記憶五十八―恋心、それは隠蔽し続けてきたもの―
「それでね、その時思ったの私は――」
「「この人が私の運命の人だ!」……でしょ? フェアリ、前にもその話は聞いたよ。」
「もう! だからって私の台詞を取らないでよ!」
それはある日――正確に言うなら一の月の十三日――の昼下がりの風景。
私達の家であり、リベルーチェの拠点でもある屋敷。私はこの部屋の主であるフェアリとお喋りをしていた。最も会話の内容の殆どが彼女の惚気話――つまりはフェアリとファクトに関するもの――であり、旅の間にもたまに二人きりになると聞かされていた話なのだから、私の受け答えも少しだけ淡々としたものにもなってしまう。
「だって本当に何度も聞かされた話なんだもん。」
そう言いながら私は目の前にある小さな机の上からビスケットを一つまみして口に放り込む。机の上には他にも僅かばかりではあるものの幾つかのお菓子とジュースが用意されていて、私達は居間から拝借してきた椅子に座り込んで話に花を咲かせている。
そう、つまりこれは所謂『女子会』と呼ばれている催し物……で、あるらしい。
らしい、と言うのは私がそう言った事に疎く、こうして女子会を開く事になったのも全てフェアリの行動によるものだからだ。
ちなみに女子会と言う名前通り、この会は男子禁制のようでイラとファクトには仕事に向かって貰っている。イラは少し前に風邪で倒れてずっと休んでいたし、ファクトは明日休むつもりのようだから二人とも特に反対とかはしなかったけれど、私としてはイラの姿が近くにないと言うだけで少しだけ落ち着かないでいた。
ともかく他者との交流が浅い訳ありの人生を過ごしてきたのにも関わらずフェアリは私よりも女の子らしい女の子で、少なくとも私よりは女の子らしい知識や知恵を持っている。
確かに同じ女性の冒険者として旅先での髪の手入れや、旅の合間に安全に水浴びをする手段の確保などと言ったような物については私もそれなりに詳しいつもりではある。
けれど見栄えの良い服装のコーディネート、服装にあった可愛いアクセサリーの選別、部屋の間取りと言ったような日常的な女性らしさと言った部分では、私よりもフェアリの方が数段上だと思わずにはいられない。
そしてその最たる部分とも言えるのがフェアリの大好きな恋愛小説だ。
私の場合は絵本や実用的な書物も読む事があって、恋愛小説というカテゴリーに特別強い感情を抱いてはいない。なのでたまに手に取る程度の事はあっても、読んだ本の数などはたかが知れている。
最もその感情はイラと出会う以前には【蒼い疫病】としての嫌な噂話が拡散されきっているせいで、恋人どころか仲間や友達と呼べるような親しい関係性を他者と築き上げる事は絶対に無理だと思い込んでいた事によって恋愛小説の中に憧れを感じる事はあっても、それ以上に虚しさも感じてしまっていたから……という理由も少なからずあるだろう。
けれど同じ訳あり女性冒険者である筈のフェアリは、私とは違っていて時間さえあれば見境なく恋愛小説を読み漁っていた。
旅をしていた間にファクトが「俺と出会った時には既に恋愛小説の虫だったけどな。」と言っていたので、フェアリは一人旅をしていた頃か、或いはそれ以前の頃から恋愛小説にドップリとハマっている事になる。
そんな恋愛小説好きのフェアリは、その影響もあるのか、ないのか。いや、確実に影響はあるのだと思っているけれど、端的に言ってしまえば恋愛脳と呼べる一面を持っている。
以前に【強欲のアワー】との戦いで眠ったままになっていたイラが目覚めた際に、私が一方的に彼を抱きしめていた場面を見られて以来、ことある事に私を冷やかそうとしている。最近ではその事をちょっとだけ鬱陶しく思う事もあるが、独りだった時の事をふと思い返してしまうと、そんな鬱陶しさも大切なもののように思えてしまうので結局私も強くは言えていない。
