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人格喪失者、それは記憶喪失を望んだ者  作者: 明進
第四章 平穏な日常、それは変化する力と心
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記憶五十五―病に倒れ伏す者、それはツァーイのトラウマ―

 それは一の月の六日――つまりは年が明けてから六日目の朝の出来事だった。

 その日私――ツァーイ・ハーツ――は料理の当番で、皆よりも少しだけ早めに起床を果たして厨房で朝食の準備を行っていた。

 この時の私はまだ、いつもと変わらない日常の始まりになる筈だと思っていた。


「わぁ、今日のご飯も美味しそうだね。」


 慣れた手つきでサンドイッチに使うお肉を焼きながら、昨晩の余り物であるスープを温め続ける。

 そうしていると最初に現れたのはフェアリだった。お互いに「おはよう。」と挨拶を交わすと、私はまだ作業の途中である事もあってすぐに調理へと意識を戻し、フェアリは居間へと移動して行った。

 しばらくするとフェアリが居間から椅子を一つ持って来て、私の作業範囲外にそれを置いて座り込んだ。自室から持ってきたであろう恋愛小説と思わしき本を読み進めながら時折私達は軽く談笑をしながら、互いの作業を進める。


「早いな、二人とも。」

「ファクトが遅いんだよ。」

「寝る前に部屋の片づけを始めたら、思ったより時間がかかって寝遅れたんだよ。」


 そうして朝食が無事に完成し、居間のテーブルに並べ終わった頃にファクトが現れた。本日二度目となる挨拶を交わすと、三人で椅子に座って話をし始める。ちなみにフェアリが使っていた椅子は元の居場所へと戻され、やはり彼女が使用している。

 そんなこんなで私達三人が十分程会話に没頭をしながらも、話に一区切りがついてもイラは現れなかった。


「……なんか、イラの奴遅くないか?」

「そうだね……。いつもは朝食を並び終えるまでには、起きているんだけど……。何かあったのかな……?」


 ファクトの言葉に頷く私。今までイラが朝食の時間に遅れた事は一度もないだけに、少しだけ不安が過る。とは言えフリーダ村の敷地内にあるこの家は結界やら魔道具の力で外部から守られているので、私達が眠っていた間にイラが何者かに連れ去られた等の可能性は無い筈だ。

 唯一の例外は【強欲のアワー】の一件だが、【強欲のアワー】と同格の存在が夜の間にこの家へと襲撃を仕掛けて来たのなら、流石に私達も気付いて目を覚ましている事だろう。

 皆が寝静まった頃にイラが一人でコソコソと家の外を出歩いたとでも言うのなら話は変わるが、そんな事をイラがするとは思えないし、仮にしていたとしても書置きの一つ位は残して行く筈。

 だとすればやはり考えられるのは、ただ寝過ごしているだけと言う事になる。今までにそうした事が一度もなかったから不安ではあるけれど、それこそファクトが言っていたように寝る前に何かしらの作業を始めて寝るのが遅くなったとか、案外そんなものだったりするのかな……。


「でもツァーイが料理当番の日に限って、イラさんが寝坊するなんて考え辛いよね……。そうでなくってもイラさんって毎朝眠たそうにしている割には、早起きさんだし。」

「うん。……って、わ、私が当番なのは、別に関係ないでしょ!?」

「えー? 関係大ありだよ。」


 私の言葉にニヤニヤとした様子でフェアリが反論してくる。以前【強欲のアワー】との戦いを経て、イラが二日ぶりに目覚めた際に色々あって彼を抱きしめていた場面を覗かれてから、どうもフェアリは私とイラが恋人か何かだと勘違いをしているようで、時折少しばかりの鬱陶しささえも感じられる程にニヤニヤとした視線を投げてくるようになったのだ。


「確かにイラさんは大抵の物なら誰が作った物でも、どんな物でも、笑顔でペロッと平らげちゃうよ。……でも、ツァーイの作った料理を食べている時のイラさんは普段よりもニコニコしているんだもん。」

