99 兄と妹
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「お兄ちゃん……? えっ! その人、リタのお兄さんなの⁉」
エドランにリタの兄がいるであろうことは分かっていた。この建物にいたっておかしくない。けれど、まさか今リタの首元に刃物をあて、彼女の自由を奪っている男がリタのお兄さんだなんて……
俺はごくり、と唾を飲みんだ。
よく見ると、リタにお兄ちゃんと呼ばれた男は、リタと全く同じ赤茶色の髪の毛をしている。言われてみれば、顔立ちだって似ている。
リタは悲しそうに顔を歪め、兄への言葉を口にした。
「お兄ちゃん……ザカリオに出稼ぎに行ってしばらくして連絡が取れなくなって、私すごく頑張って探したんだよ。お兄ちゃんの恋人のところにも行った。彼女だって、すごく心配してたよ。もう何やってるのよ。こんなことはやめて、一緒にマイコに帰ろう?」
いつも敬語のリタが、珍しくくだけた喋り方で話している。最後の方の言葉は涙声になっていた。
リタは兄——アルバンに刃物を突き付けられたまま、正面を向いて話している。リタからはアルバンの顔は見えない。
けれど、俺にはアルバンの、後悔と悲しみに歪んだ表情がよく見える。
「ごめん……リタ……こんなお兄ちゃんでゴメンな。でも、俺ジン様に歯向かうことはできない。俺が歯向かえば、獣人の子供たちが危なくなる。あの子たちをこんなことに巻き込んでしまったのは俺だ。これ以上、あの子達に辛い思いをさせる訳にはいかない。リタ、もう俺は死んだと思って、全て忘れて仲間と共にマイコに帰るんだ」
「そんなことできないよ! 私はお兄ちゃんを連れ帰るためにここまで来たんだよ⁉ お兄ちゃんが犯罪組織に手を貸してることも分かってる。そんなの、家族として見過ごせないでしょ⁉ 罪を償って地元に帰ろうよ」
せっかくリタの兄のもとに辿り着いたのに、どうしてすんなりと事が運ばないのだろう。アルバンが改心して俺達の味方になってくれれば心強いのに。
それに実の妹を突き放してまで、彼がジンに従順である理由は一体何なのだろう。獣人の子供たちがどう関係しているのだろう。
ハラハラしながらリタとアルバンの会話を見守っていると、苛立った様子のもう一人の男が高圧的に言った。
「アルバン、その女を連れてラボに行け。絶対にその女に妙な真似をさせるなよ。それからラボにいるであろうジン様に侵入者があったことを伝えろ。いいか、分かったな」
それを聞いたアルバンはビクッと肩を震わせると、そのままリタを抱えて走り出した。
そのスピードは人を抱えているとは思えないくらい早い。むしろ、俺が手ぶらで全力疾走するよりも圧倒的に早い。
確かアルバンのスキルは——運送関係だったはずだ。本来はそのスキルでは人間を運べないはずだが、ジンの精製した薬でスキルを変性させて人間を運べるようにしているのかもしれない、と以前誰かが推理していた。
「リタを連れていくんじゃないニャ! アルバン、待つんニャ!」
クロジは俺やキリエの仲間の男の横をスルリと駆け抜け、一目散にリタを追いかけた。
俺も後に続こうとしたが、キリエの仲間の男が俺を阻む。
「猫一匹がアルバンを追いかけたところで、何の役にも立たないだろうよ。しかし、お前は通す訳にはいかないな——ムラタ・ヒロ」
「どうして俺のフルネームを知ってるんだよ。お前は俺の友達でもなんでもないだろう」
すると男はククッと押し殺したように笑った。
「もちろん友達じゃない。むしろ、お前はジン様のお気持ちを乱す害虫のようなもんさ。数週間前、黒髪の若い男がこの国に現れたらしいという情報は、俺達の仲間がすぐにジン様に報告した。ジン様はずっと同胞を探しているからな。そして、キリエがお前を勧誘しに行った。きっとすぐにエドランに来るだろうと思いきや——お前はジン様ではなく、汚らわしい獣人やこの世界の人間の手を取った」
