記憶八―食事当番、それは太陽よりも早く起きる者―
「ねぇ、イラ。朝だよ、起きて。」
微睡む意識の中でツァーイの声が聞こえた。
それと同時に身体がゆさゆさと揺らされて、少しずつ意識が目覚め始める。
ツァーイは朝って言っているけれど、まだ眠いよ……。
だけど僕は旅に同行をさせてもらっている身なので、彼女の呼びかけを無下にする訳にもいかず、起き上がる事にした。
「おはよう、ツァーイ。こんな早い時間にどうしたの……?」
「おはよう。今日はイラが食事当番だから、そろそろ朝食の準備をしてもらおうと思ってね。」
そうだった。今日は食事当番として、一日の食事準備をするんだ。
そんな日に寝坊をして、ツァーイに無駄な労力を使わせてしまうなんて……
そこまで考えながら、ふと窓の外へと目を動かして、考えを少し改める事にした。
「ねぇ、ツァーイ? 聞きたい事があるんだけれど、良いかな?」
「うん? 別に良いけれど、どうかしたの?」
まるで「何か問題でも?」と言うようにツァーイは首を傾げながら頭の上に?を浮かばせていた。
ちょっと可愛い仕草だと思って、見惚れそうになった。けれどね、ツァーイ……問題は大ありだよ!
「まだ夜明け前だよ。朝食の準備をするのはもう少し時間が経ってからでも良いんじゃないの……?」
そう、窓から見える景色は真っ暗だった。
正確に言うのなら少しだけ光が差し込みかけているので、夜明けの直前って所だろう。
確かに夜と言うよりは朝と言える時間ではあるけれど、朝食の準備をするのは朝日が昇ってからでも良い気がする。
これが朝食の仕込みをすると言う話なら早いに越した事はないのかも知れないけれど、確か食堂で買って来るだけ、って話だったよね!?
そもそも記憶喪失の僕は仕込みが必要な程に凝った料理は作れない。
簡単な調理方法は分かるから炒めたり、焼いたり、と言った簡単な料理は作れると思うけど、専門的な知識は全くないので一手間かけた調理方法は全くと言って良い程に知らない。
なので仮に手料理を作るって話になったとしても、こんなに早い時間に起こされる意味が分からなかった。
「でも食堂は開いてるし、ノンビリしていると人混みが酷い事になっちゃうから……」
「それでも夜明け前は早すぎるよ。」
そうは言いながらも僕はベッドから出て、浴場の傍にある洗面所に向かった。
「起こしてくれたら僕が行って来たのに。」と、昨日の僕が言った上で、ツァーイに「朝食の準備をして」と起こされたので断る訳にもいかなかったからだ。
ツァーイが何でこんな時間に僕を起こしたのかは分からないけれど、その点に関しては後で聞き直す事にしようと思う。
そんな事を考えている内に洗面所に辿り着き、顔を洗う。
冷たい水を浴びた事によって、どこか寝ぼけたままになっていた思考が一気に覚醒していく気がする。
付近に置かれていたタオルで顔に付いた水滴を拭き取って、宿泊部屋の中心と言えるテーブルのある場所まで戻る。
テーブルの上には小袋が置かれていた。
確認せずとも中身を察する事は出来たけど、それでも念の為にと一応は中身を確認してみる。
小袋の中には数十枚のCと数枚のSが入っていた。
「それじゃあ買って来るけど、何かリクエストはある?」
小袋の中身を確認した僕はツァーイに朝食の希望を聞いてみた。
思えばツァーイと出会ってからはウルフの肉ばかりを食べていて、それ以外の食事は昨日の朝食(とそれを一部流用した昼食)のみで、それらは全てツァーイが作るなり買うなりで用意してくれたものだ。
だから初めて自分が食事を用意する側になって、ようやく気付いた。ツァーイの食に関する好き嫌いを全く知らなかった事に。
「折角だからイラに任せるよ。イラが食べたい物を買って来てくれれば良いから。あ、でも食費はギルドとしてのお金から出してるんだから高すぎるのは駄目だからね!」
「分かったよ。それじゃあ行って来るね。」
けれどツァーイは僕に任せると言って、食事に関する好き嫌いは分からなかった。
聞き方が遠回しだったかな……とも思って聞き直そうかとも考えたけれど、その辺りは今後ツァーイが当番の日に出て来る食事から推察すれば良いかな。
ともあれ、僕は小袋をズボンのポケットにしまい込み、それを落としたりしないようにと左腕をポケットの中に入れっぱなしにして、ポケットの中で強く握りしめた。
――ファングの街の協会、食堂。
今までは宿泊部屋の出入り中に通り過ぎるだけだった食堂に到着した。
通り過ぎていた時はツァーイが宿泊部屋へと急かしていた事もあって、じっくりと見た事はないけれど大勢の人達がいた……と思う。
けれど早朝のこの時間帯では食堂は当然のように空いていた。
とは言っても一応は数人の冒険者らしき人達がいるにはいた。
しかしその全員がフードや帽子、兜などで顔を隠しており、何とも奇妙な空間となっていた。
