記憶十.五―ツァーイの不安、それは昏睡するイラと勇者の絵本―
「イラ!? しっかりしてよ!」
初めての魔法を使用したイラが目の前で倒れてしまった。
イラが発動した魔法『氷結』によって、周囲の景色は氷漬けに変貌してしまったが、今はそれよりも倒れたイラの事が心配だ。
私は倒れたイラの元へ駆け寄り、彼の身体を抱えた。
このファングの高原において敵対する魔物は魔物の中でも最弱クラスである、ウルフしかいなかった。
だから今までの戦闘中にイラ(もしくは私)が気を失うような事は一度もなくって、だからこそ、こういう状況でどうすれば良いのかを瞬時に判断出来なくなっていた。
長い間冒険者をやって来たから、冒険者としての知識は人一倍に培っている、と自負している。……いや、していたのだ。
しかしずっと一人だった私は、イラと出会って以来、単独と集団の勝手が違うと言う事を思い知らされる事がある。
単独では意識を失い倒れるような事があれば、『助けてくれる者がいない=即死』と言う図式になってしまうので、戦闘時は常に引き際を考えて行動をし、無理・無茶はしないというのが鉄則だ。
だからこそ、イラと出会うまで集団を組んだ事のない私は、目の前で仲間が倒れるという初めての事態に、咄嗟の判断が遅れてしまった。
「とりあえず、イラをどこか休める所に……」
数分の間、私は倒れたイラの身体を抱えたまま放心してしまった。
けれど、次第に少しずつ落ち着いて来た私はイラを背中に背負って、彼を休ませる為に昼食を食べる際に休んでいた木陰へと戻る事にした。
幸い氷漬けになったのはイラが魔法を放った方角、つまりイラから見て正面側のみだったので、後方にあったその場所は氷漬けになっていなかったから。
イラが氷属性の適正を持っていると言っても、イラが寒さに強いか、弱いか、は全く別の話。
仮に寒さに強かったとしても、常人ならこの氷漬けの場所で意識を失ったままでいれば凍死する可能性が高いだろう。
それに凍死とまではいかんくても、目覚めた後に風邪や熱をひいて体調を崩してしまうかも知れない。
私自身は生まれてから一度も風邪をひいた事はないけれど、この場所に留まり続ければ体温を徐々に奪われて、やはり凍死の危険性はある。
それに加えてイラが倒れた理由は考えるまでもなく、魔力の枯渇だ。
だからイラは平常時に比べて大分衰弱している筈で、尚更この場所に留まり続けるのは危険だった。
私はイラを背負い、歩きながらイラの冒険者情報を思い出す。
以前に見たイラの冒険者情報では、確か魔力の欄は『マジック:9』となっていた筈だ。
当時のイラは『レベル13』で、『レベル13』で『マジック:9』と言うのは決して高くはないし、寧ろ低い方だ。
それもその筈で私が発見した時にイラは記憶喪失になっていた。
昔のイラがどこで、何を、していたのかは分からない……けれど、記憶喪失と言う事は過去にしていた筈の想像や空想すら忘れている=本人には無かった事になっている。
魔法の発動に想像が必須な以上、過去に培っていた想像力を失ってしまう事は魔力の使い方を忘れる事に繋がっている。
加えてイラは記憶を失っていても『挨拶』などの一部の一般常識的な知識は持っていた。
その一方で『魔法』と言う概念を知っているにも関わらず、この世界の魔法に関する知識は一切持っていなかった。
つまりイラは記憶を失う以前から魔法を使用した事がない……筈だと思えた。
リベルーチェ(ギルド)を設立して以来、私達は冒険者情報の更新を行っていないので、現在のイラは多少レベルが上がっているかも知れない。
しかし、いずれにせよ、過去の想像力を失い、過去に魔法を使用していないと思われ、今日まで魔法を使わなかった。
