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人格喪失者、それは記憶喪失を望んだ者  作者: 明進
第三章 強欲、それは全てを奪う暴力の化身
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記憶四十三―抑えられない衝動、それは希望の力か絶望の目覚めか―

 アワーの大剣に貫かれた時から、イラは身体を上手く動かせなくなっていた。

 それは剣に毒や麻痺を与える特殊効果(アビリティ)や、そういった薬を染み込ませていたから、と言う訳ではない。

 ただ単純に痛かった。記憶を失ってから初めて感じた、物理的な激痛。掠り傷程度の小さな痛みなら感じた事はあったものの、ツァーイの治癒魔法によってたちまち癒される、それらの痛みとは異なる程大きな痛み。それ故にイラは痛みを抑える事に慣れていなかった。

 自分の身体からドロリドロリと何かが流れ出して行くのを感じながら、視界の端でその赤い液体が目に入る。

 身体の熱がヒンヤリと失われるのを感じ、意識がボンヤリと消え始める感覚に襲われ、激痛によってピクリとも動けない身体にイラは苛立ちを感じていた。

 間一髪の所で急所を貫かれての一撃死は避けれたが、身体の自由が効かないし、このまま放置されるだけでも死んでしまうのだろうと言う事は予想が出来た。

 そんな状態でもアワーはイラを解放しようとはしなかった。魔物化によってアワーから生えている赤い触手に拘束をされ、僅かな浮遊感と、どうしようもない程の激痛を感じながらも何も出来ずにいた。

 いっそ意識を失ってしまえば、眠るように楽に死ねるだろうとイラは思った。それはそれで魅力的だとも思っていた。こんなに痛いのなら終わった方が多少はマシだと考えて。

 けれどそんな状態でもイラは意識を完全に手放せないでいた。理由は二つ。一つはツァーイ達がまだそこにいたから。

 身体の自由は効かずとも、意識が残っていたイラの聴覚は当然機能していた。だからツァーイやアワーの言葉が聞こえていた。

 イラはツァーイに自分の事を諦めて逃げて欲しいと思っていた。ツァーイと出会う以前の記憶を持たないイラにとっては、彼女の事が全てだったから。

 どこの誰とも知れない自分に優しく接してくれて、冒険者と言う日々の役目を与えてくれて、一日三食の食事と暖かな寝床を用意してくれた。武器を与えてくれて、衣類を整える手伝いもしてくれた。

 ツァーイが拾ってくれなかったら、きっと自分は随分前に行き倒れるなり、魔物に喰い殺されるなりして死に果てていただろうとさえ思う。

 今まで何一つ不自由のない日々を過ごせたのは、苦労する事もあったけど楽しく生きて来れたのは、間違いなくツァーイのお陰だとイラは考えていた。

 加えてイラは、生に対する執着のようなものが希薄だと言う事を自覚していた。別に今すぐに死にたいとは思っていないし、大きな魔物と戦う時に恐怖を感じたり、今のように痛みを負う事を嫌ってはいる。けれど、どうしても、ツァーイやファクト、フェアリと比べた時に、生に対する執着心が薄い事を嫌でも感じる事があった。

 だからこそ自分の死が目前に迫った状況下でも、いや、そんな状況下だからこそイラはツァーイに逃げて欲しかった。勿論ツァーイだけではなく、仲間であるファクトとフェアリにも。

 けれど聞こえてくる声からはツァーイが自分を助けようとしている事が分かった。やがて聞こえてくる声が増え、フェアリと、彼女によって回復をしたファクトまでもが戦線に復帰したのが分かった。

 そしてツァーイ達は苦戦の末に、僕を助けてくれた。触手によって拘束されていた両手が解放され、身体が地に落ちる感覚がした。


「イラ……!」


 依然として自由の効かない身体は、受け身を取る事も落ち行った。だけど地面に衝突するよりも先に、身体を滑り込ませたツァーイの手によって僕の身体は受け止められた。

 痛みによって感覚や思考は普段よりも機能が疎かになっていたけれど、安心の出来る温もりと、僅かな柔らかさのようなものは感じられた。

 そのままツァーイは僕に何度も声をかけてくれた。僕はそれに答えようとした。けれど痛みのせいか、掠れたような、小さな呟き声しか出て来ない。

 やがてツァーイとフェアリが治癒魔法で僕を回復しようとしてくれた。お陰で痛みは少しばかり止まったけれど、血を流し過ぎたからなのか、身体は満足に動かせないままだった。

