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人格喪失者、それは記憶喪失を望んだ者  作者: 明進
第二章 偶然の出会い、それは新たな仲間との邂逅
32/64

記憶二十九―終わらない戦い、それは分かり合う為に必要な物―

 戦いはまだ終わっていなかった。

 それなのに僕達は終わったのだと思い込んで、安堵して、だから反応に遅れてしまうのは油断が招いた致命的なミスであり、それと同時に当たり前の事だった。


「ガアアァァッッッ!」

「ファクトっ……! まだ元に戻らないの!?」


 僕達の側からではフェアリは後ろ姿からしか見えない。だから彼女がどんな表情を浮かべているのかは読み取れないけど、それでも内心穏やかではない事だけは感じ取れた。

 フェアリは軽やかな動きで乱暴に振り回された骨の腕を避けて間合いをとった。

 その間に僕とツァーイは顔を見合わせると、フェアリを助けようとその場から立ち上がって走り出す。

 走る中で魔力(マジック)を強く消耗した僕は、身体がよろめき、足がもつれて転びそうになりながらも、足手纏いになりたくない一心で何とか走り続けた。

 その間にフェアリは何度もファクトに対して呼びかけながら攻撃を間一髪の所で避け続けると言った危険な行動をし続けていたが、見ているだけで心臓に悪い光景だった。

 数分か、それとも数十秒程度か、時間の感覚が狂ったようにも感じながら必死に走り続けている内にツァーイの手がフェアリに届きそうな距離にまで近づいていた。


「グアアアァァァアアガアアアァァァ!」


 先程までの戦闘では狙いを定めて骨の腕を振り回していたような気がしていた。しかし今のファクトは乱雑に、ただただ暴れるだけのようにそれを振り回していた。

 それがフラッシュ(閃光の輝き)による目潰しがまだ効いているのか、氷結(フリーズ)で全身を氷漬けにされた事に憤っているからなのか、それとも別の理由があるのかは分からない。

 これが『殺す』のが目的であれば理性を失った獣を容易く仕留める事も出来たかも知れない。だけど『殺す』ではなく『止める』と言う事を考えて動かなければならない以上、先程よりも状況は悪化してしまったような気がする。


「フェアリ! こっち!」

「ツァーイさん!」


 ツァーイがフェアリの右手を自身の左手で強く引っ張って、後ろに下がらせながら右手に持っていた剣で骨の腕の攻撃を防御をしようとした。

 瞬間、背中に悪寒が走った。

 ツァーイなら大丈夫だと。自分の身も、フェアリの事も、そしてファクトの事も何とかしてくれるのだと思えたし、信じている。けど、何か、嫌な予感が、強く、胸の内側を締め付けて――

 ――イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ――

 カレントバジリスクとの戦闘中にも感じた訳の分からない衝動が、どこからともなく湧き上がって、飲み込まれそうになった。

 衝動を振り払うかのように強くブンブンと首を何度も横に振りながら、ふらつく足取りで転ばないように走り続けて、目の前の光景に意識を戻す事だけを考える。


 ファクトの骨の腕による攻撃が乱雑になったからか、攻撃を弾こうとしたツァーイの剣が真上に吹き飛んでいて、次の一撃がツァーイとフェアリに向かって襲いかかろうとしていた。

 幸いにもツァーイの剣は最初に吹き飛ばされた時と違って、真上に吹き飛んだ影響ですぐ近くの足元に落ちようとしていたのが目に入る。


「ルミリエール(光の障壁)! ファクト! お願いだから、もう元に戻ってよ!」

「ググガアアアァッ!」


 フェアリが咄嗟に詠唱を破棄したルミリエール(光の障壁)を放って自分達の身を守ろうとした。けれど、詠唱を破棄したルミリエール(光の障壁)では耐久性が低くて、一撃で障壁に罅が入ってしまう。恐らく次の一撃で障壁が壊されて、そのまま二人共攻撃をまともに受けてしまうだろう。

 先程まで力が入らずにフラフラとしていた足取りが急に普段通り(軽いとまでは言えないけれど)の物に戻り、全速力が駆けて行く。

 けれど武器を持たない僕は代わりに落ちて来たツァーイの剣を手に取ろうと勢いに任せて、身を突き出すように飛び上がった。

 成功する確信なんてなかった。だけど頭で考えるよりも先に身体が動いていた。もし失敗してしまえば僕達は三人揃ってここで仲良くゲームオーバーになってしまうだけだ。そしてやらなかったとしても、結果は恐らく変わらない。


