記憶四十五―空中決戦二、それは全てを込めた一撃―
(くそっ! くそおっ! くそおぉぉっ!)
自身の身体が空中を落下し続ける中でイラは心の中で悪態をついていた。怒りに支配され、それに伴って普段の彼とは別人かのような乱暴な口調での悪態だったが、本人はその事を理解していない様子だ。だが悪態を付いている理由は認知出来ている。【強欲のアワー】を討ちとれず、その上に全ての武器を失って戦う事も、空を飛び回るアワーに対抗する移動手段をも失ってしまった事だ。
紅い怒りと呼ぶべき衝動に突き動かされて半ば暴走状態とも呼べる様子のイラではあったが、あくまでも憤怒の如き怒りに突き動かされているだけであり、大まかな行動理念自体はイラ本人のものであった。
その結果として今のイラの思考は『ツァーイを連れ去ろうとし、仲間を殺そうとしたアワーを殺す』と言う一点しか見えておらず、自分が戦いの最中でツァーイを突き飛ばしたのも、ファクトを見殺しになる可能性を捨て置いてでも攻撃に打って出たのは、『アワーを殺す為に必要な事』だとイラが判断したからだ。
あのまま成り行きに身を任せていればツァーイがアワーの下へと行ってしまうと思ったから、ツァーイの動きを阻害しようと突き飛ばした。同じようにイラが動こうと、動かまいと、アワーがファクトを殺すと思ったから動き続けるしかなかった。
しかしだからと言って、普段のイラであればツァーイを突き飛ばす事も、ファクトを見捨てる真似をする事も、しなかった筈であり、結果的にアワーを殺すと言う事はなったかも知れないが、『アワーを倒す』と言う行動理念の元で戦闘を行っていた筈である。
それにイラが怒りを向けているのはアワーに限った話ではなかった。あの時点では自分を犠牲にしようとしたツァーイにも、同族の敵討ちだと息巻いていた癖に捕まっているファクトにも、そして何よりもそんな結果を招いてしまうまで動けなかった自分自身へ強く、醜い、怒りの炎を向けていたのだ。
勿論普段のイラであれば、そこまでの怒りを露わにするような事はなかっただろう。ツァーイに対しては自分の事は良いから逃げて欲しいと願い、ファクトに対しても心配こそすれど憤るような感情を向ける事はなかった筈なのだ。
けれどイラは自分自身に対する怒りを抑える事が出来なかった。ファクトやフェアリが傷つく事も、ツァーイが連れ去られようとする事も、全て自分が悪いのだと思い詰め、憤り、それが影響して衝動に呑まれ、思考を怒りの感情に支配され、その結果としてとは異なる心境へと歪められてしまっていた。
そんな怒りの衝動に呑まれたイラではあったが、ここでアワーを殺す事に失敗をすると言う事は許されざる事だと思っていた。衝動によって歪まされた思いではあったが、それでも大切な仲間達の存在や命を奪われる事は良しと出来ず、それを防ぐ事が出来ない己の無力さに今なお怒り、憤り、悪態をつく事しか出来ないでいたのだ。
そして歪まされてもなお、このまま地面や木々、或いは岩石などに衝突して死んでしまう事よりも、ツァーイ達を傷つけようとするアワーに対した怒りの感情だけが沸々と沸き上がり続けていた。
敵を殺したい。諦めたくない。敵を殺したい。ツァーイを失いたくない。敵を殺したい。ファクトとフェアリを失いたくない。敵を殺したい。自分はどうなっても良いから、敵を殺したい。
そんな風に思考と感情を歪ませながら、唇を強く噛みしめている時だった。
(……! 何か、来るっ……!?)
