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人格喪失者、それは記憶喪失を望んだ者  作者: 明進
第三章 強欲、それは全てを奪う暴力の化身
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記憶四十一―凶刃、それは耐えられない一撃―

 【強欲のアワー】を討伐しに向かったファクトとフェアリを追いかけて、アワーが占拠していると言う高原の屋敷を目指して走り続けていた僕達は、少し前に突如として現れて落下をした隕石を目印に走り続けた。

 あの隕石が自然現象なのか。魔法なのか、それとも他の何かなのかは分からないけれど、目指している方角と一致していた事もあり、そこで何かが起こっているのだと言う事は分かったから。

 そうして崩壊した村の様子や景色に変化の少ない森林地帯を駆け回り続けて、ようやく僕達がファクト達の姿を見つけた時には、金ピカの悪そうな男が腕でファクトを突き刺している所だった。


「イラ、あの人が【強欲のアワー】だとするとかなり危険だよ。戦闘は私に任せてイラは協会まで引き返――」


 男がファクトを放り捨て、一連の出来事に対してフェアリが悲痛な叫び声を上げる。

 もしも僕が冷静に状況を判断出来ていたのなら、あれ程までに強いファクトが致命傷を受けてる事実、一見しただけでも力をあり余らせているアワーと思わしき男とボロボロのファクトとフェアリと言う一方的な戦況にも気付いた事だろう。そしてそれはファクト達に大きく実力で劣る僕が出て行った所でどうにかなるような戦況ではないのだと言う事も分かった筈だ。

 けれど僕はそんな風に落ち着いて戦況を判断する事は出来なかった。ファクトが刺されていると言う事実が目に入ると同時に後ろで制止しようとするツァーイの声を無視して、身体が勝手に飛び出していた。

 胸の奥底からは以前に雷毒の大蛇(カレントバジリスク)との戦いで感じた『怒れイカレ怒れイカレ……』と言う得体の知れない衝動がポツポツと湧き出していた。

 あれ以来感じた事はなかった筈の衝動を押し殺そうと一層と気を引き締めながらも、仲間を傷つけられた怒りの影響なのか、普段よりも全身に力が入ったかのような気がした。


「お前! ファクトとフェアリに何をした!!」

「えっ……」


 そうして飛び出した僕が金ピカ男の至近距離まで迫ったのは一瞬の出来事のようにも思えた。まるで自分とは思えないと錯覚しそうになりそうな身のこなし。背後にいるフェアリも気付かなかったかのような間の抜けた声を上げていた。

 腰にぶら下げている鞘から金の剣(ゴールドソード)を引き抜くのも手間で、この世界(リーネド・ムンリ)でツァーイから銅の剣(ブロンズソード)を貰う以前にしていたように全身全霊の力を込めて拳を振りかざした。

 けれど標的である金ピカ男はフェアリへ振りかざそうとしていた腕を咄嗟に防御へと回し、怒りのままに振るった拳は呆気なく相手の金ピカな腕の主――【強欲のアワー】によって軽々と防御をされてしまった。


「ほう……他にも仲間がいたのか?」

「だったらどうだって言うんだ!」


 アワーは突然現れたイラにも動じずに、涼し気な表情で余裕と言わんばかりに呟く。それに対してイラは拳や足での武術を何度も振るった。

 記憶喪失故に習った覚えのない武術だけど、この世界(リーネド・ムンリ)で目覚めた時には身体に染みついていた力。その動作の意味や極意とかは全く分からないけれど、身体を動かせば不思議と自然な動作で戦う事が可能だった。

 しかし幾度かの攻防を繰り返してもイラの攻撃の全てはアワーに受け止められて、ダメージを与える事は出来なかった。


「フェアリ! こいつは僕に任せて、すぐにファクトの回復を!」

「は、はい。イラさんも気をつけて下さい! アワーは魔法を破壊するスキルを持っていて、ファクトと同じ魔人(ヴァンディム)なんです!」

「分かった。」


 それでもイラは攻撃の手を緩める事なく動き続け、背後にいるフェアリやファクトの方を振り向く事なく叫んだ。

 それと同時に腰からぶら下げていた二本の鞘から剣を抜刀した。一本はフォレスタウンで購入した金の剣(ゴールドソード)。そして二本目も洞窟の街(グロッタウン)で購入した金の剣(ゴールドソード)。

 イラは旅の最中にクエストの報酬として自分に分配されていたお金の殆どを自身の装備を強化する為に注ぎ込んでいた。その結果今では二本の金の剣(ゴールドソード)による二刀流と言うのがイラにとってのメインウエポンとなっていた。

