57 ハオランの推測
ハオランは、俺達が日本で死にかけの状態からこちらの世界へ転移したのではないかと推測した。
言われてみれば思い当たるフシがある。
「俺もクロジも、崖から落ちかけたバスの中から海に投げ出されて、気づいたらこの世界に居またんです。海に落ちただけかと思ってたけど、祠を通る段階では死にかけていたってこと?」
「多分そうネ。私ハ、この世界に来る前に高い橋の上から落ちまシタ。死のうとしたのデス。前日に雨が降って、川はかなり増水していまシタ。瀕死の状態でそのまま海まで流されて、その先にこの祠があったのでショウ。私は最初、この世界は天国なのかと思いましたヨ」
ハオランは自嘲するように笑った。その笑顔はどこか寂しい。
「どうして死のうとしたんですか」
「何もかも上手くいかなかったからデス。学費を援助してくれていた親が事業に失敗シ、故郷からの送金がストップしまシタ。学校も辞めざるをえず、住む場所も追い出されましタ。働こうにも、住む場所がないんじゃ雇ってもらえナイ」
「じゃぁ故郷に帰れば良かったんじゃ?」
俺が尋ねると、ハオランはふっと小さく笑った。ハオランは昔の出来事を噛みしめるように、遠くを見つめる。
「それはナイ。私は家族と不仲だし、故郷に私の居場所はナイ。私にはもう行く宛が無かったのデス。だから死のうとしタ。そして気づけば、この世界に流れ着いていたのデス。あまりにもびっくりしたノデ、もう死ぬ気も失せましたヨ。」
死のうとしたのに死に損ねてしまったハオラン。おまけに、スキルを使わないと生きていけないような、全くの異世界に転移してしまったのだ。
その心境はどんなものだったのだろう。絶望しただろうか? それとも、再び前向きに生きようと思えたのだろうか。そもそも——
「以前から祠を調べていたってことは、ハオランさんは、日本に帰りたいと思ってるんですよね?」
俺は念を押すように言った。できれば、そうであって欲しいと思ったからだ。
一度は死を選んだとはいえ、この世界に来たことで、再び生きる希望を取り戻したのであってほしい。目の前の彼が、今も自身の生に否定的だったとしたら、それは悲しすぎるから。
しかし彼は意外な返答をした。
「イエ、別に帰りたくないデス」
「えっ、えっ、なんで!?」
「だって、こっちの生活が快適ですカラ」
ハオランは、かつて自身の死を願っていたとは思えないほどに、晴れやかな笑顔で言った。
「でも、日本に帰る方法は探していたんですよね? それなのに、帰りたくないって……」
「日本に帰る方法を探していたのハ、帰る方法を知った上でこちらに留まるという決断をしたかったからデス。それこそが、私と元の世界との決別方法ネ。私はもう天寿を全うするまで死ぬ気はありませんガ、元の世界とは決別しタイ。そのために、青く光る祠について独自に調査していたのデス。ま、私の気持ちには共感してもらわなくて結構デス」
「はぁ。俺にはハオランさんの気持ちはよく分からないよ」
「それでいいのデス。他人のことを理解しようだなんて、おこがましいのデス。他人は他人で尊重すればイイ。ところで」
ハオランは長い指をピンと伸ばし、祠の台座を指さした。
「ここに書いてある言葉の意味の続きですガ。『この祠から帰る者 世界の均衡を保つ者
来るべき災厄を退けた時 その者は生の淵へ戻る』
これはおそらく、こっちの世界でこれから起こる災厄をなんとかすれバ、日本に帰れるっていう意味じゃないかと思うのデス。そして日本に帰れば、瀕死の状態かもしれませんガ、そこからまた生きられるんじゃないかと思いマス」
「こっちの世界でこれから起こる災厄……か。それは、俺達が何か試練を乗り越えるってことですかね?」
「自分自身の試練を乗り越えるという話かもしれないシ、もしかしたらこっちの世界を救えという話かもしれまセン。神様がどういう意図でこれを書いたのかが分かりまセン」
「俺様にも分からないのニャ」
クロジは頼りなげな声で、小さくニャァと鳴いた。その声はとても寂しそうに聞こえた。
祠を調べたことで、日本に帰る手がかりは掴めたといっていいだろう。しかし、帰るための具体的な方法が分からない。
また謎が深まってしまったような気がする。
「結局、俺とクロジが日本に戻るための具体的な方法は分からず終いかァ」
しかし、いくつか分かったこともある。
