66 もうトレントはお腹いっぱいなのニャ
カゲロウは「トレントはヒロとクロジに任せる」と言い放ち、トレントたちの頭の上をヒラリと飛び越えた。なんと軽い身のこなし、などと感心している場合ではない。
勝手にモンスターを俺たちに押しつけないで!
俺は戦闘要員じゃないから!
トレント達は頭の上を通過していったカゲロウには目もくれず、俺達に狙いを定めたようだ。
「ヒロ、あのトレント達をなんとかしてくれニャ。 もう俺様、トレントはお腹いっぱいなのニャ」
「そう言われてもさぁ」
クロジはあまり緊張感の感じられない様子で、めんどくさそうに言った。日本では飼い猫だったクロジも、すっかり異世界のモンスターに慣れてしまったのかもしれない。
「さっきはヒロとリタでトレントを倒したんじゃにゃいのか?」
「うん、それなんだけど、その時トレントを分断するのに使った魔石はリタのところに置いてきちゃってさ」
ハオランにもらった結界用の魔石は、今はぐったりと横になっているリタを守っているはずだ。
今は俺の手元にはないため、先ほどのように結界用の魔石でトレントを攻撃することはできない。
「じゃぁどうするんニャ」
「そもそも、さっきはクロジもトレントと戦ってたんじゃないのかよ」
「俺様はちょっと威嚇してただけで、ほとんどカゲロウが倒してくれてたんニャ。かわいい猫ちゃんに労働させようとするんじゃないニャ」
クロジは優雅な仕草で、前足をペロペロと舐め始めた。本当にマイペースなお猫様である。
そうしている間にも、トレントは俺達との距離をじわじわと詰め、かと思うと一気に数本の枝が俺達に向かって飛んできた。その速度はまるで弓矢のようだ。
こんな速度の攻撃を何度も避けれる訳がない。ここは短期決戦で済ませるしかない。
「うう、何か攻撃に使えそうなもの、使えそうなもの……」
俺は後ずさりしながらマジックバッグをまさぐった。指先に、焼き台用のレンガが当たる。これを投げようかとも思ったが、当たったところで果たして相手のダメージになるだろうか。
くそ、他になにかないのか?
その時、俺の手がぐにゃりとしたものに当たった。なんだこれは? 俺はそれをバッグの外へと引っ張り出した。以外に長く、ウネウネと波打っていて……
「げっ! ダンジョンにいた蛇じゃん! 気持ち悪ィ……いや、待てよ」
俺は、青く光る祠の前でキリエと戦闘になった時のことを思い出していた。俺があの時とっさに投げた蛇の毒袋は、キリエの肌を溶かしていたではないか。
トレントの表皮にどれだけ効果があるかは分からないが、試してみる価値はある。
「ヒロ、蛇で遊んでないで早くトレントを倒すのニャ!」
「わかってるってば! 【毒袋除去】からの、ダンジョン産の毒だ! くらえ!」
俺は眼前に迫ったトレントの枝に、取り出した毒袋を投げつけ、中身を全て浴びせた。
すると毒はシュワシュワと煙をあげ、異臭を放ちながらトレントの枝を溶かした。溶かされたトレントの太い枝が、ボトリと地面に落ちる。
「やった! トレントに毒は効果があるみたいだ!」
「その毒袋はもっとあるのかニャ?」
「ああ、もう何匹かマジックバッグに蛇がいる。そいつらから取り出せば、あと何袋か用意できるはずだ」
「じゃぁ早く用意するんニャ! 俺様がもっと効果的に毒を浴びせてやるのニャ!」
クロジは自身満々のようだが、果たして上手くいくのだろうか。
俺はマジックバッグに手を突っ込み、残りの蛇から全部で5つの毒袋を取り出すことに成功した。
「でも、この毒袋をどう使うんだよ」
するとクロジは「貸すんニャ!」と言って、袋の端を優しく加えた。牙で破らないように細心の注意を払いながら、そのままトレントの真正面に向かって走って行った。
トレントまであと1メートルほどまで近づいたクロジはぴょんと飛び上がると、加えていた毒袋をトレントの顔らしき窪みの一つ、口のような部分へと投げ入れる。
キ……シャァァァグガァァァァァ!!!!