「それで? わざわざイラとファクトだけ仕事に行かせて、女子会ってのを開いて、結局いつも通りの惚気話をしたかっただけなの?」
「ふふふ、それも少しあるけれど本題は別にあるよ。」
多少呆れた様子の私に対して、フェアリはドヤ顔で勿体ぶったように言いながら「でももう少しだけ惚気させてね。きっとツァーイもその方が話しやすくなると思うし。」等と意味不明な事を告げるのだった。
別にこの女子会って言うのが嫌いな訳でも、フェアリの惚気話を聞くのがウンザリする訳でもないけれど、どうやら本題とやらに辿り着くのには、まだまだ時間がかかりそうなようだ。
「はぁっ!」
イラは狙いを定めて勢いよく両手で持ち上げている反逆の大剣を振るった。その剣先はバターを切るナイフのようにごく自然に小鬼を一刀両断にして、その肉体を真っ二つに分かつ。
そして小鬼の肉体だったものは、すぐさま黒い靄となって消滅。その後には討伐報酬である小鬼の骨だけが残る。
下級とは言え人型の魔物である小鬼を一撃で倒すその力は、かつて【強欲のアワー】が振るっていた反逆の大剣によるものなのか、それとも『強欲の加護』によってイラの冒険者情報がある種のバグのように狂った上がり方をしてしまったからなのか、どちらにせよ本来ならば異常なものの筈だったが、今となってはすっかり日常的な物になってしまっていた。
「お疲れ、イラ。丁度こっちも片付いた所だ。」
「お疲れ、ファクト。えっと、今日受けた仕事のノルマはこれで全部だっけ……?」
「ああ。予定よりも少し早く終わったが、今日はこれで帰る事にしよう。」
「うん。もう少しだけ身体を動かしたい気もするけれど、あんまり倒し過ぎても討伐報酬を持ち帰れなくなっちゃうしね……。はい、これ。」
ファクトの言葉に頷きながら、足元の小鬼の骨を拾い上げてファクトに渡すイラ。
今日はツァーイが集団にいない為に四次元ポーチがない。だから討伐報酬の回収にはファクト持参してきた大きな背負い鞄に押し付けるようにしてしまい込んでいる。
その後二人は数度の戦闘がありながらも、難なく小鬼の遺跡から脱出をして帰路の道を歩み続ける。
時折討伐報酬がぎゅうぎゅうに詰め込まれた背負い鞄の所持を交代しながら、二人は他愛のない話をし続ける。
「それにしても、大剣での戦いも板について来たな。」
「そうだね。最初は【強欲のアワー】の武器なんて……って思ったりもしてたけど、今では剣を振るっていても結構シックリしてるような気がするよ。」
「ああ、傍から見ていても動きがとても自然に感じるし、良い調子だと思うぞ。……って言っても、もう俺がイラに教えられる事なんて殆どないだろうけどな。」
「ファクト……そんな事言わないでよ。確かに『強欲の加護』のせいで変に強くなったって自覚はあるけれど、それでもこれは……ズル、みたいなもんだし。それにまだ僕一人じゃ――」
「ツァーイを守れない……か?」
僕の言葉を途中で奪ったファクトに僕は「……うん。」と頷きながら答えた。
「知らなかった……いや、知ろうともしていなかったんだ。あんなに強くて、なのに当たり前のように間違った事を平気でする人がいるなんて。」
そう言葉に表しながら【強欲のアワー】を思い浮かべる。いや、思い浮かべるまでもなく、その姿が、声が、戦った時の感覚が、嫌でも脳裏をチラつく。
それまでに戦ってきた全ての魔物が弱く見えてしまう程に圧倒的な力を誇りながら、平然と、それ所か笑いながら大切な人を、大切な仲間達を傷つけていたあの男の存在は、色んな意味で強烈だった。
勿論『色んな』の意味は九割九部がマイナスや、負と呼ぶべきものだ。
ファクトがあの男の腕に貫かれている様を一目見ただけで、とてつもない怒りを覚えた。それまで抵抗していた人殺しへの嫌悪感を忘れてしまう程に。
