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75 雪男の襲来

 家の外からは建物を震わせるほどの振動と地鳴りのような音が伝わってくる。

 俺が何事かと身を固くしていると、おばあさんは涼しい顔で「雪男だよ」と言った。


「雪男、ですか」


 俺の頭には、白い毛むくじゃらの大男の姿が浮かんだ。その雪男には天候を左右するほどの力があるというのだろうか。

 おばあさんは雪男が現れたというのに一切動じることはなく、椅子から立ち上がるとスタスタとベッドの方へと歩いていった。


「コラ、いつまで寝てるんだい! 雪男が出たよ! シィも起きてみんなと行くんだよ」


「ぎゃっ」


 おばあさんがやや乱暴にシーツを剥ぎ取ると、シィと呼ばれた女性が勢いよく床に転がり落ちた。体を打ちつけたのであろう、鈍い音がゴツンと響く。なかなか痛そうだ。


「いたた……。ばあちゃん、もうちょっと優しく起こしてよォ」


 シィは金髪頭をさすりながら体を起こした。寝ている時も美人だと思ったが、目を開けるとなんとも目力のすさまじい美女だ。おまけによく見ると化粧も濃い。というか、もはやケバい。


「大雪の中で薬草を取りに行こうとして行き倒れたようなバカを、優しく起こしてなんかやるもんかい! アンタ、この人らが通りかかってなかったら凍死してたかもしれないんだよ!」


「この人らって……ああ、そこに座ってるお客さんか。ありがとねん」


 シィが軽い感じでひらひらと手を振ると、おばあさんが彼女の頭に思いっきりゲンコツをくらわせた。


「アンタ、今がどういう時か分かってないようだね。悠長にしている暇はないんだよ。出たのさ、雪男が!」


「はぁ、あの10年に一度出るとかいう」


「そうさ。さっさと支度しな!」


 シィは「はいはい」とやる気のない返事を返すと、その辺に吊ってあったマントを羽織り、部屋の隅の置いてあった弓矢を手に取った。


「じゃぁサクッと倒してくるか。お客さんはゆっくりしといて」


 そう言い残すと、シィは家の外へと出て行った。外に出る前に、一瞬俺の髪色を見てギョっとしたように見えた。やはりこの髪色は珍しいのだろうか。

 シィが出ていくと同時に、家の外がバタバタと騒がしくなってきた。窓からのぞくと、他の家からも住人が慌ただしく出てきている。皆一様に弓を背負っている。


「吾輩は雪男を見たことがないのだが、スキルのない人間が弓矢ごときで倒せるものなのか?」


 カゲロウは窓の外を怪訝な顔で見ている。おばあさんは少し得意げな顔で答えた。


「ただの弓矢じゃないのさ。先端には薬師たちが作った特製の毒が仕込んである。弓矢が刺さればそこから一気に毒が回り、雪男であってもすぐに動けなくなっちまう。ただし、狂暴なモンスターだから油断は禁物だがね」


「なるほど。ではモンスターは住人に任せるとして、我々はゆっくり茶でも頂いておこう」


 カゲロウがそう言ってカップを口に運んだ時、家の扉が勢いよく開いた。見ると、先ほど出て行ったばかりのシィが、青い顔で口をパクパクさせている。


「なんだい、シィ。何かあったのかい」


「ばあちゃん、聞いてた話と違うよ! ヤバいってあれ! とにかく外に出てよ!」


 シィの慌てぶりは尋常ではない。何かトラブルでもあったのだろうか。俺達は干してあった服をひっつかむと、おばあさんに続いて家の外に出た。

 外気は身を貫くような寒さで、温まった体が一気に冷えていく。


「ううっ、寒い!」


「ヒロさん、見てください、あれ!」


 リタが悲鳴にも近い声を上げながら、前方を指さした。この家に辿り着く前にちょうど俺達が歩いていたあたりに、大きな人型のモンスターと、そのひざ元には10匹ほどの獣が立っている。


「あ、あれが雪男かニャ……足元にいるのは、キツネかニャ?」


 クロジはいつの間にか俺の服に入り込み、胸元からヒョッコリ顔を出している。

 雪男とおぼしきモンスターは人型であるものの、大男という言葉では形容できない。人間と比べると大きすぎるのだ。カゲロウの2倍以上はありそうなので、身長は4メートルは軽く超すだろう。薄汚れた白っぽい毛が全身を覆っている。顔はゴリラに似ているが、ただし口元には大きな牙がのぞいている。


