29 ポイズンビー、ふたたび
商業ギルドに着くと、ダンジョンへ潜るための手続きは驚くほどアッサリと終わった。
「こんなにアッサリしてていいの? ダンジョンって危ない所だろうし、もっと厳重に手続きとかするんじゃないの!?」
俺が驚きを隠せずにいると、受付の向こうでサンドラが微笑んだ。
「本来、ダンジョンに潜るだけなら申請は要りませんからねぇ。今回は商業ギルドから、『地図に記載されていない隠し部屋の捜索』という名目でお願いしているため、多少の書類のやり取りがあるだけなんですぅ。ま、実際はゲルセミウムが使用しているであろう、いわばアジトに近い部屋の捜索なんですけどぉ」
「その、リタのお兄さんが言っていた魔石の受け渡し場所って、アジトなのか?」
サンドラは少し眉を寄せ、困ったような顔をした。
「アジトと決まった訳ではありません。魔石を隠しておいたり、あるいは回収するだけの小さなスペースかもしれません。ただ、告発時のアルバンの口ぶりだと、そんな小さなスペースではなさそうなんですよねぇ……まぁ、とにかく一回捜索してきてください」
サンドラは「では」と言い残すとそのまま受付の奥へと引っ込んでしまった。
「ダンジョンなんて不安だ。不安しかないッ……」
「ふふ、ヒロさんは意外と心配性なんですね。今までだって、なんとかなってきたんですから。ダンジョンだってなんとかなりますって!」
リタは明るく言うと、俺の背中をバンと叩いた。痛い。
カゲロウも不安な様子は一切なく、軽い調子で言った。
「この街のダンジョンは、そもそも高ランクのモンスターはほぼ出現しないとされている。お前らのような非力な人間でも死にはしないだろう。ただし、ちゃんと準備するのは大切だ。リタはカバンすらないのだろう? ダンジョンに潜るのは明日にして、今日は装備を整えるといい」
カゲロウはいい終わると「この後行くところがある」と言って、足早に商業ギルドから出て言ってしまった。
「そうと決まれば、私たちも買い物に行きましょう!」
「そうニャ! サンドラが蜂を倒したご褒美にお金をくれたから、それで美味しいものを食べるのニャ!」
「ご褒美のお金じゃないよ。ポイズンビー駆除の謝礼金な。それにしても、リタのカバンも買わないといけない上に、カゲロウが装備を整えろって言ってた……また金が飛びそうだな。何を買えばいいんだろう」
商業ギルドで手続きを済ますと、すっかり昼になっていた。
街中はますます賑わいを増し、人々の楽し気な声にまじって美味しそうな匂いも漂ってくる。
匂いに誘われて石造りの建物が並ぶメインストリートを進むと、大きな広場に辿り着いた。
「でっかい広場ニャ! 見ろ、食べ物の屋台がたくさん並んでるのニャ!」
喜色満面のクロジが前足で指した先には、色とりどりの看板を掲げた屋台がズラリと並んでいる。
看板に書かれたこの世界の文字は読めないが、店先に並べられた果物や野菜たちを見る限り、ここは市場のようだ。
「ヒロさん見てください! 珍しい果物がこんなにたくさん!」
リタはキラキラと目を輝かせている。
店先の箱には輝くような赤色の果物や、やたらと大きなカブのような野菜など、ワクワクするような品物が所狭しと並べられている。
「あれもこれも買ってほしいのニャー! 食べたいのニャ!」
クロジは俺の肩に飛び乗ったかと思うと、大きな声で駄々をこねはじめた。まるで幼児だ。
「うるさい! リタのカバンを買うのが先だろう!」
実は俺、商業ギルドにいた頃から、なんだか体がだるいのだ。ここ数日の疲れがピークに達しているのかもしれない。
クロジの我儘は一旦無視して、ここは先に用事を終わらせてしまいたい。これから旅を続けるにしても、この街で全ての用件が済んでアーカシに帰るとしても、リタのカバンは絶対に必要なのだ。
「嫌なのニャー! ヒロのけちんぼー!」
クロジが喚いていると、屋台の店員が不審な目を向けてきた。
「喋る猫……? もしかしてモンスターかい?」