その場面に居合わせたフェアリが上げた悲痛な叫び声を耳にした瞬間、更に怒りを助長させて絶対に勝てないだろう格上の存在に対する恐怖心を愚かしい程に感じなくなった。
自分自身が魔物化によって生えた触手に拘束され、それまで感じた事のない程に明確な殺意や悪意、害意の類を向けられ、大剣に貫かれた瞬間に飛び散る鮮血の熱量とどうしようもない程の激痛に悶え苦しむ事も、死に対して恐怖心を感じる暇さえなく、声を上げる事さえ出来ず、ただひたすらに己の無力さを噛み締める事になった。
そしてツァーイが【強欲のアワー】の要求を鵜呑みにして、その脅迫に屈しようとした(後日そうするふりだった、とツァーイ当人から怒られたけど)際にそれまで感じた事が無い程の、とうに臨界点に達していたと思っていた筈の怒りが、更に抑えきれない程に膨れ上がって、爆発してしまった。
それ程までに強い怒りの衝動が自分のどこに潜んでいたのかと怖くなったのは後の話で、戦っている最中は自分が冷静でない事さえ分からなかった。
けれど【強欲のアワー】と相対して感じた物はそういったマイナスや、負と呼ぶべき感情だけではなかった。
確かに【強欲のアワー】のした事は許せないし、許す気もないけれど、それでも――
『くっはっはっは! 良い! 良いぜ、七番目の小僧! まさか翼も風の魔法や魔装もなしに、天空まで追いかけて来るとはなぁ!』
『本当にどこまでも楽しませてくれるなぁ! 良いぜ。テメェの魔力が尽きて地に叩き落とされるまでに俺を殺せるのか、どうか……試してみろよ!』
『本っ当に最高だな! 七番目の小僧!』
『ふ、ふっふっふ……くっくっくっくっく……本当に化け物かよっ……!! だが、悪かぁねぇぞ……七番目の小僧!!!』
――戦いの終盤で【強欲のアワー】が見せた笑みは、それまでの下卑た笑みとは違う物のように感じてしまった。まるで本当に戦いその物を楽しんでいるかのような笑み。
『っ……あ、あぁ……く、くっくっく……やるじゃねぇか小僧……。』
自らの敗北を悟った際に見せた何かが満たされたような、諦めの付いたような笑み。
それが何を意味するのかは分からないし、この先も分かる日が来るのかなんて分からないけれど、今になって何故だか少しだけやるせない気分のようなものを感じさせている。
だとしても、例え【強欲のアワー】に彼なりの大義があったとしても、あいつは敵で、自分にとって大切な人達を傷つけた。
その事だけは変わらないし、やっぱり一生許してやる事なんてないだろうけど。それでもどこか、釈然としない物を感じてしまい、その理由が分からない事に小さな苛立ちを感じてしまう。
「……そうだな。この世界には信じられない程に酷い事をする奴もいれば、それを助長させてしまう奴、それに屈してしまって歪みを抱えてしまう奴だっている。……だけど、お前は知らなくても良いんだ。知りすぎたら俺のように復讐心のような負の感情に支配されてしまうかも知れない。」
「……だとしても、この先もずっと無関係でいられる保証なんてないよね……?」
僕はファクトの言葉に、不安と確信を半分ずつ抱きながら問い返す。
「……もし、もしもまた【強欲のアワー】よりも強くて、同じように酷い事をするような人達が現れる可能性はあるし、そうなったらまた皆の命が危険に晒されて、その度に全滅しかけて、また僕がおかしくなって皆を傷つけたら……!」
「だとしても、そんな事はそうそう起こるような話じゃない。悪人や犯罪者の討伐仕事を受けなければ関わり合いを持つ事を避けは出来るし、フリーダ村のような閉じた場所では尚更だ。」
「それでも……絶対じゃない。百パーセントそうなってくれる程、楽観は出来ないよ。」
