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第六話 酔猿と豚鬼

「いや! 放して!」

「ラテから離れろ! 豚ども!」


 現在、岩陰に身を隠す俺――七十日程前に人間をやめ、魔物に転生した毛玉の

目の前で、修羅場が繰り広げられている。

 人間に非常によく似ているものの、背中の広い範囲が赤茶色の体毛に覆われ、

腰と臀部の境の辺りから、オナガザル科の猿を彷彿させる長い尻尾を生やした、

獣人か何かと思われる男女が、オークっぽい魔物達に取り押さえられているのだ。

 この森では大して珍しくもない、よく見るタイプの修羅場だが、オークに絡ま

れている男女は今まで遭遇した事のない、初めて見る種族だ。

 猿の獣人っぽい男女はどちらもかなり若く見える。二人とも十代前半くらいだ

ろうか。

 二人とも顔立ちは中々に整っている。少なくとも、人間だった頃の俺よりはよ

っぽど美形だ。もっとも、男の方は相当痛めつけられた様で、せっかくの整った

顔が何ヶ所か腫れてしまっている。

 顔の造りがなんとなく似ているので、おそらく兄妹か従兄妹といった所だろう。


 獣人達は消耗しているのか、現在感じ取れる魔力は少ない。しかし、おそらく

は彼らが仕留めたのであろうオークっぽい奴らの死体が三体程転がっているのを

見るに、元々はオークっぽ……もういいや、オークで。元々はオーク達よりも少し

多めくらいの魔力は持っていたのだろう。

 しかし、数で押し切られてしまったらしい。オーク達は獣人の兄と思われる男

の方を踏みつけ、武器を突き付けているのが三体、妹と思われる方を押さえつけ

ているのが三体、計六体いる。死体になっているのも三体なので、最初は九対二

から始まったと思われる。

 余程獣人達の実力がオーク達をそれを上回っていない限り、多勢に無勢という

やつだ。近くに獣人達の仲間がいる気配も無いし、ここからの逆転は……まぁ、

難しいだろう。


 あの髑髏頭の巨大蟷螂と戦った日から、早十日程。俺は相変わらず、修行相手

を求めて森の中を徘徊していた。

 そして数分前、何かと何かが争っているらしき音を、異常に良くなった聴覚が

捉えた為、興味本位で野次馬に来たというわけだ。一応、生き残った方と戦える

かもしれないという狙いもあった……あったのだが……あれは駄目だな。

 と言うのも、あのオークと思われる魔物達、俺が修行を始めたばかりの頃は、

遭遇したら割と積極的に俺に襲いかかってきたのだが、最近では俺を見た途端に

皆例外無く、脱兎の如き勢いで逃走するようになっていた。……兎なのは俺の方

なのに。

 オーク達の間で「あいつとは戦うな!」といった感じの噂でも広まっているの

だろうか?

 おそらく、あのオーク達も俺が出て行った途端に逃げ出し、修行の相手にはな

ってくれないだろう。前にも言ったかもしれないが、俺には最初から白旗振って

逃走する相手の背を討つ趣味は、基本的には無いのだ。基本的には……な。


 仕方ない、他を探すか。

 ……え? 獣人達を助けないのかって?

