記憶三十三―共闘、それは新たな発見―
その日のクエストは、とても順調だった。
僕達とファクト達の集団が合併してから初めての共同作業と言う事で、ツァーイとファクトが話し合いながら大量のクエストを受注して来た。
より具体的に言うならば受注クエスト数は三十六。その全てが魔物の討伐系クエストで、合計討伐数は何と二百九十八体。かつてファングの高原で九十九匹のウルフを一日で討伐させられた事があったけど、あの時の約三倍の討伐量だ。
それを傍目に僕だけが初めは「この量を今日中に終わらせれるのかな……」等と不安に思っていたのだけど、そんな心配はどうやら杞憂だったとすぐに理解出来た。
「やあっ!」
「はああぁっ!」
「ゴオオオオォォォンン……」
理由はツァーイとファクトが集団の前衛に立って、それぞれ片手剣と大剣で魔物を次々と攻撃して、討伐していったからだ。
「イラ! 一体そっちにいったから、時間を稼げ! フェアリはイラの援護を!」
「分かった!」
「うん。任せて!」
勿論僕やフェアリもその光景を傍観しているだけではない。前衛組みの暴れっぷりを見た魔物の一部が逃げようとしたり、逆に二人の死角に入り込もうとしたり、そう言ったちょこまかとした動きをする個体もいた。そう言った敵を後衛のフェアリが弓矢や魔法を駆使して迎撃している。
一方で僕は、と言うと前衛組の二人と後衛のフェアリの中間地点に陣取っている。強いて言えばややフェアリに近い位置だ。
前述した小細工をしかけてくる個体の中には前衛の二人はヤバいと判断してなのか、前衛組みをすり抜けて僕やフェアリを狙って来る魔物たちもいる。
そう言った魔物の間合いにフェアリが入ってしまうと危険だと言う事で、僕は近づいて来た魔物を銅の剣で斬り伏せる。無論一撃で倒せる訳ではないので、大勢の魔物が一気に来た場合はフェアリの方へと行かせないように時間稼ぎをするような戦い方をする。そうすればフェアリの援護で魔物の数は次々に減って行くし、前衛組みが戦いを終わらせて助けてくれる事もあった。
また逆にフェアリに向かって来る魔物がいない場合は、彼女と一緒に弓矢や魔法を使って前衛組みの援護に専念をする。もしもその最中に魔物がこちらへと向かって来たら弓矢をしまい込み、剣に切り替えて戦う。剣に切り替えるだけの隙がなければ、拳や足で殴ったり、蹴ったりしながらタイミングを見て剣を抜く。
僕自身は三人と比べてしまうと、とても弱い。けれど弱くても弱いなりに長所が無い訳じゃなかった。
一つ目は剣、弓矢、体術、氷魔法。と戦況に応じて多種多様の戦い方を切り替えて、臨機応変に立ち回れる事。
魔法の扱える属性数は別として、これだけ様々な武器を扱えるのは僕だけだった。次いでフェアリが弓矢と細剣、投げナイフと武器数が同数ではあったけど、フェアリは細剣を使おうとはしないので実質弓矢と投げナイフの二つだけと同意義だ。
二つ目は氷魔法。集団メンバーである四人の中で、氷属性の魔法を扱えるのも僕だけだった。
ツァーイは炎と光。ファクトは雷と闇。の各二属性を扱える。そしてフェアリは驚くべき事に水と風と土と光の四属性を扱える。
フェアリが全八属性の内四属性も扱えるのは半妖精人と言う種族が少々特殊だかららしい。なんでも太古の時代には八属性全てを操る半妖精人がいたとか。フェアリ曰く「あくまで伝説ですし、一説によればその事を恐れた人間や妖精人によって半端者の差別が始まったらしいですけどね……。」との事。
確かに人間にしろ、他の種族にしろ八属性の内、どれに適正があるかは生まれた時点で決まってしまうらしい。そしてその事実は努力では決して埋められない。変えられない。なのにその全てを『生まれ持った才能』の一言で済ませてしまう。それも半妖精人だけ。
なるほど。確かに嫉妬や畏怖を覚えてしまうのも分からなくはない。分からなくはないが、だからと言って何も差別する事はないだろ。人間も、妖精人も、本当にそんな事で半端者差別を始めたのだとしたら最低最悪すぎるよ。あくまでも種族と言うか、そういう事を始めた連中や、それを良しとした連中が。だけど。
