記憶六十―誤解、それは雲行きを怪しくさせる言葉―
仕事を終えてフリーダ村へと帰還途中でツァーイに対しての想いをファクトに打ち明けてから少し経った頃、特に問題もなく僕とファクトは無事にフリーダ村へと戻って来た。
僕がツァーイの事を好きだと言ったからか、単に兄貴分としてなのか、理由は分からないけれどファクトは「協会への報告は俺がしておくから、イラは先に戻ってツァーイに報告しておいてくれ。」と言って別行動をする事になった。
そうして村外れの高原にある屋敷へと戻り、鍵で玄関の扉を開けると僕達の家である屋敷の中はとてもシーンとしていて、ツァーイ達が外出中なのかとさえ思える程に静かだった。
けれどそう言えば二人で女子会をするとか言っていたっけ……と二人が仕事を休んだ理由を思い出す。
女子会は確かフェアリの部屋でするとも言っていたよね……と僕達四人の個室がそれぞれある二階へと進み始める。
二階に上がると確かにどこからか二人が話しているような声が聞こえたような気がした。
ここからでは声のような物音が聞こえるかな……? ……って程度ではあるから、会話の内容は分からない。
ともかく仕事の報告をツァーイにしないと。 と、移動を続けてフェアリの部屋前まで辿り着いてノックをしようとした時だった。
「……イラ――とっ――――は…………も――必要ない――――も……」
部屋の中から聞こえたツァーイの言葉で頭の中が真っ白になった。
それは心の奥底でずっと恐れていた言葉。
だからそれが聞き間違いによる誤解だと考える余裕もなくって、ましてや部屋の中に入ってそれを問いただす事なんて恐ろしくて出来る筈もなかった。
何も聞かなかったフリをして扉をノックして部屋に入れば良いだけなのかも知れないが、とてもじゃないけど数秒前までノックをしようとしていた右手は宙に静止をしたままだった。
どうすれば良いのか分からなくなって、気が付けばその場から逃げ出して、屋敷の外に出て、目的地も定まらないまま闇雲に走り続けていた。
「イラ? 報告は終わったのか? それともまだフェアリにツァ――」
途中で誰かに声をかけられたような、そうじゃないような気もしたけれど、それ所じゃなくって走り続けた。
恐くて、恐くて、恐くて、ただひたすらに走り続けて、走り続けて、走り続けて、息が切れてようやく立ち止まり、我に返った時には村の外である迷いの森を彷徨っていた。
最初にこの森に来た時は三日三晩迷い続けて、四日目でようやくフリーダ村に辿り着けた。
村に住み込むようになってからは魔物討伐の仕事の為に何度も往復をしている。
けれど報告感覚を狂わせるようにだだっ広いこの森は、まだ入った事のない場所も多くて今いる場所も見覚えのない景色だった。
頭の中が恐怖一色に塗り潰されて何も見ずに、何も考えずに走り続けてきたせいで村に帰る道も、森の外に出る道も分からない。
だけどそんな事はどうでもいいとさえ思えた。
だって僕はもうすぐツァーイに捨てられてしまうのだから。
立ち聞きをするつもりはなかったけど、扉越しに聞こえてしまったツァーイの『イラは必要ない』という言葉があれからずっと脳裏にこびりついて忘れられなかった。
いつかそう言われて捨てられる事が恐くて、恐くて、恐かった。
けれど元を正せばこの身一つで眠っていた僕を拾い、連れ出してくれたツァーイの優しさに甘えていただけで……言うなれば何となく拾ってしまったペットを、拾った時と同じように何となく邪魔になったから捨てる。……それだけの話。
捨てられたペットがいつまでもその場でご主人の迎えを待って餓死してしまうように、僕も捨てられたからといって、今まで受けた恩を忘れてツァーイの事を恨んだり、憎んだりするなんて事は出来る筈もない。
ただ胸の奥がズキズキと痛くて、辛くて、悲しくて、寂しいだけ。
面と向かってツァーイの口から『イラは必要ない』と言われる事が恐いから帰る事も出来なくて、それでも心のどこかでまだ直接言われた訳じゃないから、何かの間違いだ、などと都合の良いような解釈をしようとしている自分もいて、だから本気でここから逃げ出して一人で流れ者の冒険者になるなんて踏ん切りもつかない。