「(届いて! 届けって! 届けよ!)」


 空中で勢いよく差し出した右手に意識を集中させながら、内心で成功するようにと強く念じる。

 右手が剣の刃の部分に掠って、少しばかり切れてしまった。痛みを押し殺しながら手元を回転させて、そのまま一度は取りこぼしたツァーイの剣の柄を強く握りしめる事に成功した。

 そしてそのまま着地をすると同時にファクトとツァーイ達の間に滑り込むかのように、身体をスライディングさせて捻じ込む。


「させるかって、言ってるだろおぉぉ!」


 乱暴に振り回された骨の腕が光り輝く障壁に衝突し、すっかりこの短いとも長いとも形容できない時間の間に聞き慣れてしまった『バリンッ!』と言う音が鳴り響きながら障壁は壊れ、消滅していく。

 そのまま二人を狙って振り下ろされた骨の腕をツァーイの剣を使って強引に受け止める。


「アアアァァアアアアアアッァァガアアアアッッッ!」


 だけど元より僕とファクトの力の差は歴然。

 使い慣れた銅の剣(ブロンズソード)でも捌くのが精一杯だった僕が真っ向から力勝負をして勝てる訳がなかった。

 ツァーイの(恐らくはかなり優れている)剣を使っているとは言え、それだけで埋められるような生温い力量差ではないのだ。潰されないように、少しでも時間を稼げるように、踏み止まる事が精一杯だった。


「(このまま全滅するしかないのか……!? こんな所で!?)」


 ――駄目だダメだ駄目だダメだダメだ――

 敗北を予感しながらも、それを受け入れられないでいると三度強い衝動に襲われ、駆られる。

 この衝動に身を任せて、理性を捨ててしまえば助かるような気もした。けれどそれを選んでしまうのは、このまま全滅するよりも状況が更に悪化してしまうような予感がして、躊躇せずにはいられなかった。

 そんな風に圧倒的なファクトの力に抗い踏み止まり、謎の衝動に対しては強い抵抗感で押し殺していると、背後から声が聞こえた。


「「イラ(さん)!」」


 それは僕の事を心配してくれているのだろう、ツァーイとフェアリの悲痛な声だった。

 その声に「今の内に二人は逃げて。」と返事をしたいのに、する余裕がなくて、思わず目を伏せてしまう。

 結局自分は足手纏いでしかなくて、恩人であるツァーイに対して何もする事が出来なくて、フェアリと約束したファクトを守るという事も出来なくて、何一つ成し遂げられずに終わってしまうのか、誰一人守る事が出来ないのか、と現実から目を背けたくなってしまったから。

 それならば、いっそ、この衝動を解き放ってしまった方が良いのでは……? とも思わずにはいられなくなってしまうが、やはり自分の中の何かがそれは危険だと言っている気がして躊躇してしまう。

 その瞬間、背けた目に何か黒い物が映り込んでいる事に気付いた。何かが落ちている。凝視をしてみると、それが黒い大剣である事に気付くのにそう時間は必要なかった。


「(あれ、は……ファクトが使っていた剣?)」


 偶然にもそれはファクトがまだ正気を保てていた時――カレントバジリスクとの戦闘中――に使用して、暴走をしてしまった時に手放してしまっていた、彼の武器だった。

 奇遇にも戦闘中にあちこちを駆けたり、吹き飛ばされたりしている間に最初の立ち位置に戻って来たようだ。多分木の弓(ウッドボウ)も近くに落ちていると思う。


「(ファクトの大剣……ファクトが振るっているのを見た時は骨の腕と同じ位の強さに見えたっけ……。もしもあれを使えたら、今のファクトの攻撃も防げるかも……。)」


 藁にも縋る思いでツァーイの剣を握っている右手とは逆に空いている左手を黒い大剣へと刺し伸ばし、何とか掴み寄せる。


「これ、で、どう、だあぁっ!」

「グゥッ、ガアアッ!」


 右手のツァーイの剣だけで骨の腕の一撃を踏み止めている中に、左手で掴んだファクトの大剣を思いっきり切り上げるように振るう。

 とても重い剣で、片手で振るうには無理がある代物だとも感じたけれど、自分がやらなきゃ背後にいるツァーイが、フェアリが、死んでしまうのだと思い詰めていた影響からか、使い慣れない大剣を片手で振るう事も存外簡単に行う事が出来た。