「……そうだな。もしかしたらいつかは、もっと辛い戦いをする事になるかも知れない。どうしようもない程に勝ち目がなくて、それでも大切な人や物を失わない為にはしなくちゃいけないかも知れない。けどな、起きるかどうかも分からない事に備える事なんて限られているんだ。……大切なのは後悔をしない事、それだけだ。」
「後悔をしない事……?」
聞き返した僕に対して、ファクトは「ああ。」と小さく頷きながら言葉を続けた。
「あの時ああしていれば良かった、この時そうしなければ良かった、そう言った過去への未練や執着が心を縛り付ける負の鎖になる。それは簡単に壊せるようなものではないし、中には一生引きずり続けるような物もあるかも知れない。……だから何かを間違えた時に反省をする事は良くても、後悔をするような事はない方が良いんだ。」
そんなファクトの言葉に僕は思い当たる節があった。
言いつけを破って魔法を使ってツァーイをファングの街から連れ出した時、フェアリに初めて会った際に彼女の助けになろうとした時、雷毒の大蛇の目の前に出た時や【強欲のアワー】との戦いに付いて行こうとした時。
そうした場面で僕は最初に出したツァーイの指示に従わずに、自分の心に従って行動をした。
それらの行動はツァーイを守る為に、ツァーイがしたくても出来ない事をする為に、或いはただ傍にいたかったから……とかそんな理由で、だけどそれが僕にとっては大切な事だった。
だから後からツァーイに怒られたり、彼女を泣かせてしまった時に反省をする事はあっても、後悔をした事はなかった。
だけど【強欲のアワー】との戦いの最中に僕がツァーイを傷つけてしまった事……それだけはずっと強い、後悔の念となって今でも胸の中に存在している。
一生をかけても癒せないのではないかと思えてならない程に強い痛みで、きっとファクトの言った話の通りにこの先ずっと死ぬまで引きずり続ける事になるのだろう。
「うん……。後悔をし続けるようになるのは怖いね……。」
「……ああ。でも俺達は人だ。人間だろうと、魔人だろうと、妖精人だろうと、純血だろうと、半端者だろうと、関係なく判断ミスだってするし、忘れ事をしたり、過ちを犯す事だってある。」
「それは……そうだよ。一人で何もかも完璧にする事が出来て、後悔もしないで済むって言うのならそれが一番だけど……でもきっと、それは無理だよ。」
「ああ、そうだな。……それでも後悔したくないって言うのなら……。」
「……ん? 何かあるの?」
思わせぶりに勿体ぶって言葉を区切ったファクトに対して、僕は何を言うつもりなんだろうかと期待を込めながら問いかける。
やがてファクトはニヤリとまるでイタズラをする子供のような笑みを浮かべ、言葉を発した。
「……後悔をしたくないならツァーイに告白でもしたらどうだ?」
「うん。…………って、はぁ!? 何言ってるの!?」
その言葉に思わず普段通りに頷き、少し遅れてからその言葉の意味を理解して、驚きながらファクトの顔をマジマジと凝視しながら、慌てて反応をしてしまう。
「だって好きなんだろ。」
「え……? 誰が、誰を……?」
「イラがツァーイの事を。」
「べ、別に僕とツァーイはそういうのじゃなくって……ただの仲間だよ……?」
「仮にツァーイがそう思っていたとしても、お前は違うだろ?」
「……どうしてそんな風に思ったの……?」
「【強欲のアワー】にツァーイが奪われそうになった時、凄い剣幕で怒っていただろ? ……好きでもない女の為にあそこまで必死にはなれないと思ってな。」
そんな僕とは対照的にファクトは冷静に言葉を投げ返してくる。
やがて僕は言い返す言葉も見失ってしまい、諦めたように「っ……はぁ……」と溜息をついてから観念したように口を開いた。
「……一応聞くけど……それ、フェアリの差し金だよね?」