 勿論他の装備も買い替えていた。

 弓矢はフェアリの白銀の弓(プラティヌアルク)や白銀(プラティヌ)の矢(フレッシュ)、その他使用用途に応じた数々の矢には劣る物の、木の弓(ウッドボウ)や木の矢(ウッドアロー)よりも強度や威力が増した銀の弓(シルバーボウ)や銀の矢(シルバーアロー)に。

 防具も衣類を買い集める際に特殊効果(アビリティ)がより強力な物や、自身と相性の良さそうな物を中心に増やしていた。

 こうして装備が充実した事で少なくとも以前のように固い身体を持つ魔物を相手に武器が効力を発揮しないと言う問題点は改善されていた。


「くっくっく、足止めのつもりか?」

「足止め? 別にここでお前を倒してしまっても構わないんだけど!」

「ほう? 言うじゃねぇか。ならさぁ、やって見せてくれよ! 出来るものならだけどなぁ! 魔物化――鋼鉄の象(メタリックタスカ)!」


 二刀の金の剣(ゴールドソード)を振り回すイラを相手にアワーは疾走する黄金の獣(オールゲパルド)の魔物化を解除して、再び鈍い銀色の異形へとその身を変化させた。


「それがどうしたって言うんだ……!」


 疾走する黄金の獣(オールゲパルド)の細々とした体格とは異なり、四肢が太く重々しい姿になったアワーに対してもイラは臆さずに向かって行き、右手の金の剣(ゴールドソード)を振るった。

 しかしアワーは拳や足での攻撃を受け止める時と同じ要領で、鈍い銀色を纏った腕で防御をした。鋼鉄の象(メタリックタスカ)の力によって硬くなった腕は金の剣(ゴールドソード)以上の強度を誇っており、カキンッ! と言う音と共にイラが放った斬撃は弾かれた。


「くっ……腕が鉄みたいに硬い。それも魔物化の力って訳か。」

「そうさ! 鋼鉄の象(メタリックタスカ)の力の前では、そんな鈍(なまく)らじゃあ傷一つ付けられねぇぞ。それじゃあ今度はこっちから行くぜ! 魔物化――疾走する黄金の獣(オールゲパルド)」


 剣での攻撃が効かないと分かり間合いをとるイラに対し、アワーは再び金色の姿へと変化しながら超スピードで間合いを詰め、ファクトを貫いた時と同じ要領で拳を突き出した。


「速い! ……だけどっ!」


 それに対してイラは左手の金の剣(ゴールドソード)を防御の為に使いながら、右手の金の剣(ゴールドソード)をアワーへ向かって突き出した。


「何っ!?」


 疾走する黄金の獣(オールゲパルド)の素早さに絶対の自信を持っていたアワーは、イラの動きに驚愕を禁じえなかった。

 何故ならここまでの攻防でアワーはイラの実力を先に戦ったファクトやフェアリ以下だと位置づけていた。素早さを活かした連続攻撃は悪くはなかったが、その一撃一撃の威力はファクトの大剣や魔物化、フェアリの魔力に大きく劣るものだったからだ。

 勿論使っている武器がファクトのような大剣ではなくただの片手剣だからと言う理由もあるのだろうが、それにしてもイラの力はあまりにも非力だとアワーは見下していた。

 現に鋼鉄の象(メタリックタスカ)の硬い身体にイラが放った斬撃は簡単に弾かれていた、そんな格下の存在にも関わらず短距離であるならば瞬間移動のように錯覚される事も少なくはない疾走する黄金の獣(オールゲパルド)の素早さによる奇襲にアクションを起こして来るとは思っていなかったのだ。


「(ちっ……鋼鉄の象(メタリックタスカ)とは違って疾走する黄金の獣(オールゲパルド)の身体は素早い代わりに、人の時よりも脆くなっている。あの攻撃を受ける訳にはいかねぇな。)」


 アワーは内心で舌打ちをしながら、突き出した腕とは逆の腕を背に回し、二本ある大剣の内の一本を引き抜いてイラのカウンター攻撃を防ぐ事に注力した。その結果としてイラとアワーは互いに互いの攻撃を片手で攻撃を、もう片手で防御を行う、鍔迫り合いの態勢になった。


「くそっ、もう少しだったのに!」

「驚いたぜ……まさかただの人間(ヒューマン)が疾走する黄金の獣(オールゲパルド)の素早さに対処出来るとはな……!」

「あの位の速さなら楽勝だよ。それに最初の攻防の時もだけど、防御しているって事は金ピカの状態は銀ピカの時と違ってダメージが与えられるって事だよね……。」

「くっははははは……勘も良いと来たか。確かに疾走する黄金の獣(オールゲパルド)の身体は、鋼鉄の象(メタリックタスカ)のように硬くはない。」


 一見すればお互いに攻撃と防御の手を緩める事が出来ない状況。けれどそんな状況下でもまるで新しい玩具を見つけたかのように高笑いを上げるアワーと、起死回生のカウンターに失敗をしたイラとでは圧倒的な力量差がある事は明白だった。

