記憶十三―ツァーイの秘密三、それは悲痛な叫びと悲壮な決意と……―
どれだけ走ったのだろうか。
ほんの数十秒程度のようにも感じるし、十数分程度の軽い徒競走のようにも思えるし、数時間のマラソン気味に走りっぱなしだった気もする。
そんな風に時間の感覚が曖昧に感じてしまう程に走る……いや、逃げるのに必死だったのだから、ハッキリとした事を覚えていなくても仕方はないと心のどこかで思ってしまっていた。
普段は僕を引っ張ってくれるツァーイの手を、いつもとは逆に僕が引っ張って、慣れない暗闇の街中を走り出したと思ったら、気付いた時にはファングの街からそれなりに離れた場所であろう見知らぬ森林の中にいた。
更に付け加えると、ここまでの説明を第三者が聞いたら、まるで僕が彼女を助けたかのように聞こえるかも知れない……けれど実際には僕が後先を何も考えずに、ツァーイと何の相談もせずに半ば強引に連れ出して来たので……今の僕達は迷子や遭難者だと言っても差し支えはなかった。
正直やらかしてしまった感はあるのだけれど、それでもあんな状況でファングの街に留まる訳にもいかなかったので、反省はしているけど、後悔はしていない。
考えなしの出たとこ勝負は別に嫌いじゃないし、人気のない場所へと逃げるって事を考えると森林に来れたのは悪い事ばかりじゃ無い筈だしね。
「はぁ、はぁ……ここまで、来れば、大丈夫、かな?」
静寂に包まれる森林の中で、走りっぱなしだった足の速度を少しずつ緩めていき、やがて立ち止まると、呼吸も乱れる程に疲弊している僕は背後から追手の気配や物音がないのを確認する。
協会の出入り口を魔法で凍らせたから大丈夫だとは思うけど、確認は大事だ。
「ごめん、約束、していたのに、魔法、使っちゃって……。」
追手が来ていない事を確認してからツァーイに約束したいたにも関わらず、禁止していた魔法を使ってしまった件について謝罪をする。
呼吸の乱れのせいで言葉が中途半端に途切れてしまうのには目を……いや、耳を瞑っていて欲しい。
正直ウルフの討伐数を稼ぐ事よりも断然疲れている……もしかしたら走り続けただけじゃなくて、魔法を使用した事も影響しているのかも。
体力が限界に達していると感じた僕はずっと繋いでいたツァーイの手を放して、近くにあった木を背もたれにするように倒れ込みながら言葉を続ける。
「けど、ああ、でもしないと、危ない、気が、したしさ……。それに、かなり、カチン、と、きちゃって……。」
そこまで言ってから呼吸を整える為に一度言葉を切り上げた。
そこから深呼吸を繰り返す事三分程でようやく呼吸の乱れは解消された。
走りっぱなしで疲労していた足腰も多少はマシになっていた。
その間にツァーイは僕がもたれかかっている木から一本だけ離れた隣の木に座り込んでいた。
けれど、ツァーイは協会を脱出してからずっと俯いていて、先程の謝罪に関しても「どうして魔法を使ったの!」と怒る事も、「今回は仕方がなかったよ。」と許してくれる事もなかった。
「それにしても思い出したら、また腹が立ってきた!。あの時は状況が良く分からなくって、ツァーイを突き飛ばした男を一発ぶん殴って逃げだしたけどさ、ツァーイの事を悪く言っていた他の奴らにも一撃いれておくべきだったかな……。」
そんな風にツァーイがうんとも、すんとも、言わない状況で、だからこそ普段は明るく引っ張ってくれるツァーイの分まで僕の独り言が増えるのはある意味では自然な事だったのかも知れない。
しかし、今現在の僕はツァーイと出会って以来、最も機嫌が悪かった。
記憶喪失かつ行き倒れ同然だった僕を助けてくれた恩人をあんなに悪く言われたのだから、無理のない事だと自分でも思ってしまう辺りが、更に怒りを助長させていた。
あの謂れのない誹謗中傷がツァーイではなく、自分に向けられたものであった方が、まだ幾分か穏やかであった事だろう。
「大体【蒼い疫病】って何なんだよ! どいつも、こいつも、ツァーイの事を何にも知らない癖に悪く言ってさ!」
