記憶三十―依存、それは手放せない大切な存在―
何度も剣を振るい、それに応じてファクトが骨の腕を鈍器のように振り回す。足を引きずり、呻き声を上げる程度には体力を消耗している筈なのに、その一撃一撃はやはり重たい。それでも氷魔法を扱えるイラとは違い、ファクトの動きを止める術を持たない私達はファクトが正気を取り戻すまで戦闘に応じる事にした。
イラを守る為に。ファクトを助ける為に。或いは私やフェアリが嫌な思いをしたくないだけかも知れないけど。
「ェェ、アアアアッ、イィイイィ……。オオオオオォ、ッオオオオ……。」
イラが意識を失ってからどの位の時間が経過したのだろうか。冒険者になった時から……いや、故郷が滅んだ時から時間の流れが分からなくなるような体験は度々あった。
例えば両親や友達が死んでしまった時。
例えば【蒼い疫病】だと蔑まれて数々の石ころや罵倒を投げつけられた時。
例えば必死に抵抗をしなければ一瞬で死んでしまいそうな大型の魔物と不運にも遭遇してしまった時。
他にも沢山そういう出来事があって、何度も、何度も、何度も、数え切れない位にあったと思う。だけどイラと出会ってからはかなりの頻度でそう言う出来事が多発しているようにも思う。
イラと初めて出会った時。
イラに私の人前での様子がおかしい事を勘付かれた時。
イラが魔力の枯渇で倒れてしまった時。
イラに連れられてファングの街から逃げ出した時。
今日だってフェアリを助けようとして、放っておいたら一人で突っ走ろうとするし、下がっていてって言ったのにカレントバジリスクとの戦闘中に私を助ける為に前線まで来ちゃうし、時間稼ぎをすると言ってファクトに挑んで行った時だってそう。
彼の一挙一動で簡単に心が揺さぶられて、動揺して、ドキドキして、嬉しいとか、不安だとか、色んな感情が混ざり合ってゴチャゴチャしてしまう事もあれば、時に生きた心地さえしなくなる。
そして、今、この瞬間もそうだ。もし私が一人だったらファクトを殺すか、一人で逃げ出すか、いずれにしても強引に切り抜けたと思う。だけど、そうじゃない。目の前にいるのは討伐対象の魔物ではなく、生かさなくてはいけない人だし、背後には私にとって最も大切な人がいる。
殺してはいけない。逃げてはいけない。ファクトが正気に戻るまで、この場で戦闘を引き延ばさなくてはいけない。
それも出来る事ならイラが目覚めるまでにだ。もしイラが意識を取り戻した時に戦闘が続いていたら、彼はきっとまた無茶をする。そうしたら今度こそ死んでしまうかも知れないし、魔力の枯渇を恐れずに魔法を暴走させるかも知れない。それだけは絶対に駄目だから。
サンクチュアリと骨の腕が何度もぶつかり合う音が、命のやり取りだと言うのにも関わらず、どこか心地良く耳に残る。
合間にフェアリが魔法を放つ。風の衝撃波を飛ばし、光の障壁を張り、時に痛みを和らげる癒しの光を発してくれる。
私も隙を見つけては剣を振るう片手間に魔法で炎を放つ。勿論殺傷能力が低めの魔法に限定してだけど。
どれ程剣を振るったのか。どれ程魔法を行使したのか。どれ程時間が経過したのか。自分の体力や魔力の残量に目途を付ける事は出来ても、過ぎ去っていく感覚は分からなかった。とにかくその位は私も、フェアリも、必死だった。
ファクトと鍔迫り合いになりながらも、それを一蹴して生まれた僅かな隙間時間を使ってフェアリに呼びかける。
「はぁ……はぁ……フェアリ、魔力はまだ大丈夫?」
「はい……。半妖精人は魔力の多さだけが取り柄、です。から。」
その言葉がとても頼もしかった。
奇しくも今日からイラが弓矢を使い始めて、タイガの森の一層でクエストをこなしている間にも役割分担の重要性と言うのは分かったつもりになっていた。……けれどこれだけ魔法を際限なく行使し続け、戦闘の補佐をしてくれる後衛がいてくれると言うのはそれとは違った心強さがある。
