15 黒猫
盗賊たちに拉致され連れて来られた粗末な小屋の隅に、なぜかマイコの市場にいた黒猫がいる。
「にゃぁん」
緊張で張りつめた小屋の中に、黒猫ののん気な鳴き声が響いた。
皆の視線が一斉に猫へと注がれる。
「どうしてここに猫ちゃんが? この子、マイコの市場にいた子じゃないですか?」
リタは縛られたまま首をかしげた。
「分からない。人知れず馬車に乗り込んでいたのかもしれないな。この黒猫が俺たちを助けてくれればいいんだけど、猫にそんなことを期待するだけ無駄か」
俺は縛られた両腕にぐっと力を込めた。しかし縄はびくともしない。
どうにかしてこの縄を解いてここから脱出しなければならないのに……
「どうしてこんなことになっちまったんだろうねぇ」
乗客のおばさんが顔に悔しさを滲ませながら言った。
「あたしはザカリオにいる娘に赤ん坊が生まれたっていうんで、手伝いに行こうと思って馬車に乗っただけなんだよ。どうして盗賊に捕まらなきゃならないんだ」
「私たち、この後どうなるんでしょうか」
リタが不安そうにおばさんに尋ねた。
「奴隷として売られるんだろうかねぇ。ああ、嫌だいやだ。ラズカータにいる駐屯兵は何してんだか。治安維持が彼らの仕事だろうに、こんな盗賊をのさばらせたら、仕事してるだなんて言えないよ」
おばさんは盛大に溜息をついた。
もっと時間が経てば、いつまで経っても到着しない乗り合い馬車に気づいたザカリオの人が捜索隊をよこしてくれるかもしれない。
しかし今はまだ昼時だ。
元々馬車は日没の頃にザカリオに到着する予定だったため、捜索隊が動き出す可能性があるとしても、それは夜になってからのことだ。
仮に夜に誰かが助けにきてくれたとしても、俺たちがそれまでここに居続けられるとは限らない。
盗賊は「迎えの連中が来るまで大人しくしていろ」と俺たちに言っていた。
ということは、俺たちはいずれここから別の場所へと移されるか、もしくはここで殺される。
タイムリミットがあとどのくらいかは分からないが、悠長にしている暇はない。
なんとかして、まずはこの縄を解かなくてはならない。
「すみません、どなたか縄を切れそうな刃物とか持っていませんか?」
俺は小屋の中にいる他の乗客たちに声をかけたが、みんな力なく首を横に振った。
「俺たち全員、荷物を盗賊どもに奪われちまった。荷物の中にはハサミもあるんだがなぁ」
乗客の一人が言った。
そういえば、俺のマジックバッグも手足を縛られた際に取り上げられていた。
あれには着替えも食材も入っている。なんとかして取り返さなければ。
その時、リタが何か思いついたようにこちらを見た。
「ねぇ、ヒロさん。ヒロさんのスキルで、この縄を焼き切ることってできませんか」
縄を、焼き切る……?
そうか!
リタの意図を理解した俺は、小さな声でスキルを唱えた。
「うまくいってくれよ。【炭起こし】!」
俺の手から熱を持った炭がぽろりとこぼれる。
俺はその炭を床に置くと、手を縛っている縄の部分を押し付けるようにして、縄を焼き切れないか試した。
小屋の中に、縄と床が焦げる匂いが充満してくる。
この匂いが外にいる盗賊の鼻に届いてしまったらもう終わりだ。
早く、早く、早く!
炭よ、早く縄を焼き切ってくれ!
