第七話 霊獣と兄妹
奇妙な生物だった。
全身を覆う、温柔そうな白の体毛。ぺたんと下に垂れた、やたらと長い耳。感
情の読み難い、深淵の様に黒く、つぶらな瞳。巨大な毛玉と見紛わんばかりの―
―というか、実際に見間違えた、丸々とした体形。
生まれてからずっと森の中で生きてきたジド達ですら、今までに見た事も聞い
た事も無い魔物だった。
思わぬ珍客の乱入に、ジドも含めたその場にいる者達全員の時が止まる。皆揃
って乱入者である白い毛玉を凝視しつつ口を半開きにするという、間抜けにも見
える表情で固まっている。
全員の背後に、ポカ~ンという文字が浮かんでいるのが幻視できるようだ。
そんな停止した空間を再び動かしたのもまた、白い魔物だった。
ガシッ。
気が付くと、白い魔物がラテに覆い被さろうとしていたオークの頭をその大き
な手の平で鷲掴みにしていた。
ジドは自らの目を疑う。静かに佇んでいた筈の白い魔物が、いつの間にかオー
クに近づき、その頭を掴んでいる――そこに至るまでの過程が見えなかったから
だ。
「はへ!?」
頭を掴まれたオークが間の抜けた声を漏らしたのとほぼ同時に、白い魔物がそ
のオークを力任せに思い切り引っ張る。
引っ張られたオークの首の辺りから『ゴキッベキッ』という、命が千切れる様
な音が鳴った気がした。
白い魔物はそれを気にする様子も無く、そのままそのオークを勢い良く放り投
げる。投げられた先には――ジドを踏みつけにしたまま固まっている、オーク達
の姿が在った。
投じられた肉弾は、ジドを押さえている三体の内の二体に激突する。
重く、大柄な肉塊の直撃を受けた二体のオークはそれぞれ「プギャ!?」やら
「ピギョ!?」やらといった奇妙な断末魔を上げながら、三身一体となって後方
へ数メートル程吹っ飛んでいった。
それぞれが内臓や脳みそといった中身を盛大にぶち撒け、周囲に血生臭さと不
快な臭気を漂わせる。
三体もの仲間が、目の前で瞬く間に無残な姿に変えられたのだ。ジドを踏みつ
けていた三体の内の最後の一体――運良く被弾を免れたそのオークが、混乱の余
り目の前の脅威から視線を外し、ついさっきまで仲間だったはずの肉塊達に目を
奪われてしまったとしても仕方がないと言えるだろう。
そんなオークの体とその周囲に、不意に影が落ちる。それに気付いたオークが
慌てて振り向くと、目の前――文字通り目と鼻の先に、真っ白な巨壁がそびえ立
っていた。
白い魔物が先程同様、その巨体からは想像もできぬ様な速さで彼我の距離を詰
め、オーク(ついでにジド)に肉薄していたのだ。
接近されたオークのやけに間延びした感覚の中では非常にゆっくりと――しか
し、実際には凄まじい速さで、白い魔物の片手がオークの鼻先まで迫る。
迫ってきたその手は、奇妙な形をとっていた。母親が聞き分けの無い子供叱る
時、或いは、幼い子供が友達をからかう時に、相手の額を中指でピンッと弾く際
に作る、あの手の形だ。
「――まっ」
オークが何かを叫ぶ前に、白い魔物の中指がオークの額を弾いた。
周囲で見ていた者達からは、それは何気なく、軽く弾いた様に見えたかもしれ
ない。しかし、そこには尋常ならざる力が込められていたらしく、弾かれたオー
クの頭部の上半分が、ボンッと爆発したかの様に吹っ飛んだ。
頭部の上半分を失ったオークの体は一拍の間の後、糸が切れた傀儡人形の様に
崩れ落ちる。
少なくない量の血やら脳みそやらがジドの体にも降りかかるが、ジドがそれを
気にする様子はない。気にしている余裕が無いとも言える。
押さえつける者がいなくなったにも関わらず、ジドは立ち上がることができず
にいた。ダメージのせいではない。確かに、それなりに手酷く痛めつけられはし
たが、立ち上がることもできないという程ではない。
しかし、ジドはまるで凍りついたかの様に動けずにいる。ただただ目を見開き、
目の前に佇む脅威の怪物を見上げるばかりだ。
そんなジドの不躾な視線を気にする様子もなく、白い魔物はラテ達のいる方向
へと向き直る。それを見てハッと我に返ったジドも、慌ててラテ達の方を見やる。
すると、ラテを組み伏せていた残る二体のオーク達は既にラテから離れ、背中
を見せて逃げ出していた。
「ひぃいいいいいいいいいいいいいい!!」
「し、白い魔物だぁああああああああ!!」
持っていた武器すら投げ捨てた、なりふり構わぬ全速力の逃走だ。
つまり、オーク達は自分達ではこの白い魔物に勝てる可能性は無い、と判断し
たのだという事をジドは理解する。
オーク達の背中がみるみる小さくなっていくが、白い魔物は特に急ぐ様子もな
く、近くに落ちていた人間の頭くらいの大きさがある石を片手で拾い上げると、
それを逃げるオーク達に向かって、迷い無く投擲した。
投じられた石は暴力的な速度で空を疾り、逃走する二体の内の一体に、見事に
命中する。形容し難い悍ましい音が周囲に響き、石を直撃させられたオークの頭
部が爆散した。
ジドの耳に「おっ! 当たった。やっぱこの体のスペックぱないわ」という白
い魔物の呟きが届いたが、意味はよく分からない。
「いやだぁああああああああああああああああ!!!!」
残る最後のオークが、狂った様な叫びを上げる。次は自分の番であろう事を悟
ってしまっているのだろう。
それは森中に響き渡るのではないかと思える様な、魂の絶叫だった。
しかし、そんな絶叫も白い魔物の胸には響いていないらしく、僅かに顔色を変
えることもない。今度はオーク達が投げ捨てていった武器の内の一つ――刃の部
分が石製の槍を拾い上げ、それを一片の慈悲無く、最後のオークの背中に向けて
投げつける。
無情にも放たれた槍は、吸い込まれる様にオークの体に突き立ち、背中から胸
部を貫く。オークは口から大量の血を吹き出し、顔面から地面に落ちていった。
哀れな弱者の絶叫も消え、静寂が辺りを支配する中――
「……まぁ、何にでも例外はあるってことだ」
――と、白い魔物が静かに呟いたのを、再びジドの耳が捉えるが、やはり今回
もジドにはその内容の意味は分からなかった。
(助かった……んだよな?)