だから、記憶喪失で目覚めて以来、今まで口にしなかったような怒りに任せた言動が次々と僕の口から紡がれるのは仕方のない事なのだ。
過去を喪失した僕にとってはツァーイと出会ってからの事だけが全てで、実際にツァーイには何度も助けられていて、出会って数日しか経っていないとは思えない程に僕の中でのツァーイの存在はかなり大きくなっている。
まあ実際にツァーイと出会っていなかったら、ツァーイが旅に誘ってくれなかったら、間違いなく僕は今頃死んでいると思えるし。
魔物に襲われて死んでいるか、街に辿り着けずにどこかで行き倒れているか、街についても冒険者になると言う選択肢に気付けずに無一文で行き倒れるか……可能性を数え上げると切りはないけど、何にせよ生き抜けている自身はなかった。
「ああ、本当にムカムカする! ツァーイ、少しだけここで待っていて。今から一人で街に戻ってあいつら全員ぶっ飛ばして来るから!!」
だから、ツァーイに酷い事を言った、あの冒険者達を許せずに、僕の怒りは鎮火する所か、より一層とヒートアップし続けていた。
そしてツァーイを置いて、本当に一人で街に戻ろうと、疲労しきっていた筈の両足で立ち上がったのだけれど――。
「どうして……。」
「ツァーイ……?」
――今まで俯いていたツァーイの声が聞こえ、僕は街へ戻ろうとするのを止めて、ツァーイの方へと向き直る。
ツァーイは俯いたままで、表情は分からないけれど、だからこそ協会での怯え切って青ざめていた、あの表情が僕の脳裏に過り続けていた。
「どうして、私を助けてくれたの……? どうして、私の代わりに怒ってくれるの?」
「ツァーイ? 何を言って……だって、ツァーイは何度も僕を助けて――。」
ツァーイの言葉の意味が分からない。
だって、先に助けてくれたのは、記憶喪失で行き倒れていた僕を拾ってくれて、助けてくれたのはツァーイの方だ。
だから僕がツァーイを助けたいって思うのは一種の恩返しのようなもので、当たり前の事なのに。
先程まで自分の中で荒ぶっていた『怒り』の感情が、不思議と沈静化し始めたのを感じながら、そう言おうとしたけれど……。
「聞いたでしょ! 私が【蒼い疫病】だって! 私のせいで病に侵されるって!」
けれど、それよりも先に、ツァーイが今まで聞いた事のない程に悲痛な叫び声を上げていた。
普段の明るく笑っている様子とは、かけ離れた……痛ましい、拒絶するような声を。
ああ、そうか……ツァーイに酷い事を言った奴らに対する怒りは確かに僕の中でまだ暴れているけれど、それはツァーイの敵に向ける物であって、ツァーイに向ける物ではないのだ。
だから街から逃げ出して、二人きりになった現在は、いつもとは様子の違うツァーイがこれ以上ないって位に心配で、いつもみたいに元気になって欲しくて……。
だから、これは、『怒り』が沈静化したと言うよりも、『怒り』を上回る程にツァーイに対する『心配』や『不安』といった感情が大きくなっただけなんだ。
それでも、そのお陰で、先程よりも僕の意識は大分落ち着きを取り戻しているように感じる。
「私と一緒にいたらイラだって――」
「ツァーイ、落ち着いて!」
まるで自暴自棄になったかのように叫び続けるツァーイの様子を見ていられなくって、気付けばツァーイの傍へと駆け寄って、彼女の両手を自分の両手で包み込むように握っていた。
けれど、ツァーイは協会で罵声を浴びせられた時と同様に、カタカタと震えていて、いつもは暖かい手の温もりも、心なしか冷たくなっている気がした。
「大丈夫。大丈夫だから。ここにはツァーイの敵はいないから。」
「だけど、でも……イラだって、きっと……。うぅ、ぐすっ……。」
ギュッと手を握る力を強めながら、ツァーイを安心させようとする。
けれど、ツァーイは継ぎ接ぎだらけの言葉を呟くばかりで、やはりカタカタと震えたままだった。
俯いたままのツァーイの表情は見えないけれど、次第には泣きじゃくっている様な震え声まで聞こえて来た。
