記憶二十六―暴走、それは魔の力―
事が起きたのは一瞬だった。
「これで……!」
ツァーイが倒れ伏せているカレントバジリスクに止めを刺すべく、近付いて剣を振り上げた瞬間にそれは起きた。いや、起きてしまった。
「……ッウゥ。アアアアァァァ!!」
まず最初に異形の姿をしているファクトが突然に苦し気に呻き声を上げながら膝をついた。
「ファクトッ……!」
すると遠目からそれを確認したフェアリが、彼を案じて傍に駆け寄ろうと僕の後方から同じように駆け出した。
「え? どうしたの?」
ファクトの近くにいたツァーイもその声に注意を削がれてしまい、カレントバジリスクに止めを刺そうと振り下ろそうとしていた剣から勢いが消えてしまった。
「ジャージャージャー!!」
そしてその隙をついてカレントバジリスクが至近距離からツァーイへと襲いかかる。
カレントバジリスクは意識を失ってなどおらず、狂暴化しても尚残っていた蛇としての狩猟本能に身を任せて反撃の機会を虎視眈々と狙っていたのだ。それに気が付いたのはカレントバジリスクから目を離していなかった僕だけだった。
「ツァーイ! 後ろ!」
「っ!? しまった……。」
ツァーイがファクトに気を取られたのは本当に僅かな間だけだった。僕の声が聞こえたのかは分からないけど、ツァーイはすぐにカレントバジリスクへと向き直った。けれど、この僅かな隙が優勢だった筈の戦局をひっくり返すには十分だった。
カレントバジリスクは雷の魔力で放電を放ちながらツァーイを噛み千切ろうと接近し、ツァーイは自分に当たりそうな電撃を剣で切り裂きながら少しずつ後退していく。勿論ファクトがいる方向とは別の方にだ。
だけど先程までとは違って一人でカレントバジリスクの相手をしているツァーイは防戦一方となってしまっていた。
これまでの優勢はツァーイとファクトが二人がかりで戦っていて、片方が囮となって防御に専念し、もう片方が攻撃を行っていたからだ。それが一人で戦う事になれば当然防御こそは出来るが、攻め手が欠けてしまうのは必然だった。
加えて不味い事に瀕死で動きが鈍っているとは言え、人間よりも圧倒的な巨体を誇るカレントバジリスクはジワジワとツァーイへと迫り続けており、その距離は徐々に狭まっていた。
そして一分とかからずにカレントバジリスクの牙が狙いを定め、ツァーイへの眼前へと迫っていた。
カレントバジリスクとの距離が近くなるに連れて放電が激しくなっていたツァーイはそれらの対処にばかり気を取られていたのだ。
「こんのおぉ!」
それでもツァーイは放電を切り裂いた斬撃の勢いを殺さないままに向かって来るカレントバジリスクを向かい撃つかのように斬りかかる。
だけど駄目だ。仮にその一撃でカレントバジリスクを倒せたとしても、恐らくそれと同時にカレントバジリスクの毒牙もツァーイの身体を貫くのは目に見えていた。だから――
「さーせーるーかーあああぁぁぁっ!」
僕はずっと握りしめていた弓矢で一矢を放った。狙いはカレントバジリスクの目玉だ。どれだけ鱗が固くても、どれだけ身体が大きくても、どれだけ狂暴な魔物だろうと、目玉は普通の生物と同じく脆く急所の一つとなっている筈。それならば木の矢でもダメージを与えられると思って。
カレントバジリスクの巨体に反して小さい目玉は戦闘開始時の後方からは全然狙いが付けられなかった。だけど今の僕はツァーイのすぐ真後ろに、つまりはカレントバジリスクのすぐ傍まで近づいていた。
カレントバジリスクが最初に倒れた時からツァーイの下へと走っていた僕は、ツァーイが別方向へと後退して行く事もあって時間がかかったけれど、何とかここまで移動をする事が出来ていた。
そしてこの至近距離ならば、加えてツァーイやファクトとの戦闘で手負いとなって動きが鈍っていて、ツァーイにを襲う事だけに意識を向けている標的なら、絶対に外さない!