 そして僕の回復が間に合わないままに、アワーとの戦闘が再開された。だけどその結果として、同じく回復が万全に終わっていなかったファクトが捕まってしまった。更にアワーはどういう訳か、ツァーイの身柄を要求した。

 それはイラにとっては何よりも許し難い要求であった。


『怒れイカレ怒れイカレ怒れイカレ怒れイカレ』


 それ故にアワーがその要求をした時に、この戦いが始まった時――正確に言えばアワーがファクトの右胸を魔物化した腕で貫いている光景を見た時――からイラが感じていた得体の知れない衝動が大きく膨らんで行くのが分かった。

 これまではポツポツと湧き出るような、微かな感じだった。だけど一連の出来事が引き金となって、得体の知れない衝動の声がハッキリとイラに聞こえる程に大きくなっていた。この得体の知れない衝動こそが、イラが意識を手放せないもう一つの理由でもあった。

 雷毒の大蛇(カレントバジリスク)戦以来感じる事のなかったこの衝動が、前述の通りアワーとの戦いが始まってからずっと続いており、胸の奥がザワつき、心が落ち着かないせい。その影響でイラの意識は半ば無理やりにも覚醒状態となっていた。

 更にはこの衝動の力なのかは不明だが、戦いが始まってからイラは自らの身体能力が普段以上に引き出されているのを感じていた。そうでなければファクトとフェアリを圧倒する程に強いアワーと、曲りなりにも渡り合う事は出来なかった筈だ。

 けれどその一方で、イラはこの衝動を押し殺すつもりで抑え込もうとしていた。イラにとってこの衝動を感じている事は気持ちの良い事ではなく、寧ろ不快感しか感じないからだ。

 この衝動が何なのかは分からない。記憶を失う以前の自分の声なのか、所謂心の闇的なものなのか、それとも自分の中にある恐怖心が生み出している幻聴なのか、魔法か何かの影響なのか、それとも自分には関係のない誰かの声なのか。イラには検討もつかない。

 けれどイラにはこの衝動を感じたくないと思えたし、この衝動の赴くがままに行動をしてはいけないとも考えていた。理由は分からないが、そうしてしまったら何か取り返しのつかない事になってしまうような気さえもしていた。

 だからこそイラはずっと押し殺していたが、声が大きくなった影響でイラの抑えが半比例するように弱まってしまう。

 それ程までにイラの感情や衝動が心揺らされる程に、イラにとってツァーイは特別な存在だ。

 イラがツァーイにここまで肩入れをしているのは命の恩人だからとか、リベルーチェ(ギルド)のリーダーだからとか、そういった理由も勿論あるが決意が決定的になったのは、ファングの街から逃げ出したあの夜にあった。

 自らの出自を語った末にワンワンと号泣し、身体を震わせながら抱き着いてきたツァーイを見てイラはツァーイを守ると固く決心をした。凄腕の冒険者としてのツァーイではなく、極々普通の女の子としてのツァーイを。謂れのない罪状と心無い人々の言葉によって世界から嫌われてしまった、心優しい少女を守るのだと。

 それでも気持ち一つで状況が好転する訳もなく、結局は戦闘になればイラとツァーイの間にある力量差は大きくて、イラは自分がツァーイを守れているようには思えなかった。

 本当に自分がツァーイを守れるのかと不安になる時もなかった訳ではないが、それでもいつかはツァーイに追い付いて、追い抜かして、自分がツァーイを守れるようになるんだと強く信じていた。

 やがてファクトとフェアリが仲間に加わり、ファクトからは剣術を、フェアリからは魔法を。それぞれ特訓に付き合って貰ったり、装備を整えるのを手伝って貰ったして、少しずつではあるが強くなっている実感を得る事も出来ていた。

 だけど運命、或いは時間はイラの成長を待ってはくれなかった。

 これまで戦って来た魔物の全て――狂暴化した雷毒の大蛇(カレントバジリスク)さえも――が可愛く見える程に、恐ろしい強敵――【強欲のアワー】の手によってツァーイが連れ去られようとしている。