祈りながら縄を炭に押し付けるが、縄のすぐ近くの皮膚の部分も一緒に炙られてしまう。
最初は熱を感じるだけだったが、だんだんと刺すような痛みに変わってきた。
火傷だ。
「ヒロさん、あとでヒールをかけてあげますからね。頑張って」
リタの小声での励ましを聞きながら、俺は必至に縄を炭に押し付ける。
「君は一体、何をしているんだ?」
乗客の一人が俺にいぶかし気な目を向けたその時、ふいに手を縛っている縄がゆるんだ。
「よし! 縄が焼き切れた!」
「やりましたね、ヒロさん!」
俺は自由になった手で自分の足の縄も解くと、他の乗客たちを縛っている縄を次々に解いていった。
外にいる盗賊がこの様子に気づく気配はない。
「お兄さん、ありがとうね。でもこの後どうやって逃げる気だい? 外では盗賊たちが見張っているんだろう? あいつらは武器を持っていて、荷物を取られたこっちは丸腰だ」
おばさんが縛られていた手首をさすりながら言った。
「どうやって逃げるかは、今から考えるところです」
俺がそう答えると、おばさんは深い溜息をついた。
しかし、見切り発車で今すぐ脱出する訳にはいかない。外に盗賊が何人いるかも分からない以上、危険すぎるのだ。何か作戦を立ててからじゃないと、まだ脱出はできない。
「誰か、攻撃スキルを持っている方はいませんか?」
俺は小屋を見回して皆に尋ねたが、お互い顔を見合わすか、首を横に振るかの二択だった。
「そんなもんあったら、拉致される前に使ってるよ」
おばさんが悔しそうに言った。
「今日の乗客はみんな商業スキル持ちだろうよ。だいたい、攻撃や回復スキル持ちの人間の方が圧倒的に少ないからね。お兄さんのスキルは攻撃スキルかい?」
「いえ……俺も、商業スキルです」
小屋の中に落胆の空気が立ち込めた。
俺のスキルは商業スキルであるものの、昨日も一昨日もモンスターとの闘いではある程度有効だった。
それなのに、どうして盗賊たちに捕まる直前はスキルが発動しなかったのだろうか。
「なあ、リタ。俺は盗賊に捕まる前に【串打ち】のスキルを発動しようとしたが、あの時は何故か発動しなかった。もしかして、スキルはいつ何時でも使えるっていうもんじゃないのか?」
「いえ、基本的には気力や体力が底をつかない限りは使えます。憶測ですが……ヒロさんのスキルは料理人のものなので、人を攻撃するのには使えないのかもしれません」
「モンスターには使えるのに、人には使えないの?」
「グレートディアもコカトリスも、クラーケンも全て食用可能なモンスターなんです。スキルが食材だと判断したものにしか発動せず、食べられない人間に対しては発動しない可能性は高いです。ヒロさんのスキルはあくまでも商業スキルです。他人を攻撃するものではないんだと思います」
異世界に来てから、何度も俺や仲間を助けてくれたこのスキルも、悪意を持つ人間の前では役立たずでしかないということか。
俺が右手を眺めながら無力感に包まれていると、再び「にゃおん」というのん気な鳴き声が聞こえてきた。黄色い瞳と目が合う。
「猫はいいよな、気楽で。俺たちみたいに売られることもないんだろうし」
「にゃおん」
「なぁ、ここから脱出する作戦を一緒に考えてくれよ」
冗談のつもりで猫に話しかけると、猫は部屋の隅にある、入り口とは別の扉までスタスタと歩いていった。
そして、こちらを向いてもう一度「にゃおん」と鳴いた。
「そこに何かあるのか……?」
音が鳴らないようにそっとその扉に触れると、鍵はかかっていなかったようで、キイという小さな音を立てて扉が開いた。
盗賊の仲間が休憩しているかもしれないと思い、恐る恐るもう一つの部屋を見ると、明かりのついていない薄暗い部屋の奥からいびきのような音が聞こえてくる。
しかし、そのいびきは人間のものではない。
時々、獣のような唸り声の混じるいびきだ。
そろりそろりと音のする方へ近寄っていくと、そこには大きな檻があった。
中にいるのは――
「熊のモンスターか?」