 これも僕のスキル≪マルチウエポン≫の影響なのか、それとも火事場の馬鹿力とか言う奴なのか、或いはその両方なのか、等という考えが数秒だけ思考の隅っこで思い浮かぶが、そんな事を考えているだけの余裕も猶予も今はないので捨て置く事にする。

 鈍重な一撃が加わった事でファクトに一瞬の隙が生まれ、そのまま両手に持つそれぞれの剣に残された力の全てを込めて押し上げる。

 自分の物とは思えぬ力(実際に二本の剣の力に依存しているのだろうけど)でファクトが大きく後ろへと吹き飛ぶように視界から消えて行った。

 それを見て、ほんの少しだけ安心したからか、途端に力が抜ける。謎の衝動もいつの間にか感じなくなっていた。


「はぁ、はぁっ……もう、駄目。今度、こそ、動け、ない、や……。」


 先程までの力はどこへ行ったのか。二本の剣を持ち上げる所か、持っている事さえ辛くなってしまって、気付けばツァーイの剣とファクトの大剣がそれぞれ両手から離れて地に落ちた音がした。そのまま僕自身も大の字に倒れ伏せてしまう。

 武器を扱うだけの体力も、魔法を扱うだけの魔力(マジック)も使い果たしてしまった。魔力(マジック)の枯渇を恐れなければ暴走気味に魔法を後一撃だけ放つ事も出来るだろうけど、それは出来れば使いたくない手段だ。

 これでどの程度の時間を稼げたのかは分からないけれど、次に襲われたらいとも簡単に殺されてしまう事だけは理解出来た。


「イラ! やっぱり分かってないよ……こんな無茶をして……。」


 不意に聞き慣れた声と共に後ろへと引き寄せられる感覚がした。

 倒れていた僕の上半身をを支え起こすようにツァーイが抱き寄せていた。身体をろくに動かす気力もないし、感覚もどこか曖昧な気がしているから多分としか言えないけれど、多分膝枕でもされている格好になっていると思う。

 意識をしたら頭の後ろに何か柔らかい物が当たっているような気がして、少し恥ずかしくなるような気がした。けれど、目の前に震えた声で、涙をポロポロと零しているツァーイが映り込んで、そんな事を考えている余裕がなくなった。

 どうしてそんなに泣いてるの? ……なんて、聞かなくても理由は分かっているし、理解もしている。分かっているんだ。ツァーイが泣いているのが僕のせいだって。だけど、それでも、僕は君が傷つくのを見過ごせない。この先同じような事を何度繰り返す事になったとしても、絶対に同じ選択肢を選び取ると思う。


「ごめんね、ツァーイ。でも僕にとって大切なのは僕の命じゃなくて、僕の命を拾い上げてくれた君だから。だから――」

「アァァ……。ェ、ア……イィ。ウァ……」


 けれど交わしたい言葉を言い終える事さえ許されないままに、途端に僕とツァーイは時間が凍り付いたような感覚に襲われた。

 吹き飛んだ筈のファクトが、ボロボロになりながらも立ち上がって、フラフラとした足取りではあったけれど、ゆっくりだけど、一歩一歩と確かな歩みを持って、こちらへと向かって来ていた。

 カレントバジリスクとの戦闘中には感じられた人間味を感じさせない、暴走したままの状態で。

 先程までの獣染みた咆哮と比べれば、ゾンビのような呻き声を上げるばかりで、重たい足取りからも確実に弱っている事は分かる。だけど――もう駄目だ。


「そんな……。まだ戻ってくれないの……!?」

「いつもなら、そろそろ元に戻っている筈なのに……。」


 ポツリと零したのはツァーイとフェアリ。

 特にフェアリからして見れば今日出会ったばかりの僕達よりも、彼の仲間である彼女の内心は焦りや苦しみに駆られて、穏やかではない事だろう。

 それを加味した上で敢えて言うけれど、僕も、恐らくツァーイも、強い絶望感に襲われた。

 僕はもう、今度こそ、全ての力を使い果たしてしまっていて、本当に今すぐ戦う事も出来ない。

 それ所か起き上がる事さえままならない身体では本当に足手纏いでしかない。

 最早武器を振るう事も、逃げ出す事も出来はしない。囮になって時間稼ぎをする事が出来るかもかなり怪しいと思う。強いて出来そうな事を上げるなら暴走前提の魔法を一撃放つ事と、地を這う程度なら出来るかも知れない。