そんなイラのマジックが潜在的に僅かな成長をしている可能性はあれど、劇的な成長をしている筈はないのだ。……にも関わらず、イラは発動させた魔法『氷結』で過剰な効力を発揮させた……いや、させてしまった。
イラの前方に対して広範囲に発動した氷結から推測するに、恐らくこの魔法は対象を指定して凍らせる魔法なのだろう。
それ自体は別に普通の事だ。氷の魔法が使えるのだから、敵、又は地形を凍らせる。
仮に私が氷の適正を持っていたとしたら、遅かれ早かれ似たような魔法を想像した筈だ。
けれども、イラはその魔法をとても長い詠唱文で発動させた。
魔法の詠唱はあくまでも想像を強める補助でしかない。
だから一種の才能にせよ、魔法を使い慣れた経験則にせよ、想像をしっかりと出来るなら詠唱は別になくても魔法は発動する。
その一方でどれだけ使い慣れた魔法であっても、詠唱をすればより強い想像が出来るのも事実。
想像が強くなる程に同一の魔法であっても、威力、精度、範囲等、魔法の効力は上昇していく。
だから先程のイラが唱えた『我が視界に映る世界を凍てつかし、忌むべき敵を白き世界へ閉ざせ! 氷結!』……といった詠唱文を長くする事はイラの意識とは関係なく、魔法の効力を高める事に繋がってしまう。
その結果として『元々が普通の想像』であっても、『魔法の効力が高まって予想以上の魔法が発動』してしまう。
この高原が(恐らく本人にその気はなかったのだけれど)イラの魔法によって一瞬で氷漬けになってしまったのは、そういう理由だった。
そして魔法の効力が高まる事は、消費する魔力の量が増加する事にも繋がる。
これが高い魔力を有する冒険者であるならば、長文の詠唱は申し分のない切り札となり、どんな集団でも重宝される事になるだろう。
しかし先程も述べた通り、イラの魔力は決して高くはなく、寧ろ低い方だ。
それは魔法を教えるのを先延ばしにして、記憶喪失前に習得していたと思われる拳術や、渡した剣で戦ってもらったり、魔法の知識同様にイラに欠如していたこの世界での知識を教える事を優先していた私の行動方針にも原因はあるのだけれど。
そんなイラが長文の詠唱を行えば、魔力の枯渇を引き起こしてしまうのは当然だった。
魔力の枯渇に関する話や詠唱に関する話をイラにもしたけれど、私の説明に不足があったのか、それともイラの中にある知識に何かしら勘違いをさせてしまうような物があったのか、理由が何であれ、結果としてイラの魔力には身の丈にあっていない様な魔法を発動させてしまった。
私が詠唱長さはどの位が良いと言っていれば、イラに魔法を使わせる前に想像している魔法や、その詠唱を確認していれば、イラが魔力の枯渇をして倒れる事もなかったのに……。
木陰まで戻る最中に私はそんな事を考えていた。
それと同時にどうしても脳裏の裏に過る不安もあった。
魔力の枯渇を引き起こせば、今のイラのように意識を失ってしまう。
それだけならまだ良い。今は戦闘中ではないから、イラが目覚めるまで待てば良いだけだから。……けれど、魔力の枯渇量によっては昏睡状態になっていつ目覚めるとも分からなくなる場合も多く、最悪の場合は死んでしまう事だってある。
「(もしもイラが死んじゃったらどうしよう……。ううん、大丈夫。イラの心臓はちゃんと動いているし、体温もちゃんとある。大丈夫、イラは死んだりしない。)」
そんな事はある筈がないと、自分に言い聞かせるように、脳裏に過る不安を、胸の奥底が冷たくなるような感覚を、黙らせるように歩を進める。
イラを背負っているからか、一歩一歩が普段よりもゆっくりとなってしまい、それ程遠く無い筈の、その場所に戻るまでに思っていたよりも時間がかかってしまった。
別にイラが特別重いとか、太っている訳ではない。寧ろイラは同年代(イラの年齢は分からないけど、背格好が私と同じなので15歳前後だと思う)の中では痩せ細ってる方だとは思う。