「ギャージャーギャー!」
ビュン!と勢いよく放たれた一矢は狙い通りにカレントバジリスクの目玉に突き刺さり、そこから濁った緑色の体液が大量にボタボタと零れ落ちていく。
予想外の一撃を受けたカレントバジリスクは痛みからか怯んでしまい、ツァーイへと襲いかかろうとしていた一連の動作を止めてその場でのたうち回る。
「もう一発喰らえっ……!」
「ギャーギャーギャー!」
すかさずに次の矢をカレントバジリスクの反対側の目玉に向けて放つ。その矢も難なく狙い通りに命中し、零れ落ちる体液が倍増し、カレントバジリスクは更に激しくのたうち回りながら苦し気に声を荒げた。
「これで、お終い!」
その隙をついてツァーイが放っていた斬撃を、本来なら差し違える筈だったその一撃を一方的に命中させ、そのまま剣を突き刺したままカレントバジリスクの右側から剣を力一杯に握りしめて走り抜く。
「ギャ……ジャ……」
その結果、カレントバジリスクは上半身と下半身で真っ二つにされて再び倒れ伏した。そして今度こそ、討伐報酬と思わしき黄緑色の鱗を一枚落とした。それと同時にカレントバジリスクの肉体は黒い靄となって周囲に拡散して消滅していった。
「ま、間に合って良かった……。」
カレントバジリスクの消滅を見届けながら、身体中から力が抜けていくのを感じて思わずその場に座り込んでしまった。
「イラの馬鹿!」
そうして安堵をしていると、突然ツァーイの声が響いた。何事かと思って声が聞こえた正面へと顔を向けて見るとツァーイが震えながら怒っている様子で近づいて来ていた。
「戦闘前に私言ったよね!? イラは後衛から援護に専念をしてって。」
「うん。」
ツァーイの問いに頷く。思い返すまでもなく、確かにカレントバジリスクとの戦闘開始前に「イラは後衛から弓矢と魔法で援護に専念をして。」と言われている。
「なのにこんなに前に出て来て、無茶して……」
「えっと……ツァーイ?」
目の前にまで来たツァーイがしゃがみ込んで目線の高さを合わせてくれた。近くで見るとツァーイの瞳は泣き出しそうな程に潤んでいた。
本来なら「嫌な予感がしたから」とか「近づかないと急所を狙えなかった」等と言えば良かった筈なのに、ツァーイの様子を見たら何て言葉をかければ良いのか分からなくなった。
そうやって困惑していたら、いきなりギュッと軽く抱きしめられた。
「もしもイラに何かあったら私は――」
先程までの怒った声とは一変したか細い声で、ツァーイが何かを告げようとしてくれた瞬間。
「アアアアアアアアアアアッッ!!!」
「ファクト! ファクトってば! お願いだから元に戻ってよ!」
カレントバジリスクの物とは異なった、けれど同種のような荒れ狂った雄叫びが遠くから聞こえて来た。
僕とツァーイが何事かとそちらへと顔を向けると、そこには手に持っていた筈の大剣を投げ捨てて骨の腕を振り回しながら暴れているファクトの姿があった。
そしてその近くではフェアリがファクトに向かって何かを訴えかけるかのように呼び掛けていた。
「ウ、アッ……アアアアアッ!」
「ファクト! 戦いは終わったんだって!」
その様子に一瞬だけファクトの動きが鈍ったような気がした。けれど、再び声を荒げながらファクトは骨の腕を振るい続ける。
フェアリはそれに当たらないように避けながら、それでも呼びかけるのを止めなかった。
「ファクトがフェアリを襲ってる……? どうして……?」
「そんなの分からない……けど、放っては置けないよ! 話の続きは後でするから。」
ファクトとフェアリは仲間の筈なのに、どうしてそんな事になっているのかが分からなかった。先程までとはまた別の理由で困惑している僕を他所にして、ツァーイは一人で二人の下へと走り出した。
「あっ! 待ってよ!」
それを見た僕もツァーイの後を追いかけて走り出す。けれど全速力で走っているツァーイはとても早くって、差は広がり続ける一方だった。
それもその筈で冒険者情報の上では僕のスピードが『34』で、ツァーイは『50』だった。だからツァーイが本気を出したら今の僕が追いつく術はなかった。
「アアアアアッ!」
「駄目っ!」
フェアリに向けてファクトが勢いよく骨の腕を振り下ろすのが見えた。
ファクトは人ならざる異形の姿をしてはいたが、先程までの戦闘において意志の疎通は取れていた。それなのに、今のファクトからは人間味のような物を全く感じる事が出来なかった。