突然背後から吹き荒れる風の流れに違和感を感じた。空中で移動する手段を持たない今のイラにとって、自分の身体を回転させて背後へと視線を向ける事は困難であった。だからイラは敢えてそちらの方角を確認する事はなく、気流に生じた違和感が強まっている方向へと手を伸ばした。
その動きは無意識であったのかも知れない。或いは普段のイラであれば、そこまで計算した上で手を伸ばしていたかも知れない。だから、今の怒りに塗れたイラがそれを掴む事が出来たのはある意味では奇跡と言っても差し支えの無い事だった。
違和感の正体であるそれらを掴むと同時に、イラは腕を眼前まで引っ張り戻して、掴んだそれを確認した。
それは見覚えのある三つの武器。白い片手剣、黒い大剣、白銀の弓――仲間達の武器であった。
どうしてそれがこんな空中へと飛ばされていたのか。
どうしてそれが自分の下へと流れついたのか。
その事を考えるよりも先に、怒りの衝動に急かされたイラが真っ先に思った事は――
「まだ……戦えるっ!」
――やはり、アワーに対して怒りをぶつけ、殺したいと言う衝動であった。
イラは白銀の弓を背中にある弓の取り付け場所へとはめ込んで何とか背負うと、純白の剣を右手に、漆黒の大剣を左手に、それぞれ強く握りしめる。
「魔術付加・氷結! 魔術付加・氷結!」
根幹にあった筈の仲間達への思いよりも強くなってしまったイラは、その衝動に突き動かされるままに魔法を発動させた。
それによって純白の剣と、漆黒の大剣にそれぞれ氷属性が付与され、刀身が冷気に覆われた。
「はあっ!」
そうして純白の剣・氷結と漆黒の大剣・氷結へと変化させると、左手の漆黒の大剣を地上へと向けて振るった。
それによって魔術付加・氷結によって与えられた氷属性の力である冷気が噴出され、イラの身体を再び空中へと押し上げて行く。
アワーと戦っていた場所から、かなりの距離を落下してしまっていたのでアワーの姿は見失ってしまっていたが、しばらく飛んでいると上空から何かがこちらへと向かって来ているのが目に映った。
(光……? いや、違う、あれは――)
それは青白い魔力の塊だった。ボールのように円状の形をしてはいるが、ツァーイのフレイムボールとは大きさが全然違っていた。その魔力の塊は途方もなく巨大であり、それがイラのいる方向へと向かって落ちて来ているのだ。
イラが知る由もない事ではあったが、その巨大な青白い魔力の塊こそがアワーが竜王の力を使って放った最上級波導攻撃――超黒炎滅波導だった。
竜王は疾走する黄金の獣と同様に御伽話や神話の中にのみ、語り継がれている幻の魔物の一種であり、伝承によれば魔物でありながら人族と同等以上の知能を有して魔物の王国を建国していた事もあるとか。
そして竜王を語る上で最も恐れられているのが何を隠そう、最上級波導攻撃の超黒炎滅波導。ある伝承によれば山を三つ吹き飛ばしただとか、また別の伝承によれば海を抉りとったとか、他にも人間の街や村を一撃で壊滅させたなど、それが語られる伽話は数多く存在していた。
しかしイラはそんな話を知ってはいないし、仮に知っていたとしても普段のイラならば地上にいる仲間やフリーダ村の人達を思って避けようとはしなかった事だろう。そして今の怒りに支配されているイラが取った行動は――
「全部っ、ぶっ壊すっ! はあああああぁぁぁっ!」
超黒炎滅波導に勢いよく突っ込んで行く事だった。
大剣である為か、魔装である為かは分からないが漆黒の大剣・氷結による冷気の噴出は金の剣・氷結よりも比ではなく、それによって剣に宿った魔力の消耗は激しくなっていたが、その代わりにイラはより早く空中を移動する事が出来るようになっていた。