男は苦虫を噛み潰したような顔で、少し遠くを見た。
「今までも、日本から来た人間で、ジン様の誘いを断る者はいた。けれど、皆ジン様に歯向かうようなことはしなかった。ただこの世界での自分の境遇を受け入れ、この世界で生きていくことを選んだだけだった。でも、ヒロ、お前は違う。日本に帰ることを諦めず、そしてジン様に——エレガンス製薬やゲルセミウムのやり方に歯向かった。ジン様は大層心を乱され、苛立っておられる。俺はお前のような目障りな存在はさっさと消すべきだと思ってるよ」
男は底意地の悪そうな顔に、薄ら笑いを浮かべた。
「アンタはどうしてそこまでジンにこだわるんだよ。髪色を見ても顔立ちを見ても、アンタは日本人じゃないだろう?」
目の前の男は、明るい銀髪に彫りの深い顔立ちをしている。どうみても俺と同じ日本人ではない。
「ジン様は、私の人生に舞い降りた女神なのだ。私のスキルを活かせる人はあの方しかいない。ジン様こそ我が光」
男は恍惚とした表情で、とつとつと語り出した。
「俺のスキルは【統率】というものなのだ。教師であれば生徒たちを効率よく統率することができ、軍人であれば一糸乱れぬ隊列を作り出すことができる。指導者向きのスキルだ。しかし俺には教師になるほどの賢さも、軍人になるほどの体力もなかった。俺はずっと燻っていた。そこに現れたのがジン様だった! 彼女は日本からこの世界に来た当初、自分のスキルを活かせずずっと光の当たらない日々を過ごしていた。けれど、私に出会ったことで、彼女はカリスマとして生きる道を得たのだ! 人々を癒す薬を作り出す女神、というコンセプトは我ながら完璧だった」
コンセプト? どういうことだ。
「お前がジンを操っていたのか?」
「人聞きの悪いことを言うな! 俺は、ジン様に女神として生きる道を提示したのだ。放っておいたら、彼女は快楽を得る薬ばかり精製してしまうからな。アレはよくない。アレを使った人間は皆判断力が鈍り、どうもやせ細っていく」
「快楽を得る薬……? まさか、麻薬とか覚せい剤とか、そういうやつか?」
「お前らの世界でなんと呼ばれてるかなど知らないが」
男は鼻で笑った。
「ジンは薬剤師じゃなかったのか? だからエレガンス製薬を作ったんじゃぁ……」
「ヤクザイシ? ああ、お前らの世界の薬師のことか。ハハッ、そうそう、他の連中にはそう名乗るようにジン様には指示している。お前らの世界では、薬師は社会的地位が高いのだろう? そうすれば皆ジン様を信用するだろうと思ったのだ。けれど、残念ながら……ジン様は薬師ではない。いや、ポーションを大量生産するだけのスキルの高さはあるのだが、あれはあくまでも私のプロデュースによるものだ。表の顔のエレガンス製薬では回復ポーションを売り、裏の顔のゲルセミウムでは快楽を得る薬を売る。そうやって俺とジン様は二人三脚で富を築いてきた。表でも裏でも、俺の【統率力】は力を発揮した。皆ジン様を崇めた。全てが上手くいっていた。それなのに、急に現れたお前のせいで、ジン様の心は乱され始めた!」
俺はジンに初めて会った時に、薬剤師というよりはスナックのママのようだ——という印象を抱いたことを思い出した。その勘はあながち間違っていなかったのだ。彼女が日本にいた頃の職業は分からないが、薬剤師ではない。
男は俺を指さし、ワナワナと唇を震わせた。
「お前はこの世界に不必要な異物なんだよ! 異物の分際で、ジン様が日本に帰りたいなどと思わせるなんぞ、絶対に許せない。お前は俺が直々にここで始末する‼」
男はズボンのポケットから小瓶を取り出すと、栓をはずし、中身を一気に自信の喉元へ注ぎ込んだ。
「死ね、ムラタ・ヒロ!」
男の体が筋肉で一気に肥大化していくのが分かる。
クソッ、獣人化ポーションか!
次回の更新日は来週の月曜日です⭐︎