 イラはアワーの魔物化の一つである疾走する黄金の獣(オールゲパルド)の動きに対応して見せたが、本当の事を言えば楽(・)勝(・)と言い放ったのは強がりでしかなかった。

 実際の所はアワーの動きをイラは見切れていない。確かに冒険者情報(ステータス)に記されているスピードの数値は以前よりも上がっているし、レベルの差こそあれどスピードだけはファクトよりもイラの方が一高かった。

 それでもアワーの操る疾走する黄金の獣(オールゲパルド)の速さはそんな比ではなかった。イラの目には間違いなくアワーの姿は見えていなかったのだ。間合いを詰めようと動き出した瞬間も、攻撃をして来た瞬間も、イラには見えなかった。

 けれどイラは間合いをとった瞬間から大気の震えや相手の気配を感じる事に意識を回す事で、大気中の不自然な揺れや気配の強まった箇所を見極める事によって相手がどう動いてくるのかを予想して対応をする事に成功した。

 どうしてそんな事が出来たのかも分からないし、どんな原理の技術なのかも分からない。けれど拳や足、初めて剣や弓を触った時と同じように身体が覚えているような気がした。

 ともあれ実力差で大きくアワーを下回っているイラが、アワーの動きに対応が出来たのは偶発的な事象でしかなかった。だから戦いが長引いて集中力が落ちれば当然対応は出来なくなるし、そうなれば自分はあっさりと殺されてしまう事だろうとイラは理解していた。


「……だけどそれが分かった所で打つ手があるものか! お前と俺とでは元々の力が違うんだからよお!」


 そしてアワーの言う通りイラの冒険者情報(ステータス)や戦い方はツァーイやファクトの域には達していないし、純粋な力勝負(パワーバトル)であるのなら尚更だ。そしてファクトを打ち倒したアワーと自分との間に大きな差がある事は考えるまでもなく分かっている。

 スピードと言う一点では魔物化をしていないファクトやフェアリに勝っていても、あくまでそれだけだ。フェアリが言っていた通りに魔法が通用しないのであれば氷属性の魔法が使えると言う強みもないに等しい。

 そんな自分がアワーの攻撃に対して反応をし続ける事が出来た所で、致命的な一撃を与える事が出来ないのであれば時間稼ぎが関の山。そうと分かっていてもイラは退く事が出来なかった。

 アワーは仲間であるファクトを傷つけたから。そして背後では、そのファクトがフェアリの魔法によって治療中の筈だから。

 もしもここで自分が逃げてしまえばファクトは間違いなく死んでしまうし、そうなればフェアリやツァーイの命も奪われかねない。

 仲間を守る為に自身とアワーの力量差を理解した上で戦わざるを得なかったイラは、それでも悲観する事なく、自分に出来る事をしようと考えていた。



「ああ、もうっ! イラってば結局私の指示も聞かないで勝手に!」


 ツァーイは勝手に飛び出して行ったイラに怒っていた。当人は飛び出して行ってしまったので、ここでツァーイが文句を言った所で聞こえる筈もないのだが、それでも言わずにはいられなかった。

 自分達がここに到着した際にファクトが金色の異形をした男の腕によって貫かれている惨状を目の当たりにし、それを目にした途端にイラは駆け出して行ってしまった。それも普段とは比較できない程に素早い動きで。

 そしてツァーイはそんなイラを追って、周囲の木々に隠れ、更には足音を立てないようにイラ達の下へと歩を進めていた。

 単独(ソロ)ではあるが冒険者として経験豊富なツァーイはあの惨状を目の当たりにした際に大まかな状況を悟ってしまっていた。

 アワーと思われる金色の異形の男が純血種か半端者(ハーフ)かは不明だが魔人(ヴァンディム)であると言う事。そしてアワーがファクトやフェアリ、恐らくは自分よりも強いと言う事を。正直に言えば四人で戦った所で勝算は万に一つもないだろうと言う事を。

 当然ツァーイはその事実に恐怖を覚えた。これがかつての一人旅であったのなら、敵に存在を悟られない内に息を殺してこの場から逃げ出した事だろう。

 だけどそんな敵に向かって行ってしまったイラ、致命傷を負って倒れてしまっているファクト、加えてアワーに存在を認知されてしまっているフェアリ。三人の仲間を捨てて逃げ出す事がツァーイには出来なかった。