超黒炎滅波導が落ちて来るスピードよりも、速い速度で純白の剣・氷結を突き立てながらイラは超黒炎滅波導の中へと向かって行った。
そうして二本の剣を携えるイラと超黒炎滅波導が衝突した瞬間、超黒炎滅波導に込められた膨大な魔力が、その場で広範囲に爆発を発生させ――る筈だった。
だが実際には爆発はせずに、イラが純白の剣・氷結を突き立てた所から徐々に超黒炎滅波導が爆発をする事なく凍り付いていた。それもただ凍り付いているだけではない。凍った場所から徐々に霧散し、消滅し始めたのだ。
イラはその原理を知っていた訳ではないし、何が起きているのかも正しくは理解していなかった。けれど魔力によって構築されていた超黒炎滅波導と、同じく魔力によって発生している冷気が相互干渉した結果、超黒炎滅波導に込められている魔力そのものが凍り付き、逆に冷気も超黒炎滅波導の魔力によって凍てつかして固定化させる事が出来ずに霧散し始めたのだ。
それでいて純白の剣・氷結と漆黒の大剣・氷結に込められた魔力そのものは霧散するよりも早く上昇し続けるイラの動きもあって、剣に宿り続けたまま使用した分だけの消耗で済んでいた。
やがてイラが超黒炎滅波導の中を突き破ると、冷気が全身へと回った超黒炎滅波導は全てが凍り付き、霧散し、消滅した。伝説の中では多大なる被害を与え、多くの人々に恐れられた攻撃による危機が去ったのだ。
けれどイラがその光景を見る事はなかった。超黒炎滅波導を突き破ったイラは振り返る事なく更に上空へと突き進み、すぐに殺すべき探し人の姿が目に入った。アワーだ。両腕や魔物化によって発生した翼の内右翼を中心とした身体の一部と、右手に握っている大剣の一部が凍り付いているが、竜王の力を纏っているアワーの姿がそこにはあった。
漆黒の大剣・氷結に込められた冷気の噴出量は既に限界レベルまで達していたのでこれ以上の速度上昇は見込めなかったが、それでもすぐにアワーの眼前へとイラは辿り着き、同時に剣を握る両手に力を込め、純白の剣・氷結を振るいながら叫んだ。
「はあああああああああああああああああぁぁぁぁぁっっっ!」
「おい、おい、おい、おい、おいっ! とんだ化け物だな! 七番目の小僧っ!! まだ武器を隠し持って……いや、その武器はお仲間の武器か。仲間だって言う割には、テメェ一人に全部押し付けるだなんて薄情な仲間だなぁ!」
「黙れ! 押し付けられてなんかいない! 全部俺が望んだ事だ! ここが俺の望んだ戦場だ!」
そうして繰り出した一撃をアワーは、軽々しく受け止めた。
しかし純白の剣・氷結とアワーの大剣がぶつかり合った瞬間に、大剣のぶつかった箇所が凍り付き始めた。
「はっ! 立派なこったなぁ! けどな、お前がどう思っていようが、仲間だの、絆だの、そんなもんは糞でしかねぇ! お前は俺らの同類だ! あいつらはお前を散々利用した挙句に、いつかお前を鬱陶しく思い、目障りだと感じ、やがてお前を裏切り、嘲笑い、見殺しにしようとするぞ! 前の俺がそうだったようになぁ!」
「黙れっ!!」
そして何度も二人が剣を打ち合い続ける内に、すぐさまにアワーの大剣は全身が凍りついてしまった。初めに刀身が凍り付き、次第に柄が凍り付き、そしてそこから持ち主であるアワーの右手に迫り――
「ちっ! やっぱりそういう力かよ! アンチマジックで破壊出来ない魔法とかありかよっ!」
「はああぁっ!」
――きるその前に、アワーは舌打ちをしながら大きく後ろへと飛び退いてイラから離れ、すぐさまに大剣をどこかへと投げ捨てた。