「えっ……!? そ、それ本当!? ……っ、じゃなくって! 早くしないとご飯が冷めちゃうし、私、イラを呼んで来るよ。」


 気づいた時には自分の失言のせいでフェアリがよりいっそうニヤついていて、少しばかり気恥ずかしくなった私は逃げるようにそう言って席を立ち、私達の個室がそれぞれ存在している二階へと向かうべく階段まで駆け足で向かった。

 すると丁度イラが階段の上から数えて四段目の辺りを降りている最中だった。私は階段を駆け上がろうとするのを止めると、イラに話しかける。


「イラ、おはよう!」

「うん……。おはよう、ツァーイ……。」

「寝る前に何かしていたの? イラが最後なんて珍しいけど。」

「別に、何も……。ただ……ちょっと、寝付きが悪くって……。心配させて、ごめんね……。」


 私はイラが階段を半分程降りて顔色を目視し易くなった所で、ようやくイラの様子がおかしい事に気が付いた。

 いつにない程に顔色が赤く染まっていて、元気がないように見えたのだ。いや、そうでなくとも最初に挨拶をした時から気づくべきだった。言葉を発するテンポが普段よりも遅く、階段を下りる足取りもどこか重々しく感じられ、耳を澄ませばイラが「はぁ、はぁ……」と呼吸をするのさえ辛そうにし、全身の動きがどこかフラフラしているようにも思えた。

 

「それなら良いんだけど……何か体調が悪そうに見えるけど、大丈夫……?」


 胸の内で何か嫌な感じが騒めくのを感じ始め、私はイラに尋ねた。


「大、丈夫。…………っ……!?」


 それに対してイラが返事をした時だった。彼は重々しくもフラ付かせていた足取りを、階段から踏み外した。すぐさまに全身のバランスは宙に放り投げ出され、イラは身体一つで階下へと落下をし始めた。

 唐突な出来事に私も、イラ自身も何が起こったのか分からないように呆けてしまっていた。普段のイラであれば、すぐさま階段の手すりへと手を伸ばして何事も起こらなかったかも知れないが、今のイラにそうするだけの反射神経はないようで、何も出来ない様子だった。

 私はそんなイラよりも先に事態を把握すると、咄嗟にある魔法の詠唱を行っていた。


「光よ、ライティール(光の軽布)!」


 それは【強欲のアワー】との戦いの際に空中から落下をし始めたイラを救出する際にしようした魔法――ライティール(光の軽布)。

 今回は落下距離が短い事と、ちゃんとした詠唱をする時間がない事から、想像(イメージ)と詠唱を簡略化させて使用した。そもそも雲の上から落ちて来た前回とは違うのだから、あくまでライティール(光の軽布)は万が一の事態に発展しないようにとの保険の意味合いが大きかった。

 そうして魔法が正常に発動をすると、白く輝いている布がイラを受け止めるかのように出現した。想像(イメージ)と詠唱を簡略化させた影響で、布の大きさは以前に使用した時よりも小さくなっていたけれど、問題はない。

 あの時と同じようにイラの落下速度は緩やかなものへと変化をし、私はゆっくりと落下をする彼の身体を受け止めようと手を指し伸ばして、手を掴む事に成功をするとライティール(光の軽布)の効力が消えてしまう前にイラの身体を引き寄せて、受け止めた。

 それとほぼ同タイミングで魔法によって出現していた白く輝く布は半透明になると、次の瞬間には光の粒子となって消滅してしまった。


「イラ、大丈夫!? どこかぶつけたりとか、怪我をしたりしていない!?」

「うん……どこも痛くないよ。ありがとう、ツァーイ……。」

「それなら良いんだけど……でも本当に大丈夫なの? やっぱり顔色も悪いし、息遣いも荒いし……。」

「あはは……けほっ、けほっ。……起きた時から頭がボーっとするし、身体もフラフラしていて……少し動いただけで凄く疲れちゃって……。何か、ちょっとおかしいような気はするかな……。」