無論イラの援護が心許ないと言う話ではない。扱える魔法の属性にも、種類にも、種族としての特徴も、冒険者としての経験値も何もかもが違うのだから、一口に後衛のサポートと言っても役割が異なるのは当たり前だ。
「ツァーイさんは? もし危険なら――」
「まだ大丈夫だよ。」
それは強がりではあったかも知れないが、虚勢ではなかった。イラと出会うよりも前にもっと命の危険を感じるような戦闘を行った事が何度かある。だけど、今は、その時には感じられた絶体絶命だという感覚を感じてはいないからだ。
危機感を感じていない訳ではないし、一歩間違えれば生きて帰れない事も理解している。それでも少しだけ、本当に少しだけど、笑みが零れたような気がしてしまうのは、きっと一人じゃないからだ。
戦闘の終わりが曖昧なまま先行きが見えないでいるのに、守りたい人がいて、一緒に戦ってくれる仲間さえいてくれる。独りぼっちだったあの頃とは違うから。
「本当に、まだまだ大丈夫だから。」
そう言いながらサンクチュアリをしっかりと握りしめる。ファクトが弱ってきたとは言っても、相変わらずあの鈍重な一撃は健在だ。少しでも気を緩めれば、自らの――延いてはイラとフェアリの――命綱であるサンクチュアリを三度手放してしまうだろう。それだけは避けなくてはならない。
「アァッ、ィ……。……ェ、アアアァァアアァア、イイィ……。」
鍔迫り合いに負けて少しだけ吹き飛んでいたファクトが、意味不明な呻き声を上げながらこちらへと向かって来た。やはりまだ正気には戻ってくれないようだ。
少しでもイラから距離を取る為に、こちらからサンクチュアリを握りしめて向かって行こうと――
「ツァーイさん! 下がって下さい。」
――したのだけど、フェアリに止められてしまった。
「どうしたの? 後ろにはイラが……。」
「ファクトの様子が、何かおかしいんです。私を呼んでいるような気がして……。少しだけ私に任せて下さい。」
「……分かった。だけど少しでも危ないと思ったら、下がってよ。」
コクっと静かに頷いてから、ツァーイはファクトへと近づいて行った。私は恐る恐るその様子を見ている。ツァーイとファクトの付き合いがどの程度なのかは知らないけど、仲間である彼女が何かを感じたのであれば任せてみるのが良いと思えたからだ。
それでも今のファクトが危険だと言う事は分かっているので、何かがあった時に割って入れるようにと警戒だけはしておく。
「ウウウウ……ェ、アァアア、リィイイィ……。」
ファクトは足を引きずり、ヨタヨタと歩きながらも骨の腕を乱暴にぶん回しながら、相も変わらずに呻き声を上げていた。
人ならざる――まるで魔物のような――声に嫌悪感を感じもするし、その意味も理解は出来ない。いや、意味のある言葉を発しているのかさえ分からないのだけど。
「ファクト。私ならここにいるよ。」
そんな異形の存在へとフェアリは無防備にも近づいていく。一度も抜く事はなかった細剣は勿論の事、弓矢や道中に少し使っていた投げナイフさえもしまい込で、本当に無防備な状態だった。相手が本来なら戦う必要のない仲間だからと言うのも理由ではあるのだろうけど、私からすれば見ているだけでとてもハラハラしてくる状態だ。
だけど当の本人であるフェアリは笑っているようにも思えた。私の視点からだとフェアリは後ろ姿だか、声音から想像するしかないけれど。だから何となくだけど、少しでもファクトを安心させようとして笑っているように思えた。もしかしたら泣いているかも知れない……けど。
「ウウゥウ、アアァ……イイィイイ……。」
「うん。うん。大丈夫だよ。ちゃんとここにいるよ。」
フェアリの声に反応を示しているのか、ファクトは骨の腕を振り回すのを止めた。代わりに反対の腕――骨の腕とは異なり、普通の人と同じ腕――をフェアリに向かって向けながら重たい足取りを踏みしめながら向かって行く。