 故郷が《サイス》によって滅ぼされてから始まった九年間の孤独な一人旅の日々。ツァーイにとっては辛く、苦しい記憶の日々。あの日々があったからこそ、仲間と言う存在に対して心から感謝をしており、それと同時に失う事を何よりも恐れていた。

 だからこそツァーイはアワーに立ち向かう事を即決出来た。アワーに対する恐怖心よりも、かけがえのない仲間達を失う事の方が恐ろしかったから。独りぼっちの日々に戻るのが恐ろしかったから。

 それでも無策で突撃をするのは無駄死にするようなものだと思ったツァーイは、アワーとの距離を詰めながら機を窺う事にした。

 勿論ファクトの方も心配ではある。けれど様子を窺えばファクトは既にフェアリが魔法を利用した治療に当たっている。そうであるのなら自分がファクトの回復に回るよりも、アワーをファクトとフェアリに近づけさせない方が重要だと、ツァーイは判断した。

 そして万が一の際に二人の間に割り込んでイラを守れるように、或いはアワーに不意の一撃を与えられる好機(チャンス)を窺い続け、遂にその時がやって来た。

 イラとアワーが鍔迫り合いの状態になったお陰でアワーの動きが止まった。しかも見るからに硬そうな銀色の魔物化ではなく、素早さに特化したような金色の魔物化の状態でだ。

 更に付け加えるのであればツァーイは木々の間を移動していた事により、アワーの後方へと回り込んでいた。このタイミングでならば確実にアワーの死角から一撃を浴びせられる事が出来ると、そう強く確信をしたツァーイはすぐさまに実行をした。

 木々や草花に溶け込むかのような新緑の色をしたフードを深く被りこみ、ツァーイは息を殺し、音を立てず、されど全力疾走の勢いで純白の剣(サンクチュアリ)をアワーの背中に突き刺そうと駆け出した。

 故郷が滅んだ時に見た両親や友達、村人達の遺体の数々。以来私は人の死に対して一層の恐怖心を抱き続けていた。けれど仲間の危機を目前に、躊躇をする余裕さえないままに、純白の剣(サンクチュアリ)を突き刺した。



「ぐはっ……!」


 ついさっきまで余裕の笑みを浮かべていたアワーが突如として吐血して態勢を崩した。突然の事態に何が起きたのかが分からずにイラは一瞬だけ困惑したが、すぐにツァーイがアワーの背後から奇襲攻撃をしていた事に気付いた。


「これで――」

「終わりだ!」


 ツァーイが純白の剣(サンクチュアリ)を引き抜きながら、すぐさま二撃目の突きの態勢へと入り、イラも何が起きたのかを把握すると、右手の金の剣(ゴールドソード)をアワーの腹部を目がけて振るった。

 アワーが態勢を崩した事により、間接的にイラが鍔迫り合いを押し切る格好になっていた為に咄嗟に攻撃に転じる事は用意だった。そしてイラとツァーイの攻撃はあっさりとアワーに命中するかに思われた。


「そう簡単にやらせるかよ! 魔物化――魔術操る不死鳥(ウィジャフェル)!」


 しかしアワーは新たな魔物化を瞬時に発動させた。それによって疾走する黄金の獣(オールゲパルド)によって変貌していた金色の身体は、全く違う異形へと変化する。

 頭部は鋭い目つきと嘴(くちばし)へと変わり、全身のあらゆる体毛が羽毛へと変化をする。しかし最も大きな変化は右の背からは赤い翼を、左の背からは緑の翼が生やしている事だ。


「憎み狂う暴風(ヘイトヴァント)!」


 鳥人と呼ぶに相応しい新たな異形の姿に変貌を遂げたアワーは、すぐさまに一つの魔法を放った。

 放たれた魔法は風属性。まるで黒衣を纏っているかのような漆黒の暴風がアワーを中心点として発生し、挟撃を試みていたイラとツァーイをそれぞれ正反対の方向へと吹き飛ばし、当然二本の剣がアワーに命中する事はなかった。



「そんな……これ程の魔法が無詠唱で出せるなんて……。」


 未だ自分に残された魔力を光属性の治癒魔法へと変換させ続けてファクトの治療に注力していたフェアリだったが、突如として巻き起こった風の魔法を遠目にポツリと呟かずにはいられなかった。