 イラはそれだけ言うと立っているのも辛くなったのか、急に前のめりに倒れ始めた。幸いな事に彼の身体は私が引き寄せている状態になっているので、床に倒れ込むような事にはならないで、頭は私の右肩へともたれかかって止まった。

 けれどイラは足元から崩れ落ちていき、私は「イラっ!」と呼びかけながらスッとしゃがみ込んで彼の身体を受け止める。結果的に私達は二人とも廊下にしゃがみ込む形になり、けれど項垂れているイラの意識は自分でも言っていたようにボーっとしてしまっている様子だった。


「ツァーイ、どうしたの? さっき魔法を使――って、あれ? もしかしてお邪魔だった?」


 そうこうしていると先程使用したライティール(光の軽布)の魔力を感じ取って、フェアリとファクトが居間の方から駆け寄って来た。

 最初こそ本気で心配をしていそうだったフェアリだったが、私がイラを抱き寄せている格好になっているのを目視するとあのニヤついた笑みで歩みを止めるのだった。


「だからそういうのじゃないからっ! それより二人共、手を貸して! イラの様子がおかしいの!」

「え?」

「イラがどうかしたのか……?」


 その言葉でようやく異常事態に気付いたフェアリが真顔に戻り、ファクトはイラへと視線を向けた。


「分からないけど、何か辛そうなの……。」

「ねぇ、もしかしてこれって……。」

「……とりあえず、イラを部屋に戻そう。こんな状態だと仕事(クエスト)に連れて行くのは無理だろうしな。」


 昨日まではいつも通りに元気だったイラの変化に押し潰されそうな不安を覚え、狼狽える私とは対照的に、フェアリとファクトは何かに気付いた様子だった。

 ともかくファクトの言う通り今のイラは、とてもじゃないが戦える様子ではないのでイラの自室に連れ戻す事になった。

 私はイラを背負って階段を上り始め、万が一の際に対処をする為にファクトが私の数段後ろを歩き、フェアリは階下で待機をする格好となった。

 幸いな事に私が足を踏み外したり、バランスを崩して落下をするような事はなく、無事に階段を上り終える事に成功をすると、ファクトとフェアリが階段を一気に駆け上がった。

 そうして何事もなくイラの自室へと到着をすると、ファクトがイラの荷物を漁って部屋の鍵を見つけ出し、イラの部屋へと入ると今も辛そうに呼吸をしているイラを、ベッドの上へと寝かせた。


「それで、イラはどうしちゃったの……?」


 先程何かに気付いたような口ぶりをしていたフェアリに問いかける。


「うーん、私が言うよりも直接確認をした方が早いんじゃないかな。ツァーイ、イラさんのおでこに触れてみてよ。あっ、手で触れるよりもツァーイのおでこをくっ付けた方が分かり易いかも知れないよ?」

「うん。……って、だからそう言うのは止めてよね! 今はそう言うのじゃないんだから。」

「今(・)は(・)……って事は、やっぱりいつもは満更でもないって――モガモガ!」

「その辺にしておけ、フェアリ。……でも確認をする必要はあると思うから、イラの体温は確認した方が良いって言うのは本当の事だ。」


 一言余計な事を言ったフェアリの口をファクトが手で塞いだ。それでも尚抗議をするかのようにフェアリは「モガモガ」と何かを言おうとしていたが、正直な所、今の私に恋愛スイッチの入ったフェアリを相手にする余裕はないので無視する事にした。

