63 深夜の悪事
「ヒロ! 起きるのニャ!」
クロジの声が聞こえる。ぼんやりと目を開けると、顔にクロジの肉球パンチが飛んできた。
ペチン!ペチン!
「いてぇ! 起きてる、起きてるから! パンチはやめろって!」
「すぐに起き上がらないヒロが悪いのニャ」
起き上がって周囲を見渡すと、焚火の火はずいぶんと弱くなっている。避難してきた人たちは教会の前に散らばって、それぞれ寝息をたてていた。
静かな夜だ。焚火のパチパチという音に混ざって、虫の声だけが聞こえる。
「まだ夜中じゃん。なんで起こすんだよ」
「夜中って訳でもないのニャ。普段ならヒロや人間たちがまだ起きてる時間にゃのに、ここにいる人たちは全員寝てるのニャ。おかしくにゃいか?」
「みんな避難してきて疲れてるんだろ。そっとしといてやれよ。俺も眠いよ」
ポカッ!
もう一度横になろうとすると、再び顔にクロジの肉球パンチが飛んできた。なかなか痛い。
「なんで殴るんだよ!」
「カゲロウやリタの様子も見てきたんにゃけど、二人とも起きないのニャ。こうやって猫パンチをお見舞いしても起きないのニャ。やっぱり、ヒロが言った通りだったのニャ」
「ってことは……」
「多分ここにいる全員、眠らされてるのニャ。スープかパンに眠たくなる薬が入ってたと思うんニャ。俺様は干した魚しか食べてにゃいし、ヒロは何も食べてにゃいから起きれるのニャ。犯人がここにいる人たちを、親切で眠らせてあげてるとは考えづらいのニャ」
一気に背筋が冷える。これは眠いとか言っている場合じゃない。
俺はがばっと起き上がった。
「本当に、俺達以外は全員寝てるのか?」
慎重に辺りを見回す。皆深く寝入っているようだ。しかし、よくよく見てみると皆その場で眠りこけたような、不自然な体勢の人が多い。
「夕飯を食べないと決めてすぐ横になったから気づかなかったよ。確かに、俺達以外みんな寝てるみたいだし、なんか寝方も不自然だ。あの人なんか、スープの器を持ったまま寝てるし、そこからスープがこぼれてる。どう見てもおかしい。薬を盛られたと言われたらしっくりくる」
「そんな中で、一人だけウロウロしてる奴がいるのニャ。どうみても怪しいのニャ。今からそいつを追うのニャ!」
クロジはそう言うと、教会へ向かって走り出した。俺達がいた場所から、教会まではほんの数メートル。目と鼻の先だ。
教会の扉は半開きになっていて、僅かに明かりが漏れている。クロジはそこからスルリと体を滑り込ませて中に消えた。
「クロジ、待ってよ!」
俺は扉を勢いよく開け放った。教会の中は、室内の四隅に設置されたランプでぼんやりと照らされている。
扉を開けた拍子に大きな音がしたにも関わらず、教会の中で寝ている人たちは誰も起きる気配がない。やはり、全員眠らされているのだろう。
しかし、薄暗い教会の奥の方で、誰かと誰かがもみあっているのが分かる。
クロジは、すかさずそこまで走った。
シャー!
クロジがスキルを発動し、もみあっている二人をまとめて威嚇する。二人の動きがピタリと止まった。
「きょ、教会の中で、何してるんだ!」
俺はもみあっている二人に声をかけた。しかし、思わず声が上ずる。
クロジを追って教会に入ったはいいが、皆を眠らせて悪事を働こうとしているであろう犯人と対峙する覚悟は決まっていない。
声をかけてから、急に怖くなってきた。
相手が刃物を持っていたら?
スキルで攻撃されたら?