 ファクトの治療に意識の殆どを向けていたフェアリは戦況の確認が、ややおざなりにはなっていた。

 自分の残り少ない魔力を振り絞るかのように、それでいてファクトが回復する前に自分の魔力が枯渇を起こさないように、細心の注意が必要だったからだ。


「(強い憎しみの感情。一体何があったらこんなにも大きな力に……。)」


 それでも戦いの中で発動したアワーの魔法に秘められた魔力が如何に強力なものなのか、そして魔法の想像(イメージ)に込められた負の感情がどれ程のものなのか、半妖精人(ハーフエルフ)であるフェアリにはそれが理解出来た。


「イラさん、ツァーイ、どうかご無事で……。」


 先の戦いでアワーの力の一端を思い知らされていたフェアリは、本当ならばすぐに二人の下へ駆けつけたいと思っていた。

 例え自分の魔法が通用しなくても、魔力が尽きたとしても、弓矢等の武器を使用して多少の注意を逸らす分には、まだ戦うだけの力は残っているから。

 それでも今は二人を信じてファクトの治療に集中をしないといけない。ここまでの治療でファクトの一命は取り留める事が出来たと思えるまでには回復している。けれどファクトは意識を失ってしまっており、そんな状態の彼を放置する事は出来ないでいた。

 それに一命を取り留めたとは言っても、全回復とまではなっていない。もう少し魔法での回復をしなければ、すぐにでも危険な状態に戻ってしまうかも知れないとフェアリは不安を抱えていた。



「危ない、危ない……まさかまだ仲間がいたとはな。不意打ちと疾走する黄金の獣(オールゲパルド)の耐久低下を込みしても、冒険者風情が俺にダメージを与える事が出来るとは思ってもいなかったぜ!」


 魔法により発生した暴風に吹き飛ばされた先でイラとツァーイがそれぞれ立ち上がっている様子を代(か)わる代(が)わる確認しながら、アワーが大げさに宣言をしながらも狂喜の笑みを浮かべていた。

 貫通されてこそいないが、ツァーイが突き刺した一撃は決して無視出来るダメージではない筈だ。なのにアワーは狂ったように笑い続けている。

 一方でアワーを中心点に正反対側に吹き飛ばされた二人は咄嗟に受け身を取る事は出来ていたが、決して少なくはないダメージを負っていた。

 ツァーイは一見すれば殆ど無傷のようにも見えたが、イラは身体をよろけさせており、目に見えて先程までの勢いが削がれている。

 それでも二人は自分の剣を構えながら、アワーに対して最大限の注意を向けていた。


「さてと……折角の楽しいゲームだったが、俺に一撃を加えれた事に免じてそろそろ終わりにしてやるよ。背後のフード野郎は最後のお楽しみにするとして……まずは疾走する黄金の獣(オールゲパルド)の速さに対抗出来るお前から殺してやるよ!」


 そう宣言するや否やアワーは背に背負った二本目の大剣を引き抜き、二刀の大剣を携えてイラへと向かって行く。それも走り出したのではなく、背に生えた二翼で宙を滑空しながら。


「(大剣の二刀流……! なら――)氷壁よ、全てを阻め! 氷壁(アイスウォール)!」


 イラとアワーの武器は同じ二刀流ではあるが、片手剣のイラには大剣のアワーの力を真っ向から受け止める術はなかった。先程まではアワーが手を抜いていたと言うのと、大剣の使用が一本だったからこそどうにかなっていたが、二本目の大剣を引き抜いてゲームを終わらせると言ったアワーの本気には勝てないと言う判断だ。

 だからイラは咄嗟に魔法を発動させ、自分とアワーの間に巨大な氷の壁を作りだした。フェアリからアワーが魔法を壊されると聞いてはいたが、氷壁(アイスウォール)は攻撃の魔法ではなく、防御の為の魔法。最終的に壊されるのだとしても、僅かでも時間を稼げるのなら問題はない。


「くっくっく、壊される前提の防御魔法か。攻撃に魔力を使うよりかは、悪くはねぇ。精々足掻いて見せろよなぁ!」


 アワーは目の前で発生した氷壁(アイスウォール)に向かって二刀の大剣を振るい、それらをいとも簡単に破壊し、そのまま目の前にいる筈のイラへと襲いかかろうとした。

 しかし氷壁(アイスウォール)を発動させた時には、そこにいた筈のイラの姿は忽然と消えていた。


「……っと、か(・)く(・)れ(・)ん(・)ぼ(・)をしようって言うなら無駄だぜ。憎み(ヘイ)――」

「させない!」

「ちっ……」


 動きを止めて宙に浮きながら周囲を軽く見渡したアワーは、イラがの姿がどこにも見えない事を確認すると魔法で再び漆黒の暴風を発生させて周囲を吹き飛ばそうと画策したが、それを阻止するようにツァーイが背後から斬りかかる。