 とりあえずは二人の言う通りに私は自分の右手をイラの額にピタリ、と乗せた。すると――


「熱っ……! え? 何で……!?」


 ――途端に伝わって来た予想外の熱に、私は右手を反射的に引っ込めてしまった。

 確かにイラと手を繋いだ時に彼の手から伝わって来る温もりに心地良さを感じる事もあったが、それはこんな風に不快な熱さを感じるものではなかった筈だ。

 イラが何故こんな熱を発しているのか、その疑問と彼の具合が悪い事が繋がって、私の中に一つの嫌な予想が生まれた。


「もしかして、この症状って……。」

「ああ……。」


 そしてその予想を肯定するように、ファクトが深刻そうな顔で頷きながら言葉を続けた。


「イラは風邪をひいたんだ。」


 私はその言葉に、気が遠のいてしまいそうになる不安を感じた。崩れ落ちそうになった足を、どうにか奮い立たせる。

 病人の部屋で騒ぐのもどうかと思った私達は、居間に戻ってから、これからどうするのかを話し合う事にした。


「とりあえずイラさんは休ませる事にするとして、私達はどうしようか?」

「フリーダ村には医者や薬師はいないし、かと言って他の街や村まで薬を買いに行くにしても、ここに戻って来るのに数日はかかるだろうからな……。イラの風邪がただの熱ならそれだけの期間があれば、薬を届けるよりも先に治るだろうし、万が一危険な病だとすると逆に手遅れになる可能性が高いからな。……それに後者の場合だとイラ自身を医者のいる所に連れて行くか、医者をイラの前まで連れて来るか、そうできないなら病名だけでもハッキリとさせないと何の薬が良いのか分からないからな……。」


 そう言って「どうしたもんか……。」と呟きながら考えるファクト。フェアリも「うーん……。」と頭を抱えながら何かを考えている様子だ。


「……それに関しては……大丈夫だと思う。」


 けれど私にはこんな時の為に、準備していたものがある。故郷を、両親を、友達を、親しかった人達を、《サイス》という凶病によって全てを奪われた私が、病に対して何も用意していない訳がない。

 これまでの旅では誰かが風邪や病に倒れる事がなかったから話す機会もなかったけれど、私は私自身が、或いはイラ達がこうなってしまった場合の為に用意していたそれを二人に打ち明けた。

 そうした話し合いの末に私はイラの看病係となり、ファクトとフェアリは朝食を食べてから普段通りに仕事(クエスト)に行ってもらう事にした。それとイラが戦闘用の衣服に着替えていたので、ファクトには外出の前にイラに寝間着を着せ直して貰った。

 そうして二人の見送りをした私は、常日頃から身に着けている四次元ポーチが手元にある事を改めて確認する。水の入った桶と小さなタオルを準備してポーチの中にしまい込んでからイラの部屋へと戻った。ちなみに先程イラの部屋を訪れた際に鍵は開けたままにしておいたので、問題なく部屋に入る事は出来た。勿論イラにも許可はとっている。

 そうしてイラの部屋に入った私は四次元ポーチから椅子と小さな机を取り出すと、イラが寝込んでいるベッドの隣にそれらを置いて椅子に座り込み、先程準備した水の入った桶を机の上に置き、次に小さなタオルを取り出して桶の水に付けてから念入りに絞り、良い具合に冷たくなったタオルをイラのおでこにそっと置きながら呼びかける。


「やっぱり大丈夫そうじゃないね……。」

「けほっ、ごほっ……はぁ……はぁ……。ごめんね、ツァーイ……。迷惑をかけちゃって……。」

「イラが気にする必要はないよ。別に私を困らせようとして、わざと風邪を引いたって訳でもないんだし。それよりもイラの状態を詳しく調べたいから、少しの間じっとしていてね。」


 ベッドで横になっているイラにそう言いながら、私は四次元ポーチから白い箱を取り出した。桶と同じようにその箱も机の上に置いてから箱を開ける。すると箱の中から様々な医療道具が姿を現した。

 この白い箱は私が故郷のアイラ村を飛び出す際に、家中の物から四次元ポーチの中にしまい込んだ道具の一つ。元々は医者である両親の持ち物であり、お父さんとお母さんが使っていた医療道具が、これでもかという程大量に詰め込まれているものだ。

