記憶五十四―眠れない夜、それは囚われている心―
年の瀬であるリべルスの末日が終わると同時に、当然の事ではあるが新たな年が始まる。一の月の一日。別名ユピルの始日。
フリーダ村で毎年行われているお祭りは、リべルスの末日で一日中行われた後に年明けのカウントダウンを行い、ユピルの始日の始まりを持ってして終了とされている。
お祭りの終盤でカウントダウンに参加しなかったイラとツァーイは、年明けから程なくして自分達の家――村外れにある高原の屋敷へと帰還をする事にした。
途中で広場に差し掛かった際に、カウントダウンの熱気から冷めていない村人達に捕まって、しばらく談笑や雑談をする事にもなったけれど、お祭りが終わった事もあってか二人は数十分程度で解放されて屋敷へと帰っていた。
別行動をしてお祭りを楽しんでいたファクトとフェアリは先に帰っていたようで、食卓で軽い食事を食べながら話しに花を咲かせており、四人の中で一番眠気に負けてしまいそうになっていたツァーイがフェアリと共に入浴をしている間に、イラはファクトと話をしながら少しだけ食事を摂る事にした。
やがて入浴を済ませたツァーイとフェアリが出て来て「おやすみなさい。」と就寝前の挨拶を済ませると、ファクトを含めた三人がそれぞれの部屋へと帰ってしまい、一人になったイラは浴場へと向かった。
そうして同じように入浴を済ませたイラが、自分に与えられた部屋へと到着した頃には時計の針が三時前を指していた。
「もうこんな時間なんだ……。村の人達からリべルスの末日のお祭りは遊び疲れるだろうって聞いていたから、ツァーイが明日も休暇にしようって言ってはいたけど……今から眠ったら日の出は見れないかな……。」
誰かが聞いている訳でもないのに、そんな独り言を零しながら暖房型の魔道具に炎属性の魔法石を設置をすると起動させ、それを確認するとベッドへと向かい、やがて目的地へと到達するとベッドへと寝転がって、頭は枕の上に乗せて、顎から下は布団の中へと潜り込んだ。
そうしていると温もりによって意識が微睡み、気が付けば眠りの深淵へと意識は堕ちて行く――筈だった。けれど時々、簡単には眠りに堕ちれない日があり、寝付けない内に今日もまたそういう日なのだとイラは自覚せずにはいられなかった。
「ふわぁ……早く朝になって欲しいのに……今日もすぐに眠れないなぁ……。」
欠伸をしながら愚痴を零した所で、この場には誰もいない。
ツァーイが「イラはしょうがないなぁ。」と呆れながら心配してくれる事もなければ、ファクトが「だったら疲れて眠くなるまで剣の素振りでもするか?」と誘ってくれる事も、フェアリが「それならこの本を読んで、明日感想を聞かせてよ!」と恋愛小説を押し付けてくる事もないのだ。
そして大抵の場合、こうした眠り辛い日には様々な事を考えてしまう。
例えば不安。明日になれば皆に会えると分かっている筈なのに、もし目覚めた時にツァーイがいなくなっていたら、自分一人だけしかいなかったらどうしよう。等とありもしない可能性を考えてしまう。
そう思ってしまう原因は、きっとこの部屋が自分一人だけに用意された個室で、皆がいないからだ。
旅をしている間は二人用、若しくは四人用の宿泊部屋を借りていたから同室にツァーイ達がいてくれた。眠れない夜が訪れてしまっても、少し離れた位置にある隣のベッドへと視線を投げれば、それだけでツァーイの姿を確認して安心する事が出来た。
けれどこの部屋にいるのは自分だけで、右を見ても、左を見ても、ツァーイもファクトもフェアリもいる訳がないのだ。勿論夜が明ければ皆も起き始めて、すぐにまた会える。そうと分かっていても『もしも会えなかったら』『今までの事が全て夢で、目が覚めたら周りに誰もいなかったら』等とありもしない可能性に、どうしようもない不安が沸きあがり続けて来るのだ。
そしてそういった余計な空想や妄想、想像をしてしまう事は、他にもある。
それは明日のご飯は何だろう等という細やかな楽しみだったり、不意に新しい技や魔法のアイディアが思いつく事もあれば、今すぐに誰かと話をしたいと落ち着かなくなる事もあるし、【強欲のアワー】との戦いの最中でツァーイを傷つけてしまった事に対する強い後悔に責められて余計に眠気が吹き飛ぶ程の痛みを味わい続ける事もある。
「ツァーイは気にしなくて良いよって言ってくれた。でも、気にするなって言う方が無理だよ……。」
