21 醤油の国から来た獣人
カゲロウから手渡された調味料は、まさかの醤油だった。
こんなファンタジーみたいな世界にも醤油があるの!?
「どうだ、珍しいだろう」
カゲロウがニヤリとする。口元から牙がにゅっとのぞいて迫力満点なのだが、多分これは獣人的なドヤ顔なのだろう。
「これ、醤油だよな?」
「おお、非獣人なのにこれを知っているとは、さすが料理人という訳か」
日本人なら醤油くらい誰でも知っている。でもカゲロウは俺が日本から来たと知らないのだから、この反応が普通なのだろう。
「ああ。リタは醤油って知ってるか?」
「ショーユ? 知りませんねぇ。聞いたこともありません」
リタは醤油を知らないようだ。カゲロウの言う通り、今いる大陸では珍しいものらしい。
「我々獣人の住むアーニマ大陸では、大豆という豆を使った調味料や食べ物が広く流通している。この醤油もそのうちの一つだ」
「ということは、豆腐とかもあるのか?」
「お前、豆腐も知っているのか? 子供だと思い侮っていたが、見かけによらず博識なのだな」
カゲロウは愉快そうに笑った。見かけによらずってなんだよ。
だいたい俺は20歳だ。れっきとした社会人だ! 確かに男としては多少小柄ではあるが、どうしてアニーもカゲロウも俺を子供扱いするのか。
それとも、俺の見た目はこの世界ではかなり若く見えるのか?
「いや、待てよ。博識というよりは……その黒髪に黒い瞳……まさか」
カゲロウは言葉を切ると、俺の頭からつま先まで、全身をジロジロと見回した。
ふふふ。もしや、俺が成人男性だと気づき認識を改めたんだな!
……と思ったが、そうではないらしい。
「お前、もしかして、日本から来たのか?」
二ホン……いま、日本って言ったのか!?
目の前の獣人からまさかのキーワードが飛び出して、俺の心臓がドクンと脈打つ。
「カゲロウさん、日本を知っているのか!?」
「ああ、知っているというより……」
俺は思わずカゲロウに詰め寄った。彼の大きな瞳に、余裕のない俺の姿が映る。
「教えてくれ! 俺は日本から来た。気づいたらここにいた。でも帰り方が分からないんだ。頼む、日本への帰り方を教えてくれ!!!!」
俺の切実な様子に、カゲロウは圧倒されているように見えた。
「落ち着け、落ち着くんだ。何から話せばいいのか……」
カゲロウはあごに手を当て、その場をぐるぐると歩きだした。どこから話すか迷っているらしい。
「おいヒロ、俺様は腹が減ったのニャ。さっさと食事を用意するのニャ!」
「うるさい、クロジ! 今はそれどころじゃ……」
「いや、話し出すと長くなりそうだ。食事をしながらゆっくり話そう」
カゲロウがそう言うなら仕方がない。
早く日本に帰る方法が知りたくてたまらないが、ここはぐっと我慢だ。
方法さえ分かればすぐに帰れるはずだ。今は命の恩人のカゲロウに食事を振舞うことを優先しよう。
リタにレンガで焼き台を組み立ててもらっている間に、俺はグレートディアの肉にスキルを使って串を打っていく。
「ほう、そんなスキルがあるのか」
カゲロウは横から物珍しそうにのぞき込んでいる。
「そういえば、カゲロウさんの醤油と砂糖ってお借りできますか?」
「ああ構わない。好きに使ってくれ」
好きに使ってくれと言われ、俺の心は一気に躍った。今までは調味料といえば塩一択だったが、醤油と砂糖があれば『タレ』を作ることができる!