それでも自分とほぼ同じ背格好の人間を一人背負うと言うのは、慣れていない事もあってか剣を振るう戦闘とは、また違う労力を感じずにはいられなかった、と言うだけの話だ。
少しばかり時間はかかったけれど、無事に木陰に戻った私はイラを背中から下ろして、木を背もたれにするように休ませた。
次にポーチから少しばかりの枝葉と石を取り出して、枝葉をイラと私の前方にばら撒いて、その周囲を取り囲むように石を一つ一つ配置していく。
これで周囲の木々や草花に燃え移る心配はないだろう。
「火熾し!」
魔法で指先に弱々しい火を発生させて、それで枝葉を燃やした。
これで即席の焚火の完成と言う訳だ。
旅をしていると当然だけど野宿をする機会も多く、また少なからず野山や砂漠のような場所で遭難をする事も適度にある。
加えて元々一人旅をしている身だ。
そういった際に体温と調理場の確保が出来るよう、即席の焚火をどんな場所でも作れる小道具は常に一定の量を確保して持ち歩いている。
一人旅を始めて……冒険者となって以来、炎属性の魔法を扱えて本当に良かったと思う。
先程まで氷漬けの場所にいた為に、私やイラの体温は低くなっている。
けれど、この即席の焚火のお陰で失った体温も少しずつ回復してくれるだろう。
「ひとまずはこれで良い、よね……?」
実際の所、私にはこれで良いのか分からなかった。
けれど私がイラの為にしてあげられる事が他にないのも事実だった。
理由は単純で、私が魔力の枯渇した人の魔力を回復する術を持たないから。
これが戦闘中に怪我をしたのであれば、光属性の魔法で傷を癒して上げる事も出来る。
けれど光属性の魔法は『傷を癒す』事や『毒の解毒、火傷の治療』と言った外的要因の治癒しか行う事が出来ない。
つまり『魔力の枯渇』を解消する為に『イラの魔力を回復する』事や、『自分の魔力をイラに分け与える』事は出来ない。
これが風邪や病気だと言うなら薬を飲ませて、食べやすい物を食べさせて、安静に眠らせれば良いだろう。治療不可能な不治の病にかかったと言うなら打つ手はないけれど……少なくとも普通の病ならこれで大丈夫。
しかし、魔力の枯渇は『魔法』や『飲み薬や薬草』それ所か外的要因で解消する事は不可能だ。
魔法に特化した種である妖精人の知識や、独自の魔法を扱えると言う魔法人の魔法があれば話は別かも知れないが、生憎と自分は数が多いだけが取り柄の人間だ。
また、妖精人や魔法人の知り合い所か、イラ以外の同行者や冒険者仲間等もいない。
無いもの強請りをしても仕方がない……と言うのは、今までの旅でも嫌と言う程に実感している。
「結局の所、私に出来るのはイラが目覚めるまで待ってあげる事しかないんだよね……。」
私の知る限りでは魔力の回復は身体を休ませる事でしか行えない。
だから今はイラが目を覚ますまで、このまま静かに休ませるのが最善だと思えた。
眠る事によって魔力が回復すれば、きっとイラは目を覚ましてくれるだろう。
だからその間に魔物が現れたら、それを撃退する……それ以外にイラの為に出来る事はもうなかった。
最も今は魔物の気配も周囲に感じないし、元々この周辺にはウルフしか現れないので問題にはならないだろう。
それならば、イラが意識を回復して目覚めるまで、私は冷静でいるべきだ。
周囲に魔物、或いは人が近づいて来た際に、その気配を逸早く察する事が出来るように。
イラが目を覚ました時に、いつも通りの私でいる為に。
そう決意した私は一呼吸ついてからポーチの中から一冊の絵本を取り出した。
何でも、どれだけでも、入れる事が出来るこの不思議なポーチと同様に物心がついた時から持っていた絵本だ。