こういう時にどうすれば正解なのかが分からなくって、結局僕はツァーイが泣き止んで、落ち着くまでの間に手を握りしめながら、少しでも落ち着かせようと「大丈夫だよ。」とか「安心して」などの言葉をかけ続ける事位しか出来なかった。
「ごめんね、イラ……。私、感情がグチャグチャになっていて、迷惑をかけちゃって……。」
しばらくして、ツァーイが泣き止み、落ち着きを取り戻した。
だけど、ツァーイの表情は未だに青ざめており、一見普段通りに見えるかも知れないけど、それが無理をして作り出した虚勢である事はすぐに分かった。
「ううん、あんな目にあったんだもん。……普段通りでいる方が難しいよ。」
「うん……。」
「それにさ、さっきも言ったけど……僕も約束を破って魔法を使っちゃったし、後先考えずにツァーイをこんな場所まで連れて来ちゃったし……何かもう色々とごめんなさい。って感じだよ。」
「そうだね。確かに約束を破った事だけは褒められない……けど、イラが連れ出してくれなかったらきっと今頃、私は……。だから、助けてくれてありがとうね、イラ。」
「助けるなんて当たり前だよ。出会ってからずっとツァーイには助けられっぱなしなんだから。」
「私だってイラに助けられているんだから、気にしなくて良いのに。」
「先に気にしたのはツァーイの方なのに?」
「ふふ、そうだったね。……でも本当にありがとう。」
それでも先程までとは違って会話が成立するようにはなったのは大きな進歩だと思う。
先ほどまで握っていた手を放して、ツァーイの魔法を利用した簡易の焚火を囲みながら、僕らは状況を整理するかのようにお互いに謝罪と感謝をしながら話し合った。
また、追手が来るかも知れないのに焚火なんて目立つ事をして大丈夫なのかとも思ったけれど、ツァーイ曰く「ここの木々は高いし、場所も森林の深い中まで入り込んでいるから、煙も遠目からは見えない筈だから大丈夫。」との事だ。
この台詞だけでもツァーイが今までにも似たような事があったのではないかと、危惧をしてしまうのだけれど、きっとこれは聞いてはいけない事なのだろう。
それにもしも人の気配が近づいて来たとしても、暗闇が支配する静寂な森林の中ではすぐに気付ける筈。
そして敵に気付けさえすれば、また魔法で敵の動きを凍らせて、その間に逃げれば良いだけだ。
そして僕らの話し合いも一段落をついて、ツァーイの表情にも明るさが戻り始めた頃だった。
「ねぇ、イラ。前に話した事を覚えてる? 色々あるけど話したくないって、言った事……。」
ツァーイが本題と思わしき言葉を発したのは。
「うん。覚えているよ。あの時は……ううん、今もだけれど、街の中でツァーイの様子が違うのが心配で……でもお節介だったよね。」
街の中ではツァーイはフードを被り、人目を避けて、表情もどこかぎこちなくって、クエストの報告作業等も事務的に淡々と、それでいてテキパキと手短に済ませる。
それは街の外や宿泊部屋では絶えず笑顔を浮かべているツァーイとはどこかかけ離れていて、だから僕は不安になって、ぶしつけにもツァーイと出会った最初の夜に問いただしたのだ。
けれども、その時は結局理由を教えてもらえなくって……翌日に「ツァーイが話したくないならこれ以上は聞かないよ。」と約束をして、僕達の間でこの件は保留となっていた。
「そうだね。……本当は私も言おうか、どうか、迷ったんだ。イラは記憶喪失で、何も知らないから、他の人とは違って、先入観とかも関係なく話しを聞いてくれるかも知れないって、私の中ではどこか期待している節もあったんだ。」
虚勢で作り上げているであろう笑顔に再び『恐れ』のような表情が浮かび上がりながら、震え声で言葉を紡ぐツァーイ。
「だけどね、もし全てを話して、また一人ぼっちになったらって考えたら……怖くて、話せなくって、だからイラの言葉に甘えちゃって、もう少しだけ、もう一日だけ、そう自分に言い聞かせて――」
「ツァーイ! ……言いたくないなら、言わなくても大丈夫だから!」
震えて言葉が途切れ途切れになりながらも、喋り続けるツァーイの様子を見ていたら、僕の方まで不安になってしまって、つい口を挟んでしまった。
