記憶二十八―氷結(フリーズ)、それは今使える最大限の魔法―
サンクチュアリが想像以上に遠くの方まで吹き飛んでいたせいで、捜索に手間取った。けれど何とか見つけ出す事が出来た私はサンクチュアリを手に持って急いでイラの下へと戻ろうと全速力で走っていた。
早く戻らないとイラが死んでしまうのでないか、いなくなってしまうのではないか、そう言った嫌な考えが何度も浮かんでしまって気が気ではなかったから。
やがてイラの姿を視認出来る距離まで戻れたのだけど――
「グアアアアアアアッッ!」
嫌な予感通りに、尻もちをついているイラに向かってファクトの骨の腕による一撃が迫ろうとしていた。
その光景を目の当たりにした途端、自然と走っている足に力が入って行くのを感じた。既に最大速度に達しているにも関わらず、もっと早く走り、詰め寄って――
「時間稼ぎ位なら出来るんじゃなかったの!?」
思いっきりサンクチュアリを振るってイラを殺そうとしていた一撃を代わりに受け止める。
最初にぶつかり合った時に私が吹き飛ばされたのはファクトに上から叩き付けられた事と、ほんの少しだけ油断をしていた事が大きかった。
だけど今度は先程と違って正面同士からのぶつかり合い。そしてあの骨の腕の威力も一度味わった事で把握出来た。これなら一方的に吹き飛ばされるなんて事はない。私の方が強い筈、までとは言わないけどもほぼほぼ互角だ。
瞬間、私のサンクチュアリとファクトの骨の腕がぶつかり合った衝撃が余波となって周囲へと拡散していく。
その中で『パサッ』と言う小さな音と共にフードが取れてしまった事を感じて、今までに他者から受けて来た誹謗中傷が脳裏を過って、思わず怯みそうになる。
けどここで私が打ち負けてしまったら、傷つくのは私だけじゃない。私の後ろにいるイラの命がかかっているのだから。
過去の痛みが癒えた訳ではないし、きっとこの先どれだけ時間が経ってもこの痛みは永遠に続くのだろう。だけど、今の私には守らなくてはならない存在がいる。たったそれだけで胸の奥に突っかかっている痛みに怯えそうになっても、戦う事に意識を集中させていられる。
「(イラは、イラだけは絶対に殺させない! 傷つけさせない!)」
故郷を飛び出してから出会った人達は誰も彼もが私を【蒼い疫病】だと非難して、罵詈雑言を浴びせてくるような人達ばかりだった。
誰一人としてツァーイを見てくれる人はいなかった。ツァーイを助けてくれる人などいなかった。
だけどイラは、イラだけは、出会った時からずっと私をツァーイとして見てくれている。言葉を投げかければ返してくれるし、魔物の討伐や街での買い物も協力してくれて、私の心を支えてくれている。
もしもイラを失う事になれば私はまた独りぼっちに逆戻りになってしまう。それは嫌だ。それだけは嫌だ。
例えばいつかイラが記憶を取り戻したとして、その時に彼が行くべき場所や帰るべき場所に向かってしまって、それでお別れになってしまうのであれば……それは仕方がない事だとも思えるけど。けれど、そうではなくて、人や魔物に殺されたりだとか、災害や事故に巻き込まれて死ぬだとか、そんなお別れは絶対に嫌だ。
「(仮にも単独冒険者歴七年で、レベル46で、リベルーチェのリーダーになったんでしょ! たった一人の仲間を守れなくてどうするの……!)」
そう自分自身を鼓舞しながら全力で、力一杯に、サンクチュアリを握りしめて骨の腕を押し返す!
