64 トレントとの激闘
この世界の夜は、日本と比べてずっと暗い。静かで深い黒色だ。
街中はランプの光で煌々と照らされているが、一歩街の外に出てしまえば街灯などほとんど無いに等しい。
しかしその代わり、星や月がとても綺麗に見える。特に今夜の満月は立派だ。
月見酒や、お月見団子なんかを用意して、じっくりと月明りを堪能できたらどんなに素敵だろうか。
そう、避難所にいるみんなを眠らせた犯人と追いかけっこなんてしていなければ、素敵な夜なのに!!
「おい待て! 待てって言ってんだろ!!」
俺は犯人の男の背中に向かって、大声で叫んだ。しかし、そう言われて大人しく待つ奴はいない。
俺と男の距離は一向に縮まらなかった。
犯人は草を掻き分け、道なき道を走って行く。
今日は月が明るくて助かった。天気の悪い日であれば、暗闇の中に紛れる男をとっくに見失っていただろう。
「待てって……ハァッ、ハァッ」
息が上がって、肺が今にもはちきれそうに痛い。苦しくて顔が歪むのが分かる。俺はいつまで走ればいいんだ!?
足元に生い茂る雑草の背丈が高くなってきた。走りにくいせいで、余計に体力を消耗してしまう。
この世界に来てからというもの、どうしてこんなに何回も全力疾走を強いられるのだろう。
段々と足がもつれそうになってくる。
もう走るのを辞めてしまおうか。こんなに暗いんだから、男を取り逃がしても許されるはず。
だいたい、エレガンス製薬の人間が近くにいるというのに、警戒もせず炊き出しを食べたカゲロウやリタが悪いんだ。もしこの男を取り逃がしても俺のせいじゃない。
それに、教会にいたおじいさんだって変な薬を飲まされそうになったってだけで、実際に飲まされた訳でもないし、もういいじゃないか。
もう走るのを辞めよう、と思ったその瞬間、俺の横を風が吹き抜けた。
いや、風じゃない。
高速移動のスキルを発動したカゲロウだ! 獣人の姿へと戻っている。
カゲロウは俺の横を駆け抜けると、あっという間に前を走る男に追いつき、奴をその場へなぎ倒した。
「カゲロウ! 待ってたぜ!」
俺がカゲロウに追いつくと、肩にクロジを乗せたカゲロウが苦々しく言った。
「フン。吾輩としたことが、まんまと眠らされてしまった。とんだ大失態だ。この礼はきっちりさせてもらうぞ」
カゲロウが男の喉元に剣をつきつけると、男は反抗的な目でカゲロウを見上げた。
「クソ。なんでこんなところに獣人が……【樹木栽培】!」
男は地面に腹ばいになったままスキルを唱えた。するとその瞬間、地面から複数の芽が勢いよく伸び始める。
それは脅威のスピードで成長をとげ、あっという間に3体のトレントへと変貌した。
「トレント……! ってことは、イッセーの町にトレントを放ったのはお前か! 避難してきた皆への炊き出しに睡眠薬を混ぜたのも、全部お前の仕業か!?」
「答える義理はない」
男はそう言い放つと、トレントを俺達にけしかけてきた。
キシャー!
トレントの叫び声と共に、長く伸びた枝が俺の頬をかすめた。それを回避しようとしてよろめくと、誰かに抱き留められた。
温かくて柔らかい。この感触は一体……?
「やっとみんなに追いついたと思ったら、またトレントですか!? 一体どうなってるんです? 私のごはんは!?!?」
「リタ! ごはんの時間は後回しだ! 今はこの男を捕まえないと。この男がトレントを放ったせいでリタの屋台食い倒れツアーが台無しになったんだ。放っておく訳にはいかないだろ!?」
「この男が……?」
リタの目に闘志の炎が宿ったのを、俺は見逃さなかった。
「許せません。どうしてそんなことをしたんですか!?」
「答える義理はない」
男はぶっきらぼうに先ほどと同じ回答をすると、くるりと背を向けて再び逃げようとした。
「逃がす訳にはいかん! 吾輩とクロジはこのままあの男を追う。ヒロとリタは、ここでトレントをなんとかするのだ!」
カゲロウが今にも走り出しそうな体勢で言う。しかしちょっと待って欲しい。
「そんなの無理だよ! 俺もリタもトレントをなんとかするスキルはないし。あんな狂暴なモンスターを勝手に任せるなよ!」
「馬鹿者! スキルはなくともなんとかするのだ。だいたいヒロの足ではあの男に追いつけないだろう! 任せたぞ!」
カゲロウはそう言うと、目の前にいるトレントをひらりとかわし、あっという間に男を追いかけて行ってしまった。
「そんなぁ……って、ぎゃぁ!」
気が付くと、トレントの太い枝が俺の足もとスレスレを突き刺していた。あと数センチずれていたら、足に穴が開いたところだった。
「リタ、どうしよう!?」
「ヒロさん、落ち着いて! もしヒロさんが死にかけても、私が回復してあげますからね!」
リタは励ましているつもりだろうが、もはや不穏さしかない。
リタに攻撃スキルはなく、俺のスキルも食物限定のため、樹木型モンスターであるトレントにどれだけ攻撃が通じるかは分からない。
ただし、スキルが相手を食物認定すればスキルが発動するはずだ。
「トレントって食べられるのか!?」
俺は祈るような気持ちでリタに尋ねた。
どうか食べれるモンスターであってくれ。それなら俺のスキルが通用する。
しかし、その祈りは一瞬で砕かれた。
「食べられる訳ないじゃないですか! 木の実もないし、表面は見るからに堅そうだし。トレントを食べるだなんて話、聞いたことがありませんよ!」
「そんなぁ……。じゃあ、どうやって攻撃すればいいんだよ! ずっと逃げ続けるのか?」
「あ、そういえば。トレント自体は食べられませんが、トレントから取れる樹液は甘くて美味しいって話です。高級食材だから食べたことはありませんが……」
「樹液……そうか! 樹液に対してなら俺のスキルも発動するはずだ!」
「樹液に串を刺すってことですか!?」
リタの顔には、理解不能と書いてある。
「いや、【冷凍保存】のスキルで樹液を凍らせるんだ」
「でもトレントから樹液を出させるには……」
リタが恐る恐るトレントを見る。トレントの表面を傷つければ、そこから樹液が溢れ出すかもしれない。しかし問題は、どうやってトレントの体に傷をつけるかだ。
「とにかく、今できることを全力でやるしかない。ここで俺達が逃げたら、このトレント達が避難所に行かないとも限らない。……やるしかないんだ!」
俺は自分に言い聞かせるように言った。ここは日本じゃない。警察も自衛隊もいない。俺を守ってくれる人はいない。
そう、やるしかないのだ。