 しかし前者は自分の命は愚か、ファクトを殺す危険性もあればツァーイやフェアリを巻き込んでしまう可能性もある。後者は実行したとしてもファクトの歩みが遅くなっているとは言え、流石に追いつかれて殺されるのは目に見えていた。精々死ぬのが一秒か、三秒か、五秒か、その程度遅らせる位にしかならないだろう。

 もう、本当に、何もする事が出来ない。どうすれば良い? どうすれば皆で助かる事が出来る!?

 ファクトが重たい足取りを一歩、また一歩と少しずつではあるけれど進めて来る。距離はまだあるから、あの速度で向かって来るのなら猶予はまだ結構ある筈だ。普段通りに走る事さえ出来るなら、武器や魔力(マジック)を失っているこの状態でもせめて二人を連れて逃げる事も出来ただろうに。

 生き延びる事さえ出来たのなら、態勢を立て直して再挑戦(リトライ)も出来たのに! どれだけ思考を巡らせても、このろくに動かない身体で戦い続ける方法も、逃げ出す方法も、もう何も思いつかなかった。


「ツァーイ。逃げて。……フェアリ、を、連れて……逃げて。早、くっ。」


 それでも気が付けば口が勝手に叫んでいた。いや、正確には叫ぼうとしたけれど、疲労しきった状態ではか細い声を上げるだけで精一杯だった。掠れる程には小さくはないし、非常にゆっくりと出たけれど、それでもツァーイには聞こえたと思える程度の声だ。

 最早自分が助からないのは分かり切っている事だ。けれど、ツァーイは違う。彼女の武器は今も僕の手元にあるし、今日一日の戦闘で疲労しているだろうけど、それでも逃げ切るだけの体力は残っている筈だ。

 分かっている。ツァーイが仲間である僕を置いて逃げる事なんて出来ないと言うのは分かっている。

 多分フェアリもだ。彼女もこの状況で、あんな状態になっているファクトを置いて逃げる事に大人しく賛同をしてはくれないだろう。そしてその場合、ツァーイはより逃げると言う選択肢を強く拒んでしまう事も。全部分かっている。

 だけど、それでも、このまま全滅する位なら、せめてツァーイだけでも逃げて欲しいと願わずにはいられなかった。


「そんな事出来る訳ないでしょ!」


 案の定と言わんばかりに、僕の顔を覗き込みながらツァーイが否定の声を上げる。

 信頼通りの優しさに嬉しく思う反面、どうして逃げてくれないんだと、もう何も出来ない自分に捨て駒の役目すらも与えてくれないのかと恨めしくも思ってしまう。

 僕を拾ってくれたのが、今日まで生き永らえさせてくれたのが、この優しい女の子で良かったと、いつも、強く、思っている。君と巡り合えた事に感謝している。感謝してもしきれない程に。――だけど、たまには、こんな時位はさぁ、お願い……だから、僕を切り捨ててよ。自分の保身の為に僕を捨て駒にしても、恨んだりしないよ。憎んだりなんてしないよ。だからっ……。


「嫌だ……。お願い、だから、ツァーイだけでも、逃げてよ。」

「……私なら大丈夫だよ。イラの方こそ、そろそろ大人しく休んでいてよ。さっきも言ったけど、今日一日で何度も危険な事をしてるんだから。」


 違うんだ、ツァーイ。僕にとって大切なのは自分の事じゃないんだ。

 記憶喪失で、どこの誰とも知れずに、この世界(リーネド・ムンリ)の事を何一つ知らず、右も左も分からなかった僕に手を差し伸べてくれたのは君なんだ。

 毎日美味しいご飯にも、落ち着いて眠れる寝床にも、暖かい服を着て、与えられた武器を振るい、ゼロから魔法を学んで、色んな知識や話を教わって……ツァーイのお陰で僕は何一つ困らないで、毎日幸せに、楽しく過ごせた。

 失った記憶を取り戻したいとも思えないし、自分の命に執着心も抱いてはいないけど、君がいなくなる事を考えると、君に捨てられる事を考えると、それだけは凄く怖くて、恐ろしいんだ。