思えばファクトの調子はカレントバジリスクとの戦闘中に少しずつ悪くなっていたように思う。その時は長時間に及ぶ戦闘での疲労が原因だと思っていたし、実際にそれも一因ではあると思う。
だけど、それがどうして、仲間を襲うなんて事になっているのか。……考えても分からないけれど、少なくとも今のファクトが正気ではない事だけは何となく分かっていた。
だからフェアリに向かって振り下ろされた一撃が彼女に命中してしまう前に、私は間に二人の間に滑り込みながらサンクチュアリの平面部分で骨の腕を受け止め、そのまま下から上へと突き上げるように弾き返そうとした――筈だった。
「なっ……!」
ファクトの骨の腕は確かに異形だ。けれどその大きさは彼が扱っていた大剣と同程度の大きさの筈で、だからこの一撃は大剣やそれと同じサイズのハンマーや棍といった打撃武器と同程度の威力の物だと思っていた。
対人戦の経験はないけれど、武器(或いはその類似品)を扱う人型の魔物との戦闘経験はあったので、それらと同じような対処法を試みた訳だ。
それなのに受け止めた一撃は想像していた威力とは異なって、それ以上に鈍重な破壊力となって襲いかかってきた。サンクチュアリではその衝撃を受け止めきれず、私は自分の身体が勢いよく宙へと飛ばされ、サンクチュアリも私の手を離れて別方向へと飛んでいくのが分かった。
このままでは地面か、周囲の木々か、それとも別の何かか、何にせよ勢いよく叩き付けられて軽い怪我程度では済まない。その一方で何故だか自分が吹き飛ばされた事を何だか客観的に見ている自分がいるような気がした。
咄嗟にどうやって受け身を取ろうかなと思考に集中をし始めたけど、結論を出す前に強制的に思考が現実に引き戻された。
「ツァーイ! 大丈夫?」
吹き飛ばされていた筈の身体が地面に叩き付けられた訳でも、木々と激突を果たした訳でもない。
またそれらが起きるにしてはやけに早く、痛みも感じなかった。
柔らかくて、それでいて少しばかりの硬さも感じて、暖かくもある別の何かに受け止められていた。
一瞬何が起きたのか訳が分からなくて、聞こえて来た声の方(つまりは真後ろ)へと反射的に顔を向けるとそこには心配そうにこちらへと視線を向けているイラがいた。
「え? あ? え?」
本当に訳が分からなくて周囲をきょろきょろと見渡してみると、足元にイラの物と思われる足跡が少しばかり後ろへと後ずさった痕跡が見つかった。
きっとファクトに吹き飛ばされた所を後方から追って来たイラが受け止めてくれたのだろうと思い至る。足元の痕跡はその衝撃に耐えられなかったイラが反動を分散させる為にそうしたのだろう。
「あ、ありがとう。」
「うん。どういたしまして。……それよりどうするつもりなの?」
「ファクトを止めないと。多分だけど今のファクトは正気じゃないだけだと思うし、それに仲間同士で殺し合うなんて絶対に駄目だよ!」
「そうだね。それじゃあ僕が時間を稼いでおくから、ツァーイは自分の剣を取りに向かってよ。」
そう言ってファクトへと向かって行こうとするイラ。
駄目。行っちゃ駄目だよ。今のイラがファクトと戦ったら私みたいに吹き飛ばされて大怪我をさせられるかも知れないし、最悪の場合は死ぬかもしれない。剣がなくても私が魔法でどうにかしてみせるから、イラは後ろに下がっていてよ。イラに何かあったら、貴方がいなくなるような事があったら、また独りぼっちになったら私は、私はきっと耐えられない。
死地に飛び込もうとしているイラの姿を見た瞬間にそういった思いが、不安が、心の中を満たしていった。だからイラを止めなくちゃと思って、感じた不安をそのまま言葉に出そうと「駄目」と言いだしたのとほぼ同時だった。
「さっきの話だけどさ、僕も同じだよ。」
「え?」
駆けだそうとしていた足を一旦止めたイラがこちらへと振り返りながら、笑みを浮かべながら語りだした。
「僕もツァーイが一人で前に出ているのを見て凄く怖かった。もしも君に何かあったら、もしも君がいなくなるような事があったら僕は耐えられないよ……。」
それは私が言おうとしていた筈の言葉だった。
私が感じていた不安と同じ物だ。
「勿論ツァーイが僕の事を心配してくれるのも嬉しいし、ありがたい事だって言うのは分かるんだけどさ。少しは君の役に立たせてよ。僕一人で倒したり止めたりするのは無理かも知れないけどさ、時間稼ぎ位なら出来るから。」