「……私が大人しくすれば、本当に仲間達をこれ以上傷つけないんだよね?」

「ツァーイ! 駄目!」


 それに対してツァーイの了承する声と、制止させようとするフェアリの叫びが聞こえた。


『怒れ怒れ怒れイカレ怒れ怒れ怒れ怒れイカレ』


 ツァーイの決断が聞こえた瞬間に、衝動が更に一段階大きな声を上げる。

 イラはその衝動をまだ押し殺そうと強く念じながら、ツァーイを引き留める為に声を張り上げようとする。


『行っちゃ駄目だ! ツァーイは絶対に渡さない!』


 そう言いたかったのに、僕もツァーイを止めたかったのに、やはり声は掠れた呟き声にしかならず、ツァーイには届かないまま風に掻き消された。

 本当ならば自らの命を投げ捨ててでも、アワーに立ち向かわなければならないのに! 例えそれが勝ち目のない戦いだったとしても、ツァーイが逃げる時間位は稼がないといけないのに! こんな所で倒れている場合じゃないのに!

 けれどどれだけ心の中で叫んでも、どれだけ強がっても、身体に自由が戻る事はなく、想いがツァーイに届く事もなかった。

 ツァーイを守ったり、助けたりする以前に、何も出来ないと言う事実がイラの中に無力感が広げていく。何よりも自分が足手纏いになっていると言う事実がより強く、イラの中に影響を与えて衝動の声も大きくなっていく。


『怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れイカれイカレ』


 自分が倒れているから、弱いから、ツァーイを守る所か逃がす事さえ出来ないのだと。逃げると言う選択肢を彼女から奪ってしまっているのだと。


『怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ!!!』


 その事に気付いた瞬間にイラの心は怒りで満たされた。それと共に得体の知れない衝動が、隙を伺っていたかのようにイラの心を浸食をするかの如く、支配した。

 やがてイラの思考は憤怒の如く純粋な怒りの色――紅に染まる。それと同時に先程まで感じていた筈の激痛が感じられなくなり、動かなかった筈の身体の自由が少しずつ戻って来た。

 紅く染まった思考では冷静に物事を考える事は出来なくなっており、仲間の安否を優先的に考える事が出来なかった。

 それでもイラの怒りの矛先だけはハッキリと感じ取れていた。

 それは仲間の皆を殺そうとした挙句にツァーイを奪おうとするアワーには勿論ながら、アワーに従おうとしたツァーイにも。そして何よりもツァーイにそんな選択をさせてしまった無力な自分自身にイラは苛立っていた。


「生命の根源たる白き力よ、赤き痛みを消滅させて、聖なる癒しを我ら(・)に与え賜え! ホーリーヒール(清なる蒼白の癒し)!」


 イラの思考が怒りに満たされるのとほぼ同時に、しかし僅かに遅れたタイミングで治癒魔法が発動した。

 アワーとの取引に応じ、治癒魔法の発動を許可されたツァーイの手によるものだ。あくまでもツァーイはアワーを出し抜く為に取引に応じるふりをしただけだったが、無力感に打ちひしがれ、怒りに染まってしまったイラには、そんな事を考える余裕も残されてはいなかった。

 放たれたツァーイを象徴する蒼色の光が、瞬く間にイラを、ツァーイを、ファクトを、フェアリを包み込んだ。

 四人に触れた蒼の光が傷跡を癒し、やがて完全に傷跡を塞いでみせた。魔物の腕や大剣によって貫かれた腹部も、魔法によって負ったダメージも、魔力こそは回復しないものの活力さえもが体内に沸き上がった。

 もしもこの魔法が放たれたのがもう少し早ければ、イラの思考が紅き憤怒に塗り潰されてしまう前であったのなら、この後の戦況は異なる結果となったのかも知れない。けれど、最早、手遅れでしかなかった。


「イラ――」

「……。」


 痛みを感じなくなり傷跡も塞がれ、身体の自由も戻ったイラは当然喋る事も可能となっていた筈だった。

 けれど耳元で最愛の少女が自分の名を呼んだ事さえも意に返さない様に、イラはツァーイを見つめ返した。自身の瞳が紅く染まり、表情が憤怒の形相に歪んでいる事に気付く事もないままに。


「イラ、どうし――」

「ああぁぁあぁっ……!」

「きゃあ!」


 身体の自由を取り戻し、しかし思考を憤怒に染められてしまったイラは、目の前にいたツァーイを乱暴に突き飛ばした。

 何物にも代えがたい程に大切な少女への暴行。それは普段のイラならば絶対に行わない行為の筈だったが、イラはツァーイを見た瞬間に自らに宿る怒りの感情をぶつける事を止められなかった。