 助けないよ。彼らを助ける義理は無いし、オーク達の狩りを邪魔する理由も無

い。

 ん? 前に言っていた『一握りの道徳心』とやらはどこ行ったって? 異世界

に、しかも怪物となって転生した俺に地球人の道徳とやらを求められても困る。

 俺は今世では、前世みたいにしがらみに雁字搦めにされる様な生き方はしない

と心に決めている。やりたい事をやりたい時にやりたい様に――自由気ままに生

きるのだ。

 逆にやりたくない事、やる気の起きない事は可能な限り避けるつもりだ。文句

があるなら言ってごらん、声帯ちぎり取ってやるから。


「オスの方は、生かしておく必要無ぇなぁ」


 男の獣人の方を押さえていたオークの一体がそう言いながら、手に握った木製

の棍棒を振り上げる。

 今更だが、この体に備わった【万能翻訳】の効果により、俺はこの世界のあら

ゆる言語が理解できる。

 いや……正確には、他者から発せられた言葉が俺に届くまでの間に、俺が理解

できる言語に超高速で翻訳されているらしいので、厳密に言えばこの世界の言語

そのものを理解しているわけではないな。

 また逆に、俺の発する言葉は聞く相手の理解できる言語に自動で翻訳されるら

しい。


「兄さんっ!? やめてぇ!!」


 オークが棍棒を振り上げたのを見て、そのオークが何をするつもりなのかを悟

ったのであろう、獣人の妹の方(やはり、兄妹だった様だ)が懇願する様に叫ぶ。

 悪く思うなよ、獣人兄妹。恨むなら、この場に俺のような薄情な怪物ではなく、

若さと正義感とリビドー溢れるイケメン中高生男子を転移させなかった、キャス

ティング能力皆無の神様を恨むが良い。…………いや、アイン様のことを恨まれ

るのは困るな。恨むなら、自分達の運の無さを恨むが良い。

 そんなことを考えながら、その場を立ち去ろうとした俺の耳に、気になる会話

が聞こえてきた。


「待て、まだ殺すな」

「あん? なんでだよ?」

「仲間を三体も殺ってくれた礼だ。俺達がこのメスを犯すところを、そいつに見

せつけてやろうぜ」

「ははっ! そいつぁはいいなぁ!」


 オーク達がその顔に悪意に満ちた笑みを浮かべる。〝醜悪〟という言葉が形を

成したかの様な顔だ。

 獣人兄妹の方はというと、どちらも「なんの話をしてるんだ?」とか考えてい

そうな、不安気な表情を浮かべながら、オーク達を見ている。

 ……もしかして、あの二人にはオーク達の会話の内容……というか、言葉が分

かっていないのか?