そう言って改めて駆け出して行くイラ。
「(やっぱり、イラは自分勝手だよ。)」
状況が状況だからというのもあるけれど、言いたい事だけを言って、伝えたい事だけを伝えて、その返事や返答は望まずに行ってしまうイラの後ろ姿を見送りながら、自分はサンクチュアリが吹き飛ばされた方向へと走り始める。
イラに私の本心を見透かされなければ、イラがフェアリの頼み事を引き受けなければ、タイガの森の第六層まで足を踏み入れる事も、狂暴化したカレントバジリスクと戦闘をする事も、何故か暴走しているファクトを止めようとする事も、幾つもの不要な危険を冒す事はなかったのだ。
それでも放っておいたらイラは一人でも行っただろうし、その場合はフェアリの案内で無事にここまで来れたとしてもカレントバジリスクには勝てなかったかも知れないし、それ所か戦闘が最悪の場合にはカレントバジリスクと暴走したファクトの両方をイラとフェアリの二人だけで相手にする事になっていたかも知れない。
「(だから私も着いて来た事を後悔はしていないし、結果的に人助けになるのなら悪い気はしないけど――)」
もしもイラと出会わないままに私一人でこの地を訪れて、同じようにフェアリと出会っていたら、私はきっと彼女の頼みを悩んだ末に断っていたのだろう。
その末にフェアリとファクトが助けられなくて、数日後に私がタイガの森に慣れて来て第六層の最深部まで訪れた際に一人でカレントバジリスクと戦闘になったかも知れないし、一人ではもっと手こずった事だろうし、そうなっていたら多分死んでいたとも思う。
そう考えればイラがフェアリの頼みを聞き入れて、ファクトとも共闘をして、四人でカレントバジリスクと戦闘を行えたと言うのは決して悪くない話ではあった。また事前にフェアリから敵を教えて貰えたお陰で心構えも出来たし、結果的には一人で戦うよりも遥かに楽ではあった。
勿論戦闘中に気を緩める事は出来なかったし、イラの攻撃は全く効いていなかったけれど、大人数での戦闘も悪くはないなとか思ってしまった。
けれどいざ一対一の状況になってしまった際にはこちらが防戦一方になってしまい、(それでも差し違える状況にまでは持って行けたけれど)何度目かの死を悟るような感覚を久しぶりに感じてしまった。
それでも自分が今も生きているのは、この命が潰えてしまわなかったのは、間違いなくイラのお陰だ。もしもあの時、イラがカレントバジリスクの両目を撃ち抜いて動きを止めてくれなかったら、自分は絶対に死んでいた。
私が『自分勝手』だと思っているイラの行動によって私もフェアリも助けられている。
きっとこの場でもなんやかんやとイラのお陰でファクトを助けられるとも思えてしまう自分もいる。
何もかも全てがイラのお陰で良い方向へと変化しているような気すらしてしまう。それでも――
「(それでも、お願いだから、言う事を聞いて、大人しくしていてよっ!)」
日頃から私の事を大切な恩人だと、行き場の分からない自分を拾ってくれたからと、その他にも色々と理由を見つけては好意的に接してくれて、普段は私の言う事には素直に従ってくれるのに。
なのに、ファングの街から逃げる際に禁止していた魔法を使ったり、フェアリの頼みを聞き入れたり、後ろに下がっていてと言ったのにカレントバジリスクの眼前にまで出て来たり。
本当に危険な時には何一つ言う事を聞かずに、誰かの為に自分勝手に行動をしてしまうイラに対して、少しだけ、本当に少しだけ、悪態をついてしまいたくなるのは私の我が儘だ。
そのお陰で私も助けられているし、その事には勿論感謝もしているのだけど、それと引き換えにイラ自身の身を危険に晒してしまっている事には納得が出来ないでいる。
「(もしもイラが勝手に死ぬような事があったら。私をまた独りぼっちにしたら、絶対に許さないんだから……!)」
私はイラに危ない事をして欲しくないのに。
イラは誰かの為になら、自分の身を簡単に危険に晒してしまう。
もしかしたら近い未来か、遠い将来か、いつかは分からないけれど、その内イラは私をおいてどこかへと逝ってしまうのではないだろうかと考えると怖くなる。
ふとそんな考えが脳裏を過り、瞬間的に心臓を掴まれたかのように胸の奥が痛くなり、背筋から全身に悪寒が広がって行く。
私はその考えを忘れようと首をブルブルと数回程振って、嫌な想像を掻き消そうとした。