 それはツァーイを想うが故にどうして逃げてくれないのだと、あんな奴(アワー)の言いなりになろうとしたのだと、そう言った感情から生まれた憤怒が起因していた。

 それでもいつものイラであれば、ツァーイに対して暴行を加える事はなかっただろうが、今のイラは自らの衝動――怒りのままに行動をする事しか出来なかった。


「っぁぁぁあああぁっ……!」


 そうしてツァーイを突き飛ばした後も、イラは獣のような咆哮を上げながらアワーへと向かって走って行った。

 主力の武器である金の剣(ゴールドソード)は大剣で腹部を突き刺された際に落としてしまったままで、身に着けている武器は銀の矢(シルバーアロー)と銀の弓(シルバーボウ)を中心とする数種類の矢が入っている矢筒のみ。

 しかしイラは弓矢を手に取る事さえもないままに、拳を握りしめてアワーへと突撃をしていった。


「テメェ! こいつがどうなって良いのか!?」

「ああああっ! 殺す! お前だけは絶対に殺す!」


 突如として豹変をしたイラが向かって来た事に対し、アワーはファクトの首を掴みながらイラに向けて突き出して牽制をしようとした。

 しかし憤怒に塗れた今のイラが止まる事はなかった。普段の彼であれば、仲間を見殺しにするような真似は絶対にしなかっただろうが、イラは普段であれば使わなかっただろう暴力的な言葉を上げながら向かって行く。


「そうかよ! 仲間の命なんざどうだって良いって言うなら、お望み通りに殺してやるよ!」

「ファクト!」


 人質が牽制にならないと判断したアワーはファクトを殺そうと拳に力を入れた。

 魔物化の一つであり、鋼鉄の如く硬く重い鋼鉄の象(メタリックタスカ)による変化した鈍い銀色の腕に力が込められてファクトの首はすぐに握りつぶされようとしていた。

 その様子にフェアリが悲痛な叫び声を上げながら駆け寄ろうとしたが、その矢先にドガンッ、と大きな爆発音が響いた。


「ソウカンタンニ……ヤラレルカヨ!」


 次の瞬間に爆風の中から飛び出して来たのは魔物化をしたファクトだった。ツァーイの治癒魔法の力によって傷跡が治療され、戦うだけの体力と魔物化を行えるだけの活力を取り戻していたファクトが魔物化を使用し、爆発鬼(ブラストオーガ)の角を爆発させる事でアワーの隙をついて逃げ出したのだ。

 爆発の反動によって僅かなダメージが蓄積されたが、ほぼ全快状態にまで回復を果たせたファクトにとってはこの程度はどうと言う事はないダメージだった。


「くっくっく……テメェら、随分と舐めた真似をしてくれるじゃねぇか! 仕方がねぇ、【蒼い疫病】を手に入れるまでは利用(生か)してやろうと思っていたが……まとめて皆殺しにしてやるぜ!」


 その様子にアワーは爆風に埋もれたまま、狂ったように高笑いを上げた。そしてこれまで以上の殺意を撒き散らしながらそう宣言し、自身の大剣を両手に握りしめながらファクトへと向かって歩みを始めた。


「殺されるのはお前の方だろうがああああああぁぁあぁっ!」 


 しかし爆風が晴れる直前に、それを阻止するかの如く、イラが怒りの鉄槌をアワーへと向けて放った。


 本来であれば鋼鉄にも等しい硬さを誇る鋼鉄の象(メタリックタスカ)の力を纏っているアワーに対して拳を振るう事は自殺行為のようにも思えたし、アワー自身もそう確信していた。

 ただの人間(ヒューマン)の拳如きが鋼鉄の身体にダメージを与える事は不可能だと。それも力任せの戦い方をするパワーファイターならいざ知らず、イラは速さを重視したスピードよりの戦闘方法を得意としている。

 けれどイラの鬼気迫るかのような怒りの形相とただならぬ気配に、アワーは咄嗟に二本ある内の大剣の一本を盾代わりに使う事を選択した。

 それは前世から培って来た戦場における直感だった。本来であればダメージを負う筈の無い格下の人間(ヒューマン)の拳が、何故かアワーには絶対に受けてはいけない一撃のように思えてしまったのだ。


 次の瞬間、イラの拳とアワーの大剣が衝突した。それと同時にバキンっ! と大きな衝撃音が響き渡る。


「なっ……!」


 そして戦いが始まってから初めてアワーに動揺の表情が浮かんだ。イラが疾走する黄金の獣(オールゲパルド)の素早さに対抗をした時に見せた驚愕の表情とは異なる、本当に想像外の出来事が起きたような、余裕のない表情だ。

