第二十二話 採決前夜
血痕は高杉一郎のものと断定された。DNA検査の結果を聞いた神取と角田は日が暮れて間もなく警視庁に戻った。それを待っていたかのように刑事たちが報告をしに神取の机に殺到した。田原弁護士関連の捜査も今日が最後である。相変わらず連絡は取れたが事件とは関係がないという似たような報告が続く。
刑事たちの群れが去った後、最後の一人が机の前に立った。
「何かあったのか?」
「はい、五年前の中学生の変死事件の遺族に会いました」
五年前、埼玉県のとある中学校で後藤という男子生徒が変死体で発見されるという事件があった。体のあちこちに切り傷やあざが見られ、この生徒が日頃からいじめにあっているということから警察は彼らをいじめていたグループの三人を任意で事情聴取した。
しかし、そのうち一人の家族がこのことに憤慨し、田原弁護士に相談。彼の調査や訴えによって「彼らのいじめは生徒の変死とは関係が無い」ということで三人の少年は警察から謝罪を受けた。
大人たちは遺族以外みんな知らなかったのだろう、生徒が死んだ直前、彼がそのいじめグループに呼び出され、母親の財布から一万円を抜き取り、家を出た事を――。
「埼玉の家を訪ねたのですが、両親はいました。二人ともこの事件のことは知らないと言っています。ただ……」
「ただ?」
「この家には死んだ生徒ともう一人、男の子がいまして、名前は後藤隆、年は十八ぐらいでしょうか、この少年は不在でした」
「たまたま留守にしていただけではないのか?」
神取の聞く態度に惰性が生じていたようだ。
「それが……、先月の二十日ごろから出かけているというのです。彼が言うには東京の大学で知り合った先輩たちと日本一週旅行に出かけるのだ。と言っていました。」
「二十日というと今回の事件が起こる前だな」
神取が襟を正した。嫌な予感がする。その通りとばかりに刑事が二つの写真を見せた。神取があっ、と驚きの声を上げる。
「これが隆君を旅行に誘った大学の先輩です」
写真に写っている先輩とは藤田隼人と加藤里美であった。
改正案の委員会通過の知らせを受けた社労党党首安藤陽子は幹事長室にいた。
「永井先生、このたびの委員会通過に協力していただきありがとうございます」
法務委員会には社労党は永井の派閥からも一人出していた。この委員が反対したら……。と陽子は気が気でなかったが、この委員は賛成したため全会一致となったのである。これにより彼女は永井が改正に賛成したとおもったのである。
しかし、これは勘違いであった。
「協力?私は何もしていないよ」
「石崎め……、自分と家族可愛さに永井先生を裏切りやがって……」
「次回の選挙は彼の公認は無しにしましょう。」
取り巻きが口々に石崎議員の悪口を言う。
「まあいい、石崎君には石崎君の理由があるのだ。懲罰など子供じみた事はよそうではないか。」
永井がそうなだめると、取り巻きは不承ながらも黙った。その間、陽子の顔はだんだん青ざめていく。
「どうした、陽子君。顔が青いぞ」
「い、いえ……。するとやはり先生は少年法改正に反対なんですね」
「その通りだ。我が党は人権を護る党である。その党の幹事長である以上、また政治家、永井秀雄である以上、改正は絶対反対である」
断固たる永井の拒絶に取り巻きが再び勢いを取り戻した。
「貴様、永井先生の信念が変わると思っているのか!?」
「たかが石崎一人の裏切りで先生の考えが変わったなどと勘違いもいいところだ」
「永井先生……」
陽子は床に思わず付きそうになったが、何とかこらえた。土下座や情に訴えて説得できる永井ではないことを彼女は知っていた。
「娘は、娘は……」
と呟きながら陽子はよろよろと部屋を後にした。彼女の顔はすでに青を越えて蒼白となっていた。
「やはり安藤では我が党の理念は貫けませんな」
「先生あってこその社労党です」
前からそうだが、永井はこの取り巻きの言葉をほとんど聞き流している。
民進党では党首大西敦志が各派閥の長に会い、説得を続けていた。幸いどの派閥も抵抗は少なく、ほとんどの議員から了承を得られた。しかしほとんどが条件付であった。事件解決後の人事のことである。
(私の後を党首が勤まる人間はここにいるのか……?)