 目覚めた時に何も持たず、空っぽだった僕を満たしてくれたのは君なのに。

 お願いだから、僕より先に逝かないでよ。

 言葉に出して言わなきゃいけないのに。ツァーイに逃げて貰うように説得をしなくちゃいけないのに。

 この緊急時に疲労困憊の身体が、持てる力の全てを限界ギリギリまで……いや、それ以上に使った反動で言う事を利かないでいた。

 立ち上がる事も、手足を動かす事も、それ所かもう口を動かした言葉を発する事さえも出来ないでいた。意識も遠のき始めて、五感が鈍り始めるのさえ感じ取れた。


「大丈夫。何があってもイラは私が守るから。……だから、今はおやすみ。」


 微睡む意識の中でツァーイがそう微笑みながら、剣を手に取って立ち上がった事を認識をしたのを最後に、僕は気を失ってしまった。



「(さてと……イラにはああ言ったけれど、どうしよう。)」


 イラの手元に落ちているサンクチュアリを拾い上げながら思案を巡らせる。

 本音を言うと初めて訪れたダンジョンを案内付きでとは言え初日で突破して、狂暴化したカレントバジリスク、暴走したファクトとの連戦で私の体力もそれなりに使い切ってしまっている。魔力(マジック)には余裕があるけれど、私の炎や光と言った魔法は一対一で時間稼ぎをするのには向いていないようにも思う。

 少なくとも私自身が使い慣れている魔法だと特に。その理由は単純で、単独(ソロ)で活動していた時間が長すぎるせいで、戦闘を長引かせないようにと攻撃に特化した魔法の想像(イメージ)ばかりが強いから。

 だから攻撃魔法の種類は多いのだけど、それ以外だと非戦闘時(主に野宿や遭難時)等に役立つ生活系の魔法や、回復魔法が少々だ。

 先程使ったフラッシュ(閃光の輝き)のように小手先の魔法も無い訳ではないが、フラッシュ(閃光の輝き)も連続で使用し過ぎると相手が強い光に慣れてしまって効果が薄くなっていく。

 それに他の魔法も今のファクトのように理性を失っている相手には効果が薄いような気がする。例えばファイアプリズン(炎の牢獄)を使用して、ファクトの左右上下を全て炎で囲ったとする。普通の人や魔物が相手であれば、自身が燃えるのを恐れて大人しくしてくれるかも知れないけど、暴走をしているファクトは火傷や焼失を恐れずにお構いなしに突っ込んで来ると思う。いや、きっとそうなってしまうと思う。


「(本当に厄介な状況だよね……。)」


 一番楽な選択肢はイラの言う通りに彼を見捨てて逃げる事、若しくは目の前の脅威であるファクトを殺してしまう事だ。殺すつもりで戦うのであれば、使える魔法の種類も増えるし楽勝とは言えないにしても十分な自信と勝機はある。

 けれど勿論イラを見捨てる事なんて出来る訳はないし、ならばフェアリに恨まれる事になるのを覚悟してファクトを殺してしまおうかとも思うけれど……曲りなりにも一度フェアリを助けると決めてしまったのだから、出来れば選び取りたくない選択肢だった。無論ファクトがイラを殺そうとして、それを止めようとする手段がその瞬間にファクトを殺す事しかないのだという状況にでもなれば別ではあるが。

 それにフェアリは私が【蒼い疫病】だと知っても罵倒したり、忌避したりと言った悪感情を向けては来なかった。イラと同じで私を受け入れてくれようとした人を悲しませるような事をしたくはなかった。


「(それでもイラを失う位なら……って思わない訳じゃないけれど、やっぱりそれは最後の手段だよね。ファクトも悪い人じゃなさそうだったし。……本当にどうしようもなくなったら、その時はやらないといけないけど。)」


 とりあえずは傍にいるイラを、意識を失ってしまった彼を巻き込まないように戦闘場所を変えないといけないと思って、サンクチュアリを握りしめながら遠くからゆっくり近づいて来るファクトにこちらから仕掛けようと走り――