「ゥウウ、エエェエエ、アアアァ……イイィイ……。」
やがてファクトとフェアリの間に距離がなくなった。ファクトは目の前のフェアリに手を指し伸ばしたが――
「――ァ、アアァアアア……! イ、エ、ォッ……!」
途端に人の腕で骨の腕を押さえつけ、その場に蹲るファクト。相変わらず呻き声を上げているが、その声は先程までも弱々しくも感じる。それでいて、何か意味のある言葉にも聞こえる様な。何て言っているのかは分からないけれど。
そんなファクトを心配するフェアリは蹲っているファクトと背の高さを合わせるようにその場にしゃがみこんだ。
「嫌だよ……。もうファクトを置いて行きたくないの。ファクトが元に戻るまで、私も一緒にいるから。」
「……ウ、ェ、アァリ……。」
「だからさ、早くいつものファクトに戻って。一緒に帰ろうよ。」
まるで子供に言い聞かせる母のように、優しく、それでいてしっかりと響く言葉で語りかけるフェアリ。
そんな彼女の言葉にファクトの戦意もなくなったのか、落ち着いたように両腕を下ろされて――
「アァッ、ウアアァアァァアアアアァァッッ!」
――いた筈なのに、ファクトは途端に何かに苦しむかのような悲鳴ともとれる咆哮を上げる。
そしてそのまま骨の腕で貫こうとフェアリへと向かって突き出した。
「フェアリっ!」
駄目だ。フェアリに言われた通りに彼女に任せようと思ったけれど、もう駄目。ファクトはまだ正気に戻っていなかった。このまま放っておけばあの異形の腕がフェアリの心臓――或いはそこに近い場所――を貫いてしまうだろう。この距離で間に合うかは分からない――けど、何もしない訳にはいかない。いや、間に合わせてみせる。届かせてみせる。正気を失っているとは言え、仲間殺しなんて絶対にさせない。
気が付いた時には私は駆け出していた。
だけど――
「大丈夫だよ! もう大丈夫なんだよ! 戦わなくて良いの!」
その言葉は誰に向けられた物なのか。自らに攻撃をして来たファクトに対してか、或いは自身の身を案じて駆け出した私に対してか。恐らくは前者である筈なのに、その叫びとも、訴えともとれる言葉に私は思わず足を止めてしまった。
そしてそれはファクトも同じだ。突き出した筈の骨の腕が、フェアリの胸元前で止められていた。やがて異形の象徴でもある右腕を、人と同じ形を残したままの左腕で抑えつけると、ファクトは二歩、三歩と後ろへと後退していく。
フェアリはそれを逃がさなかった。
「私はここにいるから。ファクトの居る所が私の居場所だから。」
「ウ、ェ、アアァ……イ……」
フェアリは後ずさるファクトに向かって行き、ぎゅっ、と抱きしめた。強く、それでいて縋るように。それに対してファクトは最初こそは抵抗をして手足をバタバタとさせていたけど、しばらくすると落ち着いたのか、少しずつ大人しくなっていた。
一瞬のような、永遠のような、戦闘中に時間の感覚が分からなくなるのとは少しだけ違っていて、それでありながら同じような感覚に襲われる。
「フェ……ア、リ……?」
やがてファクトの動きが完全に止まり、それから程なくして男の呟き声が聞こえた。とても小さな声の筈なのに、時間が止まったかのように静寂に包まれているタイガの森の第六層にしっかりと響き渡ったような錯覚さえ感じる。
その声は先程までの魔物と同種の咆哮のような声でも、聞き取り辛いカタコト口調の言葉使いでもなく、極々普通の男性の声だった。
気が付けばファクトの右腕は骨の腕ではなく、人の腕となっていた。獣に類似するような両足も人の物となっていて、頭上に不自然な生え方をしていた一本角も消えている。そこにいたのはどこから見ても一般的な人間にしか見えない、ただの男性だ。
あの異形という言葉が似つかわしかったファクトとはまるっきり違うように思えた。
「……悪かった。俺……俺、もう少しでフェアリの事を――」