「ばあちゃん、やばいって! 雪男と一緒にアイスフォックスがあんなに出るだなんて聞いてないよ!」


 シィが明らかに狼狽えながらおばあさんに訴えかける。


「シィ、わめくな! 慌てるでない。皆のもの、アイスフォックスの群れが同時に出るとは想定外だが、あたしらの力ならなんとかなるはずだ。総員、構え」


 おばあさんが片手を挙げると、それまで怯えた表情を浮かべていたディカマンの住人たちは覚悟を決めたように隊列を組み、弓矢を構えた。


「撃て!」


 俺達の頭上を、弓矢が弧を描きながら飛んでいく。

 急に始まった戦闘に、リタは顔をひきつらせながら俺の腕にしがみついている。


「ううう、これ大丈夫なんでしょうか。雪男って大きすぎませんか? あ、でもあんなに体が大きいんだったら案外ノロマだったりして……」


 しかし、俺達の目の前でその予想はあっさりと覆された。住人たちが放った弓矢は雪男が立っていた場所に正確に刺さったものの、雪男はそれをいとも簡単に避けてしまったのだ。

 雪男は深くしゃがみこむと、まるで虫が飛び跳ねるかのように軽やかに横に跳び上がり、住人たちの放った矢は何もない雪の上に深く突き刺さった。


「あの巨体であんなに素早いのかよ! 反則だろ!」


 俺がわめくと、カゲロウがフンと鼻を鳴らした。


「反則といえば反則だな。ヒロ、あの雪男の目を見てみろ」


「目……? って、あ! 白濁してる!? ってことは」


「ああ、暴走モンスターだ。ザカリオのダンジョンで戦った大蛇のことを覚えているか」


 忘れる訳がない。メウのダンジョンにいた大蛇のモンスターことソワルセルパンにはこれ以上ないほど手を焼いた。命の危険を感じまくった上に、倒すのにもものすごい労力を要した。


「なんだよぉ。またここでも暴走モンスターかよぉ。なんで俺の行く先々で、目が白濁した狂暴なやつばっかり出てくるんだよ!」


「総員、撃て!」


 俺がへっぴり腰でわめいている間にも、ディカマンの住人たちは冷静に矢を放っている。スキル無しの集団だと聞いていたが、戦闘慣れはしているようだ。頼もしい彼らの影に隠れていれば、暴走モンスターも案外すぐに倒せるんじゃないか?

 しかし俺の見立ては甘かった。住人たちが組んだ隊列の端の方から悲鳴が上がる。


「長老! だめです、アイスフォックス達が、あああ!」


 見ると、アイスフォックスと呼ばれたモンスターが中年の男性を押し倒し、今にも首に噛みつきそうだ。

 リタが咄嗟に手で目を覆うのと、カゲロウが駆け出すのが同時だった。


 カゲロウが剣を振るうと、アイスフォックスはひらりと身をかわした。わずかに剣先が当たったようで胴体に傷を負わせられたが、致命傷にはならなかったようだ。

 アイスフォックスはカゲロウを睨み、低い体勢で唸っている。


「長老、どうしましょう」

「指示をください!」

「アイスフォックスの群れと雪男が同時に出てくるなんて、ありえない」


 ディカマンの住人達に怯えと不安が広がっていく。彼らは口々におばあさんに「長老!」と呼びかけている。おばあさんのこめかみがヒクヒクと痙攣した。先ほどまで余裕があった彼女の顔が、一気に焦りで満たされていく。


「この集落で長年暮らしておるが、こんなこと今まで一回もなかった。まさか、あの若者か……」


「あの若者って?」


 俺が問いかけると、おばあさんは早口で答えた。


「昨日、珍しく薬を買いたいという若い娘がこの集落に来たんだよ。全身奇妙な白い衣服を着ていて、ディカマンの薬をあれこれ買ったり、雪男についてしつこく聞いて回っておったんだ。その若者からはわずかに薬のような匂いがしたんで、奇妙に思っておったんだよ。興奮作用をもたらすような成分の匂いがしたんだ。もしかすると、その娘が雪男に薬を使ったんじゃないかと思ってね。はは、いや、まさかそんなことがあるはずはないか」


 おばあさんは早口でまくし立てたあと、乾いた声で笑った。

 たまたま村に訪れた娘が、10年に一度しか現れない雪男に薬を使っただと? そんな都合のいい話があるのだろうか。しかし、俺の頭の中ではパズルのピースが少しずつはまっていくような感覚がある。まさか。


「おばあさん、その奇妙な白い衣服を着た若い娘って、顔のあたりまで布で覆われていませんでしたか? 服は忍者……あ、いや動きやすそうな上下の服で、切れ長の目だったりしませんか?」


「そうそう。そんな見た目だったよ。アンタ、その娘を知ってるのかい」


「因縁の相手ってやつです。間違いない、あの雪男が暴走モンスターと化しているのには、エレガンス製薬とキリエが関わってる」


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