「グ、ワ……アアアッ!」
そして遂にせめぎ合っていたサンクチュアリと骨の腕の均衡が破れ、押し返されたファクトがよろめきながら吹き飛んでいった。
けれどあくまでもよろめいているだけだし、斬ったり、突いたりとした剣撃は入れていないので、ダメージとしてはあまり期待出来ないだろう。最も殺す事が目的ではないので、この場合はあまり気にしなくても良いとは思うけど。
「ありがとう、ツァーイ。もう駄目かと思ったよ……。」
それでもその間にイラはよろよろと立ち上がりながら、苦笑していた。
「ツァーイ、フードが……」
「あっ……そうだ、取れちゃったんだった。」
けれどその困ったような笑みも私のフードが取れてしまい、素顔を晒している事に気付くと、笑みだけが失われて困ったようにワタワタとし始めていた。
私もフードが取れた時はそうだと認識をしていた筈なのに、一瞬の間に必死になりすぎていてその事をすっかりと、ど忘れしてしまっていた。
イラと二人きりであれば気にする必要もないのだけど、ここには私の事情を知らないフェアリとファクトがいる。明らかに正気ではないファクトはともかく、フェアリには私が【蒼い疫病】だと知られたくないので急いでフードを被り直さないと――
「ツァーイさん……ですよね? 危うくイラさんを守り切れない所でした……本当にごめんなさい!」
――と考えだしてフードに手を回した所で、少し離れた位置にいた筈のフェアリが駆け寄って来ていて、バッチリと私の髪色を見られてしまった。それから瞳の色も。
フェアリに素顔を見られたのが初めてだからか、疑問形で問いかけられたけど、きっと私の髪色を見た事で私が【蒼い疫病】だと感づいてしまったのだろう……。
【蒼い疫病】の有名な噂話の一つとして、髪と瞳の色が他に類を見ない蒼い色だと言う事だけが出回っていて、実際に私もあちこちを転々として来たけれど蒼色の髪や瞳を持つ人を他に見た事がない位だ。
「あっ……ツァーイさん、その髪色……そんな、まさか……」
「あ、違うんだフェアリ。ツァーイには、その、事情があって……」
案の定私の素顔を見たフェアリがプルプルと肩を小刻みに振るわせながら、喉が詰まったかのように言葉をポツポツと零し始めた。
それを見たイラは相変わらずワタワタとしながらも、ファングの街の協会で起きた出来事を彷彿としたのだろう。私を庇おうとフェアリに何かを訴えようとし始めた。
けれど、この流れは、絶対に良くない。
今までこういった反応をした人達は次の瞬間に揃って言う事は私への非難の声だ。「【蒼い疫病】がどうしてここに!?」とか、「ここから出て行け!」だとか、「病原菌は死んでしまえ!」とか。
【蒼い疫病】の噂話自体は全部が嘘とは言わないけれど、話の九割九分が事実を捻じ曲げて私にこじ付けをした物だ。事情を知らない人達からすれば私は忌むべき対象と言う事になっているらしく、まともに取り合って貰えなくなる。
私は思わずここが戦場だと言う事も忘れてしまい、目を伏せて、顔を俯かせて、フェアリの口から飛んでくるであろう言葉と言う名の刃による精神攻撃に少しでも耐えようと身構える。これは故郷を出てから各地で【蒼い疫病】としての私に向けられた敵意や悪意、害意によって染みついてしまった条件反射。
「そんなに綺麗な髪色なのになんで隠していたんですか!!」
「「え……?」」
――けれど、フェアリが零した言葉は口汚い罵倒でも、非難をする声でもなく、予想していなかったと言うか、全く予想できなかった言葉だった。
反射的に私とイラが揃って間抜けに聞こえそうな声をポツリと零した。
それにお構いなしと言う様にフェアリが私の髪へと手を伸ばした。
「ふわぁ……近くで見ると本当に綺麗です。それにフワフワしていて触り心地も良いですね。羨ましいです……。」
「え? え?」
一体何が起きているのか分からない程に私は混乱した。イラもどうすれば良いのか分からない様子で私とフェアリを交互に目配せしながらオロオロとしていた。
今までに出会った人達は(故郷の人達とイラを除いて)口を揃えて私の髪色を見ては【蒼い疫病】だと忌避していたと言うのに、それと真逆の事を言われている。
私の髪を玩具のように撫でながら褒め続けているフェアリの真意が良く分からない。もしかしてフェアリもイラのように記憶喪失者で【蒼い疫病】の悪評を知らない……とか? いや、でも、そんな事がこうも立て続けにあるなんて、そんな都合の良い事がある筈が――
「【蒼い疫病】……でしたっけ?」
ほら、やっぱり知られてる……!