「ううん。良いの……ファクトが戻って来てくれたなら、それで良いの……。」
けれどファクトに見えない男性はフェアリと熱い抱擁を交わしながら、互いに名前を呼び合っている。フェアリがそう呼ぶのであれば、あれは間違いなくファクトだ。ファクトの筈だ。
「え……?」
私には何が起きたのか、全然分からなかった。まるでこれまでの出来事が全部幻影だったのではないかと思わずにはいられなかった。けれど周囲には戦闘の形跡が全て、確かに残っている。後方には倒れているイラがいて、傍にはファクトの大剣も落ちている。改めて周囲を見ればイラの木の弓や銅の剣も少し離れた位置に落ちていた。
それらが今までの戦闘は幻影などではなく、現実の物だったと証明をしていた。勿論私自身にも戦闘での体力の疲労や魔力の消耗などは感じられるのだから、幻の筈がないのだけど……。
「とりあえずは一件落着……なのかな……。」
呟きながら、ファクトとフェアリはしばらく放っておこう。と結論を出した。
自分だったら誰かと抱き合っている所を見られたくないし、何と言うか私も見ているだけで恥ずかしくなってくるし。そこまで考えると同時にふと自分の正体をイラに打ち明けた際に、泣きながら彼に抱き着いてしまった事を思い出した。その時の感覚だとか、温もりまで一緒に。途端に恥ずかしさがこみ上げて来て、顔に熱を感じた。
そう言えばカレントバジリスクとの戦闘が終わって、ファクトが暴走を始める前にも抱き着いてしまったたような……。そこまで思い浮かんでしまってから熱がより強くなったように感じて、私は首をブンブンと横に二、三回程振って別の事を考えようとする。しかしそう簡単には思考が切り替わってくれない。あの時の感触が、光景が、交わした言葉が、それらばかりが頭に浮かんでしまう。
「(イラは……私にとっては唯一の、それでいて一番大切な仲間だけど。大好きだけど。ずっと一緒にいたいけど。……だけど、それはそういう意味じゃなくて、何て言うか仲間としてって言うか……。)」
誰へとする訳でもないのに、途端に言い訳めいた言葉が次から次へと思い浮かんできた。私は落ちているイラの武器を回収しながら、気を失ったまま倒れている彼の下へと戻る事を決めて歩きだす。
「(……それにイラだって私の事をそういう風には……見ていないと思うし。)」
歩きながら、尚も思考はそっちに引っ張られたままになっている。
だってイラが私に向けて来る感情とか、視線とか、言葉って……確かに好意を向けられている気はする。ううん。確実に好かれてはいると思う。これに関しては間違いはないと確信しているし、自惚れでもないと思える。
だけど、それは、あくまでも、私が行き場のなかったイラを助けた事(曰く、命の恩人)への感謝だったり、仲間への信頼や信用とかって感情が殆ど、だと思う。うん。その筈だ。
だって今までイラからそれっぽい反応があった事なんてただの一度もなかった筈だし、遠回しにでも恋だの愛だのに関係した会話をした覚えもない。物語の中で描かれるような熱っぽい視線で見つめられた事もなければ、当然だけど入浴中や着替え中を覗こうとする様な動作もない。
私とイラの関係性は仲間としてのものであり、そこに清純不純を問わず恋愛小説のような出来事は何一つとしてないのだから。
そこまで考えた途端に、一つの疑問がふと思い浮かんでしまった。
「(あれ? もしかして、私ってイラに女として見られていなかったりするの……?)」
いや、そんな筈はない。流石にそれはないと思う。同世代の女の子としては認知がされてはいる筈だ。だって、私とイラは確かにただの仲間同士であるけれど、イラが私の事を男の人だと思っていたら、恋愛要素の有無とは別に物凄く落ち込む……。 ほら、思い出して! イラだって一度位は可愛いとか言ってくれた事があ、る……は、ず……?