疑問形ながらも、ジドは胸を撫で下ろす。
正体と理由は分からないが、状況から見て、この白い魔物が自分達を助けてく
れたというのはほぼ間違いなかろう、とジドは考える。白い魔物がオーク達ばか
りを狙い、ジド達を害そうとする気配を全く見せなかったのがその根拠だ。
この魔物にその気があったなら、自分達などオーク達と纏めて容易く始末され
ていただろうという事くらいは、ジド達にも容易に理解できた。
ジドは傷ついた体に鞭を打ち、立ち上がると、ラテの元に駆け寄る。そして、
衣服を破かれ、大変あられもない姿になっているラテに自分の着ていた服をサッ
と羽織らせた後、微かに震えるその体を力一杯抱きしめた。
「ラテ……良かった」
「に、兄さん……い、痛い……」
ラテが少々苦しそうにそう言うと、ジドは慌てて抱擁を解いた。
「す、済まん!」
「けほっ……ううん、大丈夫。……兄さんも無事で良かった」
兄妹は共に、目の端に涙を滲ませながら微笑み合う。
(あら、微笑ましい)
互いの無事(それなりに傷付いてはいるが)を喜び合う兄妹を見ながら、白い魔
物はそんなことを考える。
しかし、その直後――大地が揺れる。
先程、白い魔物が起こしたそれらよりも、更に激しい轟音と砂煙を伴い、兄妹
が醸す微笑ましい雰囲気をぶち壊さんとする野暮天が、空から舞い降りたのだ。
全身が黒ずんだ緋色の鱗と甲殻に覆われた巨大な蜥蜴の様な魔物。普通の蜥蜴
ならば前足が生えているであろう部位から蝙蝠のそれに似た形状の翼を生やし、
その全長は優に二十メートル程に達する。
〝火炎飛竜〟――この世界ではレッサードラゴンに分類される〝飛竜〟と呼ば
れる魔物の一種だ。
サラマンダーはオーク達の死体を見た後、白い魔物と兄妹に視線を移し、睥睨
する。
おそらくは、オーク達の死体が放つ血の匂いに引き寄せられたのであろう。し
かも余程腹を空かせているのか、どうやらジド達のことも仕留めるつもりらしい
ことが、放たれる剣呑な雰囲気から察せられる。
ジドとラテは、再び驚愕に目を瞠る。
悪い事が重なるというのはそれなりによくある事ではあるが、なにもこんな時
に――そう思わずにはいられない。
例えるなら……迷い込んでしまった迷宮の様な洞窟から、ようやく脱出するこ
とができたと思ったら、出た場所が極寒の氷原だった時の様な――そんな、思わ
ず心がへし折れてしまいそうな程の絶望がジドとラテを襲う。
サラマンダーは、この森の頂点たるデスマンティスに正面から戦いを挑めるだ
けの戦闘能力を持った、数少ない魔物の一種である。この森の中でも、上から数
えた方が圧倒的に早いであろうその戦闘能力の高さは、オーク達などとは比べも
のにならない。
その事を知るジドとラテは、自分達はもちろんのこと、オーク達を容易く屠っ
た白い魔物でさえ、この飛竜に勝利するのは難しいであろう、と絶望の余り逆に
冷静になりつつある頭で思う。
運が悪いと言う他無い。サラマンダーは空を自在に飛び回れるが故に、行動範
囲が非常に広い魔物ではある。
それでも、普段は森の中心部や、中間部と呼ばれる地域を主な生活圏としてい
るサラマンダーが、こんな森の端に姿を見せる事は稀だからだ。
(なんとか……なんとかラテだけでも逃がせないか……)
ジドが頭の片隅で薄々「おそらく無理だろうな」と感じつつも、脳をフル回転
させて、ラテをこの場から逃がす方法を考えていると、白い魔物がまるでジド達
をサラマンダーの視線から庇う様に、スッと前に歩み出た。
位置的に、ジド達には白い魔物の表情を覗き見ることは叶わないが、その背中
からは怯えや不安といった、負の気配は一切感じられない気がした。
驚きと困惑の中に、ほんの僅かな期待を織り交ぜつつ、ラテと共にその大きな
背中に視線を送るジドの耳に、本日三度目となる白い魔物の呟きが届く。
「こいつは中々……上玉だな」