ひとつは、この世界に来る前は瀕死状態であったこと。だからこそ、異世界転移してしまったこと。
もしかしたら、瀕死だった俺たちはこの世界で生きるチャンスをもらったのかもしれない。
ふたつ目は、災厄とやらを退ければ再び祠を通って日本に帰れそうだということ。
しかし、石の台座に描かれていた、世界の均衡を保つ者という一節がよく分からない。
「ここに書いてある、世界の均衡を保つ者ってなんだろうな。これが日本に帰る条件の一つっぽいけど。ハオランさんは分かります?」
「ウーン、分からないネ。世界平和なのか、単に何かのパワーバランスのことなのか……。まぁ日本に帰る気のない私には関係ない話デス」
ハオランはまるで他人事のようにハハハと笑った。
実際、彼は日本に戻る気はないのだから、他人事だろうが。
「ハオランさんは、こっちの生活が快適って言ってたけど、それは人間関係とかお金の話なんですか?」
「それもあるし、こっちの世界の方がのんびりしてるから、私の性に合ってるんデス。それから、日本からこっちに転移してきた人のスキルはこちらの世界では珍しいみたいネ。働くにしても競合相手がいないので有利なんデス。実際にヒロさんも猫チャンも変なスキルを使ってるじゃないですカ」
「変なスキルって!」
俺は串焼きマスターのスキルを誇りに思っているので、それを変と言われるとカチンとくる。しかし、実際に戦闘では役立つスキルとは言えないし、これで戦闘に参加しているのだから、変と言われればそうだなとも思う。
「じゃぁ、ハオランさんの結界構築士……ですっけ? それもこちらでは珍しい職業なんですね?」
「というか、こちらでは存在しない職業デス。だから結界構築士という職業名も私が命名したのデス。センスあるでショウ」
ハオランは得意げにフフンと笑ったが、正直に言ってその職業名から仕事が連想しにくいし、センスがあるとは思えない。
ハオランは俺の気持ちを知る由もなく続ける。
「私は以前にも、こちらの世界に転移してしまった日本人に会ったことがあるのデスガ」
「え、いつ!?」
「もう2年くらい前になるでしょうカ。その人も、こちらの世界では見ないスキルを使っていマシタ。どうやら、日本人がこっちに来る際に獲得するスキルは、その人の元の職業とか、元の世界でなりたかった自分像みたいなものが関係してそうネ。ちなみに私は日本の大学では建築について学んでマシタ。自分を守れる空間を作りたい、その想いが今のスキルに繋がってるんじゃないかと考えてマス」
なりたかった自分像。その言葉の意味を考えながら、俺は自分の手のひらをじっと見つめた。
俺は何になりたかったのだ? 手のひらから串や炭を出すこと? まさかそんな訳はない。
ただ、串焼き屋として一人前になりたかった。なんでも自分でできるようになりたかった。ゆくゆくは自分の店を持ちたいな、とも考えていた。
そんな想いがこちらの世界でのスキルに繋がっているのだろうか。だとしたら、クロジは何を思っていたのだろう。
「なんニャ。俺様の顔をじっと見て」
クロジが怪訝な顔で俺を見る。
「いや、いまのハオランさんの話だと、元の世界での理想の自分像みたいなのが今のスキルに関係してそうじゃん? 俺は立派な串焼き屋になりたかったからこんなスキルになったんだろうけど、クロジはどうなりたかったんだ?」
「そんなの、決まってるのニャ。ご主人様とおしゃべりしたい、ただそれだけニャ」
クロジは背筋をピンと伸ばして座り直した。
「俺のご主人様はおりこうだったから、言葉が通じなくても俺様の気持ちをよく分かってくれてたのニャ。でも、俺はご主人様が悲しそうにしていたり、元気がないときに、寄り添ってあげることしかできなかったのニャ。本当は何か言葉をかけてあげたいけど、猫チャンだからそれができない。それがもどかしかったのニャ。けどスキルを手に入れたことで、今こうしてヒロやリタやカゲロウとお話できてることがすごく嬉しいし、人間への理解も深まったと思うのニャ。だからこそ、必ず日本に戻って、もう一度ご主人様と暮らしたいのニャ」
クロジは迷いない顔で言った。その黄色い瞳には、決意の炎が揺らいでいるように見える。
「そうだな。日本に帰ろう。なんとしても」
俺は青く光る祠を見ながら、再び故郷の地を踏むことを固く決意したのだった。