「一応、な。……フェアリに知られたくないって言うなら言わないでおいてやるけど。」
やはり涼し気な、それでいて悪戯をしている子供のようにニヤリと笑みを浮かべながら告げるファクト。
その言葉を聞いて「やっぱり。」と思う僕に対して、ファクトは悪びれた様子もなしに言葉を続ける。
「本当の所を言うとな、俺はお前達の様子を見ていてもヤキモキしたりとかしてないし、無理に急かすつもりはなかったんだ。」
「だったら、尚更そんな話はしなくたって……。」
「最近のお前を見ていると少し心配になったからな。」
「心配って……別に、大丈夫だよ? 確かにこの間は風邪をひいて迷惑をかけちゃったけど、もうすっかり元気百倍! って感じで――」
「そうじゃない。……確かに風邪をひいた時も心配はしていたが、そういう意味じゃないんだ。」
腕をぶんぶんと振り回しながら元気一杯だよ、とアピールをしようとする僕を制すようにファクトは告げる。
「……【強欲のアワー】との戦いを終えてからずっと心配だったんだ。俺も魔物化の力に振り回されてフェアリを傷つけてしまった事があるから、お前がツァーイを傷つけた事を悔やむ気持ちは良く分かる。……まだお前の中で消化しきれてないって事もな。」
「……うん。消化なんて出来る訳ないよ……。」
「それでもいつかは飲み込んで、受け入れて、忘れられなくても今よりかは痛みも癒える時が来る。必ずな。」
「そう……なのかな。僕にはそんな風に思えないけど……。」
「だろうな。だけど今はそう思っていても、その日はいつか必ず来る筈だ。まぁ大抵の場合は気が付いたら軽くなっているようなもんだし、こればかりは時間が解決してくれるのを待つしかない、って俺も思っている。」
ファクトの言葉に対して、自分でも珍しく否定の感情が前に出ているのを感じる。
恩人であり、仲間でもある大切な少女を自らの手で傷つけてしまった。
どれだけ否定したくても、否定しきれないその事実は自分の中で大きな痛みとなっている。
だからこそ、その痛みが絶対的に癒されない物のように思えてならなくて、癒される日が来るだなんて思えない。
「……それで? その話が何でツァーイに告白をしろって話になるの?」
「だから後悔をしたくないならって話だ。お前の中でツァーイを傷つけてしまった事が後悔となって、痛みとなっている。少し傷つけてしまったってだけで、そんなに苦しんでいるんだ。……もしツァーイが別の男に取られたりでもしてみろ。お前、絶対に今よりも強い後悔に苦しむ事になるだろ。」
「っ……それは……。」
分かっている。
僕がツァーイに対して向けている感情がどんな物かなんて、自分が一番良く分かっている。
ファクトが言う通り、ツァーイが他の誰かに取られるような事があれば絶対に後悔して、苦しんで、辛い思いをするのは目に見えている。
そして万が一にもツァーイが命を落とすような事があればその比ではない程に、強い絶望を感じてしまう事も。
だけどそれでも、いや、だからこそ、僕がこの感情を彼女にぶつける訳にはいかない。
ツァーイは僕にとって、恩人で、仲間で、リーダーで、他の何にも代え難い程に大切な女の子だ。
彼女が幸せになる為ならどんな事でもする。
彼女を守る為ならどんな危険も怖くはない。
彼女が『――』で、『――』で、堪らなくって、だけどだからこそ僅かにでも彼女を傷つけてしまった僕にはその想いを告げる資格はなくって、彼女から与えられ続けている僕が今以上にそれを望んでしまうのは欲張りだ。
それにこの想いを告げると言う事は、彼女自身よりも自分の感情を優先させてしまうと言う事に他ならない。
だからこの感情は表に出してはいけない。彼女にぶつけてはいけない。
彼女に恩がある自分は、恩返しをする事だけを考えていれば良いのだから。
