53 エレガンス製薬からの刺客
突然目の前に現れた忍者のような人物は、なぜか俺のことを日本人だと言い当てた。
なぜ知っている? どこかで俺達の会話を聞いていたのか?
俺の脳内がはてなマークで埋め尽くされた頃、忍者は再び不敵に笑った。
「なんで俺のこと知ってるんやっていう顔しとるな。そら、その黒髪見たら分かるやろ。こっちの世界に黒髪の奴なんかほとんどおらんで。それにお前、けったいなスキルで獣人もどきと戦ってたなぁ。あれ商業スキルやろ? あんなもんでよう戦うわ。見ててめっちゃ面白かったで。ウン、素質あると思う」
「な、な、なに一人でペラペラ喋ってるんだよ! 俺に何の用だ! 日本人だったらなんだっていうんだ? も、もしかして帰り方を教えてくれるのか?」
目の前の忍者は、果たして敵か味方か。
俺が日本人だと聞きつけて、助けに来てくれたのだろうか。
そうであってほしいという俺の想いは、しかしあっさりと砕かれてしまった。
「はぁ? 帰る方法なんてあるワケないやろ。ヒロに会いに来たのは、勧誘や、勧誘」
帰る方法なんてあるワケないやろ、という言葉が俺の耳の中で何度も繰り返される。
頭から冷水をかけられたような気持ちだ。
体が固まって動かない。あまりのショックに声も出ない。
「俺は、帰れない……のか?」
喉の奥から、やっとの想いで声を絞り出すと、忍者は平然と言った。
「そら、青い祠は一方通行やからな。戻られへんで。今までも、ウチの仲間が日本に帰ろうと試したことがあったけど、いずれも成功せんかった。日本が恋しいかもしれんけど、諦めてこっちの世界で暮らすんやな。ああ、だからイサイはんも祠見つけたところで異世界には行かれへんから、さっさと諦めや」
イサイは口をワナワナと震わせながら忍者を見ている。彼も声が出ないようだ。
「ほんで、ヒロ。本題やけどな」
忍者がいつの間にか俺の正面に移動していた。
水の上を歩いたり、気づいたら別の場所に立っていたりと、動きがまさに忍者のようだ。
「アンタ、エレガンス製薬においでや。もう日本には帰られへんけど、うちの会社に来たら他にも日本人がおるしさ。楽しくやっていけるで。社長もアンタを歓迎するって言うてる」
「しゃ、社長って、身体強化ポーションを作った……?」
「せやせや! 社長もヒロのこと待ってるねん。だからウチと一緒にエレガンス製薬の本社に行こ。こんなショボいヒーラーとか野蛮な獣人とかと一緒におって何になるねん。どうせ帰られへんねんから、せめて同胞で集まって暮らした方がええやろ?」
「そんなこと、急に言われても……」
あまりの急展開に頭が追いつかない。
エレガンス製薬に他にも日本人がいて、俺はもう日本に帰ることができなくて……?
まさかもう日本に帰れないなんて思わなかった。自分が努力すれば、元の世界に帰れるとばかり思っていた。
家族や友達にももう会えないのか? 串焼き屋の職場にも戻れないのか?
完全にキャパオーバーだ。
胸がざわめきで埋め尽くされ、膝には力が入らない。目からは今にも涙がこぼれそうだ。
俺の人生はここで終わったのか? それとも、この忍者について行けばなんとかなるのか……?