俺のスキルは人に対しては発動しないため、いま犯人に襲われたらひとたまりもない。
「誰だ貴様ッ!? 全員眠らせたはずだ! 全員にスープが行き渡ってたはずだろ!」
そう声を発したのは、どうやら男のようだ。薄明りの中で目をこらすと、夕方俺にスープの器を手渡して来た男だと気づく。
「あっ! 俺にスープくれた人じゃん! もしやアンタ悪者だったのか!?」
「チッ!」
男は大きく舌打ちをすると、もみあってたもう片方に人間をどんと突き放し、今度は俺の方に向かって走ってきた。
「わわわ! こっちに来ないで! 話せばわかる、話せばわかるからァ!!」
手で顔と頭を覆い、その場で小さくなる俺。そんな俺には一切構うことなく、男は教会の外へと走って逃げていった。
「ヒロ! そんなとこで縮こまって、なんて情けないのニャ! そこはあの男を捕まえるとか、なんとかしにゃいと!」
クロジの呆れ声が教会に響く。するとその奥から、先ほど逃げた男ともみ合っていた別の人物が言った。
「さっきの男を追ってくれんか? あいつ、ワシに何か薬のようなものを飲ませようとしたんじゃ! 逃してはいかん!」
声をかけてきたのは、気の強そうな高齢の男性だ。
「え、でも俺、攻撃スキルとかないから追いかけたところで……」
「俺様がカゲロウを起こしてくるのニャ! ヒロはとりあえずあの男を追うのニャ! 俺様の野生のカンが、あいつを逃がすにゃと言ってるのニャ!」
クロジは「見失うにゃよ!」と言い残し、教会の扉から一目散に飛び出して行った。カゲロウが眠っている場所の見当はついているのだろう。
「クソ、夜に急に起こされたと思ったら、犯人を追えだなんて!」
俺はやり場のない怒りを大きな独り言に変え、教会から広場へと飛び出す。
男を見失わないように前だけを見ていたら、つい足元に転がる人の足につまづいてしまった。
「あっぶねぇ! って、リタ!!」
リタはヨダレを垂らしながら、木の切り株にもたれて気持ち良さそうに寝ている。
「おい、起きろ! トラブル発生だ!!」
俺はやや乱暴にリタの肩をゆすった。しかし、彼女はムニャムニャと口を動かすだけで、全く起きる気配はない。どうやら犯人が使った睡眠薬はかなり強力らしい。
「クソ、このままだと犯人を見失っちまう! でも俺ひとりで追いかけても捕まえられるかどうか……そうだ!」
俺はリタの耳元に口を近づけ、精一杯の大声で言った。
「屋台の食べ物!! 食べ放題!!!!」
リタの肩がビクッと揺れた。彼女のすさまじい食欲に訴えかければ起きるかもしれない、という俺の読みは間違っていないはずだ。しかしまだ起きない。もう一声だ。
「高級食材食い倒れツアー! グレートディアの炭火焼き! コカトリスの丸焼き! さっさと目を覚ませ、メシの時間だ!!!!」
「ひゃいっ! たべます!!」
ついに、リタの食欲が強力な睡眠薬に打ち勝った。彼女は手の甲でヨダレを拭いながら、がばっと起き上がった。
「ごはん! ごはんはどこですか!?」
リタは寝ぼけ眼のまま、顔を左右に振って食べ物を探している。
「いま、悪いやつがリタのごはんを奪って逃げてるんだ! 俺はそいつを追うから、リタはカゲロウのところに行って、スキルでカゲロウを解毒してくれ! 多分カゲロウは強力な睡眠薬を飲まされてる。リタのスキルが必要なんだ!」
本当は、悪い奴は教会の中でおじいさんを襲おうとしていただけだ。リタのごはんは関係ない。
しかし、まだ夢と現実の区別がついていなさそうなリタを強制起動するためには、こう言うしかない。
リタは「ごはん……」と呟きながら立ち上がると、目を擦りながらカゲロウとクロジがいるであろう方向に向かって歩き出した。
いまリタを突き動かしているのは食欲のみだ。状況をどこまで把握しているかは分からないが、今は彼女に頑張ってもらうしかない。
クロジの猫パンチで起きなかったカゲロウを起こせるのは、リタしかいないと思う。
「頼んだぞ!」
俺はリタにそう声をかけ、再び男を追うために走り出した。