先程までの都合の良い期待は一瞬にして脳裏から吹き飛んで行く。
「ツァーイに何をするつもり……?」
それとほぼ同時に【蒼い疫病】と言う言葉に反応してか、隣にいるイラの顔が強張って、私の髪で遊んでいるフェアリの手を払いながら私を抱き寄せる。
それを恥ずかしいと思いつつ、私は安心感のある温もりに抵抗できなかった。
けれどフェアリは私達の内心を知ってか、知らずか、相変わらず自分のペースを崩そうとはせずに言葉を続けた。
「心配しなくても何もしないですよ。私やファクトもあちこちを転々としているから【蒼い疫病】の噂は何度も聞いた事がありますけど、何も知らない他人の言う悪評なんて態々気にならないから。」
「それなら良い。」
フェアリの言葉に安堵をしたのか、イラが抱き寄せていた手を放して解放された。
その事に対して少し名残惜しいなぁ……等と考えてしまっている自分がいる事に気付いて、途端に顔に熱が篭って行くのを感じたのは気のせいだろう。
「それに私にとって大切なのはファクトだから。ファクトを助けてくれるって言ってくれた貴方達に酷い事はしないよ。私やファクトも似た者同士だし。」
「フェアリ……。」
続いたフェアリの言葉に目が熱くなって行くのを感じて、私も何かを言わないとと思ったけど思考がグチャグチャしていて何て告げれば良いのかが分からない。それでも思考を回して何か言わなくちゃと言葉を手探りで探し続けていると――
「アアアアアッ!」
吹き飛ばした筈のファクトが人ではなく、魔物と酷似する叫び声を上げながら戻って来ていた。
こちらに向かって振り下ろされる骨の腕にサンクチュアリを振るって応戦をする。
「フェアリ! どうすれば良いの!?」
「は、はい。ファクトが元に戻るまでの間動きを止めておきたいんです。一応元に戻るまで戦闘を続けるのでも良いんだけど……。」
「二つ目の方だとイラが死んじゃうよ!」
フェアリの提案に思わず応戦をしながら声を上げる。サンクチュアリと骨の腕のぶつかり合いはほぼ互角の均衡を保ったままだ。
私……と恐らくはその方法を知っているフェアリなら後者の選択でも大丈夫だとは思う。けど、武器を失っているイラをこのまま巻き込んで長期戦を行うのはとても危険なので、この場の選択肢としては駄目だ。
「だから『氷結』でファクトを凍らせて止めようと思ったんだけど、詠唱をするだけの時間と狙いを付けるだけの時間が稼げなくて……。」
「なら私が時間を稼ぐからイラは魔法の詠唱をお願い! 準備が出来たら合図を出して。魔法を当てられるように隙を作るから。」
「分かった。」
言うが早いか、イラは少し下がった位置へと後退して行ったのか背後から遠ざかって行く足音が聞こえる。
普段は私とイラの二人共が片手剣を扱っての戦闘に慣れていると言う事もあってうやむやになっている事も多いが、本来の集団戦では魔法を扱う人は戦況を見渡しやすい後衛に下がって詠唱に集中を行い、仲間を巻き込まないように効果的な場所を定めて魔法を放つ事を是としている……らしいから。
らしいと言うのは、イラと出会うまでの間に私が一度も集団での戦闘を行った事がないのもあって、その辺の知識は家から持ち出した本の中にあった戦術書にそう書いてあったのを読んだだけだからだ。
そう言った本に依存した知識の一端はファングの街を出てから少しずつイラに貸し与えて読み込んで貰っていたり、時折会話の流れで私の口から伝える機会があって少しずつではあるけれどイラにも伝わっていた。
下がって行くイラの足音を他所に、サンクチュアリを持つ手に力を込めて強引に押し切ろうと前に一歩踏み込む。
カレントバジリスクとの戦いで見た通常時のファクトであれば純粋な力勝負で私に勝ち目はなかったと思うけど、大剣や魔法を使用せず、理性も失い、暴走をしているだけの今のファクトになら何とかなるという自信があった。
「フレイムボール!」
サンクチュアリと骨の腕がぶつかり合ったまま、意識を体内の魔力に集中させて魔法を放つ。それによって中型の炎の球がその場に生成された。