 最初の憎み狂う暴風(ヘイトヴァント)で吹き飛んだ直後にアワーがイラの方へと滑空して行ったのを追いかけて来ていたのだ。

 アワーはその攻撃に反応をすると魔法の詠唱を中断して右手の大剣を背後に向かって振るい、斬撃を受け止めた。

 故郷を飛び出してからずっと愛用し、最も使い慣れた愛剣である純白の剣(サンクチュアリ)による一閃。それをアワーが軽々と防いだ事に驚きながらも二つの剣がぶつかり合った瞬間、ツァーイは目の前の男が放つ異様な力を強く感じ取った。

 感じた力は二つ。一つはファクトからも感じている力と同質のものだが、それよりも遥かに禍々しく、怨嗟の声さえも聞こえて来そうな力。恐らくは魔人(ヴァンディム)の種族としての力。或いはアワーが宿している魔物化の力だろう。

 そしてもう一つ感じた力の方がそれよりも遥かに重々しく、黒々と感じる程に危険な力だと感じていた。

 それはツァーイが今までに一度も感じた事がない程に異様で、異質で、異邦で、異形でありながらも、どこか神々しくさえ感じられるドス黒い力。

 その力を感じた瞬間にツァーイの脳裏に一つの思考が浮かび上がった。『この力は世界に存在してはいけない。存在そのものが悪である。』と。

 何故そんな思考に至ったのか、それはツァーイ自身にも分からなかった。けれど思考――或いは心のどこかから弱々しくもハッキリと訴えかけてくる何かを感じ取っていた。


「その黒い力は一体何なの? どうしてそんな力を……」

「ほう、この力を感じ取れるのか? 少しは出来るようだが、相手が悪かったなぁ!」


 互いの剣を振るいながら一進一退の攻防を繰り広げる二人。その実力差は見ようによっては互角にも見えたが、二本の大剣を団扇(うちわ)を仰ぐかのように軽々と振り回すアワーに対して、片手剣である純白の剣(サンクチュアリ)の強力なスペックに任せて必死に戦う姿のツァーイ。戦いが長引く程にツァーイが不利になるだろうと言う事は両者にも分かっていた。


「この力は死神に与えられた至高の力(スキル)が一つ、『強欲の加護』! この力によって俺が奪って来た命の力は、俺の物となるのさ。人だろうと、魔物だろうとな!」

「だから協会に指名手配される程に人を殺したって言うの……? それに死神……ってまさか、絵本の!?」

「はっ、絵本だって……? 俺があったのは正真正銘の死神だ。御伽話なんかじゃない、な!」


 戦いの中で不意にアワーが発した死神と言う言葉。それによってツァーイは自分にとって大切な絵本に出てくる魔王軍を操る諸悪の根源の死神を想起した。

 神が実在するかは別としても、この世界《リーネド・ムンリ》には神々の存在が人々の間で認識されてはいる。

 ツァーイの絵本に登場する女神と死神の様に御伽話として、或いは伝承や口伝、宗教。他にも様々な形で太古の時代に神々が存在していたと思われる話は各地に存在する。ツァーイは神々の存在自体に関しては深く考えていないが、絵本の話に関しては本気で信じている。

 それがこの世界(リーネド・ムンリ)なのか、別の世界なのか。どんな時代に起きた出来事なのか、当時を生き抜いた人達がどんな気持ちだったのか。全ては想像する事しか出来ないけれど、それでもツァーイは御伽話なんかではなく、現実の話だと強く信じている。

 だからこそ真面目な戦いの中で、御伽話の悪者である死神と言う言葉が発せられた事に少なからずツァーイは動揺してしまった。 

 これが普通の人であればアワーの発した「死神に与えられた力」と言う言葉は、にわかには信じ難かっただろう。けれど絵本の出来事を信じていたツァーイは、アワーの発した言葉を心のどこかで納得してしまっていた。

 今までに敵対したどんな存在よりも強い力を誇るこの男は、人の姿をしたこの魔人(ヴァンディム)は、絵本の中に登場した死神の手先である魔王なのだと。御伽話として伝えられている太古の時代に多くの人々を傷つけたその存在と、同格の存在なのだと。

 それ故に生まれてしまった一瞬の動揺が原因となって剣と剣のぶつかり合いに押し負けたツァーイは後退するが、アワーはその間合いを詰めながら左手の大剣を振り下ろそうとした。