料理酒がないのが残念だが、それはおいおい手に入れるとしよう。
俺はリタの家から持ってきた小鍋に醤油と砂糖を入れると、焦がさないように慎重に煮詰めた。
「な、な、なんて良い匂いなんでしょう……」
「リタは垂れたヨダレを拭くのニャ。うんうん、懐かしい匂いニャ」
小鍋から立ち上がる懐かしく香ばしい匂いに、皆うっとりとしている。
「懐かしい匂いにゃんだけど、猫ちゃんに塩分は禁物なのニャ。俺様の分は塩とか醤油とかはかけずに焼いてほしいのニャ」
「わかってるよ。さぁ、一気に焼いていくぞ!!」
俺たちは焼き台の近くに座り、グレートディアの串が焼き上がるのを待った。
炭が弾ける音がするたび、日本に帰れるという期待で俺の心も弾けそうになる。
「そういえば、お前達の名前を聞いていなかったな。改めて、吾輩の名前はカゲロウ。獣人族の冒険者だ。身体強化スキルを持っている。カゲロウと気楽に読んでくれ。敬語でなくて構わない」
「俺様はクロジ。見ての通り、人間とお喋りできるスキルがある、愛らしい猫ちゃんニャ」
「私はリタです。アーカシという町の出身で、ヒーラーです」
「俺はヒロ。日本出身で、料理人だ。スキルは串焼きを作ることに特化してる」
カゲロウはうんうんと頷くと、俺の目をまっすぐに見た。
「ヒロ、日本についての話だが……結論から言うと、吾輩には日本への帰り方は分からない」
なんだって……?
「帰り方が、分からない……?」
嘘だろう? 俺は頭をガツンと殴られたような気分になった。先ほどまでは確かに掴んでいたはずの希望が、指の隙間から音もなくすり抜けていく。
「日本について話す前に、獣人族の成り立ちについて話す必要がある。獣人族の祖先は、日本という国から来た非獣人だと伝えられている」
「獣人族の祖先が日本人……?」
「ああ、そうだ。獣人化できるスキルを持った、非獣人こそが我々の祖先だと言い伝えられている。祖先は黒髪に黒い瞳で、今から千年以上前に突如アニーマ大陸に現れたそうだ」
「アニーマ大陸って、いま獣人たちが住んでいる大陸だな?」
「そうだ。先祖たちは男女数人ずつの日本人だったそうだ。そのうち何人かが獣人化スキルを持っていたそうだが、いつの時代からか、獣人の子供しか生まれなくなったという。理由は分からない。それから、祖先は海からアニーマ大陸にやってきたと言われている」
海から! 俺と一緒じゃないか。理屈は分からないが、獣人族の先祖も俺も、海を経由してこの世界に転移したのは間違いないらしい。
俺が頭の中でカゲロウの話を整理していると、それまで黙って聞いていたクロジがカゲロウの方へ身を乗り出した。
「なぁカゲロウ、お前達の先祖は海で何か見たとか言ってなかったかニャ? 小さい神社みたいな……石でできた……にゃんと説明すればいいか分からにゃいけど」
クロジはうまく言語化できずにニャウニャウと唸っている。
「もしかして、祠か?」
「それニャ!」
祠!! そういえば、俺もバスから投げ出されたあと、海の中で光る祠を見たような気がする。もしかして、それがこの世界に転移するきっかけだったのだろうか?
「確かに、獣人族の中には、海の中で光る祠の伝説も残っている。祖先たちはそこを聖域を定め、決して近づかないようにという決まりを作った」
「じゃあ、もしかしてアニーマ大陸に行って、そこの祠に行けば日本に帰れるんじゃないか!?」
しかし、カゲロウはゆるゆると首を振った。
「残念ながら、その祠は十年前の嵐で壊れてしまった。今は再建された祠が海の近くにあるが、以前のようには光っていないのだ。ヒロがそんなに行きたいのなら、アニーマ大陸に行くのもいいだろう。しかし、こちらの大陸で獣人差別があるように、あちらの大陸では非獣人差別がある。おまけに大陸間の航路はものすごく険しい。死人もよく出ている。正直言って、勧めない」
「そんニャぁ……」
クロジは背中を丸め、がっくりとうなだれた。俺も同じ気持ちだ。せっかく帰れる方法を見つけたと思ったが、ふりだしに戻ってしまった。
絶望的な気持ちの中、グレートディアの串からは香ばしい匂いが漂ってくる。
その匂いを嗅ぐと、ぐうと腹が鳴った。こんな時でも腹は減る。皮肉なもんだ。
「まぁ、とりあえず食べようか」
俺は力なく立ち上がり、皆に串を配っていった。
「ヒロ、諦めるのはまだ早い。獣人族の光る祠に似た伝説は、どうやらこちらの大陸にもいくつかあるようなのだ」
カゲロウはグレートディアの串にかじりつきながら言った。
「この町から二日ほど歩いた先にある、ザカリオという大きな街にも祠伝説があるらしいのだ。そこに行けばヒロの欲しい情報があるかもしれん」
それを聞き、俺の心臓は再び跳ねた。