布団に包まりながら零した呟きに返事をしてくれる者はやはりいない。当然だ。それでも今でもこうして思い返してしまうし、あの時、どうしようもない程に強い怒りに呑まれて衝動的にツァーイを突き飛ばしてしまった時の感触が今も手にこびり付いている。理不尽な怒りに任せて、自分の感情を押し付けようとしてしまった事も覚えている。
せめて『罰』でも与えられれば幾分か楽な気持ちになる事が出来るのかも知れないが、ツァーイはそういう事をしてくれないし、寧ろ気にしている素振りを見せると一緒に苦しんだり、気にしなくて良いよと何度も励まそうとしてくれて、かえってツァーイに心労をかけてしまう。
だからそうならないように普段はツァーイの言う通り気にしていない風を装っているが、独りでいる時にまでそう思い続けるのは無理だった。当然独りの時間が長ければ長い程、そうした後悔の念はどこまでも肥大化して、それは胸の奥底をチクチクと、グサグサと、ヒリヒリと、様々な痛みを与え続けた。
それでもその痛みこそが、自分に与えられた『罰』なのだと思えば、どれだけ痛くても、苦しくても、寂しくても、恐くても、耐える事は出来た。
だけど所詮それは行き場を失ったイラ自身の自己満足やエゴでしかない。どれだけ強い痛みを伴っていたとしても、その痛みはイラが衝動的に行ってしまった行動に対しての後悔や反省であれど、ツァーイや仲間達から面と向かって与えられた本当の罰ではないのだから。
だからこの痛みが勝手に癒されるような事は絶対にないし、上手く寝付けない日にこうして独りで苦しむ事はこれからも続いて行くのだろう。
そしてそれはツァーイ達に知られる事もなければ、知られてはいけない事でもあった。もしも知られたら、きっと皆は心配してくれるから。もしかしたらツァーイかファクトが相部屋にしようと言ってくれて、使っていない大きな部屋でルームシェアをする事になるかも知れない。流石にファクトの恋人でもあるフェアリはそんな事を言い出したりはしないだろうけど、それでも少しでも気を逸らせるようにとやはり恋愛小説を押し付けるように貸してくれるかも知れない。
だけどそうなったとして、或いは別の方法で痛みを癒そうとしてくれたとして、この痛みは簡単に癒される事はないだろうし、仮に癒せたとしても皆に苦労をかけてしまったら、それは別の後悔や申し訳なさへと繋がって別の痛みへと発展するのだろう。
『それでも気にするって言うのなら、まだ私と……私達と一緒にいて欲しいな。』
『それにね、イラに酷い事をされるよりも、イラがいなくなる方が私は傷ついちゃうよ。』
そんな風に思考が負の循環から抜け出せずにいると、不意にツァーイの声がフラッシュバックした。それは以前にツァーイが言ってくれた赦しの言葉。
分かっている。僕がこんな風にいつまでも引きずる事をツァーイが望んでいないって事は分かっているんだ。
それでも恩人である彼女を傷つけてしまった事を許せなくって、もう二度とするものかと思った所であの怒りの衝動によってもたらされた力の正体も不明な現状では口約束しかする事が出来ない。
雷毒の大蛇との戦いでは衝動に駆られたものの、意識ははっきりとしていて普段の自分通りに動けていたと思う。けれど【強欲のアワー】との戦いではより強い憤怒に飲み込まれてしまい、結果として戦いを制する事は出来たものの、その最中に自分が取った行動の幾つかは普段の行動方針とはかけ離れてしまっている。
勿論戦っている最中の出来事は全て覚えているし、その間はその行動に疑問を抱く事もなかった。けれどこうして普段通りの自分が思い返している分には、明らかにその行動は異質であった。
そしてもう一つの異質な事象もある。あの時点で自分よりもレベルが高かったファクト達を圧倒している【強欲のアワー】と渡り合えていたという事。
先に戦っていたファクト達とは違い、最初から【強欲のアワー】が魔人でありながらアンチマジックという規格外の能力を有しているという情報的優位の差があったとは言え、おかしいのだ。
途中からツァーイの加勢が入ったのは確かだし、一度は【強欲のアワー】の攻撃に死んだものだとも思ったのも事実で、最後には皆の武器のお陰で勝てたのだから一人での力と言う訳ではないけれど、だからと言ってあの時――『強欲の加護』の能力を奪った事によってレベルが大きく上がる前の僕が戦える相手ではなかった筈だ。