 今の今まで飄々としながら他者を見下したような嘲りの笑みを浮かべていたアワーが、このような表情を浮かべた原因は一目瞭然だった。アワーが防御に使った大剣がイラの振り下ろした拳によって粉々に砕け散ったのだ。


「うああああああっ!」


 そしてイラは振り下ろした拳を引っ込めると共に、右足を軸にして左足をグルンと動かして回し蹴りを繰り出した。

 しかしその速さは普段のイラを知る者からすれば、想像も出来ない程に素早い動きだった。敵意を向けられているアワーでさえもイラの動作を認識出来ていなかった。故に攻撃はいとも簡単にアワーの脇腹へと命中をした。


「ぐはっ……!」


 その一撃は鋼鉄の象(メタリックタスカ)の力を纏い鋼鉄と化していた筈の肉体に衝撃を与え、アワーは足を引きずらせるようにほんの数メートル程吹き飛んだ。


「ば、馬鹿な……鋼鉄の象(メタリックタスカ)の力だぞ! 鋼鉄の身体だ! なのに何故、あんな低レベルの人間(ヒューマン)如きに……!」

「そんなの知るかあああああぁぁぁっ!」


 それからも何が起きているのかを理解出来ない様子のアワーに対して、イラが畳みかけるかのように拳や蹴りの連続攻撃を繰り出し続けた。



「ファクト! 大丈夫!?」

「ア、アア……。ナントカナ。」

 爆発鬼(ブラストオーガ)の力を使いアワーの手から脱出を果たしたファクトの下へ、フェアリが心配をしながら駆け寄った。

 そんなフェアリに対してファクトは魔物化の使用中特有のカタコト口調で頷きながら答え、そのまま魔物化を一旦解除した。


「それよりも悪かった。俺が捕まったせいで……」


 そこまで言った所でファクトは交戦中のイラとアワーへと視線を動かす。そこには先程までとは打って異なり防戦一方……とまでは言わないにしろ、防戦気味になっているアワーの姿があった。

 その光景は本来であればそれは倒さなければならない敵を追い詰められていると言う喜びや、生還出来る可能性が高まったと言う嬉しさを感じるべきものなのかも知れない。しかし二人はそういった感情を感じる事は出来ず、胸中には不安の感情が渦巻いていた。


「イラさん、一体どうしちゃったんだろう……。まるで魔物化が暴走したみたいに……。」

「いや……俺の魔物化よりも性質が悪い気がする。……とにかく、今はアワーを殺そう。戦いさえ終わればイラも元に戻るかも知れない。」

「う、うん。そうだね。」



「イラ……一体どうしたの……。」


 ファクトとフェアリから少し離れた場所で、ツァーイが不安気に声を震わせながらポツリと呟いた。

 ツァーイはアワーに従うふりをして、治癒魔法で皆のダメージを回復させた後に反撃に出るつもりだった。

 その事をイラに察して欲しかったのと、イラの安否を確認すると言う二つの目的の為にイラに呼びかけようとした筈だった。けれど治癒魔法によって回復をしたイラは、普段とは様子が異なっていた。明るい青色の瞳は鈍く暗い紅を称え、アワーと同じとても嫌な気配を漂わせていたのだ。

 異様で、異質で、異邦で、異形で、それなのに神々しくさえ感じられるドス黒い力。世界に存在してはいけない、存在そのものが悪であると感じてしまうような力と気配をイラからも感じてしまった。

 かけがえのない大切な仲間であり、【蒼い疫病】と蔑まれていた自分にとって初めての理解者となってくれた彼に対してそんな事を思ってはいけないのに、そんな事を感じてはいけないのに、それなのにそうとしか思えなかった。頭ではあれがイラだと分かっていても、心の奥底が倒すべき敵だと感じ取っているかのような酷い違和感。

 そして豹変したイラはツァーイを突き飛ばした。普段の優しい彼ならば絶対にする筈のない行為にツァーイは強く動揺し、今も視線の先でイラを追ってはいるけれど、まるで自分の脳が理解を拒んでいるかのようにツァーイは状況を理解出来ていなかった。