その考えが間違っていない筈だと歩きながら考える。――だけど、あれ? あれ? あれ? もしかして一度も言われた事がないの……? お世辞とか、社交辞令とか、冗談半分程度にでも言われた事がない……の? 社交辞令なんて、イラには似合わないけど。
とにかくイラとの会話の記憶を振り返ってみたけれど、私が覚えている限りではイラから『可愛い』とか『綺麗』とか、女性を褒める意味合いの言葉は告げられた事が一度もなかった。ない事に気が付いてしまった。
や、別に言われたい訳じゃないけれど。イラに口説かれたいとか思ってないけれど。……思ってないよね? だけど出会ってから真面目な話も、他愛のない話も、他にも沢山のお話をしている筈なのに。ずっと一緒にいる筈なのに。ただの一度も……。うん。イラが実際にどう想ってくれているのかは別としても、何故だか少しばかり落ち込んでしまう。……って何で? どうして落ち込んでいるの? 良く分からない……。
じゃあ逆に私はイラの事をどう思っているんだろうと思考を少しだけズラす事にした。この話題を続けていたら、何故だかもっと落ち込む気がしたから。理由は分からないけれど。
「(私はイラの事をどう想って……ううん。イラとどうなりたいんだろう。)」
今のまま仲間でいられるのなら、それでも満足出来るとは思う。だけど、いつかは決めないといけない日が来るのだろうとも思ってしまう。だって現状イラが私と一緒にいてくれるのは、彼が記憶喪失者で行く当ても帰る当てもないからだ。
もしもイラが記憶を取り戻したら? ほんの一部でも何かを思い出したら、どこかへと行ってしまうのでは……? 例えば。あくまでも例えばだけど。イラには何か大切な目的があって、その為に行かなきゃいけない場所や、果たさないといけない使命があるとか。故郷に家族を待たせているとか。実は恋人がいたりとか。
「(それは……仕方のない事だよね。……でも、だけど――)」
――嫌だ。そう思った。思ってしまった。途端に胸の中で何かが『キュッ』と掴まれたように痛んだ。
別にイラに記憶を忘れたままでいて欲しい訳ではない。……その筈なのだけれど、イラがいなくなってしまったら、私はまた独りぼっちになってしまう。それは嫌だ。とても嫌な事だ。
だからふと考えてしまった。そうならない為の――イラを繋ぎ止める手段を。私がイラとずっと一緒にいられる方法を。普段なら思いつかなかったかも知れないけど、ファクトとフェアリの様子を目の当たりにしてしまったからか、ごく自然にスッとその考えが浮かんでしまった。
「(――もし、もしもだけれど。私がイラに告白をして、イラがそれを受け入れてくれたとして、恋人になれたらずっと一緒にいられるのかな。)」
何となくだけれど、確証もないけれど、私が告白をすればイラは簡単に二つ返事をしてくれそうな気がする。少なくとも嫌われている訳ではないし、万が一断られてもイラは気にせずに今まで通りでいてくれそうな気もする。
前述した通り、今のイラが私を恋愛対象としては見ていないだろうと言う気はするけれど、一度告白をしてしまえばイラは断らないと思えてしまった。だって私にはイラしかいないように、記憶喪失で、行き場も当てもないイラにとっても頼れる人は私しかいないのだから。私がイラを失いたくないと感じているように、イラだって私と別れたくないと想ってくれている筈なのだ。
だから今なら、イラが記憶を取り戻す前ならば、告白さえしてしまえばずっと一緒にいられるかも知れない。その後でなら、イラが記憶を取り戻したとしても別れないで済むかも知れない。それは、とても良い事だ。――だけど、恋人になったとして、それ以外の事はどうなるんだろう?