「っ……フレイムボール!」

「俺に魔法が通じるかよ!」


 剣撃を弾かれたばかりのツァーイは、この一撃を剣で防ぐのは無理だと判断すると咄嗟に魔法で炎の球を放った。

 当然ながらアンチマジックのスキルを持つアワーの一振りで炎の球は掻き消されてしまったが、その間にツァーイは再び距離を稼ごうと、再度背後に大きく飛んだ。


「降り注ぎ、貫き、刺せ! 氷槍雨(アイシェザーランス)!」


 そしてツァーイの後退とほぼ同時に近くの茂みに隠れていたイラの声が周囲に響き渡り、新たな魔法が発動した。

 それによってアワーの背後に数本の氷の槍が生成され、持ち手もいない槍達は意思を持ったかのようにアワーへと一直線に降り注がれた。


「ちっ、だから魔法は効かねぇって言ってるだろ!」


 しかしアワーが身体を半分だけ回転させながら、右手の大剣を背後に向けて振るっただけで、氷の槍は全て破壊され、勢いを失って地に落とされた。


「(やっぱり魔法じゃ倒せないか……でも!)」


 けれどイラとしてもこの結果は当然予想内の事だった。

 アワーがアンチマジックのスキルを有している以上、アワーの攻撃手段を全て無力化――例えば手足を使えないようにして剣や拳を使えなくするとか――しない限りは魔法で倒せない事は分かり切っている。

 だから氷槍雨(アイシェザーランス)はただの囮。ツァーイへの追撃を遅らせて、注意を引き付ける為だけの。

 魔法による遠距離攻撃が通用せず、接近戦でも武器の攻撃力に差があり、更には状況に応じた魔物化で自らの身体能力を変化させるアワーは、今までに自分達が戦って来た魔物とは比べる事さえ出来ない程の強敵である事をイラは理解していた。

 それでもファクトを傷つけて、フェアリを同じ目に合わせようとし、今尚自分だけでなくツァーイを傷つけようとするアワーをイラは倒す気でいた。

 今なら行ける! そう確信したイラは息を潜めて隠れていた茂みから飛び出して、二本の金の剣(ゴールドソード)を突き刺す為に一直線にアワーへと駆けだした。

 氷壁(アイスウォール)でアワーの目から自分の存在を隠した後、イラは近くの茂みに潜んでいたのだ。

 また、ツァーイがアワーとの攻防を引き受けていた最中に茂みの中を移動し続け、そして氷槍雨(アイシェザーランス)の発動によってイラが潜んでいたその場所をアワーの死角となるように誘導していた。

 声も上げずに無音のまま走り出し、両手から突き出した二本の金の剣(ゴールドソード)は、格上の存在であるアワーの命を刈り取る――筈だった。


「手前(てめぇ)の考え位、お見通しなんだよ! 魔物化――触手を携えし蜂(ホクトビー)!」


 二本の金の剣(ゴールドソード)が突き刺さる寸前にアワーは新たな魔物化を発動させ、それによってアワーの姿は新たな異形へと変貌した。

 全身が暗い赤色でテカテカと光りだし、ヌメヌメとした質感は見ているだけで思わず背筋がゾワリとするような不快な感覚を覚える。

 けれど真に異質なのは、アワーの尻にあたる部分から身体と同じ暗い赤色の八本の触手と、紫色の一本の短針が現れている事だろう。

 その姿を露わにすると同時に八本ある触手の内、四本がイラの方へと向かって来た。


「なっ……このっ!」


 自分の考えが読まれていた事に驚きながらもイラは両手の金の剣(ゴールドソード)で向かって来た触手を斬り落とそうとしたが、剣を振るうよりも先に四本の触手がそれぞれイラの両手と両足を縛り上げ、瞬く間にイラは身動きを封じられてしまった。



「イラ……!」

「させるかよ!」


 後退の為に飛び下がっていたツァーイは、突如として目の前で繰り広げられたイラとアワーの攻防を目にしながら、叫んでいた。

 そうしてようやく地に足を付けたツァーイは、イラの下へと駆け寄ろうとした。だが、アワーが残していた四本の触手をツァーイの方へと差し向けて、ツァーイは捕まらないようにそれらを避ける事に注力せざるを得なくなってしまった。


「くっ……こんな触手を相手にしてる場合じゃないのにっ……!」


 代わる代わると絶え間なく自分を拘束しようとする触手から間一髪の所で回避をし続け、同時に純白の剣(サンクチュアリ)で触手を斬り落とそうと斬撃を繰り出し続けるツァーイは、早くイラを助けに行かないといけないのにと言う焦燥感に駆られながらもどうしようも出来ないでいた。

 普通の触手なら、それが木々であろと鉄の鎖であろうと、純白の剣(サンクチュアリ)の力なら強引に断ち切る事が出来る。

 けれどアワーが操るこの触手が全身がヌルヌルとしていて、それが自由自在に動きながら襲いかかって来るものだから、純白の剣(サンクチュアリ)と言えども上手く斬り落とせなかったのだ。