ああ、そうだ。何もかもおかしいのだ。ずっとツァーイを傷つけてしまった事ばかりを悔やんでいたけれど、そもそもファクトとフェアリの二人が危機に陥っている状況を目視してから怒りの衝動はふつふつと沸き上がっていた。そして普段とは比べ物にならない程に力が漲って、身体が軽くて、まるで自分が自分でないかのように激しく動けていた。
「……はぁ。結局、僕はどこの、誰、何だろうなぁ。」
記憶喪失の状態で目覚めてから約半年程の時間が経っているけど、どれだけ時間が経過しても何一つ思い出せていない。いや、まぁ、思い出したいとさえ思えなくって、それ所かずっと思い出してはいけない気さえしていて、思い出そうとしていないせいかも知れないけれど。
別に記憶なんてなくても問題はない。だけど【強欲のアワー】との一戦でツァーイを傷つけてしまって以来、自分の正体が分からない事を気持ち悪く思っている自分がいるのも事実だ。
もし、もしもだけど、記憶を失う前の本当の自分が、良くない存在とか、悪い人間とか、そういう類だったら……と考えて、だとしたらツァーイ達と一緒にいる事でこの先何度も皆を傷つけたり、酷い事をしたりしてしまったらと嫌な想像が脳裏を過って、けれど僕はツァーイから離れたり出来ない。
今までの恩返しも終わっていないし、離れたらツァーイを守れなくなってしまう。そして何より僕自身がツァーイの傍にいたいと思ってしまっている。だけど傍にいる事で傷つけてしまうかも知れないし、自分がどこの誰かも分からない以上は近づき過ぎてはいけないとも思えてしまって、同道巡りになってしまって、どうするのが一番良いのか分からなくって、結局今日までずっと一緒にいて、明日からもきっとそうなのだろう。
(分かってる……。分かってるよ。簡単には離れられないって。だって僕は、ツァーイの事が)「『――』、なんだよ。」
万が一にでも誰かに聞こえたりしないようにと、声にならない声で彼女への想いを呟いた。当然その言葉は誰の耳にも届かず、知られる事もない。それでも口にしてしまえばそれだけ意識は強まってしまって、尚更に彼女の傍を離れるという選択肢を選び取れなくなってしまう。
『うん、決めた。――ねぇイラ、もし良かったら私と一緒に来てくれないかな。』
『少しだけ、こうしていても、良いかな。』
『もしもイラに何かあったら私は――』
『……ねぇ、イラはずっと一緒にいてくれるよね?』
『だからイラがこうして戻って来てくれて、無事に目を覚ましてくれて、私ね、凄くホッとしているの。……不安が全部なくなった訳じゃないけれど、それでもイラが傍にいてくれれば、私は大丈夫だから。』
『もう、大丈夫だよ。そんなに心配しなくても、誰もイラを見捨てたりしないんだから。』
『だからそういうのじゃないんだって。それにイラの事はいつも頼りにしてるよ。今だってこうして一緒にいられるだけで凄く暖かいもん。』
分かっている。ツァーイが必要とし続けている間は、いや、例えそうでなかったとしても僕はツァーイから簡単に離れる事が出来ないって事。そして今すぐにツァーイがそうする事がない程度には、仲間として大切に想われている事も。
だからこそ、怖いんだ。いつかまた僕がツァーイを傷つけてしまったら、もしもツァーイが僕を必要としてくれなくなったら、そんな事が起こる訳がないとは言い切れない事も、そんな日がいつか訪れてしまったらと思えてしまう事も、いつか今までの日常が修復不可能な程に壊れてしまうような気さえして不安になる。
それでもきっと僕はツァーイから離れられない。どれだけ未来に不安を感じていても、どんな形であれ彼女に必要とされ、彼女に恩返しをする事が今の自分の役目で――いや、そうじゃない。そんな物はあくまで一緒にいる為の言い訳でしかない。勿論そう思っている事も本心ではあるけれど。
でも一番の僕はツァーイに強く依存していて、一緒にいられる事に安堵感や安心感を覚えていて、ツァーイが与えてくれる温もりが心地良くって、ツァーイを守れるようになりたくて、そして何よりもツァーイの事が『――』だから。
(もしも願いが叶うのなら、この先も『今』が永遠に続けば良いのに……。)
様々な不安が思考を駆け巡っている中で、イラは日中にお祭りで繋いでいた手の温もりを思い返しながら、浅い眠りへと堕ちていった。