本当に何もする気力が湧かなくて、何もかもがどうでもよく思えて、胸の奥がひたすらに痛み続けていて、その痛みだけが唯一の現実だと思えた。
気付けば雲が出て来始め、ここが森の中だからという事もあってなのか、夕暮れ前だと言うにも関わらず辺り一面に陽の光が届かない灰色の世界になっていた。
まるで今の自分の心境を表しているようだと思いながら、行く当てもないままに森の中を彷徨い続ける。
俺が協会で仕事達成の報告と討伐報酬の受け渡しを済ませ、報酬の詰まった袋が三つほど詰め込まれた背負い鞄を背負いながら歩いていると、先に家へと帰って行った筈のイラとすれ違った。
「イラ? 報告は終わったのか? それともまだフェアリにツァーイがとられて――」
一体どうしたのだろうかと思いながらも声をかけたが、イラはまるで俺の声が聞こえてないように顔を俯かせたまま走り去って行った。
ついさっきまでの様子とは明らかに違う事も気になったので追いかけようとも考えたが、『強欲の加護』を吸収する前から速さという一点において、イラの能力は俺より突出していた。
ほぼ全速力で走り去って行ったイラに対し、俺は重いとまでは言わないにしても荷物の詰まった背負い鞄を背負っている。
このまま追いかけても追いつく所か見失ってしまうのがオチだろうと考えた俺は、一旦屋敷へと戻る事を選択した。
「おい、フェアリ! ツァーイ! いないのか!?」
出来るだけ急いで屋敷へと戻った俺は二人を探し始めようとしたが、二人は女子会なるものをフェアリの部屋ですると言っていた事を思い出して二階へと通じる階段へと駆け寄る。
「ファクト……? どうかしたの?」
しかしそこへ居間の方からフェアリとツァーイが現れたので、俺は階段を駆け上ろうとしていた足を止めて二人へと詰め寄る。
「今日の仕事の達成報酬……の話は後回しにするとして――」
俺はそう言って背負っている背負い鞄を足元に置きながら話を進める。
「先に戻った筈のイラがどこか様子のおかしい状態で走り去って行ったんだが、お前達何かしたのか?」
その言葉に二人は顔を見合わせると納得をしたようにツァーイが「……って事はさっきの物音はイラ……って事なのかな……。」と呟いた。
それに対して「どういう事だ?」と事情を聞いてみると、どうやら二人がフェアリの部屋で話し合っている時に誰かが走り出したような物音が聞こえ、気になった二人は屋敷の捜索をしていたようだ。
お互いの事情を説明し合うと、ツァーイが首を傾げながら不思議そうに、それでいて心配そうに口を開いた。
「でもどうしてイラはどこかに走って行っちゃったんだろう……。イラは仕事が終わったって報告をしに戻って来たんだよね?」
「ああ。その筈なんだが……二人共本当に何もしてないのか?」
「うーん……心辺りのあるような事は何もないよ。だって私達は物音が聞こえるまでイラが帰って来た事にも気付いていなかったし……。」
どうしてこんな事になったのかを考えても、ツァーイにはそれが分からないようだ。
しかしその時、ツァーイの隣で同じように考え込んでいたフェアリが「……あっ。」と小さく呟いた。
その様子に嫌な予感を覚えた俺は、「……フェアリ、一体何をしたんだ。」と問い詰める。
「い、いや私が何かをした訳じゃないんだけど……もしかしてイラさんは勘違いをしちゃったのかなぁ……って思って。」
「勘違い……?」
「うん。ツァーイ、物音がする直前に言っていた言葉を覚えてる?」
「え、えっと……『私が……怖がっている……?』……だっけ?」
「違うよ、その後。」
「えーと……『……そうだね、怖いよ。』……だよね?」
「そこでもなくって……もうちょっと後だよ。」
「えっと……その……。」
「あーもう、じれったいなぁ!『……もし、もしもだけど……イラにとって私は…………もう必要ないのかも……って思うと凄く怖い……。』でしょ!」
フェアリがそう言った途端にツァーイが顔を真っ赤にしながら「ちょっと! フェアリ! 何言ってるの……?」と慌てていた。
そのやり取りだけで二人がどういった話をしていたのかは大体の見当が付いたが、イラが勘違いをして走り出したと言うのはまだ分からない。
「……それで、それがどう繋がるんだ?」