恋人なんだから、手を繋いで一緒に歩いて、一緒にご飯を食べて、一緒の光景を眺めて、時々抱きしめ合ったり……そこまで考えてみて、気付いてしまう。あれ? これって今までと全く同じなのでは……? と。
いや、そんな筈はない。ただの仲間と恋人では関係性も変わる筈なのだから。恋人同士でなければ出来ない事もある筈。そう思って少しばかり考えを深める。
恋愛小説の中のドラマチックなワンシーンみたいに永遠の愛を誓ったりだとか、耳元で囁いたりなんかしちゃって、婚約して、大人になったら結婚して、夫婦に、家族になって、もしかしたら子供だって出来るかも――だけど、そんなに先の事まで考えると、今度は逆に今一ピンと来なかった。リアリティを感じ辛いのだ。考えるのなら、もっと近い未来にでも出来そうな事を考えるべきだ。
例えばデート……は、今現在既にずっと二人で行動をしているのだから、やはりピンと来ない。
例えばキス……してみたりとか? その考えが思い浮かんだ瞬間に、気恥ずかしくなって顔に熱っぽくなった気がした。更に反射的に動いてしまった右手が自らの唇に触れてしまい、少し恥ずかしい気分に襲われた。余計に顔が熱っぽくなる。
だけど良く分からない。イラとそう言った行為をしたいのか、したくないのかさえも、分からない。当然だとも思う。何せ経験した事がないのだから、分からない。或いは分かりたくないのかとも思ったけど、その答えさえも分からないので意味がなかった。
それでも何故か、悪くはない筈だと思えた。イラは優しいし、一緒にいて楽しいし、私とも普通に接してくれる。ファングの街では私が【蒼い疫病】だと罵倒された時も助けてくれた。本当の事を話しても、私を見捨てないでくれた。
だからこそずっと一緒にいたいと思えるし、手放したくないと惜しんでしまう。私が彼に対して誠実な行動を示すのであれば、彼が記憶を取り戻せるようにと手を差し伸べて、その時が来たら別れを惜しまずに笑って送り出すのが一番だと分かっているにも関わらず。
だから恋人になる事で彼がある日突然いなくなってしまう……なんて出来事が起こらないようにと、どうすればイラを留める事が出来るのか、なんて事を考えてしまうのだ。それが彼へ対する冒涜だと、裏切りだと感じていない訳ではないのに。
だけどイラは私にとってはたった一人の仲間なのだ。それこそ他の何と引き換えにしてでも、絶対に手放したくないと惜しんでしまう程に大切な。――それで本当に良いのかとも思う。だって私は恋とか愛を知らない。恋愛小説は幾つか読んだ事があるから知識としては知っている。だけど、私の心がまだ理解をしていない。
だからイラと一緒にいたいだけで、その為に嘘のような告白をすると言うのはつまり……優しいイラを騙して、欺いて、陥れて、その上で無理やり繋ぎ止めると言う事だ。
確かに私はイラとずっと一緒にいたいとは思っている。けれど、それは独りぼっちになりたくないから、と言う恐怖心が大元から来ている感情だ。決して恋愛感情から由来しているものではない。
イラを人として、仲間としては好きだけど、男として好きかと言われると……良く分からない。私自身は恋に落ちるとか、恋慕の念を抱くとか、そういう事は良く分からないでいるのだから。
仮に今の私がイラに「好きだよ」とか「愛してる」などと言って告白をしたとする。それをイラが受け入れてくれたとして、同じような言葉を返してくれたとする。一生を共にしてくれるのだと約束をしてくれたとする。それはきっと幸せな事だろう。未来永劫、二度と独りぼっちになる事などなくなるのだから。私がイラを守り続ける事さえ出来れば。――けれど、そこに本当の愛情はあるのだろうか……? 私はイラを愛せるのだろうか? イラの愛情を受け取る資格が私にはあるのだろうか?