「待って下さい、ツァーイさん!」


 ――だそうとしたのだけど、フェアリが私よりも前に歩みながらそれを静止した。


「もう、十分です。後は私が何とかしてみせます。だから、イラさんを連れてこの場から離れて下さい。」

「フェアリ……? 貴女まで何を言って……。」

「元々はカレントバジリスクの討伐を手伝って貰うだけの予定だったんです。そうすればファクトも助けられるって思って……でもファクトが暴走してしまって、それでも魔物化を行使していた時間が長かっただけだからって、いつもみたいに私が呼びかけたら、すぐに元に戻ってくれると思っていました。」


 背を向けたまま語るフェアリ。『魔物化』って言うのが良く分からないけど、言葉の通りに受け取るのなら、それがファクトが暴走してしまっている理由なのだと思う。


「だからイラさんがこれは依頼だからって、ファクトが元に戻るまで力を貸してくれるって言ってくれた時も、嬉しくてお願いしてしまったんです。」


 イラも私が知らない間に何言ってるの!? いや、助けるって決めた以上は途中で放り投げるような事はするつもりなかったのは事実だけど。

 イラはイラなりにリベルーチェ(ギルド)の事を考えてくれているのかも知れないし、冒険者的にはそれが正しいのだとも思うけど。


「だけど……そのイラさんが私達のせいでこんな事になってしまって……。お二人には感謝していますし、だからこそ、これ以上危険な事に付き合ってもらう訳にもいかないから……。」

「……それで? もし私がイラを連れて逃げたとして、貴女は、フェアリはどうするの!? その様子だとファクトがあと少しで元に戻ってくれる確証もないんでしょ……。」

「私は……大丈夫ですよ。だってあそこにいるのはファクトなんだから。私の声が届かなかったとしても、届くまで呼びかけるだけです。」


 微笑みながら振り向いたフェアリ。だけどその華奢な身体は僅かに震えていた。大切な仲間が『魔物化』とやらの力を使った影響で豹変してしまったのだから無理もない。

 ましてや一度イラが氷結(フリーズ)で凍らせた時に彼女自身もそれで助けられたのだとぬか喜びさせてしまったのだから、内心が言葉通りに穏やかな訳がない。

 もしも立場が逆だったら……イラが何かしらの事情で理性を失って暴走して私を殺そうと襲って来て、そしたら私は当然普段通りの優しいイラに戻って欲しくて、何度も何度も呼びかける。

 それでもイラが元に戻らないで、剣を振るい、魔法を唱え、沢山呼びかけて、やっと元に戻ったと思えたら、それも気のせいでしかなくって……そんなの絶対に辛い。

 大勢の見知らぬ人に【蒼い疫病】だと蔑まれて、忌避されて、出て行けとか、消えろとか、死んでしまえとか、そういった酷い事を言われて、石やナイフを投げられて、沢山傷つけられて……今まで何度も嫌だと、止めてと、恐れていた筈の、それらの行為の何十倍も何百倍も何千倍も辛くて、痛くて、苦しくて、それで本当にイラが二度と元に戻らなかったり、死んでしまうような事になったら……。


「……確かにイラは私にとって他の何よりも大切な仲間だよ。イラを守る為にそうするしかないって言うなら、私はフェアリの事もファクトの事も……ううん。他の誰でも見捨てられると思う。」

「それなら早く――」

「だけど! そうじゃないよ! ここまで一緒に戦って来て、あと少し頑張れば皆を救えるかも知れないって状況で、フェアリ達を見殺しになんて出来ないよ! 確かに最初は私の正体を知られたくなくって、イラを危険な目に合わせたくなくって、だから断ろうとした。けどっ……フェアリは私の事を知っても普通に接してくれた!」


 フェアリの言葉を遮って、遠目にこちらへと向かって来るファクトを見据えて、緊急時ではあるけれど、言葉がスラスラと喉の奥から出て来る。

 ローブを外して顔を突き合わせているからだろうか、今日出会ったと言う事実は変わらないのに、六層までの道中で何度か話した時よりも話しやすい気がした。


「私はこれまでに色んな場所を転々としていたの。でもどれだけ大きな街に行っても、どれだけ小さな村に行っても、どこの場所にいる人達も私の髪や瞳を見ると【蒼い疫病】だって騒いで、追い出そうとして、中には殺そうとして来た事もあったよ。」


 サンクチュアリの柄を握りしめている右手に自然と力が込められる。


「だからフェアリが私の髪色を綺麗だって言ってくれたの……凄く嬉しかったんだ。それに短い時間だけど一緒に戦って貴方達が悪い人じゃないって事も分かったし……。だから、私はイラもフェアリも守って、ファクトも助けたいの!」