「えっとね、私の推測なんだけど……イラさんが部屋の外にいたって事は、ファクトに言われた通りツァーイに報告する為だと思うんだ。でも私達がいる部屋に入らずにどこかに行っちゃったのは、もしかしたら部屋の外にいたイラさんには会話の内容が全部聞こえずに、でも少しだけ聞こえちゃって、それで誤解しちゃったからなんじゃないかなぁ……って。」
「……いや、さっきお前達が言っていた会話の内容からはどこをどうとっても誤解するような事にはならないと思うんだが……。どっちかって言うと勘違いが起きるならツァーイがイラを好いているって勘違いされるんじゃないのか?」
別にそれ自体は勘違いでも何でもない……のだと思うが、イラはツァーイから仲間として大切にされていると思っていたからあいつ自身の視点ではそう勘違いをするような気はした。
けど俺の言葉をまるで的外れだとでも言わんばかりに、フェアリは首を横に振った。
「違うよ。多分だけどイラさんは『イラにとって私は…………もう必要ないのかも』って部分を『イラは必要ない』って風に聞いちゃって、ショックを受けて出て行っちゃったんじゃないかなぁ……って。」
その言葉を聞いた途端にツァーイは顔を真っ青にさせながら「私、イラを探して来る!」と言って玄関の方へと駆けて行く。
「なら俺達も!」
「そうだね。放っておけないし。」
イラをこのままにする訳にもいかないので俺とフェアリもツァーイの後を追おうと駆けて行く。
けれどツァーイは足を止めて俺達の方へと振り返り、顔色は青いままに、それでいていつも通りの表情に似せながら「ありがとう。……でもイラの事は私に任せて。絶対に連れて帰って来るから。」と告げた。
「……本当に一人で良いのか?」
「うん、大丈夫だよ。……それにイラが戻って来た時に誰もいなかったら、誤解を増やしちゃうかも知れないし。案外外が暗くなったり、お腹が空いたら戻って来るかもしれないでしょ? ……だから外を探すのは私一人で大丈夫。」
「分かった。……もしイラが戻って来たら、あいつを連れて探しに行ってやる。」
「うん。その時はお願い。」
「……ツァーイ、その……ごめんね。私が女子会をしたいなんて言ったせいで……。」
「別にフェアリのせいじゃないよ。フェアリの推測が正しいかも分からないし、もしその通りでもイラが勝手に勘違いしたせいなんだから。」
そう言うとツァーイは一人で外へと飛び出して行った。
灰色の雲が空を覆ってしまっていて正しい時間の感覚を掴めないけれど、恐らく今は夕暮れ時だろう。こんな天気でなければきっと綺麗な黄昏時だったに違いない。
旅をしていた頃は暗くなる前に野宿の準備を整えるなり、協会の宿泊部屋へと戻り込んでいた。フリーダ村に住み始めてからも暗くなる前には屋敷ないし村の中には戻るように気をつけていた。
そんな暗くなり始めようとして、危険な時間に私はフリーダ村の外に位置するこの迷いの森の中を走り続けながら、周囲を捜索し続ける。
フリーダ村ですれ違った人達から聞いてみた所、どうやらイラは村の外へと走って行ったようだ。
それならきっとイラは迷いの森の何処かにいるのだろうと思い、こうして探し続けているのだけど森の中は落ち葉や木の枝、花びらといったものなどがあちこちに落ちていて、足跡を一つ探すのも難しい。
ましてやイラはとても素早い。
ノンビリと足跡を探して追うなんて悠長な真似をしていたら絶対に追い付けなくなるし、そうでなくても仮にイラが全速力で今も尚走り続けていたのなら私は一生追い付けないかも知れない。
だから間に合わなくなってしまわないように、私は走り続ける。
手遅れになってしまったら二度とイラには会えなくなってしまうかも知れない。
イラが迷いの森の中にいる間に絶対に見つけて、ちゃんと話をしないと。
そうしてイラを探し続けながらも、その姿や足跡を掴めない事に対して、私は不安の感情を膨らませ続け、やがてどうしてこんな事になってしまったのだろうと考え始めていた。
こうなってしまったのはフェアリが女子会をしたいと言ったからではないし、私がフェアリに相談をしてしまったからでもなく、イラの間がたまたま悪かったからという訳でもないのだろう。
もし原因があるとするなら、それはきっと今日に至るまでずっと私がイラに直接想いを打ち明けなかったせいではないだろうか?