 どうやら、兄妹の種族が使っている言語と、オーク達の使う言語は別物らしい。

 俺には【万能翻訳】の効果で、どちらも日本語で喋っているようにしか聞こえ

ないので、違いが分からない。

 オーク達は獣人妹を地面に仰向けに寝かせ、押さえつける。そして、雰囲気と

魔力量からして、この一団のリーダー的な立場だと思われるオークが獣人妹に跨

ると、容赦無くその衣服を剥ぎ取り始めた。


「――!? い、いやっ! やめてっ!!」

「なっ!? き、貴様らぁ!!」


 獣人兄妹はようやくオーク達のしようとしていることを理解したらしく、妹の

方は必死に身を捩って抵抗し、兄の方は慌てた様に、或いは激怒した様に咆える。

 そんな兄妹の反応が相当お気に召した様で、オーク達はその下卑た笑みを益々

深いものにする。


「ラテッ!! くそっ! やめろ、豚どもぉ!!」


 ……………………ん~~……これは…………駄目だなぁ……。

 この世界のオークはこういうタイプだったか……いやまぁ、あいつらがオーク

だって、まだ確定したわけではないが。

 はぁ…………仕方ない、助けるか。獣人兄妹を。

 別にね、あの獣人達をただ狩ろうとするだけなら、オーク共の邪魔をするつも

りなんて本当に無かったんだよ…………兄貴の目の前で妹を輪そうとする、など

という悪趣味な茶番さえ始めなければな。

 それは駄目ですわ。前世の話とはいえ、妹がいる兄の身だった者としては、こ

れを見て見ぬふりしたら、明日の目覚めが悪くなりますわぁ……。

 殺そうとするのは邪魔しないのに、犯そうとするのは邪魔するっておかしくな

い? と思われるかもしれないが、俺の中の勝手なルールなので、無理に理解し

てもらう必要は無い。


 俺は茶番劇に横槍を入れるべく、高く跳躍する。

 目指すは――舞台のど真ん中。



 ◇



 現在、この世界で人族がその存在を確認することができている五つの大陸の内、

最大と言われる大陸――〝サウストラージ大陸〟。その北端の地域に存在する森

――〝死神の森〟。

 外から入って浅い地域に出没するのは、さほど武芸に秀でた者でなくとも対処

できるような獣や魔物ばかりなものの、中心部に向かえば向かう程、生息する魔

物が手強くなる。そんな特徴を持つが故、駆け出しの傭兵から熟練の傭兵まで、

幅広い腕前を持つ者達が訪れる。大陸内でも指折りの大森林だ。


 この森では日夜いたる所で、同時多発的に修羅場が展開されている。そんな修

羅場の一幕。

 天頂で輝く太陽が照らす、森のとある一画――西北の端、生い茂る木々が比較

的少なく、それなりに開けた場所に存在する薬草の群生地で、年若い兄妹が

〝豚鬼(オーク)〟に踏みつけられ、組み伏せられていた。

 兄妹は大部分が人間と見分けのつかない姿をしているが、人間ではない。猿を

思わせる他の顔のパーツと比べてやや大きめに見える耳、腰から生える長い尾が

特徴的な獣人の一種――〝酔猿(ドランキー)〟と呼ばれる種族だ。

 兄の名は〝ジド〟、歳は十六になる。妹の名は〝ラテ〟、歳は最近十四になっ

たばかりだ。彼らはこの死神の森から更に北の方角へ、それほど離れていない位

置に存在する小さな森に村を築く獣人部族――〝尾長族〟の一員たる戦士と、戦

士見習いである。


 そんな彼らがなぜこの死神の森に来ているのかというと、薬草の群生地という

場所から察せられるように、とある薬草の採取が目的だ。

 事の始まりは一年程前、彼らの母親が厄介な肺の病に侵された事だ。この病の

治療には〝クタ〟と呼ばれる珍しい薬草が必要であり、これは彼らの住む場所の

近くでは、死神の森にしかその群生地を確認できていなかった。

 彼らにとって――というより、死神の森の周辺に住む者達にとって、死神の森

は非常に危険な場所ではあったが、幸いにも尾長族の村から群生地へ向かうまで

の道中、及び群生地とその周辺にはこれといって危険な魔物は出没しなかった為、

兄妹は自分達の父親をはじめとする、部族の熟練の戦士達数名と共に、定期的に

ここに〝クタ〟の採取に訪れていた。


 しかし、ひと月程前から急に状況が変わった。

 外に住むジド達に詳しい事は分からないものの、どうやら死神の森の中でなに

やら異変が起こったらしく、その影響で森の各地にも異常が発生しているという

話だ。

 一部で死神の森の食物連鎖の頂点であり、この森が外に住まう者達から死神の

森と呼ばれるようになった原因でもある存在――死神蟷螂が、何者かに討ち取ら

れたのではないか? などという噂も流れているらしいが、ジド達にはにわかに

は信じられなかった。

 デスマンティスといえば、〝劣竜種(レッサードラゴン)〟である〝狂竜(レックス)〟や〝鰐竜(グランガチ)〟ですら捕食す

ると言われる、死神の森の女帝だ。

 そんな絶対王者が討ち取られたなどという噂、生まれてからずっと死神の森の

近くで暮らし、部族の大人達にその脅威を語られながら育った者達からすれば、

簡単に信じる方が無理という話だ。

 ジド達の父親も「この噂は眉唾物だな」と語っていた。


 閑話休題。

 デスマンティスの噂に関する真偽はともかく、死神の森に異変が起きているの

は確からしく、〝クタ〟の群生地の近くにも、それまで姿を見る事の無かったオ

ークや〝牛蛙(ブル・イーター)〟、〝角熊(デモンベア)〟や〝鎚猪(ハンマーボア)〟などの、ジド達にとっては厄介な魔物が出

没するようになってしまった。