何はともあれ、そんなフェアリでも氷属性の魔法は扱えなかった。もしかしたら今後残りの四属性の適正が開花して、その伝説の半妖精人のように八属性を操るような事になるかも知れないけれど、少なくとも今は氷属性を扱えるのは僕だけだった。
とは言ってもタイガの森に現れる魔物は風属性と土属性が殆どだ。風と土に氷は相性が不利なので、この地では活躍の機会も殆どないだろうけど、これから他の土地に行った時に氷属性の魔法が頼られるような事もあるかも知れない。
一応は雷属性のカレントバジリスクが現れたので、例外的に別属性の魔物が現れる可能性がゼロではないのだろうけど。あんな化け物の相手は出来ればそう頻繁にしたくはない。お陰でツァーイが安住の地を探したいって思い始めて気持ちも少しだけ理解が深まった気はするけれど。
話を戻して、僕はこれらの自分だけの強みを活かす為に隊列の中央に配置されていた。本当はツァーイと同じ場所で戦ったり、ツァーイよりも前に出て彼女を守りたいとも思っているけど、今の僕では前衛をこなすのは力量不足だから仕方がない。
と言うのもタイガの森は全六層から成り立つダンジョンな訳だけど、ダンジョンと言うのは協会が定めた危険区域であり、魔物の縄張りとなっているこの地では多種多様な魔物がそれぞれに生息地域を定めている。
第一層では昨日も僕とツァーイが戦ったフォレストウルフとフェザーバード。第二層ではキノコに擬態しているマシュノコ。第三層では木に手足が生えたようなウッドリアン。第四層では大きな蜂型魔物のビッグビー。第五層では叫び声が煩いマンドラゴラ。第六層では岩のような巨体を持つストーンゴーレム。
カレントバジリスクの様な別種の魔物がが極稀に現れる事もあるが、このタイガの森に生息している魔物は大体こんな感じだ。
この中でも僕が前線に一人で立ったとしたら、一対多で善戦出来るのは第二層までだろう。第三層のウッドリアンは一対一なら勝てると思うけど、一対二では時間稼ぎが関の山。一対三になろうものなら少しずつジリ貧になって殺されるだろう。
更に言うならば第四層のビッグビーは第一層のフェザーバードよりも手強い空中戦を強いられるので、そもそも僕の魔力量では前衛に立ち続ける事自体が困難だ。弓矢での援護に専念するならば前衛は不向きだし。
第五層以降では単純に敵が強くて一対一での時間稼ぎすら困難になる。逃げ回るだけなら簡単に殺されない自信はあるけれど、まともに戦ってしまうと確実にやられる。絶対に死ねる。
けれどファクトが言った通り、一体だけ前衛組みの隙を見つけて突破して来た魔物がこちらへと来る。
現在僕達がいるのはタイガの森の第六層。――つまりこちらへと向かって来る魔物とは、ストーンゴーレムだ。魔物にも人と同じで個体差と言う物が存在しているようで、ストーンゴーレムは最低でも二メートル、巨大な個体なら四メートルまでが確認されていると言う。
目の前に迫って来る個体は二.四メートル程のやや小ぶりな個体だ。ストーンゴーレムはその名の通りに岩の様な物で出来た身体の生物だ。僕の持っている銅の剣や木の弓&木の矢と言った初心者冒険者御用達の装備では、普通に攻撃するだけではビクともしない。精々威嚇して、注意を引き付ける程度の効果しかない。
カレントバジリスクを目の前にした時にも思ったけれど、こういった硬い身体を持つ相手と戦う際には自分の力量不足がどうとか、レベルや冒険者情報が低いからとか、そう言った事よりも単純に武器の品質や相性が問題なのではと思ってしまう。
だからと言って今すぐに高性能の武器を買い揃えられるだけのお金は持ち合わせていない。ファングの街で稼いでいた分は木の弓&木の矢を買うのにほぼほぼ使い果たしたし、昨日稼いだ分だけでは当然足りなかった。
それでも今日は膨大なクエスト数を受注したし、普段より稼げるのではないかと期待してしまう。
報酬の合計金額をファクト達と五割ずつ山分けする。リベルーチェ(ギルド)側の五割が三:一:一の比率でリベルーチェ、ツァーイ、僕の取り分として分配される。
個人的な分配率としては普段の二割から一割に減ってしまっている。しかし受注したクエストの量が普段の数倍あるので全体的な報酬量は格段に増えている筈だ。