しかしその隙をイラは逃さない。漆黒の大剣・氷結による冷気の噴出を的確に行いながら、アワーの逃げた方角へと一直線に飛んで行き、純白の剣・氷結を容赦なく振るう。一撃、二撃、三撃――計六回に渡る氷の斬撃がアワーに襲いかかった。
「くそったれがぁ!」
「っ……!」
アワーの両腕と右翼についで左胸と右足の一部にも氷が纏わりついて凍てつき始めたが、それでもアワーは凍っている筈の右腕を振るいながらイラを遠ざけ、その隙に距離を離そうとどこかへと飛んで行く。
「逃がすか!」
一方でイラは漆黒の大剣・氷結による冷気の噴出を駆使しながら空中でどうにか受け身を取ると、すぐにアワーを追って冷気の噴出力を限界まで高めた。
右翼が凍っている影響からか、アワーの飛行スピードが先の戦いよりは落ちており、イラがアワーに追い付くのは時間の問題だった。
そうしてもう少しでアワーに剣が届く、そんな距離にまで追いついたイラだったが、突然逃げに徹していたアワーがクルリと背後――つまりはイラの方向――へとニヤリと嫌らしい笑みを浮かべながら振り向いた。
「これでも喰らいやがれっ! 黒雷波導!」
そしてすぐさまにアワーの口から魔力によって構成される波導攻撃が放たれた。
黒雷波導と呼ばれるその攻撃は所謂初級波導攻撃に該当する技であり、最上級波導攻撃である超黒炎滅波導と比べれば威力は低いものではあり、形状も超黒炎滅波導と同じ炎球ではあるが、色が薄黄色になっていたり、大きさがやや小ぶりになっていると言う変化がみられる。
だがそれはあくまでも竜王の基準で考えた場合の話であり、人間がそれを真正面から喰らってしまえば当然死は避けられないものである。
そして黒雷波導が超黒炎滅波導に勝っているのが、発動までの準備時間が短く、弾速が早いと言う点である。
波導攻撃は体内の魔力を掻き集め、それを炎球に構築し、放つと言う三段階の手順を踏んで発動する攻撃方法だ。当然威力や大きさを高めようとすればそれ相応の魔力が必要になり、逆に威力を抑えて小さくするのであればそれぞれの手順に必要な時間を短縮する事が出来る。
武器である二刀の大剣を失ったアワーは空中を逃げ回りながら、一心不乱にこの一撃の準備を行っていたのだ。それはある意味ではアワーが打てる、最後の一撃である事を示唆していた。
「っ……! 凍てつく漆黒の投剣!」
その一撃に対して、イラは左手で握っていた漆黒の大剣・氷結に宿る冷気の噴出を最大限に高めた状態のままで、剛速球とも言える速度で黒雷波導へと投げ込んだ。
そうして漆黒の大剣・氷結が黒雷波導へと衝突をすると、漆黒の大剣・氷結に宿る氷属性の魔力が黒雷波導を凍てつかせ、霧散、消滅へと至った。
また漆黒の大剣も魔術付加・氷結によって付与されていた氷の魔力を使い果たした。元の状態へと戻った漆黒の大剣は、そのまま地へと落ちていったが、イラにそれを回収する余裕はなかった。
「ふ、ふっふっふ……くっくっくっくっく……本当に化け物かよっ……!! だが、悪かぁねぇぞ……七番目の小僧!!!」
「氷結!」
地へと落ちる漆黒の大剣を見送る事さえないままに、高笑いをしながら真っ直ぐに飛んで来るアワーに対して、イラは最も使い慣れている魔法を発動させた。
氷結――対象を凍らせる氷魔法だ。怒りに支配されている今のイラは決して冷静な訳ではなかったが、それでもここまでの戦いで魔術付加・氷結によって氷属性を付与した剣撃の魔法がアンチマジックのスキルによって破壊されていない事に勘付いていた。
だからこそ武器を失わせ、動きを鈍らせ、最後に残された攻撃をも封じた今になって本命の魔法に全てを込めて発動させた。
それは無意識の内に魔力回廊を全力解放の状態にしていたイラにとっては、意図せずに体内に残された魔力の九分九厘を費やした魂の一撃にも等しいものだった。