 この事態を重く見た尾長族の族長の判断により、ジド達は暫くの間、死神の森

へ〝クタ〟を採取しに行くことを禁じられてしまう。

 ジド達の母親一人の為に、ジド達やその父親、他の戦士達の命を危険に晒して

はならないと考えたからだ。

 尾長族の間では、族長の決定は絶対である。加えて、他ならぬジド達の母親自

身が族長の決定を支持したことで、ジド達の父親は苦悩しながらもその決定を受

け入れた。


 しかし、納得していない者もいた。ジドとラテの二人だ。

 二人は自分達の武力にそれなりの自信を持っていた。二人は同年代の戦士や戦

士見習いの中では突出した実力を誇り、部族の熟練の戦士達にも引けを取らない

と自他共に認めていたからだ。

 自分達なら多少危険度が上がろうとも、今まで通り群生地まで辿り着き、無事

に村に帰ってこられる、と二人は何の根拠も無く妄信していた。

 そしてとうとう、村に貯蔵された〝クタ〟の残りが僅かになりつつある事に焦

った兄妹は、両親や他の者達に気付かれぬよう村を抜け出し、〝クタ〟を採取す

べく、死神の森にやって来てしまったのである。

 幸い、道中は危険な魔物とは遭遇しなかったが、目的地である採取場所で、二

人はオークの集団と鉢合わせる事となった。



 オーク――人間の骨格に似た胴体を持ち、頭部と足の先の形状は豚のそれらに

非常によく似ている。背丈の平均は百八十センチ前後と、この世界の人間のそれ

と大差無いものの、その膂力は中々に恐るべきものであり、例え単体であったと

しても、人間のただの農夫や、駆け出しの傭兵などではまず太刀打ちできない、

危険な魔物である。

 また、非常に生殖能力が高く、性欲の強い個体が多い事でも有名だ。同種のメ

スだけでなく、近しい体の構造を持つ人間や獣人などのメスとも交配ができる為、

自分達のテリトリー内でそういった種族を発見するとすぐさま襲いかかり、オス

の場合は殺して食料とし、メスの場合は生きたまま捕獲して、仲間を増やす為の

苗床として利用するという。

 特に厄介なのは、自分達の集落の外で行動する際には必ず集団で行動し、戦闘

の際にはその粗暴そうな見た目とは裏腹に、中々に息の合った連携を披露してく

るという点だろう。


 死神の森に住まうオーク達は、普段はこんな森の端ではなく、もう少し奥まっ

た場所を生活圏としている。だが彼らもまた、最近森の奥で起こったある異変の

影響を受け、生活圏を移さざるを得なくなったのだ。

 ふた月程前だろうか、圧倒的な力を持った謎の白い魔物が現れ、森のあちこち

で暴れ回るようになった。そして、その魔物を恐れた他の魔物達の多くが、逃げ

る様に森の外側へ外側へと生活圏を移し始めてしまう。

 最初は森のあちこちを徘徊していた謎の白い魔物が、徐々に強い魔物達が多く

生息する、中心部と呼ばれる地域に留まるようになったからだ。

 白い魔物から逃げてきたとはいえ、元々は森の奥で暮らしていた強大な魔物達

が、自分達の住処の近くに移り住んでくるという事態を受け、オーク達もより森

の外側へと生活圏を移した訳である。



 一対一での戦いなら、ジドもラテもオークに遅れを取らない程度の武力は有し

ていた。実際、ジドは二体、ラテは一体、オークを返り討ちにすることに成功し

ている。

 しかし、そこまでだった。多勢に無勢――自分達と比べれば少々劣るとはいえ、

それなりの実力を持った四倍以上の数のオークを全て仕留め切る事は、二人には

できなかった。

 ジドは地面に頬を擦り付けられながら、己の慢心を恥じていた。

 いかに部族の中ではそれなりに優れた武力を誇るといっても、所詮自分達など

一度この森に足を踏み入れれば、いつ取って食われたとしても不思議ではない―

―その程度の力しか持たない、脆弱な種族。その事実を忘れていた、と。

 だが、今更悔いたところでもう遅い。慢心の代償として、ラテは今まさにオー

ク達の毒牙にかけられようとしている。


「やめろ、豚どもぉ!!」


 持ってきた愛剣は既に折られ、その上、三体のオークに踏みつけられているジ

ドにはそれを止める術は無い。

 せいぜいオーク達の注意をラテから自分へと移すべく、ラテを組み敷くオーク

達に向かって罵声を飛ばすのが精一杯だ。

 自分達の言葉が、この森のオーク達に通じないであろう事はジドも分かってい

る。それでもせめて、自分がオーク達を罵倒している事が伝わるよう、ジドは必

死に語気を強める。

 しかし、オーク達がそれを気にする様子は無い。むしろ、ジドが狼狽する様を

楽しんでいる様な気配さえあった。

 ラテに群がるオークの一体――このオークの一団の中で、最も優れた体躯と魔

力量を持つオークはラテの衣服を乱暴に剥ぎ取ると、自らのいきり立った汚物を

ラテのまたぐらに宛がおうとする。


 ジドは心の中で、自分達の信じる神に祈る。

 神よ! 天界より我らを見守りし、獣人の神よ! 自分のことは助けてくれな

くとも構わない。でも、妹は……ラテだけはどうかお救い下さい! ――と。

 その瞬間――凄まじい轟音と共に、ジドが押さえつけられている場所とラテが

組み敷かれている場所――そのちょうど中間辺りの地点に、巨大な砂埃が上がっ

た。その場にいた全ての者が、思わず音の発生した方へと顔を向ける。

 その視線の先には、砂埃の中心に佇む――――巨大な白の毛玉が在った。

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