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62 避難所

 ユーゴは獣人のカゲロウが普通の人間の姿になったことに相当驚いたらしく、口を半開きにしながらぽかんとしている。


 いや、もしくはカゲロウの美男子ぶりに驚いているのかもしれない。


 俺もカゲロウのこの姿を見るのは先日のパーティ以来だが、夕闇の中でも彼の美しさは際立っている。


 いや、薄暗い中だからこそミステリアスな雰囲気も加わって、どこぞの王子だとでも言われたら信じてしまいそうだ。実際、パーティの時はどこかの貴族だと信じて誰も疑わなかったくらいだし。


 いつまでもぽかんとしているユーゴにカゲロウが言った。


「だから、お前らの避難所に案内して欲しいのだが」


「あっ、ああ、うん、今から案内するよ。はあ、獣人って普通の人間みたいな姿にも変身できるんだな。そんで、これまた美男子ときた。こりゃぁ町のおばちゃん達が放っておかないぞ」


 ユーゴは冗談めかして笑いながら言ったが、実際に避難所に着くと、全くその通りになってしまった。


「ユーゴ、おかえり……ってそのハンサムな人はだぁれ?」

「アンタ、名前はなんていうんだい? カゲロウ? いい名前じゃないか、こっちに座って!」

「きゃぁ、カゲロウさんって言うのね! はい、これ炊き出しのスープよ。あなたのためにもらってきてあげたわ。一緒に食べましょう」

「カゲロウさんは観光客なのね! イッセーの町では大変だったわね。ここに来ればもう安心よ。さぁあっちへ行って色々とお話を聞かせて!」


 避難所となった教会に着くやいなや、カゲロウは黄色い声を発する複数の女性に囲まれ、そのまま腕をつかまれてどこかへ連れて行かれてしまった。


 嵐のような歓待が過ぎ去ったあと、クロジがポツリと言った。


「行ってしまったのニャ。あいつら……全員発情期かニャ?」


 クロジの思わぬ発言に、俺はブッと吹き出す。


「いや、それは分かんないけど……美男美女って人を狂わせるフェロモンとか出てるのかもしれないね。それにしてもすごい歓迎っぷりだった」


「こんなに可愛い俺様が見向きもされなかったのニャ」


 クロジは不満そうに鼻を鳴らした。


「私とヒロさんのことも見えてなさそうでしたよ」


 リタも笑いをこらえながら言った。カゲロウを連れて行った女性陣は、カゲロウ以外の生物が全く見えていないようだった。


 あそこまで熱狂していると、逆に清々しいとさえ思う。


 くっくっくと笑いを堪えながらユーゴが言う。


「おばちゃん達だけじゃなくって、若いねーちゃん達もすごかったな! みんな男前が好きなんだなぁ。さて、ここが避難所だ。奥で炊き出しもしてくれてる。イッセーの町で過ごしてもらえないのは残念だけど、とりあえずゆっくりしてってくれよ」


 小さな教会の前の広場で、焚火の火がぱちぱちと燃えている。焚火に照らされた教会の白っぽい壁は所々ひび割れており、屋根も一部崩れているように見える。


 ユーゴが「ボロボロだった」と言っているのがよく分かった。


「見た目はボロいけど、中は案外綺麗なんだぜ。エレガンス製薬の人たちが前から掃除してくれてたみたいでさ。子供や年寄り、妊婦なんかは教会の中で休んでもらってる。俺のじいちゃんも中にいるんだぜ」