ツァーイがこんな早朝に僕を起こした事や、ツァーイが街中ではフードを被っている事とも関係があるのかと思ったけど、前者はともかく後者は本人が話してくれるまでは聞かないと約束したので考えないようにした。最も考えた所で意味は分からない訳なのだけれど……。
それでもこの奇妙な空間自体が気にならない訳ではなく、ついつい何でどの人達も顔を隠しているのか、と考えてしまっていた。
「お客さん、注文は何ですかね?」
「ん? あっ、ごめん、少しボーっとしてたみたいで……。」
そうこう考えていると、いつの間にか注文の順番が回って来ていたようだ。
考え事に夢中になってしまって、メニューを見ていなかったので急いで確認をする。
「えっと……それじゃあこれと、これをお持ち帰りで二人分お願いします。」
確認したメニューから何となく美味しそうだ、と思ったメニューに指を指して注文をした。
頼んだ料理は卵やハム、お肉や野菜などが挟まっているサンドイッチとコンスープの二品。
二品も頼んで大丈夫かと思ったけれど、ツァーイが買って来た昨日の朝食もハンバーガーと野菜スープの二品だったから、大丈夫な筈。
それから少しだけ待って出て来た料理を受け取って、お金を支払う。
ツァーイにCやSの使い方を聞いていたお陰で特に困る事も無く、スムーズに支払いは完了した。
――ファングの街の協会、宿泊部屋。
朝食の購入に成功した僕は急いで、でも落ち着いて慎重に宿泊部屋へと戻って来た。
その甲斐あってか道中で朝食やお金の入った小袋を落としたり、盗まれたり、他の冒険者にぶつかって喧嘩になったり……と言ったトラブルは特に起こらなかった。
無事に初めて(記憶喪失なので実際は不明だけど)のお使い……もとい、朝食の準備は何事もなく完了してホッとした。
それからは太陽が天へと登り切るまでの間に軽い二度寝を挟んでから、ツァーイと雑談をしながら朝食を済ませてから気になっていた事を問いかけた。
「そう言えばツァーイは何であんなに早い時間に僕を起こしたの?」
「え……? えっとね……私はいつもあの時間に朝食を用意しているから……」
困り顔で返事をしてくれたツァーイの言葉に、昨日の朝食が目覚めるよりも早くから用意されていた事を思い出す。
きっと……いや、本当にあの夜明け前の時間に毎日の朝食を準備しているのだろう。
でも、どうして、そんなに早く……?
すぐにでも訳を聞こうとしたけれど、ふいにある疑問が頭の中を過った。
(あんなに早い時間に朝食を用意するのは人目を避けたい……って事だよね? あの時間に食堂にいた人達は皆が顔を隠していたし、ツァーイも街中ではフードで顔を隠している。これってもしかして……聞いちゃいけない事と関係があるのかな?)
ツァーイは「色々あるんだ」と言って話してくれない事がある。
それに対して自分はツァーイが話してくれるようになるまでは聞かないと決めている。
最初はあんなに早い時間に起こされた事を不思議に思って聞いてみたけど、それが話したくない事と関係があるのならこの話はこれ以上聞くべきではなかった。
思えば今目の前にいるツァーイは最初の日にフードの事を聞き出そうとした時の表情と似た雰囲気に感じる気がする。
あの時とは違って怯えではなくて困っている様子なのは、少しは信頼されていると受け取っても良いのかな……?
「もしかして聞いちゃいけない事……と関係があったかな?」
「……うん。少しだけ。」
「そっか……それじゃあ理由は聞かない事にするよ。」
やっぱり関係あったんだ。それなら理由を聞くのは止めておこう。
「ありがとう。……それと朝早く起こしちゃって、ごめんね。」
「確かに驚いたけど、もう気にしてないよ。ツァーイにも理由があるみたいだし。」
「そう言って貰えると助かるよ。」
「それで僕はこれからも朝食はあの時間に用意した方が良いのかな?」
あんなに早い時間に起床するのは大変だけど、ツァーイがそうして欲しいと言うのなら食事当番の日は早起きが出来るように頑張ろう。
「うーん……そうだね、イラならもう少し遅めの時間でも大丈夫……だと思うよ?」
細やかな決意を胸の中でした僕だったけれど、その決意は十数秒程の沈黙の後にツァーイの言葉によって水泡へと消えていってしまうのだった。
それにしても何か考え事をしていたと思ったのだけれど、一度思考が纏まったみたいなのに後半部分が疑問形になっているのは何でだろう?
普段の食生活にレパートリーの幅がないので実は食事シーンの描写が結構苦手で、試行錯誤に時間がかかったり……(苦笑)
ファンタジー物のRPGゲームみたいな雰囲気の作品に仕上げていこうと思っていますが、日常パートも結構入れるつもりなので、そういったシーンも上手に仕上げれるように頑張ります!