トレントの苦痛の叫びが響き渡る。その叫びと並行して、トレントの体がみるみるうちに枯れて言っているではないか。
葉はしわしわと小さく縮み、その場にハラハラと何枚も散らばった。体も一気に細く萎んでいる。
「やるじゃないか、クロジ!」
「油断するんじゃにゃい、あと2体いるニャ! 要領は分かったニャ? 次はヒロの番ニャ!」
「任せとけ! ……って、うわわ!」
俺の背後から、急にトレントの枝が伸びてきて、頬をかすめた。鋭い痛みが走る。
「だから油断するにゃと言ったんニャ!」
振り返ると、トレントは思ったより近くにいる。
幹の中央にある顔のような窪みは、笑っているように見える。それはまるで死神の微笑みのようで、今の俺が死と隣り合わせであることを再確認させられた。
どうしてこんな物騒な世界に来てしまったのか。どうして日本にすぐ帰れないのか。おまけに、どうして戦ってばかりになってしまうのか。
頭の中にはネガティブな考えばかりが浮かぶ。
けれど、クロジも猫ながら必死に戦っている。リタは女の子なのに、腹に傷を負いながらも戦った。カゲロウはいつも危険な役を買ってでてくれる。
ここで俺が頑張らないでどうするのだ。
俺はごくりと唾を飲み込んだ。
今やっと、俺のなかで腹が決まった。
ここで怯んでいる暇はない。この世界にいる間だけは、とにかく戦い続けなくてはならない。
「ダンジョン産の毒だ! 召し上がれ!!」
俺が投げた毒袋は、惜しくも顔のような窪みの中には入らず、口の上の辺りに当たって弾けた。
それでも効果は充分だったようで、トレントの顔のあたり一面が焼けただれ、枝葉も一気に枯れていった。
「外したかと思ったけど、意外といけたんだな。もしかして顔が弱点だったのか?」
「ヒロ、あと1体残ってるニャ!」
「あいよ! 任せとけ!」
なぜか、もう恐怖はなかった。
日本で死にかけてこの世界に来てしまった不運も、モンスターだらけの不条理も、もう全部受け入れてやる。
俺はトレントの最後の一体に向かって、全力で走った。狙うは、トレントの顔だ。
トレントの枝は、先ほどよりも勢いを増して飛んでくる。トレントも仲間が次々に倒されたことで危機感を感じているのかもしれない。
時々攻撃を避けきれず、自分の肌が裂けるのを感じる。鋭い痛みは感じるが、あとでリタにヒールをかけてもらえばいいだけだ。何も恐れることはない。
トレントまであと2メートルほどに近づいたとき、トレントの太い枝が俺の足もとにぐさりと突き刺さった。俺はそれをかわすと、枝に足を掛けて高くジャンプする。
俺を見上げて大口を開けたトレントは、あまりにも隙だらけだった。俺はこんなどんくさそうなモンスターを、どうしてあんなに恐れていたのだろうか。
「これで終わりだ! くらえ、毒袋!」
トレントの口に毒袋を放り込む。毒袋が破れた瞬間、鼻をつく刺激臭が広がった。
俺は煙を吸い込まないように服の袖で鼻と口を覆うと、素早くトレントから離れた。
「やったのニャ! トレントが枯れていくんニャ!」
クロジが嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねている。これで全てのトレントを倒した。
ほっと胸をなでおろしていると、背後から犯人の男をずるずると引きずっているカゲロウが現れた。
「こちらも片がついたところだ。さて、この男から色々と聞き出そうではないか」