今日の稼ぎによっては剣の新調を考えよう。最低でも百Gはする属性付きの魔装は無理にしても、銅の剣の上位互換である銀の剣や金の剣なら買えるかも知れない。今日中には無理でもフォレスタウンに滞在中には手が届くかも知れない。
「氷塊よ、敵を討て! 氷塊球!」
頭の隅っこでそんな事を考えてしまいながらも、意識はちゃんと目の前の敵に向けて魔法を放つ。剣も弓矢も効かない上に、あんな硬い身体に殴りかかっても効果が薄い所かこちらの手が痛むのが目に見えているので、魔法で戦うしかない。
ツァーイのフレイムボールよりも一回り小さいサイズではあるけれど、魔法の発動によって現れた氷の球が狙い通りにストーンゴーレムの顔に命中をした。土属性のストーンゴーレムに氷属性の魔法は相性が悪い。だけど全く効果が無い訳じゃない。
岩の様な巨体故に冷たいとかは感じていないかも知れないけれど、顔面に勢いよくぶつかった氷の球によってストーンゴーレムが一瞬だけよろめいた。決定打にはならないし、倒す事も出来ない。だけど隙を作って時間稼ぎをするだけならこれで十分だ。
「ビューンっと切り裂いて! ヴァンクーペ!」
続いてフェアリがよろめいて隙だらけになっているストーンゴーレムに、風属性の魔法で攻撃をしかける。発生した風の衝撃波をまともに受けてしまったストーンゴーレムは、一瞬で胴体が上半身と下半身が真っ二つにされてしまい、動かなくなった岩の様な巨体がゴロゴロと音を立てながら無数に崩れ落ちていく。
属性上の相性が良いと言う事もあるのだろうけれど、フェアリの魔法は威力が段違いだ。妖精人の血を引いている者は魔力が他種族よりも優れているとツァーイは言っていたけど、僕とフェアリの魔法の差は、それだけじゃない気もする。
フェアリだけじゃない。ツァーイやファクトも同じように魔法を扱っているのに、僕だけが魔力の消耗量が多いのは、一度に連続して扱える魔法の限度が低いのは、何故だろう? もしかして僕の魔法の扱い方が何か違ったりしている?
だけど、考えても違いなんて分からない。目の前では崩れ落ちて物言わぬ岩となったストーンゴーレムが黒い靄となって消滅していく。やがてストーンゴーレムが完全に消滅をすると、討伐報酬だけが残された。
それを確認し終えてから前方を見る。ツァーイとファクトの猛攻で四体のストーンゴーレムがほぼ同時に消滅し、ひとまずの戦闘は終わったようだ。
「イラ、お前の戦い方は何か変だ。」
その日の帰り道。無事に受注していたクエストの全てを完了し、夕暮れの道を歩いていると唐突にファクトから声をかけられた。
「ファクト! 言い方が直球過ぎるよ! ごめんね、ファクトに悪気は無い……筈なんだけど。」
「大丈夫だよ、フェアリ。ファクトの事も少しずつだけど、分かって来たから。……それで戦い方が変ってどういう事?」
「……変と言うか、妙? おかしい? ……とにかくイラの戦い方に違和感を感じた。」
フェアリに抗議をされたからか、言い回しを考えながらもファクトは語りを続ける。
「恐らく剣の腕だけで言えば、イラの実力はツァーイに匹敵している。……それに弓矢の腕もフェアリに匹敵している筈だ。魔法の効力も悪くはない。……それに昨日俺が暴走をしていた時にもダークネスを軽々と振り上げていた。もしかしたら大剣の扱いも俺に匹敵しているかも知れない。」
ダークネス? ああ、もしかしてファクトが持っているあの漆黒の大剣の事だろうか。……ってそれよりも――
「え? いや、いや、いや。そんな訳ないよ。だって僕はツァーイ達と比べても弱いよ? もしファクトの言う通りなら、昨日のカレントバジリスクにしろ、今日の魔物達にしろ、もっとこう……皆みたいに、前に出て戦ったりとか、カレントバジリスクやストーンゴーレムに攻撃を弾かれたりせずに、もう少し簡単に倒せた筈だし……。」
この人は一体何を言っているんだ。そう思いながら、ファクトの言った言葉を否定する。
「それだ。お前は剣の腕も弓の腕も決して悪くはない。……なのに冒険者情報自体は俺達より低い。理由は単純で、イラのレベルが低いから。」
僕達四人は今朝の道中でお互いの冒険者情報を証明書を見せ合うと言う形で公開し合っていた。
レベルは僕が十八、ツァーイが四十六、ファクトが四十二、フェアリが三十八だ。
