を放ったようで、そのうち何本かが雪男の体に刺さった。雪男から雄たけびのような悲鳴が漏れる。
「倒せそうですか、雪男」
俺が痛みに顔をしかめながら尋ねると、シィは俺の体をそっと地面に下ろした。
「ああ、心配すんな。弓矢の毒が効いてる。雪男の動きは確実に鈍ってる。アイスフォックスも全部倒せたみたいだし、あとは他の連中に任せても良さそうだな」
「ああ、そういえばリタは!? アイスフォックスに襲われてたリタはどうなりましたか!?」
「リタって一緒にいた姉ちゃんか? 姉ちゃんは……おっと、向こうで倒れてんな」
「倒れてるって、彼女は無事なん……痛ッ!」
「無理に動こうとするな。アタシが連れてってやる。よいしょっと」
シィは再度俺をお姫様だっこすると、リタの方へと近づいていった。女の人にお姫様抱っこされるなんて情けないと思う一方で、成人男性である俺を軽々と持ち上げる彼女のたくましさに、何とも言えない頼もしさを感じる。
守られるポジションって、意外といいのかもしれない。おまけに、シィからは甘い香りがする。なんだか胸がドキドキしてきた。
「おいお前、なんか変なこと考えてないか」
シィがじっとりとした目で俺を見る。
「変なことなんて考えていませんよ! いい匂いがするなぁとか……そんなこと考えていませんからね!」
「ふぅん、怪しいけど……まぁいいか。アンタらがアイスフォックスを引き受けてくれたおかげで、なんとか雪男も倒せたみたいだしな」
シィの視線の先を追うと、大口を開けた雪男が立ったまま静止しているのが見えた。体には何本も弓矢が刺さっている。弓矢の先端に仕込まれた毒が、全身に行き渡ったということだろうか。
「雪男、動かないですけど、死んだんですか?」
「いや、死んでない。雪男を殺すほどの毒はディカマンでは作れないんだ。でも一旦はあれで大丈夫。問題はアンタのツレだな」
シィは、雪の上で横たわるリタの横に俺を下ろした。リタの横にはヒーラーと思しき年配の女性がついて、何やら処置をしている。しかしその表情は渋い。
「マノさん、そのお姉さん、どう? やっぱりアイスフォックスに……?」
シィがマノというヒーラーの女性に問いかけると、マノは渋い顔のまま答えた。
「ああ、噛まれちまってる。まずいね。季節外れのせいで、今は薬がない」
「薬がないと、どうなるんですか?」
恐る恐る尋ねると、ヒーラーの女性はゆるゆると首を振った。
「このままだと、このお姉さん凍死しちまうよ」
次回の投稿は今週の水曜日です。
6月より毎週月曜・水・金の週3投稿になりました。よろしくお願いします!