 それでも僅かに斬り口を付ける事は出来ているので、いつかは斬り落とせるだろう。だけどその前にイラは――そう考えるとツァーイは己の無力感を恨む事しか出来なかった。



「さて、と。これでしばらくは邪魔も入らないな。一人は倒れ伏し、一人はその治療をして、もう一人もすぐには助けに来れない。……それとも、まだお仲間がいるのかな?」

「くっ……」


 四肢の全てを封じられて身動きを取れなくなったイラに対して、両手に大剣を握っているアワーが一歩一歩と近づいて来る。

 けれど残る四本の触手をツァーイの足止めに使いながらも、周囲を警戒する様子のアワーには、戦闘の始めに感じられたこちらを見下してわざと油断しているような気配は一切感じられなくなっていた。代わりに感じられるのは先の宣言通り、本気で自分を殺そうとする殺意や悪意のようなドス黒い感情だ。

 そんな黒い感情を向けられたイラは背筋が凍るような恐怖心に襲われたが、それでも抵抗を諦めようとはせずに、全身を捩じらせながらどうにかして触手の拘束から脱出しようとしていた。

 しかしイラの思惑とは異なり、触手の拘束力は徐々に増して行く一方で、イラにはどうする事も出来ないでいた。


「散々手間を取らせてくれたが、まずは一人。これで死んじまいな!」


 そして遂にイラの目の前まで迫ったアワーは、身を捩じらせて睨み付けて来るイラに対して右手の大剣を心臓に狙い定めて一刺しした。


「かはっ……!」


 イラには何が起きたのかが分からなかった。

 アワーがこちらへ剣を差し向け、次の瞬間には脇腹に激痛が走る感覚に支配された。


「(痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い!)」


 かつて感じた事の無い程の痛みの感覚が一瞬で全身に悲鳴を上げさせ、すぐさまに思考が終わりの見えない痛みの連鎖に囚われる。

 それもその筈で、記憶喪失のイラはツァーイと出会う以前に受けた痛みの記憶を何一つとして覚えていなかった。

 また、ツァーイと出会ってからは魔物の討伐を日々行う事となったが、最初から最低限の戦闘手段を有していたイラは魔物の攻撃による危険を悉く回避して来た。更に言えば危険がイラの目前まで迫って来ても、高レベルの冒険者であるツァーイがその全てを過剰なまでに防いでくれた上に、かすり傷等の多少のダメージを負ってもツァーイが魔法ですぐさまに回復してくれた。

 唯一危険を感じた狂暴化した雷毒の大蛇(カレントバジリスク)や、魔物化の力を暴走させたファクトとの戦闘でさえも、ツァーイの剣やフェアリの魔法によって守られたお陰で、魔力の枯渇を引き起こしたものの致命的な一撃を受けるには至らなかった。

 つまりイラが覚えている限りで明確な痛(・)み(・)を負うのは、これが初めての事だった。

 これまでの旅で多少なりとも大きな痛みを負う経験をしていれば、僅かなりとも耐える事は出来たかも知れない。だけどツァーイがイラに提供してくれた――冒険者としては――過剰なまでに過保護な待遇が裏目となってしまい、初めて感じる抑えの効かない痛みが致命傷は、イラには我慢の出来るものではなかった。

 痛みに耐えきれなかったイラは、無意識の内に両手に握っていた二本の金の剣(ゴールドソード)を握り続ける事も出来なくなり、二本の剣が地に落ちてガシャリと音を立てた。

 刺された場所からは血がドロリと流れ続けており、視界も徐々にぼやけて正しく認識が出来なくなっていく。


「おい、おい、おい。無駄な足掻きをするんじゃねぇよ。そんな風に動かれちまうと、心臓を突き刺せないじゃねぇか!」

「そんな、嘘でしょ、イラ……いやああああああああああっ!」


 唯一正常に機能をしているらしい聴覚が、自分にこの痛みを与えた男の高笑いと、遠くから自分にとって他の何よりも大切な少女が悲痛な声を上げたのを伝えてくれる。

 けれど痛みに耐える事も出来ず、痛みの原因となる傷跡を中心に全身がヒンヤリとしていく感覚に包まれたイラは声を上げる気力さえ残されていなかった。

 アワーに対して強気な態度を取る事も、ツァーイに対して大丈夫だよ、と安心させる言葉を伝える術も残されないままに、イラは痛みに苛まされながら自分の意志で身体を動かせなくなっていくのを感じていた。

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