54 社長の正体
ヒュン!
風を切る音とともに、キリエの鉤爪が空間を切り裂いた。俺は間一髪でそれを避けた……つもりだったが、左腕の服が裂けている。
鋭い痛みが走るとともに、服に血が滲んだ。
「ヒロ! 下がっていろ!」
カゲロウが剣を振りかざし、俺とキリエの間に躍り出た。
カキン! と金属と金属がぶつかる音がする。
「獣臭い劣等種族が、しゃしゃり出てくんなや!」
キリエの罵声が飛ぶ。カゲロウはその罵声ごと切り裂くように、大きく剣を振った。
カゲロウの攻撃が当たったかのように見えたが、キリエは羽のように軽い身のこなしでヒラリとそれをかわしたかと思うと、音もなく着地した。
「ウチは戦闘向きスキルじゃないから、でっかいワンコとは戦いたくないんよなぁ」
「ワンコだと!? 獣人族をバカにしよって!! それに吾輩は狼だ!!」
カゲロウの顔が大きく歪む。顔一面に怒りが滲んでいる。
そんなカゲロウを全く意に介さない様子で、キリエはイサイの方を見た。
「イサイはん、用意できたか?」
その声につられイサイの方を見ると、高級そうなスーツに包まれた彼の体は見事に肥大化し、すでにボタンはほとんど弾け飛んでいる。
全身が黒い毛で覆われ、頭には大きな角がある。
「獣人化してます! あれは……牛!?」
リタの悲鳴にも近い叫びが響いた。
「キリエの奴、イサイに身体強化ポーションを飲ましたんニャ! またパーティの時みたいに暴れられたら、たまったもんじゃないのニャ!」
クロジの言う通り、獣人化したイサイを相手にするだけでも大変だ。おまけに鉤爪を振り回すキリエもいる。
クソッ、どこから対処すればいい?
「イサイはん、このワンコはアンタに任せたで!」
キリエがそう言うと、イサイは地響きのような唸り声と共にカゲロウへと突進していった。
カゲロウは剣でイサイの突進を受け止めたが、その突進はかなり重かったらしい。
カゲロウは歯を食いしばりながら耐えているものの、ズルズルと後ろへと押され続けている。
俺がカゲロウに駆け寄ろうとすると、耳の横でヒュン! と空を切る音がした。
「お前の相手はこっちや!」
俺の髪が数本パラパラと地面に落ちた。見ると、またキリエがまた鉤爪を振りかざし、俺を切り刻もうとしている。
咄嗟に後ろに下がって攻撃をかわす。するとまたキリエの鉤爪が、今度は俺の胸元をかすめた。
鎖骨の下から腹にかけて、俺の服はぱっくりと口を開けるように裂けてしまった。もしこれが体に当たっていたら、間違いなく致命傷になっただろう。
「くっくっく」
キリエは笑いをかみ殺している。
「ヒロ、アンタよくここまで生き延びたな。攻撃スキルも人脈もないのに、よお頑張ったと思う。それもまぁ、ここまでやけど」
再びキリエが俺に襲いかかる。鉤爪を避けようとして思わず尻もちをつくと、足元にクナイのような刃物が刺さった。
「ひっ」
思わず喉から声が漏れた。しかし痛くない。ケガは避けられたようだが、俺のズボンが地面に縫い留められるように固定されてしまった。
脚を動かしてもクナイは抜けず、俺はその場で尻もちをついたままの体勢を強いられた。
「くそっ! くそっ!」
俺はズボンが破れても構わないと思い、思い切り脚を動かそうとした。しかし思いのほかズボンが丈夫だったようで、脚はびくとも動かない。
「ええやろ、そのクナイ。こっちの世界にはない形状の武器や。ママに教えてもらって、武器職人に頼み込んで作ってもらってん」
「ママって、エレガンス製薬の社長のことか。ん? まてよ……お前のママはクナイを知っているのか? もしかして忍者も知っているのか? お前の会社には何人も日本人がいるんだったよな。ということは、エレガンス製薬の社長は……」
俺の頭のなかでパズルのピースがぱちんとはまる音がした。
ここ数年で急激に成長したというエレガンス製薬。身体強化ポーションという危険な代物を作り、反社会的組織のゲルセミウムとも関りがあるエレガンス製薬。その社長はもしや、俺と同じ……
「お前が思ってる通り、ウチのママは日本人や。こっちの世界にやってきたあと、エレガンス製薬を立ち上げたんや。日本では【ヤクザイシ】っていう仕事をしとったらしいで」
「薬剤師! ああ、だからポーションを……!」
「ついでに教えたるわ。ママのスキルは【製薬】。ほんでウチのスキルは【隠密】やねん。だから、ママがウチのスキルにぴったりの服や武器を用意してくれたんや。な? ええママやろ? ほなお喋りはこのくらいにして、そろそろ死んで」
キリエが鉤爪を外し、胸元から新たなクナイを取り出した。これで俺をぶすりと刺すつもりなのだろうか。
しかし俺はまだ死ぬわけにはいかない!
なんとか時間稼ぎをするため、必死でキリエとの会話を繋ぐ。
「ママ、ママって言ってるけど、お前はこっちの生まれなんだろ? ママとは血が繋がってないんじゃないか?」
するとキリエは明らかにムッとした。
「ママは孤児やったウチを引き取ってくれたんや。キリエっていう名前もママがくれた。だからウチはママの期待には全力で応える。失態を犯したイサイは綺麗に消すし、ママはヒロとは会いたがってたけど、でも殺す。だってお前がママに会ったら、めっちゃ気に入られそうやねんもん。そんなんムカつくやんか。だからお前はダンジョンで自暴自棄になったイサイに殺されたことにしとくわ。ママにはお前の髪の毛でも渡しとく。亡骸はダンジョンに自然に吸収されるさかい、その辺の心配はいらんからな。ほな」
キリエが再びクナイを構える。今度こそ俺を殺すつもりだろう。
「ま、待って! ちょっと待って! 死ぬ前にせめて教えてほしい!」
「往生際の悪いやっちゃな。なんやねん」
俺は会話を続けながら、こっそりとマジックバッグに手を入れ、中をまさぐった。
俺のスキルでは人間を攻撃できない。マジックバッグの中に、何か武器になりそうなものが入っていないだろうか。
マジックバッグをまさぐっていることを悟られないよう、慎重に会話を繋ぐ。
「その、エレガンス製薬には何人も日本人がいるって言ってたよな? 全員スキルを持ってるのか?」
「そんなん当たり前やろ。この世界に生きてる人間は全員何かしらのスキルを持ってんねん。まぁ役に立つスキルもあれば、ヒロのスキルみたいに役に立たへんスキルもあるけど」
役に立たへんスキル。キリエが言う通りだ。
俺はいっつもカゲロウやリタ、クロジに助けられてばかりいる。俺ができるのは、時々みんなに食事をふるまうくらいだし、戦闘も本当に向いていない。
それでも、どうにか機転を利かせてなんとかやってきた。そう、今だって!
俺はマジックバッグの中の、布袋の中に手をつっこんだ。ここに来る前に倒した、毒蛇のモンスターの死骸がそのまま入っている。
カゲロウに無理矢理持たされたやつが、ここで役立つとは思わなかった。
俺はヌメヌメとした蛇の体に手を添えると、小声でスキルを唱えた。
「毒袋除去」
「おい、何ブツブツ言うてんねん」
キリエが怪訝な顔で俺の顔を覗き込む。
今がチャンスだ!
俺はキリエの顔めがけて、手に持った小さな袋を思い切り投げつけた。
「くらえ! 毒蛇から取り出した、毒袋だ!」