今のイラにとっては一直線に動くアワーの動きを読む事が容易く感じ取れ、狙いを定めて発動させた氷結はアワーの身体を全て凍てつかせる筈だった。だが、アワーの全身が完全に凍てつく事はなかった。
「ぐっ……おっ、おおおぉぉぉぉぉっ……! 俺は【強欲のアワー】と呼ばれた男だっ! 死神ハロスの名の下に転生を果たした大罪を背負いし者が一人っ……! アンチマジックのスキルが効かなくとも、そう簡単に討たれる訳には――」
「いや、これで終わりだ!」
既にアワーの四肢と両翼は凍てついて動きを止めていた。
けれどもアワーは凍って動かなくなっている筈の全身を震わせながら、自身に喝を入れるかのように叫びだした。
そのお陰があってか胴体の幾分かと頭部が完全に凍てつくまでには至らないでいた。
だが、アワーの視線がイラを見据えた瞬間に、アワーは自身の敗北を悟らずにはいられなくなってしまった。
アワーの瞳が捉えたイラの姿、それは片手剣である純白の剣・氷結を一本の矢に見立て、白銀の弓による射出を試みている姿だった。
全身全霊の力を込めて放った氷結により、イラの魔力は枯渇寸前にまで減少して、それに伴って意識は朦朧とし始め、頭や手足の感覚も虚ろなものに近づきつつあった。
それでもイラは手元に残された最後の武器である純白の剣・氷結と白銀の弓を用いて、最後の攻撃に転じようとしていた。
無論ここで純白の剣・氷結を手放すと言う事が、自分が地上へと安全に着地をする術を失い、死に直結すると言うのは理解していた。
新たに魔法を発動させるだけの魔力は残されておらず、手元に他の武具や状況を改善できるアイテムが残っている訳でもなかった。
それでもイラは選択をした。
それは怒りに支配されている影響でアワーを殺す事だけを強く望んでいたからかも知れない。
それは普段のイラが自分よりも仲間達の事を、取り分けツァーイの幸せを望んでいたからかも知れない。
けれど、どちらにせよ、イラが選び取った選択肢は、自分の事を一切考慮せずに、ここでアワーを討ち滅ぼす事だった。
「凍白の一撃!」
そうして白銀の弓から放たれた一矢、いや一本の剣は蒼白い透明な輝きを放ちながらアワーの心臓部へと向かって行った。
最早アワーにそれを回避する術も余力も残されてはおらず、その一撃は狙い通りに命中を果たした。
アワーの心臓部に突き刺さった純白の剣・氷結に残された氷属性の魔力が、今度こそアワーの腹部を全て凍らせて、頭部へと浸食を進め始めた。
「っ……あ、あぁ……く、くっくっく……やるじゃねぇか小僧……。」
だが頭部が凍りつく前に、アワーは満足したかのように得意の高笑いを上げながらイラへと語りかけ始めた。
「まさか、この、【強欲のアワー】が負けちまうとは、な……。だが、お前も所詮は俺達の同類だ。俺や傲慢、色欲の奴と同じ……」
「はぁ、はぁ、黙れ! 七番目とか、死神だとか、同類だとか、訳の分からない事ばかり言いやがって! 俺がお前の仲間な訳がないだろ!」
「あぁ……仲間じゃねぇよ。俺とお前は仲間にはなれやしねぇだろうよ。……決してな。何せお前は……ぐふっ、前の俺に似ているからな。だが、仲間でなくとも、俺達は同類だ。っ……やがてはお前も、俺と同じような末路を辿る事になるだろうよ。信じていた仲間に裏切られ、孤独な終わりを迎え、やがて、は……仲間、など不要、だと……自分だけが、世界、の全て……なの、だと、気付……」
そこまで語った所でアワーの頭部を含んだ全身が、完全に凍りつき、アワーは喋る事も出来なくなった。
(意味、分からないな……。本当に。だけど、これで、やっと――)