きっとツァーイは大切な話を、今まで話そうとはしてくれなかった事に関して多かれ少なかれ話してくれようとしているのだと思う。
確かに出会ったばかりの頃は、『話してくれない=自分が頼られていない』のだと寂しく思う事もあったけれど、最近ではツァーイが笑ってくれていれば、それだけで良いと思うようになっていたから。
勿論今もツァーイが街中や人気の多い場所でフードを被ったりする等の様子がおかしくなる理由は気になるし、心配にもなるけれど……僕にとってはツァーイはツァーイだから。
ましてや今のツァーイはどこか不安定なように見えてしまっていて、あんな事の直後では平常心を保てる訳がないのは当たり前だけれど……少なくとも今だけは、ガラス細工のように簡単に壊れてしまいそうな印象を抱かずにはいられなかった。
だからツァーイが協会での出来事に怯えて、恐れて、震えている今の状況では……ツァーイが話してくれようとしている事への嬉しさよりも、ツァーイが壊れてしまいそうな事への不安が僕の中では大きくなっていた。
「朝になったら次の街を探して、街に着いたら宿に泊まって、クエストを受注して、旅の支度を整えて、また次の街を探して……ツァーイが話してくれなくても、全部今まで通りだよ。だから――」
「……ありがとう。イラは優しいね。……けど、きっと、もう、限界だと思うから。元々隠しきれる事じゃないって言うのは分かっていたんだけれど、【蒼い疫病】って言葉もイラに伝わっちゃったしね。……私が話そうと、話さなくても、その内知られる位なら、ちゃんと自分の言葉で伝えるよ。」
話をしようとするツァーイをどうにか止めさせようとしたけれど、逆にツァーイの言葉に僕が静止させられた。
まるで悲壮な決意でもするかのように深呼吸を一度だけしたツァーイは言葉を続けようとする。
ツァーイは一度こうだと決めたら、決意をしてしまったら決して曲げない、頑固者の気質がある。
きっとこれ以上僕が止めようとしても無駄なのだろう。
問答を繰り返して時間を稼ぐ事は出来るだろうけれど、結局の所、最後にはツァーイの話を聞く流れになってしまうに違いない。
……だったら、僕は大人しくツァーイの話を聞く事にしよう。
ツァーイが何を恐れているのかは分からないけれど、僕にとってはツァーイは大切な恩人だ。
それだけは、その事実だけは絶対に揺らがない真実だから。
だから……ツァーイがどんな話をしたとしても、僕は他の人みたいにツァーイを罵倒したりとか、嫌悪したりとか、絶対にしないから。
私はこれで全部終わりなのかな……と、きっとこれでイラとはお別れだよね、……と、別れを惜しんでいる自分の感情を押し殺して、それでもイラに全てを話す決意を固めた。
だって「【蒼い疫病】って何ですか?」とでも聞けば、どんなに小さい街や村でも噂話の一つや二つ、それ以上に情報は簡単に集まってしまうのだから。
しかもその多くが事実に基づいた、それでいて根拠のない誹謗中傷の類と言う真実と虚構が入り交ざった悪質な情報だ。
ならば、いっそ、当事者である私の口から真実を伝えたい。
それがこの数日間一緒に行動をしてくれて、すっかり巻き込んでしまったイラへの誠意というものだろうから。
「だから、せめて、最後まで聞いていって欲しいの。私が【蒼い疫病】って言われるようになった……昔の話を。」
本当なら五日前に、イラと出会ったその日の内に、話をしておくべきだったと思いながらも、話せなかった事を。
私自身の昔話を、あの穏やかな故郷で起きた惨劇を、私がずっと一人旅をし続けて来た理由を……私は初めて自分の言葉で語り始めた。
この話をしてしまった結果……イラが他の人みたいに私を嫌いになったとしても、それは仕方のない事だと、この五日間は泡沫の如く、幸せな夢を見ていただけなのだと、自分に言い聞かせながら。
今回のラストで視点がイラからツァーイに移ったので、お察しだとは思いますが、次回はツァーイの過去編です。