彼女の幸せだけを考えていれば良い。
自分の幸せは二の次にしておけば良い。
そしてツァーイが必要としているのは、僕に求めていたのは『一緒にいてくれる仲間』なのだから。
だから僕は仲間として、ツァーイの傍にいられればそれで良い。
それ以上を望んではいけないし、望まれる事を期待してもいけない。
いつか彼女が別の誰かに恋をして、その人を愛し、結ばれるのだとしても……その時が来るまでの間、仲間として彼女を守り、助け、支える事は出来る。
特別な関係になれないとしても彼女の幸せを願い、その為に助力をする事は出来る。
いつか彼女の隣にいられなくなったとしても、彼女の後ろで今まで通りに支えて、助けて、力になる事は出来る。
……だからこの想いには蓋をしようって決めた。なのに――
「それに一緒にいる以上は全く傷つけない……なんて言うのは絶対に無理だからな。確かに手を上げてしまった事は褒められた事じゃないけど、それでもお前はツァーイを守ったんだ。……それにな一緒にいたら下らない事で喧嘩をしたり、相手の良い部分が見える事もあれば悪い部分を見てしまう事もあるし、心配や寂しさが歪んで怒りになってしまう事もある。……それでも最後にはお互い謝って、価値観をすり合わせて、仲直りが出来る。だから俺達は仲間とか、恋人とか言って一緒にいるんじゃないのか?」
「でも……だけど……」
心の内側がかき混ぜられるかのようにグチャグチャになってしまって、上手く言葉を発せない。
そんな僕を見かねたのか、ファクトは乱暴に僕の頭を掴んでワシャワシャと撫で回し始めた。
「ちょっ……いきなり何して――」
「さっきも言ったけどな、他の誰かに知られたくないって言うなら言わないでおいてやる。だから……って訳でもないけど、たまには抱え込んでる物を全部吐き出せよ。俺に言えないって言うのならフェアリでも、村の人達でも誰でも良いから相談して来い。何ならツァーイ当人にでも良いから。」
「……そんなの……言える訳……。」
「だったら俺に言ってくれ。幸いここには聞き耳を立てるような無粋者もいないだろうしな。」
「……横暴。……はぁ……本当に誰にも言わないでくれる……?」
「ああ。男同士の約束だ。」
――そうやって理由をこじ付けて、今まで通りでいようと頑張っていても、彼女を『――』だという気持ちはどんどん大きくなっていく。
まるで風船のように際限なく膨らんで、なのに爆発して壊れたり消えたりなんてしてくれなくて、その笑顔が向けられる度に、この手を掴んでくれる度に、もしかしたらツァーイも僕の事をそう想っていてくれているんじゃないかって勝手に期待して、錯覚して、胸の奥が痛くて、苦しくて、切なくなってしまう。
そんな訳はないのに。
彼女が求めているのは対等な仲間であって、恋愛対象なんかではないのだから。
彼女が向けてくれる微笑みも、与えてくれる温もりも、彼女が優しい人だからという以上の意味はないというのに。
そうと分かっている筈なのに、それでも期待や錯覚を感じてしまう愚かしい自分に少しだけ苛立ってしまうのは、滑稽以外の何物でもないのだろう。
それでも、例えそうだったとしても、ずっと押し殺そうとして、閉じ込めようとして、隠し続けようとしていた想いを掘り起こされて、触れられてしまった。
それはイラにとってとても落ち着かない出来事であった。
加えてツァーイ当人や恋愛脳のフェアリが不在の状況下で、村の人達の耳にも入らない場所で、イラにとって兄貴分とも思っているファクトに問いただされて。
だからこそ、ほんの少しだけ漏れ出してしまったその感情をイラは一時的に抑えきれなくなってしまっていた。
「……ツァーイの事は『好き』だよ。」
そうしてずっと隠し続けようとしていた想いを、僅かな沈黙の後に口に、声に、音に出してしまった。
