雪解けのシェルハート 1
――あの攻撃を受けてなお生きながらえていたワイバーンが、騎兵ゴブリンが、隙だらけの悠の背中に向けて襲いかかってきたのだ。
それまでニコニコしていたリィンの顔は一気に蒼白となり、文字通り血色を変えて危機が迫る悠の体を押した。
体を押された悠はまるで鞠のように地面を跳ねる。
「ってぇ……。何するんだ……」
と、事の重大さを理解する事なく、悠長に構える悠が、間抜けな声を出した悠が目にしたのは、体のうち右半分が喰われたリィンだった。
「リッ……リィン!」
「ゆぅ……くん……。無事で……よかったぁ」
「ま、待ってろ!今助ける!」
悠はようやく事態の重大さを理解した悠は、グリムフィスト内に残る残量シャープレイを全てリザーブエッジに注ぎ込み、唯一鱗がない眼球にリザーブエッジを突き刺し、瞳が潰れた強烈な痛みで大きく咆哮した。
と、その時、メモリデバイスに不意に沈希からの強制通信が入り、久しぶりの彼女の声が耳に届く。
『斎賀君!事情は理解している!喜べ、王国側の防衛は成功した!魔物軍は撤退し、本国に大仰な防衛装置は今は不要になった。今君がどういう状況に置かれているか知らないが、なにか不都合があるならデッドノートを使って殲滅してしまえ!』
悠は何も考えず、何も口にせずただ言われた通りに、反射的に実体化用のシャープレイを射出し、具現化した簡易カタパルトハンガーの中を素早く通り抜けると、その身は銀の装甲に包まれたデッドノートへと化す。
悠は痛みに喘ぐワイバーンの口を無理に開き、リィンを救出したと同時にキャノンバレルの銃口を向け、別れの言葉も皮肉も一つもなく容赦なしにトリガーを引き、騎兵ゴブリンごとワイバーンを撃ち、焼き殺した。
断末魔すら聞かず、装甲を解除しつつ悠は辛うじて体の形を保っているリィンを横抱きにし、すぐさまその場から距離を取り、近くに魔物の気配がない木陰へ彼女を誘った。
「しっかりしろ!リィン!」
目が虚ろになり、意識も絶え絶えのリィンに向け、悠は必死に声を張り上げる。
「あ、ちゃぁ……。えへへ、鈍ったなぁ、私。かっこいい私なら多分避けれたんだけど……駄目だなぁ……私」
「な、なんで……!」
悠は頭が混乱し、自分の脳内でうずめく数多もの言葉の言語化に手間取った。
そしてその末に彼が選んだ言葉は、愚かにも至極当たり前のことだった。
「なんで……なんで俺を助けた!傷つくのは破綻者の俺だけでいいんだ!なんであんな危険な目にあってまで俺を助けたんだ!」
「なんで……って?そんなの……決まってるでしょ!あのままだったら悠くん死んでた!そんな人を守るのは当たり前のことでしょ!私が!悠くんに死んでほしくないからに決まってるよ!」
うろたえる悠とは対照的に、リィンの感情は一点を向いたままブレず、ただ悠のことだけを見ていた。
その感情が、リィンのボルテージを引き上げ感情的にさせる。
「いい加減にしてよ、悠くん!なんで自分だけが戦えばいいとかそんなこと言うの!戦ってると生き返ったような気がするとか、戦ってるのが楽しいとか、傷つくのは自分だけでいいとか!ふざけないで!」
「私は悠くんが好き!こんな戦いの中で、夢を見るために、叶えるために戦えばいいだなんて言える悠くんが、そう言ってくれる私の初めての友達が好き!そんな人を失わないためなら私はこんな傷なんとも思わない!悠くんは?悠くんはなんで私に傷ついて欲しくないと思うの?それはただの義務感でしょ?自分が戦う以上、誰も傷つけてはならないって脅迫概念でしょ?ふざけるな馬鹿!私はそんな人に守って貰ったってちっとも嬉しくない!私が嬉しいと思うのは、夢見る未来は、みんなが生きていて、楽しく笑いあってることだけ。悠くんがいないと、それが叶わないんだよ!」
「リィン……血が……!」
「血が出たって構うもんか!私は……今言わなきゃ気が済まないの!今聞かないと気が済まないの!悠くん、悠くんはなんでそんなに自分を犠牲にしようとするの?自分が壊れてるからとか、楽しいからとか、そんな言い訳、私は欲しくない。どうして?どうして悠くんは他の人を信用出来ないの?」
「お、俺は……」