本来ならフレイムボールは魔法の発動後に対象へ向かって一直線に飛んでいき、何かに触れた所でそれを燃やすのだけど、今回は私とファクトが鍔迫り合う程に至近距離にいる。
炎の球は生成されるとほぼ同時にファクトに触れて、ファクトを燃やし尽くそうとする。
イラは魔法の使用頻度が少ないから慣れていないみたいだけど、私はこのように剣を振るいながらでも魔法の発動を行う事が出来る。
とは言っても詠唱や想像に集中をするのが魔法だけの時と比べて難しくなるので、基本的には魔法の効果自体は劣化し易くなってしまう。
特にフレイムボールのように元々の威力が高くはなく、詠唱破棄で扱えるような簡単な魔法ともなれば期待出来る効果も当然薄くなる。
「アアアッ!」
現に今さっきファクトを燃やそうとしていた炎は既に彼の咆哮によって掻き消されてしまっている。
どういう仕組みなのかは分からないけれど、魔物の中には咆哮や叫び声によって魔法を打ち消す種族が存在している。ドラゴン系統の魔物なんかはその中でも有名な部類だが、恐らくファクト自身がそういった力を持っているのだろう。
だけど魔法の効力が薄くても、すぐに掻き消されてしまっても、それによって隙は生じる。元々の鍔迫り合いはほぼ互角だったのだから尚更。
「やあっ!」
「グアアアアッ!」
サンクチュアリを握りしめながら更に一歩踏み込みながら、押し切る。
フレイムボールによって生じた僅かな隙によって、互角だった均衡は崩れてファクトが軽く吹き飛んだ。
「ガガアアアアアアアアッッ!」
しかし理性を持たずに暴走しているファクトは態勢を立て直してすぐさまこちらへと向かって走って来る。
もしもこれが本気の殺し合いだとしたら、今すぐに逃げ出したくもなるようなタフな相手だとも思う。なにせ一対一では相手に致命的な一撃を負わせる隙も作れなければ、ほぼ互角の力量の相手なのだから短時間の戦いでも簡単に疲労が溜まってしまう。
けれど今回に限っては勝利条件が普段の『討伐』ではなく、『時間稼ぎ』だ。それならば相手を抑え込めている今の状況はそんなに悪くはないと思えた。
もしもイラが氷結を外してしまったり、或いはイラの魔法では動きを止める事が出来ない、等という状況になればまた別の手段を考える必要はあるけれど、その時はその時だ。
再び骨の腕を振るって来たファクトに対して、同じように何度もサンクチュアリを振るう。
カンッ! ガンッ! カンっ! と子気味良い剣撃の音が鳴り響く。
何度目かの打ち合いの後に、私は大きく後ろへと飛び下がる。
「バリバリっとカカン! ルミリエール!」
「ありがとう、フェアリ。」
「いえ、こちらこそ色々とありがとうございます。」
丁度そのタイミングでフェアリの放った魔法によって障壁が間に発生し、ファクトがそれを打ち壊そうと何度も骨の腕を乱暴に叩き付けていた。
その間に私も魔法の詠唱を始める。
「眩き光の力よ、暗闇を照らし出して。」
ファングの街を出てからフォレスタウンに着くまでの道中で、イラの魔法を何度も目にしているから分かる。
そろそろ氷結の発動準備が整っているのだと言う事を。
だからこそイラが氷結を当てる為に必要な隙、それを作る事に適した魔法の準備を整えておく。
「準備出来たよ!」
そう叫びながら一度離れたツァーイとフェアリの下へと駆け寄って行く。正確には二人から数歩程後ろに下がった位置だけど。
単に魔法を発動させるだけなら一人でも出来たのだろうけど、この世界の魔法は同一の物でも想像の力や詠唱の長さによって効力を大きく変化させてしまう。
単に全力の一撃を放つだけならば案外楽に放てるのだけど、それだと魔力の枯渇を引き起こして術者である自分が気を失い、強大な想像によって放たれた魔法が暴走をしてツァーイやフェアリを巻き込んでしまう恐れもあった。