――いいや、そんな資格がある筈はない。そんな形だけの告白をしてしまえば、それこそイラの返答とは関係なく、私達の関係性は歪んでしまうだろう。第一そんな『嘘』の告白をするのは……とても残酷な事だ。優しくて、暖かくて、私にとっては光そのものの様な存在である彼に対して、そんな事をしたくはない。だけど、出来る事なら、ずっと傍にいて欲しい。いなくならないで欲しい。私の我が儘だって分かってはいるけれど、それでも――。
私はいつの間にか銅の剣と木の弓の回収をし終えて、イラの傍まで歩み寄っていた。未だ目覚める兆候もなく、気を失って倒れている彼の傍に座り込む。
頭の仲がグチャグチャでドロドロになっているのを、ボンヤリと感じていた。思考が一方向へと纏まらず、まるで相反する思考が独自の人格を持ってせめぎ合っているような感覚。
ふいに視界にイラの寝顔が映り込んで、徐々に顔の熱が上がっていくような気がした。――気がした、と言うのは自分の感覚の筈なのに、それさえもボンヤリとしか感じられなかったからだ。
しかし同時に胸の奥が少しだけ、スッとして。途端に先程までヒートアップし続けていた思考が落ち着き、冷静に考える事が出来るようになった。
私は溜息を軽く吐くと、誰に聞かせる訳でもなくポツリと呟きながら右手でイラの頭を軽く撫でた。
「……全く、貴方の事でこんなにも考えて、悩んでいるのに、呑気に眠ったままなんて酷いよ。……って言う資格も私にはないのかな。」
だってイラが眠っているのは私とフェアリを庇って、無茶な攻撃を受け切ろうとしたせいだ。しかも本来であれば今のイラが太刀打ち出来ない筈のファクトの攻撃を凌ぎ切る所か、押し返すようなとても無茶な事をした。
私がもっと強ければ……カレントバジリスクも、暴走したファクトも、私一人でどうにか出来ていればイラが眠ってしまう事もなかった。だからそれについて冒険者の先輩として、或いはリベルーチェのリーダーとしては叱ったり、注意をするつもりではある。けれど一人の仲間としての私が、それに対してどうだ、こうだ、と文句を言う資格はないのだと、そう思わずにはいられなかった。
それにもし今後も私がイラを連れ回し続ける事で、この先何度も彼をこういった状態に陥れてしまうのではないだろうか。いつか本当に目覚めなくなってしまう日が来るんじゃないのだろうか……そんな不安もある。けれど、それでも、私は独りぼっちになりたくない。そう強く思ってしまい、自虐気味に私は狡くて酷い人間だ。なんて思いもする。
しかしそれでも私は彼の手を手放す気にはなれない。手放したくない。この先に何があったとしても、やっと見つけた温もりを失いたくない。それ所か彼にも同じように求め続けられる自分でいたいと思ってしまっている。
イラの事を騙したり、傷つけたりはしたくないし、私自身も恋、とか、愛、とか、そういう事はまだよく分かっていない。……それでも一緒にいたいというこの気持ちだけは本物。だから、どうするのが一番良いのかが分からなくなる。色んな思考がグチャグチャにかき混ぜられているような気分になって、考えが纏まらなくなって、問題を先送りにしてしまう。
もしも私が本当に心の底からイラに恋していると、愛していると、本気でそう想っているのであれば、後ろめたい思考なんて考えずに告白する事が出来るのに。そのせいで『誰か私に恋心を教えてよ』なんて無茶苦茶な考えまで浮かび上がってくる始末だ。【蒼い疫病】で忌み嫌われている私にそんな事を相談出来る人なんていないのに。まさかイラ本人に聞く訳にもいかないのに。
「はぁ……どうしたら良いんだろう。」
チラリと視界の隅に映り込んだ漆黒の大剣を傍目に、後であの剣をファクトに返さないといけないなあ。等と思いながらも、恐らくまだ背後で抱き合っているであろう二人と今すぐには話しかける気になれなかった。今の私にはイラが目覚めるのを待つのが最優先事項な訳だし。
どちらにしても、すぐにあの二人とは話す事になりそうだし、イラが目覚めた時にもこんな調子では怪しまれてしまうだろう。こう言ってはなんだけど、イラは意外と目敏い。出会って一日とせずに私が『訳あり』だと看破された訳だし。
フェアリ達の様子が落ち着くか、イラの意識が戻るか、どちらが先になるかは分からない。それでもそうなる前には普段通りの自分に戻らなくてはと、私は思考を落ち着ける事に専念するように何とか休もうと、頑張る事にした。