移動中敦志はそのことで頭を悩ませていた。決して自分に自惚れているわけではない。各マスコミのどこもがこの党の問題として党首候補としての人材の不足を上げている。
(鵜野先生などの党首歴任者ではもうだめだ……、民自党に対してジリ貧のイメージが国民やマスコミに付いている……。有力な若手もいるがまだまだ経験不足だ、到底民自党の層の厚さには適わない……)
ほぼ全員に改正の賛成を得ている事から敦志にはまだ党の事を考える余裕があった。賛成した議員の半数の理由が人道的立場の見解ではなく、恩賞目当てであった事を敦志は嘆いた。
(だから我が党はもう一歩とのところで民自党に勝てないのではないか? だが……、例えそんな人たちでも娘の恩人となる事は確かだ……)
そんな人間関係の不思議さを皮肉りながら、敦志は次の派閥へと向かった。多分同じ事を言われる。彼もまた、同じことを言うつもりだ。
景正が官邸で倒れたのと同時刻、公民党の党首室では激しい論戦が行われていた。
「我々はこれ以上民自党の言いなりになってはならない!」
そう叫ぶのは真柄健太議員。ガラス張りのテーブルを今にも割らん勢いで激しく両手で叩いた。
「民自党の言いなりではない、我が党の総意として決めた事だ」
おだやかに朝倉治夫党首がなだめる。
「我が党の総意だと! 勝手に三役で決めた事ではないか、同じ人権を護る党の社労党では幹事長が反対の意思を表明している。我が党は勇気をもって党首自ら反対を表明すべきだ」
真柄に続けと彼の仲間たちが口々に叫ぶ。
「社労党は社労党、我が党は我が党の理念と事情がある」
そこへ、秘書の一人が入室し、治夫に耳打ちした。
「諸君、MHKや民放各局は明日の採決の様子を全国に生中継する事を決定した。おそらく犯人グループの要求によるものだろう」
党内に沈黙と緊張が走る。穏やかに真柄が破った。
「これで、どの党の誰が反対か国民や犯人に一目瞭然となるわけですな」
「その通りだ、真柄君……。我が党としては我が党の人道的見解により、一人の反対者を出すわけにはいかんのだよ」
「しかし、党首! こういうときこそ断固として立ち向かうが我が公民党ではないですか、あなたはやはり民自党に……!」
そう党首に迫る議員を真柄は制した。
「党首の考えは分かりました。だからと言って我々は納得できません。採決は明日の夕方。それまでにもう一度話し合いましょう」
真柄は仲間と共に退室した。扉の閉まる音が合図になったのか、どっと治夫は座っていたソファーに横たわった。
「……どうして止めた。真柄」
真柄に止められた議員は出し切れなかった勢いをそのまま彼にぶつけた。
「党首も人の子だ、党の理念を貫く事で孫の命を捨てる事は簡単にできない。それに……」
真柄はその議員の顔をしっかりと見据えた。
「私たちは何を言っても反対しようが被害を受ける事は無い。そこが党首との決定的な違いなのだ」
「いや、犯人は反対の議員にも復讐すると言っているぞ」
「本当に復讐するかはまだ分からない。ただ、それに怯えて賛成する議員もいれば、出来るわけが無いと思う議員。また来るならかかって来いと、思う議員もいるだろう……」
真柄は廊下の向こうの党首室の扉に目をやった。
「我々にはまだ選択肢がある」
MHKの生中継の知らせは帰宅途中の永井にも入った。彼はそれを聞いても表情を変えず、東京のマンションへと戻った。駐車場にて出迎えた秘書が耳打ちすると、初めて彼は驚いた顔を見せ、急いで部屋へと向かった。
「あら、あなた。お帰りなさい」
出迎えたのは妻の華江だった。すでに夕食が食卓に並べられている。
「来ていたのか……」
「明日は大切な日なんでしょう、だからスタミナつけてもらおうと思って」
大分一区選出の永井は、東京で単身マンションを借りて暮らしている。妻は地元で後援者との対応の役割を果たしている。二人が会うのはいつも地元大分で、妻が東京に来る事などめったに無いのだ。
久々に妻の手料理を堪能した彼は、これまた久々に妻と共に寝る事になった。
「私のことは大丈夫ですよ、あなた」
電気を消して数分後、突然華江が夫に話しかけた。
「私一人くらい自分で守れます。それに後援会のみなさんもいるし……」
「本当にいいのか?」
「私はあなたが永井秀雄だから妻になろうと思ったのですよ。その夫のためなら、どんな苦労も耐えられます。現に今までそうだったじゃないですか……」
永井は結婚後二度、落選している。一度目は県議会議員からの鞍変えを狙った最初の衆議院選だった。そのときはまだ初めてと諦める事が出来た。しかし、その後二期議員を勤めた後の選挙で彼は落選してしまう。彼の罪ではない、彼が常に「先生」と呼んでいた。議員が汚職で逮捕されたために、有権者にその仲間とみなされたためだ。
衆議院議員としての自身が付き始めた頃だけにこのショックは大きかった。しかし妻はそんな夫を支え、彼女が先頭に立って有権者が抱くイメージの払拭に励んだため、次の選挙では見事返り咲く事が出来た。
「私のことは大丈夫なんですよ……」
自身を持って華江はつぶやいた。それからまたしばらく間が空いて。
「けれど……、安藤さんは本当にお気の毒ですね。私たちは子供が出来なかったおかげでこうしてずっと二人きりでしたが……。やはり母親として娘をどうしても助けたいのでしょうねぇ……」
華江の声が涙ぐんでいるのを永井は背中で感じていた。
「私は一度も母親になれなかったから……、安藤さんの辛さは私の思った以上なのでしょうね……」
「……、私はどうすればいい?」
ごろん、と体の向きを変えて永井は妻に訪ねた。暗さになれたのか、ぼうっと彼女の顔が見える。
「あなたは『永井秀雄』です。それを貫き続ければいいのですよ」
華江はそれきり、何も言わなくなった。相変わらずはっきりとした答えを出さない。やがて穏やかな寝息が聞こえてきた。その寝息を背中で聞きながら永井は明日の行動を考え続けた。地方議員も含めて四十年、二人はいつもこうして問題を乗り越えてきた。