 当然ながら私が医者の娘だと言っても、当時六歳に過ぎなかった幼い子供が本物の医療道具を使いこなせる訳はなく、当時はどうやって扱うのかも分からないでいた。

 しかし他にも家から持ってきた物の中には両親が医学を学ぶ為に使っていたと思わしき書物や、二人が書き留めていたノートやメモと言ったものも数多く含まれていた。

 一人旅に慣れた頃になってポーチに詰め込んでいた道具の整理をしていた私は、その事に気が付くと旅の合間の時間を見繕っては両親の残した知識を吸収しようと、片っ端からそれらの書物達を読み込んだのだ。まるで書物や筆跡から二人が生きていたという残滓を感じ取ろうとするかのように……。

 終わりの見えない一人旅故に、時間だけは無限と言っても差し違えない程にあった。数多くの書物から膨大な知識を吸収するのには年単位の時間がかかったが、それでも気が付いた頃に私は家から持ち出していた全ての書物を読み終える事に成功していた。

 けれどそうして身に着けた医療の知識を使う機会はただの一度も訪れてはくれなかった。どういった訳か、私自身は生まれてから(少なくとも物心がついてから、記憶に残っている範囲では)一度も風邪や熱、病の類にかかった事がないからだ。

 故郷であるアイラ村を滅ぼした凶病《サイス》にさえ、私だけが感染をしなかった事も当時から不思議ではあったけれど、その理由は未だによく分かってはいない。とにかく私が風邪を引く事がなかった上に、イラと出会う以前はずっと独りだったので、自分や誰かの病を治す必要に迫られた事は一度もなかったのだ。更に付け加えるのなら、傷跡を治す分には光属性の治癒魔法を行使すれば事足りるので、応急手当のような事も実際に行った事はない。

 けれどそれも昨日までの話。今の私は決して独りではないし、こうして大切な仲間であるイラが風邪を引いてしまったからには、ずっと封印していた医療道具や身に着けた医療の知識を使ってイラを看病しないと!

 私は箱の中から医療道具を取り出しては使い、使ってはしまい込み、また別の医療道具を取り出しては使う――と言った事を何度もイラに対して行った。

 本当は二つか三つ程度で良かったのだけれど、万が一にも何か小さな見落としをしたら、後々イラを失ってしまうような事に繋がってしまうんじゃないかと思うと私は居ても立っても居られなくなり、ついつい試せる事を全て行ってしまった。決してお父さんとお母さんの医療道具を実際に使えるのが楽しかったとか、そんな理由ではないよ。決して。


「ふぅ……確認出来る事はこれで全部したと思うけど、本当にただの熱みたいで良かったよ。」


 白い箱をポーチの中へとしまい込みながら、私は一息吐く。少なくとも《サイス》のような未知の病気でないのなら、本当の医者ではない私でもイラの風邪を治してあげられそうだ。最も油断は出来ないけれど。


「そっか……。ありがとう、ツァーイ……。でも、こんなに沢山の道具で調べる必要があったの……?」

「道具によって調べられる範囲が違うんだし、もしもの事を考えたらこれ位は、ね……。何か一つでも見落としたのが原因で取り返しのつかない事になったら怖いし……。」

「……全く、ツァーイは心配性だなぁ……。前にも約束したよ? 僕は病気で死なないって。……っ、けほっ、けほっ、はぁ、はぁ……。」

「あっ! まだ症状の確認が終わっただけなんだから安静にしていてよ。」

「うん……。」


 いつもとは違ってどこか苦しそうな笑みと乾いた笑い声を私に向けるイラ。それが過剰な程の不安に襲われている私を元気づけようとしてくれているのは分かるけれど、それでも《サイス》と言うたった一つの凶病に全てを奪われた私にとっては楽観視出来る話ではなかった。

 確かにイラの症状がただの熱だと分かった事で、多少の安堵は感じている。だけどそれがただの熱だとしても、何がきっかけとなって死に直結するかなんて分かったものじゃない。少なくともイラの体調が完全に元通りに回復するまでは、本当の意味で安心は出来なかった。