最もレベル差があっても魔力の数値はフェアリが一番高かったし、ファクトは魔物化を使えば昨日の出来事のようにツァーイを圧倒する実力もある。また人によって扱える魔法の属性や、使い慣れている武器も異なるので、あくまでもレベルは目安でしかない。
だけどツァーイとファクトのようにレベル差が僅かにしかなかったり、フェアリの様に種族として得手不得手がハッキリとしている。そういうのと比べて僕と皆のレベル差はかなり大きい。一番近しいフェアリとの差でさえ数値上では二十もある。この差を縮めて、ツァーイや皆に追いつくまでにどの位の時間が必要なのかと考えると、気が滅入りそうになる。それ位には絶望的な差なのだ。
「それにお前の扱う武器は何れも初心者用の低スペックな物ばかりだ。」
「……割とグサグサ来るね。確かにレベルが低いのも、武器が貰い物や安物なのも事実だけどさ。」
銅の剣はツァーイから譲り受けた予備の武器で、木の弓&木の矢はフォレストタウンで購入した一番安かった弓矢だ。
丁度今日の戦闘中に新しい武器を買えないかな? とか考えていたしね。ファクトが言っているのは本当の事なんだけど、何かこう遠慮みたいなものがないから、少しだけ胸が痛くなる。
だけどファクトの言葉は事実で、ツァーイの剣も、ファクトの大剣も、フェアリの弓矢も、どれもが僕の武器とは異なって立派な物だ。白くて綺麗なサンクチュアリ、黒くてカッコイイダークネス。美しくも凛々しい白銀の弓。
いつかもっと稼げるようになって、僕も皆の仲間として恥ずかしくないだけの装備を買えるようになりたい。武器のスペックだけが全てではないにせよ、強力な武器を入手出来ればそれだけ皆の力になれるのは事実だ。
「……悪いな。嘘が付けない性質なんだ。それで話を続けるけど、お前を一見しただけでは、どこからどう見ても成りたての初心者冒険者にしか見えない。なのに武器の扱い方は俺達に匹敵している。魔法の威力も申し分がない。」
「でもそれってイラがマルチウエポンのスキルを持っているからじゃないの?」
それまで会話を黙って聞いていたツァーイが割り込んで来た。マルチウエポン。僕には二つのスキルがあって、一つは現状能力や発動条件と言ったスキルの内容が不明になっている所謂『アンノウンスキル』。
そしてもう一つが『マルチウエポン』と言って、『全ての武器を使用する事が出来る』と言うものだ。このスキルのお陰なのか、記憶喪失の僕でも剣や弓矢をいきなり実践に用いる事が出来た。
「……そうかも知れない。まあスキルの影響かどうかは置いといて、とにかくイラの剣術や弓術は俺達と同レベルの筈なんだ。……だがその一方で剣を使う際に左手を遊ばせていたり、魔力の消耗量が多過ぎるように感じる。」
「あ、魔法については私も気になってたよ。イラさんが魔法を放つ時に魔力の流れを見ていたんだけど、何か魔力の流れ方が普通じゃなかったんだよね。……何か、こう、ボワーっと来て、ガガーっと一気に流れている様な……。」
妖精人や魔法人と言った魔法や魔術を得意とする種族は、自分や他者の体内で活動をしている魔力を目視出来る。その為に強い魔法を放つ時に膨大な魔力の流れを視る事で、その発動を察知する事等が出来るとか。
それは妖精人の血を半分だけ引いている、半妖精人のフェアリにも備わっている力だ。
「……つまり、どういう事?」
「そうだな。言いたい事は色々とあるんだけど、端的に言えば初心者冒険者にしては強すぎる。熟練冒険者にしては装備がお粗末な上に、レベルが低すぎる。……何と言うか、チグハグなんだ。」
「……それは私も分かるかも。確かにイラって私が同じレベルだった頃よりも強い気がするんだよね。それに出会ったばかりの頃は本当に何も知らなかったのに、最初からレベルが十三もあったし。それなのに最初は丸腰だったし、だけどウルフを殴ったり、蹴ったりして倒してたし。」
ファクトの発言にツァーイが同意しながら呟いた。
冒険者として証明書を発行したり、協会に冒険者情報を公開して貰わなくとも本人の冒険者情報は変化し続ける。魔物と人を問わず戦闘を繰り返していれば、冒険者でなくとも自ずとレベルは上がっていく。冒険者用紙や証明書はあくまでも、それを可視化して冒険者情報として数値に書き起こしているだけなのだ。