 瞳に映っている光景は普段のイラからは想像も出来ない程に怒りの感情を露わにして、幾つかある攻撃手段の一つである、殴る蹴るの連打でアワーへと攻撃を行っていた。しかしその戦い方も普段の攻撃方法と比べて、どこか乱暴的で、暴力的で、見ていて気持ちの良いものだとは思えなかった。そんな攻撃に対してアワーはそれを様々な魔物化の力を利用しながら避けたり反撃をしているが、状況はイラの優勢に思える。

 本当ならばイラの回復を嬉しく思い、状況が一転してアワーを倒せそうな事を喜ぶべきだと言うのは分かる。けれどそれ以上にイラの変貌が、自分を突き飛ばした彼の怒りに歪んだ表情と紅い瞳、加えて嫌な気配に意識が回ってしまい、どうしようもない程に強い不安に襲われる。

 まるで心臓を握り絞められているかのように、胸の奥がキュっと締め付けられている気がした。

 もしも戦いが終わってもイラが元に戻らなかったら……そう考えただけで先程までイラを失うかも知れないと恐れていたものとは同種でありながら異なる恐怖に襲われる。目眩さえ覚えるかのような気分だった。


「それでも……それでも私にとってイラは……。」


 それでも私はイラを失いたくないと思った。紅い瞳も、得体の知れない嫌な気配も、暴力的な言葉や行動も、全部関係ない。私にとって最悪なのはイラを失ってしまう事だから。

 あの優しい青い瞳で私の事を見て欲しい。彼の口から私の名前を呼んで欲しい。手を握っていたいし、もっと話していたいし、これからもずっと一緒にいて欲しい。

 胸の奥から不安な気持ちは消えてくれないけれど、気付けばに私は純白の剣(サンクチュアリ)を手にイラの下へと走り出していた。

 戦いさえ終わらせてしまえばイラだってきっと元に戻ってくれる筈だから。私を突き飛ばしたのも、あんな状態になってしまったのも、私が感じ取った嫌な気配も、全部、全部何かの間違いだ。これは悪夢のようなものだ。だから早く戦いを終わらせよう。戦いさえ終われば、きっといつものイラが戻って来てくれるから。根拠も自信もなかったけれど、そう考えないと私は不安に押し潰されてしまいそうだった。



「あああああぁぁぁぁぁっ! 吹き飛べえええぇぇっ!!」

「魔物化――千本針鼠(サウザンマス)!」


 怒りの感情を上げながら右手で殴りかかるイラに対して、アワーはその身を黄土色の皮膚と全身から生え渡る幾千もの針山の異形へと変化をして迎え撃った。

 しかしイラの拳は恐れを知らないかのように、針山となったアワーの身体へと振り下ろされ、その結果としてイラの拳は針山に突き刺さって血を流し、アワーもまた身体に生やした針山の内、数百本が身体から弾け飛んでしまった。

 その後も互角の攻防は続き、その中で落ちていた二本の金の剣(ゴールドソード)を拾い上げたイラが二刀の剣技を右から、左から、と途切れる事無く繰り出し続けた。


「お前なんかにツァーイを奪われてたまるかあああぁぁっ!」

「っ……そうか、そういう事かよ!」


 そんな攻防を幾度と繰り返す中で、アワーが何かに気付いたかのように声を荒げながら大剣を振るい、イラの攻撃を押し返した。


「テメェが七(・)番(・)目(・)って事かよ!」

「七番目……? 何の事だよっ!」

「俺達と同類の癖に、しらばっくれるつもりかよ! いや、テメェがどうであれ、関係ねぇ。テメェを殺して、その力も俺の物にしてやるよ! 魔物化――竜王(バハムート)!」


 アワーが新たな魔物化を発動させた。その皮膚は真っ黒に染まったが、所々に細い薄緑色の線が流れるように光っていた。背中からは硬い質感の黒翼が幾つも生え始め、口には鋭い牙、尻からは尻尾も生えている。


「逃がすか! 氷壁(アイスウォール)!」


 その黒翼を羽ばたかせながら空へと舞い上がったアワーが空を飛んで逃走するのではないかと思ったイラは、それを妨害するかのように魔法で氷の壁を自分の足元に生成した。

 それによってイラの身体が地面から生えて来た氷壁によって空中へと持ち上げられ、アワーの高さを少しだけ上回った所でイラはアワーを目がけて空中にその身を放り投げだした。


「待って、イラ!」


 それと入れ違いになるようにツァーイ、ファクト、フェアリの三人がイラの下へと駆けつけた事にイラは気付いていなかった。

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