悠は激しく動揺し、狼狽を見せた。
自己の奥底から湧き上がってくる、今まで抑え込んでいた感情の奔流が津波のように形を変えて襲いかかってくる。
ごちゃまぜになった記憶が頭の中で無尽蔵に飛び回り、破裂しそうになる。
「俺……は……。俺はなんで……なんで戦うんだ?」
自己啓発、しかし内容は極めて原始的かつマイナス方向に振り切れているようなことを口にした悠は、目の前の傷ついたリィンよりも深刻なダメージを負っている風にも見えた。
「俺は……人を信用出来ないのか」
「……気づいて……なかったの?そう、だよ……。悠くんはね、私のことを、死神さんのことを信用してくれてないんだ。寂しいもんだよ?」
そんな当たり前のことに気がついていなかった悠に対してリィンは怒りを見せるわけでもなく、ただ優しく微笑むだけだった。
「悠くん、最初に戦った理由が思い出せないって言ってたよね。私は悠くんと出会ってまだたったの一ヶ月で、悠くんのことをなんにも知らない。知れてない。そんな私が言うのもなんだけど。悠くんは多分、戦ってるうちに悠くん自身が擦り切れちゃって思い出せなくなっちゃったんだよ。誰かのために戦って、擦り切れて、戦ってる方が心地いいくらいになっちゃったのかなぁ……」
リィンは苦しそうながらも、それを感じさせないように隠して話を続ける。
そしてそんなリィンの態度が功を奏したのか、悠の中で蓋がされていた記憶がふつふつと蘇り始めた。
「……そうだった。俺は最初、正義感一つで戦いを始めて、甘い考えは叩き潰れた。誰かを守ろうと戦いを始めたのに、その誰かに糾弾され、裏切られたんだ。……一番キツかったのは、助けた人間が自分だけは助かりたい一心で、俺を敵に売ったのが辛かった。今思えば、そこから俺は人を信頼しなくなったのかもしれない」
「そっかぁ。大変だったね」
悠はそこで初めてリィンに自分のことを語った。
自分が何者で、どういう過去を歩んできたのか。
リィンはようやくそれを知ることが出来た。
「だから……私のことを信用してくれないのかなぁ。私に裏切られるかもって、やっぱり怖いの?」
「……正直怖いよ。だから俺は今まで自分一人で戦おうとしてたし、これからもそうしたい。俺は弱い人間だから、傷つきたくないから自分勝手に戦うしかないんだ。思えば、戦ってる時にようやく生きてるような錯覚がしたのは、そんな状況が心地よかったという逃げだったのかな」
「そっか、怖いんだ。でも大丈夫だよ。私は悠くんを絶対に裏切らない。だって仲間だもんね」
「……そう言って、裏切った奴がいた」
「裏切るつもりなら、こんな体張ってまで悠くんのこと庇ったりしないよー」
リィンはあはは、と笑った。
「私は自分を殺してまで頑張ってる悠くんより、ちょっと頼りなくて、でも、人の心に寄りそおうと頑張ってる悠くんの方が好き。えへへ、なんだか気恥ずかしいけど、これが私の気持ちだよ。大丈夫だよ。この世界には悠くんと肩を並べて戦える人がいる。戦場の孤独を和らげてくれる人がたくさんいるんだよ。今すぐみんなを信用しろって言われても難しいかもしれない。でも、それでも、私だけは信用出来ないかな?私は悠くんのことを最大限、誰よりも信頼してる。それだけじゃ、私のこと信頼出来ないかな」
リィンはその時、以前悠がしたように、同じことをするように、悠の手を強く握った。
怪我をしているとは思えないほどの力強さで、悠は固まりついていた思考が再び動き始める。それほど彼女の手は暖かく、そして安心感に満ちたものだった。
「約束する。私は絶対に、何が起きても悠くんのそばを離れない。世界中の誰もが敵になっても、私だけは悠くんの味方をするから。絶対に死なないし、絶対に裏切らないから。そのためなら、私ちゅーでもなんでもしちゃうよ」
「なんでそんなに……俺のことを気遣ってくれるんだ?」
「何回も言ってるでしょ?仲間で、友達だからだよ。団長代理だからとか、立場とか関係ない。私と、悠くんの個人的な、小さな、私たちだけの話」
リィンは一呼吸置いて、彼女が今一番の伝えたい言葉をようやく口にした。
「だから、私と友達になってくれると嬉しいなぁ、なんて!」