その上で人間であるファクトを全身……とまではいかなくても、両手両足を封じる程度には凍らせる必要があると言うのは魔物相手に討伐を目的に放つのよりも難しいし、それに適しただけの効力が期待出来るように想像と詠唱を調整すると言うのはどうしても時間がかかってしまう。
当然ながら剣を振るい、弓矢を放ちながら行う事は愚か、逃げの一手に集中して動き回りながら行う事すらもまだ無理だ。
だけどツァーイが時間を稼いでくれたお陰で安全に、そして安心して準備をする事が出来た。
ファクトの動きを封じるのに必要な魔法の想像を。
自分が魔力の枯渇で倒れたりしないだけのギリギリの詠唱を。
仲間を巻き込まず、かつその範囲で自分が今撃てる最大限の効力だと思える準備を。
「そろそろだと思ってたよ。」
振り返りながらそう言って微笑を浮かべるツァーイはこの状況でも余裕そうに見えた。
流石だなあ、と思う一方で実は無理をしているんじゃないかと少しだけ不安にも思う。
戦況を確認するとツァーイの隣にはフェアリがいて、二人の奥にはファクトがいる。ファクトはフェアリが創りだしたルミリエールを壊そうとしていたけど、今度のは詠唱を行った物だからか結構な耐久性を誇っているようで、後数回の攻撃は防げるようにも思えた。
「ファクトが次に向かって来たタイミングで私がフラッシュを使って動きを鈍らせるから、イラはそこを狙って氷結をお願い!」
「分かったよ。」
ツァーイの普段と比べるとやや早口で、けれど聞こえ辛さなどは感じさせない指示に手短に頷く。
「念の為にフェアリは私の後ろに隠れていて。」
「分かりました。お二人ともファクトをお願いします。」
「うん。それじゃあフェアリ、あの障壁の解除をお願い。」
「はい。」
ツァーイの言葉にフェアリが頷くと同時にルミリエールがスゥと解けるように消滅した。
丁度骨の腕を振るうタイミングだったファクトは空振りになった自らの攻撃に勢いを殺される結果となり、奇襲を仕掛けるのには十分な隙が一瞬だが出来上がった。
「フラッシュ!」
その瞬間に剣を左手に持ち替えながら、狙いを定めるように空になった右手をファクトに向けて前に突き出すツァーイ。
放たれた光属性の魔法フラッシュによって眩い輝きがファクトへ向けて放たれた。
魔法を放ったツァーイ本人、そしてその後方にいる僕やフェアリに対しては少し眩しく見える程度の光でしかない。
けれどツァーイの前方にいるファクトに対してはそうではない。その光に痛みこそはないものの、突然瞳に映った眩し過ぎる光によって、しばらくの間は目が使い物にならない事だろう。
「アアアッ! ガガガガアアアアアッッ! ググゥ!」
事実としてファクトは叫び声を上げながら、右も左も上も下も分からない様子でその場で骨の腕を滅茶苦茶に振り回している。
これによって一瞬の隙は、より大きな隙となった。僕でも魔法を当てるのは十分な程に。ツァーイが命懸けで作ってくれたチャンスを無駄になんてしない。絶対に外したりするものか。
「いっけえぇ! 氷結!」
右手を突き出すようにかざして狙いを定め、準備していた魔法を解き放つ。
瞬間的に冷気が発せられてデタラメに暴れ狂っているファクトの手を、身体を、足を、次々と氷漬けにしていく。
最初に暴走をしてしまった時とは違い、適切な量の詠唱と標的だけを狙い、必要な効力を発揮する為の的確な想像のお陰で周囲一帯が凍てつく世界になるような事はなかった。
あくまでも氷漬けになっているのはファクトの首から下だけで、周辺への影響はファクトを中心に少しだけ気温が下がった程度でしかない。
「アアアッッ! グアアッ! グ、ググゥ……」
氷漬けになったファクトは自らの身体に起きた以上に気付くと暴れ出そうとしたが、次第にそれが無駄だと分かったのか、それ以外の理由があるのかは分からないけど少しずつ大人しくなり始めて唸り声を上げるだけになった。
「とりあえずこれで、一件落着……かな?」
その光景を目にしながら、身体中から力が抜けていくのを感じて思わずその場に座り込む。