「い、いえ! モンスターではないんです! これは、人間の言葉を喋るスキルのある猫ちゃんでして」
リタがしどろもどろに説明すると、店員の顔はますます険しくなってきた。
「スキルを持った動物だなんて聞いたことがないよ。本当にモンスターじゃないのかい?」
「め、珍しいですよねー! あ、美味しそうな果物だなぁ。一個ください」
馬車の乗客も言っていたが、この世界にも喋る動物はいないらしい。クロジは相当稀な存在なのだ。
これ以上不審がられる前に、早くこの店から去ったほうがいい。
俺は急いで果物を一つ買うと、クロジの口にむんずと押し込み、そそくさと店を後にした。
「人前でわぁわぁ喚くな! さっきの店で不審がられたじゃないか!」
俺がクロジを睨むと、クロジは涼しい顔をしている。
「さっさと食べ物を買ってくれないヒロが悪いのニャ。これからも食べ物を買ってくれないと、大きな声で喋ってやるのニャ! 不審がられたりモンスターと間違われても、俺様は困らないのニャー」
「モンスターを街中に持ち込んだって勘違いされたら、俺達が困るんだよ! だいたい、クロジだってモンスターと間違われて駆除されたくないだろ」
「じゃぁ俺様が買ってっていったら、すぐに食べ物を買うのニャ。人間のくせに猫ちゃんより自分の用事を優先しようだなんて、おこがましいのニャ」
クロジは偉そうに言うと、優雅に毛づくろいを始めた。なんて我儘で偉そうなんだろう。
俺の中の猫への好感度がぐっと下がるのを感じた。
「まぁまぁ、クロジのお腹も膨れたようですし、次はカバンを買いに行きましょう」
リタにたしなめられ、俺たちは再びカバンを売る店を求めて歩きだす。
しばらく歩くと、市場の中に雑貨を扱う店を見つけた。ベルトや靴に混じって、肩からかけれそうなカバンもいくつか売っている。
「ここのお店なんか、いいんじゃないでしょうか」
「いらっしゃい。おお、可愛い黒猫ちゃんだこと」
商品を手に取って眺めているリタの横で、クロジが店主に撫でられている。
クロジは黙ったまま、ごろごろと喉を鳴らした。
この雑貨屋は小さな屋台だが、天井からも横の柱にも色々な商品が吊ってあり、品揃えは良さそうだ。
「値段も高くないですし、丈夫そうです。これにしようかなぁ……って、なんかブンブン音が聞こえませんか?」
「音……?」
耳を澄ますと、どこからか聞き覚えのある羽音が聞こえてきた。
羽音が大きくなるにつれて、人の悲鳴も聞こえてくる。
「まさか、ポピズンビーか!?」
リタと目が合う。彼女の顔が引き攣っている。
「先ほど倉庫の前で取り逃がした個体がいたってことですか!?」
俺たちが周囲を警戒していると、屋台の影から二体のポイズンビーが飛び出してきた。
「くそ! 朝に引き続いてまたモンスターかよ!」
俺が悪態をついている間にも、ポイズンビーはその尻についた大きな針で周囲の屋台の幌を次々に切り裂き、おまけに針の先から毒までまき散らしはじめた。毒がかかった屋台から煙があがる。
「きゃぁ! こっちにこないでぇ!」
「ひいいい、助けてくれぇ!!」
逃げ惑う人々の悲鳴が響く。こんな時に限って、頼りのカゲロウはいない。
「もうヒロさんが頑張ってあのポピズンビーを倒すしかありませんよ!」
「そうニャ! お前が頑張るのニャ!」
「他人事みたいに言いやがって! くそ、炭おこし……は、やめておこう。人通りの多いここで煙を発生させたら、余計にパニックになるかもしれない。ええい、【食材確保】!」
俺は右手を掲げてスキルを唱えたが、すばしっこいポイズンビーに当たることなく、網は地面にパサリと落ちた。
「【串うち】! 【食材確保】! 【串うち】! くそ、当たりっこない!」
その時、一匹のポイズンビーが逃げ遅れた女性を威嚇していた。先ほどクロジを撫でてくれた女店主だ。
ポイズンビーの尻にある大きな針で、店主は今にも突き刺されそうな勢いだ。
もうだめか、と思ったその時。
店主とポイズンビーの間に、黒い小さな影が立ちはだかった。
「もしかして……クロジ!?」