その時、クロジのシャー! という威嚇の声でハッと我に返った。
「ヒロ、こいつに惑わされるんじゃないニャ!」
クロジは耳と尻尾をピンと立てて、歯を剥き出しにしている。
「こいつ怪しいのニャ! だいたい獣人の血から身体強化ポーションを作ってる奴が信用できる訳ないのニャ!」
カゲロウもそれに賛同するように強く頷いた。
「そうだぞ、ヒロ。こいつは薬品の匂いもプンプンするし、エレガンス製薬の人間で間違いないだろうが、ヒロが日本に帰れないだとか、エレガンス製薬に日本人が何人もいるだとかいう話は信用できるか分からんぞ。思考停止するな!」
思考停止するな。
カゲロウのその一言は、俺の胸にガツンと響いた。
そうだ。ここで考えることを放棄してはいけない。俺は日本に帰るために戦いながらここまで来たんだ。簡単に諦めてはいけない。
まずは、目の前の忍者が何者なのかを見極めなくては。
「なんや、その反抗的な目。ヒロ、お前も日本人の仲間に会いたいんと違うか? ウチについてきたら信頼できる仲間もおる。日本の食べ物だってある。それにエレガンス製薬が仕事も用意したる。今みたいに無職で知らん世界をウロウロせんでよくなるんや。な、いい話やろ?」
「……お前は日本人なのか?」
「せや! 日本人や。お前の仲間やで、ヒロ」
忍者はニッコリと目を細めた。
「日本の、どこから来たんだ」
「……オーサカや! ヒロも知ってるやろ、有名な街やんか」
「大阪の名物は? 観光名所は?」
忍者は一瞬冷ややかな目をした。少しの間、俺達の間に沈黙が流れる。
忍者はまたニッと目を細めた。
「そんなもん知らんな。そんなん何でもええやんか。ヒロ、もっかい聞くで。お前はエレガンス製薬に来るんか? それとも来ないんか?」
「答えは……ノーだ! お前、たぶん日本人じゃないだろ。お前から聞き出したいことは山ほどあるが、お前について行くつもりはない。お前は信用できない!」
日本から来たのなら、大阪の名物も観光名所も分かるはずだ。それにコイツは関西弁らしき言葉をしゃべっているが、イントネーションが完璧ではない。
俺は母が関西出身だったから、なんとなく分かる。この忍者はエセ関西弁で日本人のフリをしているだけだ。
「それが答えでええねんな?」
忍者はそれまでの愛想笑いをやめ、氷のような冷たい目をして言った。
「それから、ウチは誰がなんと言おうと日本人や。生まれはこっちの世界やけど、心は日本人っちゅう訳や。それだけは覚えといてや」
「……お前は一体何者なんだよ」
俺はもう一度忍者に問いかけた。
忍者はいつの間にか、手に鉤爪のような武器を装着している。鉤爪の先端が不気味に光る。
「そんなに知りたいんやったら教えたるわ。ウチの名前はキリエ。エレガンス製薬の社長の子供や。今日は失態を犯したイサイに責任を取らすんと、ヒロを勧誘するために来たんやけど、もうええわ。どうせお前のスキルはウチの会社の役には立たんやろうしなぁ。社員食堂で働かせたってもええかなぁと思ったんやけど、アンタにその気はないみたいやし。あと、ウチのこと日本人じゃないって言ったのが許せへんから、お前のことはここで殺していくことにする。ウン、そうしよ」
キリエは早口で言い切ると、いつの間にかイサイの横に移動していた。
水の中で腰を抜かすイサイの口元に、キリエが素早く赤い液体を注ぎ込む。イサイは苦しそうに呻きながらも、それを全て飲み干した。
「よし、ええ子や。身体強化ポーション全部飲んだな。あいつら全員殺したら、イサイはん、アンタの失態は不問にしたってもええで。ザカリオ支部長は降格やけど、僻地の社員としてなら使ったってもええ」
キリエは何が面白いのか、ケラケラと笑いながら俺を見た。
「ウチの勘やけど、お前ら全員、そのうちウチの会社にとって邪魔になる気がするねん。お前らみたいな反抗的な目のやつって大嫌い。だからここで死んで」
キリエは楽しそうな口調で物騒なことを言うと、またいつの間にか俺の目の前まで移動し、手に装着した鉤爪をブンと振りかざした。