魔力の枯渇を引き起こしてこそいないものの、身体中から魔力が消耗された影響で一時的に脱力をしてしまったのだ。魔法の効力が低ければファクトが氷を壊してしまうのではないかと危惧して、今使える魔力を限界ギリギリまで掻き集めて放った一撃だから無理もなかった。
とにもかくにも、クエストをこなす為にタイガの森を訪れて、明日以降の為に二層の入り口を探し始めてフェアリと出会い、急遽六層まで進む事になって、狂暴化したカレントバジリスクを討伐して、そして暴走したファクトを止める事になって……予定外の事が多すぎたけど、これでようやく一段落ついたのだ。
「そうだね。……うん。ファクトも氷を壊すのは無理そうだし、大丈夫かな。お疲れ様、イラ。」
「ああ……イラさん、ツァーイさん、本当にありがとうございます!」
ツァーイが座り込んだ僕に視線の高さを合わせるようにしゃがみながら声をかけ、フェアリがそんな僕達に頭をブンブンと何度も縦に振りながら感謝の言葉を述べてくれた。
やがてフェアリは笑みを浮かべながら凍り付いたファクトの下に駆け寄って行った。その様子を後ろから見つめながら、ふと思っていた言葉が零れ落ちた。
「フェアリは本当にファクトの事が大切なんだね。」
「うん。……あのね、イラ。ありがとう。」
「え?」
するとツァーイから唐突にお礼を言われて、何の事か分からないできょとんとしてしまった。
「フェアリを助けようって言ってくれた事。……色々思う所はあったけど、もし私一人だったら助けようって踏ん切りが付かなかったと思うから。だから、ありがとう。」
「うん。……でも僕はツァーイの力になりたかっただけだよ。もし君が本当に冷たい人でフェアリを見捨てる事に迷わなかったなら、僕も気にしなかっただろうし……。」
僕個人で助けを求めるフェアリが気にならなかったと言えば嘘になるけど、それでも今の僕にとって一番大切なのはツァーイだ。
そのツァーイが【蒼い疫病】の悪評のせいで自身が傷つく事を恐れて、本当なら助けたいと思える人に手を指し伸ばす事を躊躇してしまっていた。
だから僕が代わりに引き受けようとしただけであって、もしツァーイが人助けなんてしたくないとバッサリ言い切るような人であったなら僕も見て見ぬ振りをしたと思う。多分、きっと。
でもツァーイは、【蒼い疫病】の悪評が関与しない、本来の彼女の本質は記憶喪失の行き倒れを拾ってしまうようなお人よしなのだ。相手が悪人だとか、自分を傷つけた人などの例外は別かも知れないけど。
「だけどイラは自分の命を楽観視しすぎだよ。私やフェアリがいたから何とかなったけど、今日一日で何回死にかけてると思っているの!? 私、気が気じゃなかったんだからね……。帰ったら沢山お説教なんだから……。」
「うん。ごめんね……。」
瞳を潤ませながら睨み付けて来るツァーイの様子に僕は苦笑いをしながら答えた。
出会った当初は本音を隠している……とまでは言わなくても、どこか遠慮がちな部分がチラホラ見え隠れしていたツァーイだけど、彼女の過去を聞いてからはそう言った事は少しずつ薄まっていた。
今こうして怒ってくれているのも、僕の事を心配してくれているとか、それだけ大切に思われているのだと考えると申し訳なさと同時にありがとうという気持ちも同時に湧いてくるし、以前よりも信頼されている証だと思うと嬉しいとさえ思えた。
「もう。本当に分かっているの?」
「あはは……。」
そんな風に僕達は他愛のない会話を続けていた。
もう戦闘は終わったのだと。
ダンジョンから脱出をする際にはまた魔物と戦う事もあるだろうけど、この場所は今しばらくは安全なのだと思い込んでいた。
ふとフェアリとファクトの方に視線を向けてみると、それが甘い考えだったと言う事を思い知らされる光景を目にする事になった。
「ガガガアアアァァアアアァアアッッッ!!」
そこには今、正に、自らを戒める氷を砕いて狂暴な獣の如き叫び声を上げるファクトが、そんな彼を心の底から案じて、無防備に近づいていたフェアリに、襲いかかろうとしていた。