旅をしている時も、フリーダ村に住めるようになってからも、伝えようとすれば幾らでも伝える機会はあった筈だ。
それなのにタイミングを掴めないから、イラが私を女性として見ていないから、イラが自分の気持ちよりも私への恩返しを優先させたらどうしよう……そんな風に色んな言い訳をし続けて、たった一言「好き」と伝える機会を逃し続けていたのは私なのだから。
思えば私達はお互いを大切に思いやっている事は分かり合っていた筈なのに、私もイラも「好き」とは一度だって伝えていない。
例えその意味が恋愛感情からくるものでなかったとしても「好き」という言葉自体は仲間意識や友情のような別の感情からでも出て来る筈なのに、私はイラの事を恋愛対象として意識する以前から一度も口にはしなかった。
それが気恥ずかしかったからなのか、口にする事で意識してしまう事を無意識下で危惧していたのか、それとも特に理由はないのか、原因は分からないけれど私達は「好き」と言う事も、言われる事もなかった。
例外として一度だけその言葉を彼の前で口に出来たのは、イラが風邪で弱って眠っている時。
当然眠っているイラからして見ればそんな事を知る由もないし、私の想いが伝わっている筈もない。
いやだ。
胸の奥がチクリチクリと痛み続ける。
ちゃんと想いを伝えないまま、イラとお別れになってしまうのなんて絶対に嫌。
旅の途中で私が何度か不安を感じてイラに『一緒にいてくれるの?』『一緒にいてくれるよね?』と問いかけると、イラは決まって『ツァーイが必要としてくれる限りは、ずっと一緒にいるよ。』という感じの返答をしてくれた。
私がイラを必要としなくなる、なんて事は絶対にないと断言できる。
それでもイラが記憶を取り戻しても一緒にいてくれるのか、出会った時に彼が言っていた通り本当は旅を続けたかったのではないか、そんな風に怖くなって時々問いかけてしまって、でもイラは言葉の通りずっと一緒にいてくれた。
けれどその言葉は裏を返せば私がイラを必要としなくなったら、イラは私の元を去ってしまうという事でもある。
フェアリの推測通りイラが私から必要とされていないと誤解をしてしまったのなら、イラは本気で出て行ったのかも知れない。そうだとしたらもう二度と会えなくなってしまうかも知れない。
いや。そんなのは絶対に嫌だ。
不安の感情も、胸の奥の痛みも、治まる様子がないままに強まり続ける。
だけど不安に押し潰されて泣いてしまう暇もなければ、胸の奥の痛みに歩みを止める訳にもいかない。
イラを見つけて、誤解を解いて、そしたらちゃんと私の想いを伝えたい。
イラが私に向けてくれている想いが恋愛感情のそれではなかったとしても、イラが私を女性だと見ていないのだとしても、そんなものは二の次で良い。
ただの自己満足かも知れないけれど私は私がイラの事を好きだって、愛しているって伝えたいし、イラに知っていて欲しい。
私にとってイラは必要なんだって、ずっと一緒にいてほしいって本気で思っているって事を分かって欲しい。
だから私は走り続ける。
イラを見つけるまでずっとずっと、この薄暗い森の中を走り続ける。