「だからって無茶しないでよね。」

「分かってるよ。」


 イラがどこか申し訳なさそうに横たわったまま頷いた。それから間を開けずに、『グー』っと間の抜けた音が聞こえた。それがイラのお腹を空かせた音だと言う事に気付くのに時間はいらなかった。


「あ、はは……。そう言えば朝ご飯、まだだったかも……。」

「そう言えばそうだったね。でもちゃんと食べれそう……? 本には風邪や熱で体調の悪い人は、食事が普段通りに食べられない場合もあるって書いてあったけど……。」

「うん……。ツァーイの作ってくれたものなら、何だって食べられるよ。」


 イラの発した言葉が引き金となって、『ツァーイの作った料理を食べている時のイラさんは普段よりもニコニコしているんだもん。』というフェアリの言葉がフラッシュバックを果たして、何だか照れ臭くなってしまった。


「っ……す、すぐに食べやすそうな物を作って来るから、大人しくしててよね!」


 顔と頬に僅かな熱を感じながら、私は後ずさるように反射的に立ち上がると座っていた椅子が『カコン』と音を立てながら倒れた事にも気付かないままにイラの部屋を後にして、厨房へと向かう。

 心臓の鼓動が普段よりも早まっている事に多少の違和感を感じながらも、口元が緩んでいる事に気付かないまま。


 そうして私は厨房で病人にも食べやすい料理、お粥(かゆ)を作った。お粥を作るのは二度目の事――一度目は両親の書物を読み漁っていた時に興味を持って、病人食を作った時――だったけど、改めてレシピを見ながら作ったので失敗はしなかった。少なくとも自分で味見をした際には、普通に食べられる味――病人食である為、普通の食事と比べたら薄味ではある――だったので問題はないと思う。イラの口にも合うと良いのだけれど……。


「はい、どうぞ。出来たてで熱いから、冷ましながらゆっくりと食べてね。」


 イラの部屋へと戻ると机の上にお粥の入った鍋を乗せ、次に小さなお椀へとお粥を取り分けてからイラへと手渡す。


「うん……。ありがとう、ツァーイ。ケホッ、ケホッ……。でもごめんね、わざわざ作り直させちゃって……。」

「だからそういう事をイラが気にする必要はないんだよ。それに私が好きでしている事なんだし。」

「……でも僕のせいで迷惑をかけてるのは本当の事だから。それに今日の仕事(クエスト)だってファクトとフェアリに押し付ける形になっちゃったし……ゴホッ、ゴホッ……。こうしてツァーイが看病をしてくれるのは嬉しいけど、もしかしたらツァーイにも風邪を移しちゃうかもしれないし……ハァ、ハァ、ケホッ、ケホッ……。」

「それでも気にしなくて良いの。こんな状態のイラを外に連れ出す事も、一人で家に残しておく事も出来る訳ないんだから。それに私なら大丈夫だよ。……生まれてから一度も風邪や病気にかかった事なんてないんだから。」

「……うん。本当にありがとう、ツァーイ。」


 そう言うとイラは「いただきます。」と呟いて、プルプルと震えている腕でスプーンを持って、お粥をすくいあげて「ふーっ、ふーっ」っと何度か冷ましてから食べ始めた。


「その、どうかな……。大丈夫だとは思うんだけど、病人食ってあんまり作った事がなくって……口に合うと良いんだけど。」

「心配しなくっても、ちゃんと美味しいよ。それに凄く暖かくって――えっ、何これっ……。何で……。」


 不安げな私の言葉に弱々しい微笑みで答えるイラ。けれど言葉を綴る内に、いつの間にかイラの両目からは涙が零れ落ちていた。しかしその理由はイラ本人も分かっていない様子だった。