だから僕が記憶喪失になる以前にレベル十三相当の場数をこなしていれば、最初からレベルがある程度高かった事自体はおかしくない話だ。
ただツァーイの言う通りレベル十三相当の場数を踏んでいるにも関わらず、僕は最初丸腰だった。いや、丸腰と言うかもう手ぶらだったのだ。武器はないし、薬草や食料の類もなければ、お金もない。着ていた衣類の他には何一つ自分の物を持ち歩いていなかった。ツァーイのお陰で旅をする事に関しての知識と経験を得た今では、一人旅をしていたにしても何ともおかしな話だと思う。
ならば複数人で旅をしていて、荷物は仲間の誰かに預けていたのでは? そう考えても、おかしな点はある。仲間がいたのなら何故僕は一人でお昼寝をしていたのか? 仲間がいるのなら、一人位は近くで見張っていたとしてもおかしくない筈だ。
更に付け加えるならファングの高原にも、ファングの街にも僕を知る人はいなかった。少なくとも僕はツァーイ達のようにローブやフードで自分の正体を隠そうとはしていないので、もしも記憶喪失になる以前に僕の仲間がいたのなら、その人達と一度でもすれ違ったのなら、声をかけられる機会はあった筈だ。だけど協会でも街中でも僕を呼び止めようとする人はいなかった。だから誰かと旅をしていたと言うのも、多分違うのだろう。
昔の事を思い出したい訳ではないし、何となく考えてはいけない気がするというのも最初に目覚めた時から変わってはいない。だけどこうやって考えてしまうと、以前の自分は何者で、一体どこから来たのか、何故ファングの高原に一人でいたのか、ツァーイと出会えたのも本当に偶然なのか。気にならない訳ではないし、少しだけ気になってしまうし、知っておきたいと思わなくもない。けど、しかし、『思い出してはいけない』と心のどこからか警鐘が響いている気がしてならないのだ。
もし以前の記憶を思い出してしまったら、僕はどうなってしまうのか?
もしかしたら逆に記憶を失った後――ツァーイと出会ってから――の記憶を忘れてしまうのでは? そうでなくてもツァーイの傍を離れなきゃいけないような理由が実はあるのでは? 或いはツァーイを嫌いになってしまうような事があったら? 他の人達みたいにツァーイを【蒼い疫病】だと恐れて、嫌って、彼女の敵になるような事が絶対にないと断言出来るのか?
他にも理由は幾つかあるし、それら以外にも忘れている記憶の中にこそ『思い出してはいけない』と思っている本当の意味があるかも知れないが、何れにせよ『昔の事が気になる』以上に『思い出したくない』という気持ちの方が強いのだ。
「……まあ確かに不可思議な点はあるかも知れないよ。でも記憶喪失なんだから、どうしてそうなっているのか、なんて……分からないよ。」
思い出したくない。気にしてはいけない。心の中で湧き上がる思いを黙らせる為に、この話を終わらせようと少しぶっきらぼうな言い方をしてしまったかも知れない。自分でもこんな声が出せたのか、と少しだけビックリした。
「ああ。もし気にしてたなら、悪かったな。こっちもぶっちゃけ、イラがチグハグな理由自体はどうでも良いんだ。……気にはなるけどな。けど、したかった話はそこじゃないんだ。」
以外にもファクトは追及をしてこなかった。そして勿体ぶるかのように一拍間を空けてから言葉を続けた。
「なあ、イラ。今よりも強くなりたくはないか? 俺はお前がチグハグだって言ったけど、それはつまりチグハグになっている原因を修正してやれば、一気に強くなれるって事だ。」
それは僕にとって、とても魅力的な話だった。ずっと思い悩んでいて、それでも焦っては駄目だと自分を律して、だけどやっぱり悩んで、苦しんで、どうしようもなく欲していた物。
「……俺の目に狂いがなければの話だが、お前は間違いなく強くなれる。」
どう答えるかなんて、最初から決まっている。ましてやファクトは仲間なのだから、疑う余地はない。仮に上手く行かなかったとしても、何かしらの収穫はある筈だ。
少しでも強くなれるのなら、少しでもツァーイの力になれるのなら――それは今の僕が最も望んでいる事だから。