言った傍から顔がどんどん熱を帯びていった。
熱くて、熱くて、熱くて、なのにそれが不快ではなくって、恥ずかしいって気持ちはあるけれど、押し殺して、見て見ぬふりをし続けてきた本当の気持ちを口に出せた事に僅かな心地良ささえ感じられる。
「そうか。」
僕の言葉を聞き届けたファクトが満足したように一言だけ呟いて、無言で続きを促した。
「だけど告白とか、するつもりはないんだ。」
「何でだ?」
「ツァーイはさ、仲間を欲しがっていたんだ。リベルーチェ(ギルド)の名前だってずっと考えていたって言ってた。けれど【蒼い疫病】だって色んな人達から言われ続けて、仲間を作る事を諦めて、一人で旅を続けていた。」
一度口にしてしまえばそれまでの決意なんて物は脆く崩れ始めてしまい、一人で抱え続けていた想いがポロポロと口から零れ続けてしまう。
近くにあった木に持たれかけるように座り込んで、ファクトから視線を外し、代わりに空を見上げながら照れ臭そうにイラは話を続ける。
「だけどそこに記憶喪失で【蒼い疫病】の悪評を全く知らない僕が現れた。そんな僕に対してツァーイは何か思う所があったのか、僕を旅に誘って、拾ってくれた。最初の頃は自分の事を詮索しないで欲しがっていたけれど、結局ファングの街から脱出をした後で僕はツァーイの過去を聞かされて、それでも変わらずにツァーイと一緒にいる事を選んだ。」
ああ、そうだ。
彼女が必要としてくれているのは仲間だ。
必要だったのは【蒼い疫病】としての色眼鏡をかけずに、ありのままのツァーイ・ハーツとして見てくれる仲間。
その為に【蒼い疫病】の悪評を知らない記憶喪失者が好都合だったというだけの話で、彼女の仲間が僕である必要性は全くない。
もしもあの時ツァーイが出会ったのが、僕じゃなかったとしても別に良かった筈だ。
同年代の少女だとしても、年老いた老人だったとしても、年端もいかない子供だったとしても、他の男性でも……ツァーイは僕を拾ってくれたように変わらずに接し、助けていた筈だ。
「僕は……いや、ツァーイも……なのかな。……多分僕達は両依存していたんだと思う。いや、僕は今もなのかな……。僕は自分を拾ってくれて、衣食住まで用意してくれたツァーイに感謝をしている。ツァーイの為になら出来る事はなんだってしたいって思っている。……それでツァーイにとっても、僕は初めて出来た仲間で、唯一の話し相手……だった。」
「だった?」
「うん。だって今はファクトやフェアリがいるし、フリーダ村の人達もツァーイを普通の女の子として接してくれているでしょ?」
「……ああ、そういう事か。」
「だから僕達は恋愛感情とは別に、ある程度の好意はお互いに向けていたと思うんだ。……でも、もう、そうじゃないんだ……。」
僕がツァーイの特別な仲間だったのは、彼女を唯一普通の女の子として見てくれる人だったからだ。
だけど今はファクトがいて、フェアリがいて、フリーダ村の中でなら誰もツァーイの事を【蒼い疫病】だなんて傷つけたりはしない。
僕にとってツァーイは特別な人で、大切な人だ。
だけどツァーイにとっての僕は、大切な仲間でしかない。
出会った時とは違ってツァーイをツァーイとして見てくれる人が増えた今となっては……僕は彼女と関わる大勢の内の一人にしか過ぎない。
ツァーイは優しいから僕がいなくなったり、死んだりしたら悲しんでくれる……とは思う。
けれどその悲しみも一時的な物でしかなくって、取り返しのつかない痛みになる……とまでは、どうしても思えない。
それでも……一緒にいられるのなら、それで良いと思えた。
ツァーイが僕の事を恋愛対象として見てくれなくても。
僕がツァーイに好きだと言う資格がなくても。
ただの仲間でいる間は、一緒にいる事だけは出来るのだから。