「イラ、どうしたの? もし不味かったらそう言ってくれても――」


 もしかして調理で何かミスをしてしまったのだろうかと不安になる私の言葉を遮るように、イラは首を横に振りながら「違うよ。」と答えた。


「そうじゃない。そうじゃないんだけど……何か、胸の奥がキュッとなって……嬉しい? 悲しい? 寂しい? 苦しい? 切ない? 怖い? ……ごめん、よく、分からない。色んな感情がごちゃ混ぜになってるようで、何か変な感じがする……。」

「イラ……。もしかして、昔の記憶が?」

「……分からない。でも、あんまり良い気分じゃない気がする……。」


 そう言った時のイラの顔は、どこか曇ったように見えた。普段の明るくて元気なイラとは違う、まるで別の誰かみたいに。

 そんな事がある筈がないのに、突如沸き上がった不安は胸の内に広がって行く。

 私がそんな事を考えているとは知らないイラは、再びお粥を食べ進め始めた。普段の食事時と同じようにニコニコと美味しそうに一口、二口、三口と次々と食べ進める。けれどその笑顔はいつもとは違って、泣きながらの笑顔だった。

 やがてお椀によそった分のお粥を平らげたイラは、一回、二回、三回、と次々におかわりをし続けて、最後には鍋に入っていたお粥が全てなくなってしまった。

 もしも残ったらお昼や夜に温め直そうと思っていた私は「また作り直さなきゃ」と思いながらも、これならイラがいつもの調子に戻ってくれるのもすぐかなと嬉しく思っていた。その筈なのに、先程見せたイラの曇った表情が、どうしても脳裏から消えずに引っかかり続けていた。

 けれど風邪によって弱っているイラに、余計な心配をさせる訳にもいかない。私は湧き上がる不安を押し殺して、普段通りの自分を装う事を決めた。


「……ご馳走様。美味しかったし、食べやすかったよ。」

「それなら良かったんだけど……涙はもう大丈夫なの?」

「……うん。胸の奥はまだ何かモヤモヤしているけど、多分大丈夫だと思う。」

「そっか。じゃあこのお薬を飲んだら、安静にして眠るんだよ。」


 そう言って私はイラがお粥を食べ進めている間に取り出していた液状の薬を渡す。何てことはない風邪を治す為の薬で、旅をしている間に買い足していたものだ。ちなみに液状なのは、風邪に効く薬草を飲みやすく煎じた為らしい。

 私自身が過去に一度も風邪や熱、病気に感染をした事がないからと言って、今後も絶対にそうだという確証を持てなかった私はそれなりに豊富な種類の薬を買い貯めていた。医療道具で症状さえ特定してしまえば、これらの薬で十分に対応は可能の筈だ。

 勿論薬の使用期限は定期的に確認し、期限が危なくなったものは切れる前にお店で安価での売り戻しをするか、仕事(クエスト)で欲しがっている人がいれば納品したりと無駄にならないように手放している。

 「はぁい。」とやっぱり普段よりも弱っている様子のイラは薬を受け取ると、どこか渋々と言った様子でそれをグイっと飲み込んだ。


「……っうぅ……苦い……。」


 薬を飲んだイラは言葉通り苦かったのか、苦虫を噛み潰したような表情でそう呟いた。


「食事と違って薬の調合は効能を重視して行われるって話だからね。でも、ちゃんと飲んだからすぐに良くなる筈だよ。」

「うん。」


 口の中に苦みが残っているのか、イラは口元をパクパクとさせながら頷いた。


「……早く元に戻って、こうして休んでいる分も働かないといけないからね。」

「だから、今はそんな事を気にしたりしないでも良いんだって。……それじゃあ、ちゃんと眠るんだよ?」

「うん……。」


 そう言うとイラは両目の瞼を閉じて、大人しく眠ろうとし始めた。やがてそれから大した時間も経たずにイラは眠りに堕ち、その意識は休息を受け入れた。

 しかしその一方で彼の無意識が浮き彫りとなって「すぅ……すぅ……」と言う無防備な寝息と、「はぁ……はぁ……」とうなされているような声を代わる代わる口にし始めていた。

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