第14話 堕ちたる女神
「あのダンジョンに逃げ込んだ神が分かったニャ」
配信を(相手を叩きのめして)終えてギルドに戻ったキトラが真剣な顔をして綾乃やその護衛たち、ギルマスの平野たちに告げる。
「それって私たちに関係する大事なことなの?」
「相手の行動次第だけど少なくともダンジョン庁かギルドは聞いておくニャ。相手は迷宮の氾濫起こせるニャ」
「「えっ!?」」
キトラの言葉に綾乃だけじゃなくて平野も声を上げる。
綾乃の顔色はどんどん生気を失い青白くなり、平野はすぐに戦う者、覚悟を決めた顔をして冒険者上がりのサブマスである葛城を呼びますと席を立つ。
ヨシモリから両親がスタンピードで住民を守り殉職したと聞いているので綾乃の反応は予想していたが、平野の反応にキトラは感心した。
上に立つ者としての気概と責任感を非常に好ましく思う。
現場の総監督は前線ではなく後方で指揮を執るが、気持ちは誰よりも熱く、そして誰よりも冷静で冷酷ともいえるほど割り切らねばならないからだ。
なよなよした地方の役人だと思っていた者が長の顔をしたのを見たキトラはこちら問題ないと判断して、問題のある綾乃に近づいて額を合わせる。
「落ち着くニャ。ゆっくり呼吸をするニャ」
かつての仲間だった聖女は怪我人だけでなく、心が傷つき立ち上がれない者も集めて祈り、その慈しむ心と暖かい魔力で触れることなく人々の傷だけではなく心すら癒した。
キトラにはそれほどの芸当はとても出来ないが、簡易な真似事で目の前で震える少女の1人くらいは癒して救うことが出来る。
キトラの魔力が綾乃の身体を優しく包み込む。
幼き頃に母に抱かれた時のような温かさと安心感が気持ちを和らげて無意識的にキトラを抱きしめた綾乃に声を届かせる。
その言葉に導かれて綾乃はゆっくり息を吸って吐く。
もう一度息を吸ってキマってしまった。
「・・・・・・あっは~♡♡♡」
神聖な魔力と母のような温かさと安心感。
そして抱きしめたキトラのモフモフなお腹で猫吸い。
人体に何かしら影響が出そうなほどの幸せホルモンを摂取した綾乃はとてもじゃないが人にお見せしてはいけない恍惚とした顔で気の抜けた声を出してぶっ倒れた。
まずいと焦ったキトラが異世界産の高級ポーションを頭からかけて猫パンチで気付けをする。
幸せホルモンとはいえ、ホルモンの異常な分泌は脳の異常とみなされポーションの治癒範囲だったらしく、意識を取り戻した綾乃はキトラに「額を合わせて落ち着かしたけど何故か気を失ったニャ」と説明を受けていると、席を外していたギルドのマスターの平野と、彼に呼ばれたサブマスターである葛城が入ってきて再び話を始める。
「敵は女神ニャ。名前は多分ないニャ。にゃーがスタンピードが起こると言ったのは、その女神が豊穣の地母神であり、冥界の主でもあるからニャ」
キトラの言葉に葛城が首を傾げる。
「女神様なのに名前が無い? それに地母神と冥界の主って、かなり違う気がしますが・・・・・・」
「それは違いますよ、葛城くん。地母神でありながら冥府などの死者の世界を統べる女王は、驚くほど多く存在します。なぜなら、神話の時代に人の命を奪う原因の多くは“冬”だったからです。冬は特に冥府や地の底と結び付けられやすい季節なんですよ。・・・・・・あぁなるほど。これならスタンピードが起こってもおかしくはないですね」
平野は説明をしながら合点がいったように頷く。
横を見ると綾乃もすでに理解しており、葛城だけが首をかしげていた。
「葛城くん、冬は大地の恵みが無くなり、多くの人が命を落とす季節です。古代の人々はこう考えました――女神が冥府に行ったのだと。冬の冷たい風は冥府から吹き出す息で、草木を枯らす。だから冥府は寒い場所とされたのです。地面の下や棺の中が冷たいことも理由でしょう。つまり、地母神は冬になると冥府へ戻り、世界が寒くなる。そして大地を司る地母神にとって、その“地の下”にある冥府もまた管轄下にある。結果として、地母神は豊穣の女神であると同時に、冥府を統べる恐ろしい女王にもなったわけです」
平野が饒舌に語るのを、葛城は「はぁ」と何となく理解したような顔で聞いている。
ちなみに綾乃は修験道の名家の出で、この手の話は慣れたものらしく、寝ているキトラを抱きながら静かに撫でていた。
「つまりですね、ダンジョンは地下に向かって進む構造です。そこはすなわち冥府へと至る道。つまりダンジョンは冥府の女王の管轄なのですよ」
「あっ!つまりキトラ様に追い詰められたり、敵意を持って挑めば、その女神がスタンピードを起こす可能性があるってことですか!?非常にまずいではないですか!? ・・・・・・ん?ではなんでそんなヤバい神が名前を持ってないのでしょうか?」
危険性を理解した葛城に対し、平野は一息つくようにお茶を飲んだ。
「落ち着きなさい、葛城くん。ここにはキトラ様がいらっしゃる。これほど頼もしいことはないでしょう。それにうちはスタンピード対策も整えています。有事の際は手順どおり行動すればいい。上が慌てれば現場が混乱しますからね」