「なるほど。それで、エレガンス製薬の人たちは今どこに」


「奥で炊き出ししてるのがそうさ」


 ユーゴが指さした先に、人が列を作っている。おそらくあそこで炊き出しを配っているのだろう。人だかりで、エレガンス製薬の人間はよく見えない。


「ヒロさん、行ってみましょう。怪しい動きをしていないか見張らないと。それに……」


 リタの腹がぐうう、と大きな音で鳴った。


「もう私のお腹も限界です」


「おいおい、今回のトレント発生にエレガンス製薬が絡んでるかもって言ってんのに、あいつらが作った炊き出しを食べる気か?」


「だってヒロさんは、昼もさっきも食事を作ってくれなかったじゃないですか!!!」


 リタが唾を飛ばさん勢いで俺に詰め寄ってきた。


「だってそれは……」


 その先を言おうとした時、今度は俺の腹がぎゅるる、と不穏な音を立てた。


「実は昼くらいから腹が痛いんだよ! でもトイレもないし、どうしようもなくって……うっ!」


 きゅるるるるるる


 腹の中で、何かが急降下したような感覚がある。背筋に冷や汗が走る。


「トイレなら教会の後ろ側にありましたよ。さっさと行ったらどうですか。ヒロさんが何を言おうと、私は先に炊き出しに並びますからね! だいたい、トレントだってエレガンス製薬が発生させたっていう証拠もないし、避難の誘導も炊き出しもただの善意の可能性もありますよね」


 それはそうだが、エレガンス製薬が炊き出しに何か薬を混入させないとも限らない。リタに反論しようと思ったが、腹の中の急降下には抗えなかった。


 俺は呆れ顔のリタをその場に残し、トイレがあると言われる方向へ一目散に走ったのだった。


◇◆◇


「ふう、間に合った」


 人としての尊厳を守れたことに安堵しつつ、リタ達を探す。辺りをキョロキョロと見回していると、口に何かをくわえたクロジが肩に乗ってきた。


「おう、クロジ。もう炊き出しは食べたのか?」


「炊き出しのスープは塩がいっぱい入ってるからって食べさせてもらえなかったのニャ。代わりに干した魚をくれたのニャ。エレガンス製薬の人間もいいヤツがいるのニャ」


 クロジはニンマリと目を細めながら、うまそうに魚を噛んだ。


 辺りを見ると、スープが入った容器とパンを手にした人々が、そこかしこに座って食事をしている。


 人数はざっと100人くらいといったところだろうか。これだけの人数分を賄える食事の材料となると、やはりカゲロウが考えているように事前に用意されていた可能性が高いだろう。


「ヒロもスープをもらうといいのニャ」


 クロジはそう言うが、俺はエレガンス製薬が作ったもの、というだけでどうしても食べる気になれない。しかし、手持無沙汰な俺を見た近くの人が「お兄さん、まだ食べてないんだろ」と言ってスープとパンを手渡してくれた。スープからは白い湯気が立ち昇り、食欲を刺激するいい匂いが鼻をくすぐる。


 食べるべきか否か、スープの表面をじっと見ていると、横からリタが覗き込んできた。


「ヒロさん、食べないんですか」


「リタ、いたのか。いやぁ、変な薬でも入ってたらどうしようと思うと不安で」


「じゃぁ私が食べてあげますよ!」


 リタはそう言うと、俺が返事をする前に俺の手からスープの容器を奪い取り、5秒ほどで中身を飲み干した。


「あー美味しかった! 実は足りなかったんですよねぇ」


「あ、ちょっと! 食べていいなんて言ってないじゃないか!」


「でも食べたくなかったんでしょ。だから食べてあげたんです。じゃぁパンはヒロさんが食べていいですから」


 リタはそう言い残すと、「エレガンス製薬の人間を監視します」と言い残してどこかへ行ってしまった。俺の手には固そうなパンだけが残った。


「食べないのニャ?」


「うう、どうしよう。固いんだろうなぁ、このパン」


 この世界のパンは何回か食べたが、日本のものと比べて圧倒的に固い。スープなどにひたして食べるのが前提のようだ。


 スープをリタに飲み干されてしまった今、この固いパンだけをもそもそと食べる気にはなれなかった。


「さっきまでの腹痛のせいでまだ腹も減ってないし、バッグにしまっとこうかな。それに、エレガンス製薬がこのパンにも何か変な薬とか混ぜ込んでるかもしれないし、やっぱり食べない方がいい」


「またヒロはそんにゃこと言って。警戒しすぎじゃないかニャ?」


 クロジが呆れた顔でこちらを見る。


「いや、俺達がこの世界で生き残るには、これくらい警戒してちょうどいいくらいだよ。ここは日本じゃないんだからさ」


 俺のこの警戒心が功を奏するのは、皆が寝静まって、深夜になってからのことだった。


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