「私だって同じです! ツァーイさんも、イラさんも、私が半妖精人(ハーフエルフ)だって分かっている筈なのに、半端者(ハーフ)差別をする事なく手を貸してくれました。だからこそ私は、そんなお二人を巻き込む訳には……。」

「あ……その話なんだけど私はともかく、イラは貴女が半妖精人(ハーフエルフ)だって事に気付いてないと思うよ。最初に貴女を見かけた時に妖精人(エルフ)っぽい耳なのに何で銀髪なのか気にしてたみたいだし。」


 フェアリの真剣な様子に水を差すようで悪いけど、思わず横槍を入れてしまった。

 妖精人(エルフ)の髪色が決まって金髪なのと同じく、半妖精人(ハーフエルフ)の髪色は必ず銀髪になる。そして他種族に金や銀の髪色を持つ者が現れたと言う話は聞いた事がなかった。

 だからこそ私はフェアリと出会った時から彼女が半妖精人(ハーフエルフ)である事に気付いていたし、彼女が着込んでいる白いローブにフードが付属しているのも、私が【蒼い疫病】として忌避されている蒼髪を隠そうとしているのと同じ理由である事も察している。

 何せこの世界は半端者(ハーフ)と言うだけで忌み嫌うような人達が多いのだ。人間(ヒューマン)も妖精人(エルフ)もそれ以外の種族も何故かそういう人が多くて、中には半端者(ハーフ)は排除すべきだと言うような危険思想な人も少なくはない。

 勿論全員がそういう訳ではないし、そういった半端者(ハーフ)を匿う為の隠れている街や村、里と言った土地も表沙汰になる事は少ないが存在してはいる。

 私の故郷のアイラ村にも滅んでしまう前は半魔法人(ハーフウィザード)や半創造人(ハーフクリエイター)と言った人達がいたけど、半端者(ハーフ)でない人間(ヒューマン)や魔法人(ウィザード)、創造人(クリエイター)達と仲良く暮らしていた。そう言った場所が他にもある筈なのだから。

 そう言った事情を一応はイラにも教えてはいる(主に私の故郷について話した時に)けれど、一方で半端者(ハーフ)の見分け方と言った様な知識は未だに教えていなかった。それは単に私達にとっては不要な知識だと思っているから。

 元より私が他の人達に正体を明かす事が出来ないので、それに伴って必然的に街や村の人達や冒険者間であったとしても他者との交流を諦めているからだ。半端者(ハーフ)であったとしても、そうでなかったとしても何も変わらない。

 それに私は故郷で半端者(ハーフ)の人達と親しかった事もあり、特に敵視していない。加えて【蒼い疫病】の一件で差別をされる事がどれだけ辛い事なのかは理解している。

 それにイラも半端者(ハーフ)だからと言って差別をするような真似はしないと思っている。そもそも理由もなく半端者(ハーフ)を嫌うような人だったら、私の事もファングの街で切り捨てている筈。

 だからこういった一般の人が知っているような知識や情報でも、記憶喪失のイラからは欠如している場合がある。時間がある時に少しずつ私が教えたり、本を貸したりはしているけれど、それでも基本的には冒険者として生き延びる為に必要な知識や、これは知らないと不味いと思うような物から優先度が高いと判断した。

 なので優先度が低いと思った知識は例え一般常識の範疇であったとしても、未だにイラの中からは欠如したままになっているままだ。イラにとって銀髪が半妖精人(ハーフエルフ)の象徴だなんて常識は存在してない事になっている。


「そう……なんですか? 私が言うのも何ですけど、半妖精人(ハーフエルフ)は他種族の半端者(ハーフ)よりも見分け方が簡単な筈なんですけど……。」

「そうなんだけど、イラはイラで訳ありだからね……。まあその辺は後回しにするとして。とにかく私は逃げないから!」

「……分かりました。それではもう少しだけ、あと少しだけ力を貸して下さい。」

「アァァ……。――エェアアアァ、イイイィ。アアアアッ。」


 私の宣言に覚悟を決めてくれたようにフェアリも静かに、それでいて強く頷いてくれた。

 そうこうしている間に、遠くに見えていた筈のファクトがすぐそこまで迫っていた。

 意識を失い、眠りについてしまったイラを巻き込まないように私達はファクトに向かって駆け出した。

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