「・・・・・・そうでした。自分もそのために冒険者からサブマスとして雇われたのでしたね」
「さて、先ほどの続きですが神に名前が無い理由はいくつかあります。ひとつは、単に“○○の神”としか呼ばれなかった場合。ふたつ目は、信仰していた人々が文字を持たず、名を伝承できなかった場合。そして三つ目、これは非常に厄介ですが、“女神”といえばその神を指すほど、圧倒的に信仰された大神だった場合です。キトラ様の言い方からして、この神は征服された原住民の信仰神で、力を削がれて権能を分断された末路でしょう。有名な例を挙げるなら、ギリシャ神話の女神アテナのような存在ですね」
「えーと・・・・・・私は神話あんまり詳しくないんでアテナの例は分かりません」
「簡単に言うと、アテナは元々女神ガイア、デメテル、メデューサなどのいくつかの要素を統合して再構築された存在です。文化や神々の融合の中で、切り捨てられた女神たちの断片が、アテナという名の下に集約された。つまりキトラ様の言う“堕ちた女神”というのは、その“切り捨てられた側”忘れられた神なのです」
「なるほど・・・・・・よく分からないけど、大事なのは“スタンピードを起こせる神”ってことですね」
「・・・・・・ええ、端的に言えばそうです。報告書には結論としてそう書いて、詳細は考察欄にまとめておきましょう」
葛城がようやく納得した様子を見て、綾乃はキトラを優しく起こして話を次の段階へと進めた。
「敵はかなり強いニャ。そしてその上でにゃー達の情報を集めて仕掛けてきてるニャ」
「なんでそんな事が分かるのかしら?」
「あの泉?とかいうやつの傍で微量な魔力を持ったハエがいたニャ。にゃーも権能で動物を操れるから分かるし、実際その辺の鳥たちににゃーの付近で妙な動きをするハエを見たら教えるように命令したら付かず離れずでいるのが何匹か見つかってるニャ」
「ハエですか。なるほどなるほど。それで配信の初めの方にキトラ様が何やら言っていたのですね。冥府とハエはあらゆる神話において切っても切れぬ関係性なので冥府の主が最もよく使う諜報手段ですね」
「その通りだニャ。それにしても使われているのが普通のハエで良かったニャ。神の血肉を喰らった蛆から成長したハエとか出されたら、この国が地図から消えた可能性もあるから助かったニャ」
キトラの発言に3人は息を飲んだ。
この発言は非常に正しく、極小量でも神の血肉を宿したら1匹1匹がゴブリンより強くて固くて小さいという悪意の塊のような魔物が地上に大量に放たれるなど想像しただけで怖気がする。
「相手は確かに悪いけど状況的には悪くないニャ。というかにゃーがここにいる以上は神とはいえ過剰に畏れる必要は無いニャ!所詮やつは敗れて力を奪われた上にこっちに来るのにかなり弱体化してるニャ!神に限りなく近いにゃーの敵では無いニャ!」
堕ちた神といずれ神となる神獣。
人々に忘れ去られて切り捨てられたものと人々に英雄と称えられて拾い上げられたものの戦いの時は近い。
〜????~
「チッ!獣風情が妾に牙を剥くか。忌々しき征服神の手先め。だが妾の加護を与えた愛し子を打ち破るだけのことはある。正面からやり合うのは些か分が悪い」
ダンジョンの奥深く最下層を自らの玉座の間へと作り替えた堕ちた神は苛立った表情を隠そうともしない。
ダンジョンの魔力と自らの神威で作成した仮初の身体はまだ全盛期の姿とは程遠い幼い姿。
しかし日本刀のような恐ろしくも見るものを惹き込む美があった。
「地の利はこちらにある。あやつは気づいているかは分からんが守るべきものがあり防衛をせねばならぬのは奴なのだ。戦の習いに従い嫌なところをしていくことをしよう」
神は不敵に笑う。
地母神なので戦は不得手。だが、しかし地に伏した勇士達を優しく迎え入れる冥府の主は数多の戦場を見てきた。
彼女にとって戦場での謀はお手の物である。
「まずはあの獣を打ち破り、この地で力を取り戻し、妾の威を唱えん」
冥府の主たる彼女には生と死のサイクルを表すエピソードとして栄華と没落が繰り返し訪れた。
逆境こそ彼女は最も輝く。
故に古の戦士たちは彼女を強く信仰していた。
敗れた戦士が彼女と面会をして再戦して敵を打ち破った話など古い英雄譚では必ずと言っていいほどあった。
闘志を燃やす戦士の顔をした幼い姿の女神はハエを地上に向けて飛ばして、冥府に攻め込む勇士を迎え打つための準備を始めた。
まずは情報収集。そして地道な嫌がらせ。
権能が届く範囲でキトラに悪印象を持つ人間にハエを遣わせて、微弱な魔力を使い視野を少しだけ狭くする呪いをかける。
直接危害を与えるほどではないが、日常会話やSNSで文句を言いたくなるような微弱な呪い。
この呪いが功を成したのが泉の暴走とも言える行動だった。
元々視野が狭く、過激な人間を呪えば面白いように転がった結果だった。
地味で些細なことだが炎上しているキトラのメンタルにダメージや、陣営の動きが鈍ればそれだけこちらの準備も整う。
彼女は自分でもこのような情けない事をと自嘲しながらも再起するために手を尽くしていった。