アワーの語った言葉が意味するものをイラは理解出来なかった。代わりにイラを支配していた紅い怒りの支配が僅かに緩み始めて、その緩んだ箇所がイラに一つの思いを抱かせた。
「ツァーイ……。」
それは自分が守るべき蒼髪の少女の笑顔。
彼女の笑顔がもう一度見たかった。
犠牲になろうとした彼女に怒りたい。
彼女にもう大丈夫だよ、と言ってあげたい。
死にかけの自分を捨て置いて逃げなかった彼女に怒りたい。
普段のイラがツァーイに抱いている感情と、怒りに支配されているイラがツァーイに感じていた感情が交互に心中を駆け巡り、心の中が二転三転とあっちからこっちへ、こっちからあっちへと激しく乱れ、せめぎ合い始めた。
けれど、それも無意味な事だと、無意識にイラは考えていた。何故ならば自分はこのまま空中を落下し続けて、最後には地上へと勢いよく打ちつけられて無残な死を遂げるからだ。
アワーを殺す為には、こうするしかなかったし、自分で選択したこの結末も納得してはいるし、受け入れている。悔いや未練などある筈もなかった。
だから胸の中で湧き上がり続けるツァーイの笑顔を見たいと言う欲求も、ツァーイに対する怒りや優しさも、その他の感情も全てひっくるめ、それらの感情の全てが、もうじき自分の命と等しく死んで、消えて、この世界からなくなってしまう事に関しても、どこか他人事のようにも思えていた。けれどどれだけ他人事のように思えても、無意味な事だと考えても、心の中に焼き付いているツァーイの笑顔は消えてくれなかった。
そうこうしている間にどれだけの距離を落下して来たのかも分からないまま、イラの身体は落ち続けている。
真上にいたアワーを撃ち抜く為に、イラの態勢は上空を見据えながら地に背を向けている格好になっている。だから地上――もとい、自分の命が終わる時――がどれだけ近づいているのかも良く分からない。けれど不意に右へと首を動かして見ると、木々の頭部が幾つか目についた。恐らくは後数秒か、長くても十数秒程度で地上に衝突をして自分は死ぬのだろう。
それでも木の頭部に心臓を貫かれて死ぬよりはマシなのかな、等とイラが考えていた時だった。
「光よ、全てを受け止めるベールとなって! ライティール!」
聞き慣れた少女の声が聞こえたと思ったら、加速し続けながら勢いよく落下していたイラの身体が急に落下するのを止めていた。
まるで空中に浮いたかのように制止したイラの身体だったが、よくよく見て見ればイラの身体を優しく包むかのように、大きな白く、それでいて輝いている布がイラの真下に出現していた。
その白い布とイラの身体は降下を再開したが、先程までとは異なり勢いのついた落下ではなく、ゆっくりと、ふんわりとした感じにそれは行われていた。
イラが身体を少し動かしてみると、先程までは上手く出来なかった空中での身体の向き替えも簡単に出来るようになっていて、イラは足を地に向けて立ち上がったような状態になる。
そしてすぐに足が地につき、真下にあった白い布は役目を終えたかのように薄っすらと半透明になり、やがて光となって拡散して消えて行った。
「イラ! 大丈夫!?」
一体何が起きたのか、イラが困惑していると背後から再び少女の声がした。
反射的にそちらへと振り向くと、そこにはどこからどう見ても蒼い少女がいた。
綺麗な蒼い髪。
吸い込まれそうな蒼い瞳。
普段着込んでいる様々な色合いのローブの内、今着込んでいるのは新緑の色のものだが、それでも髪や瞳の蒼が特に見慣れているせいなのか、緑色の少女と言うよりは蒼い少女だと言う方がしっくりとくる。
それはイラにとっては何よりも大切な少女であり、命の恩人でもある存在、ツァーイであった。