ある意味ではこれらのポーチや絵本は、今は亡き故郷の形見とも呼べる代物だ。
他にも故郷から持ち出した物は幾つかあるのだが、その何れもが私にとってはとても大切な物で、だからこそ迷ったり、動揺をしたり、泣いたり、自分の中の弱さに押し潰されてしまいそうな時には心の支えになってくれる、大切な物だ。
私はそんな大切な、旅を始める前に故郷で子供の頃に何度も読み返した、今となっては実物がなくとも一字一句間違いなく、頭の中で思い浮かべられる、その絵本を読み始める。
絵本の物語を楽しむのが目的ではなく、私が少しでも冷静でいられるように、自分の心を落ち着ける為に。
女神に創られ、世界に生まれたばかりの勇者。それ故に、勇者は最初、記憶を持たぬ空っぽの存在だった。
そんな空っぽの勇者が数多の仲間達との出会いと別れを繰り返し、いつしか沢山の思い出で満たされて、やがて勇者が死神の使いである魔王を倒す。
そんな在り来たりで、どこにでもありそうな勧善懲悪の御伽話。
故郷にいた頃……まだ私が独りぼっちではなかった頃。物心がついた時から持っていたこの絵本に、私は一目惚れと言っても差し支えのない程に夢中になっていた。
それこそ絵本に描かれている出来事が大昔にこの世界、或いはどこか遠くの別の世界であったと信じてる程に。
周囲の人達は口を揃えて『そんなのは作り話だ。』と言っていたけれど、お母さんとお父さんだけは『そうだったら良いね。』と同意してくれて、それがとても嬉しかった記憶が、朧げに、しかし確かに残っている。
そして私は今でもこの絵本の内容が本当にあった事だと信じている。
イラと初めて出会った時、記憶喪失で右も左も分からずに、どこに行けば良いのかも分からないでいたイラに、私はシンパシーを感じた。
故郷を失って帰るべき場所を失った私と、記憶を失って帰るべき場所が分からないイラが似た者同士だと、感じてしまったのだ。
そしてそれと同時に記憶喪失のイラに、絵本の中に出て来る勇者を重ねてしまった。
ずっと繰り返し読んで来た物語、何度も何度も憧れていた物語、その主人公が『御伽話』の存在ではなく、『現実』にいるのだと感じてしまったのだ。
だから、あの時の私は、今までずっと人目を避けていたのに、イラを放っておけなかった。
旅を始めて以来、初めて自分と似た境遇の人を見つけてしまったから。
子供の頃から憧れていた勇者と似た境遇の人を見つけてしまったから。
だから、つい、旅に誘ってしまった。
いくらイラが記憶喪失だと言っても、ずっと隠し続ける事事は無理だと分かっていたのに。
実際にイラは私が隠し事をしている事を出会ったその日に気付いてしまった。
翌日には話したくないなら聞かない、と言ってくれたけど……きっと遅かれ早かれ私の事は知られてしまうのだろう。
何せ噂話としてはあまりにも広く拡散されてしまっている。
ならばいっそ自分の口から、自分の言葉で伝えようか、とも考えたけれど……。
隠している事を正直に話したら、きっとイラは私の前からいなくなってしまう……。
そうなってしまえば私はまた一人旅をする事になるだろう。
行く当てもなかった昔と比べれば、一応の目的地を決めている今の方が多少マシではあるのだけれど。
それでもずっと一人だった私は、出会ってからまだ五日しか経っていないのに、イラと一緒にいられる事に安堵し、この時間がこれからも続く事を強く望んでしまっている。
それ程までに一人でいた時間があまりにも長すぎて、人肌恋しく思っていた自覚はあるけれど……。
人と会話をする事が、楽しい事だと思い出してしまった。
仲間と共に戦う事が、頼もしい事だと知ってしまった。
一緒に食べる食事が、暖かい物だと感じてしまった。
誰かと買い物をするのが、あれ程までに楽しいとは思っていなかった。
――けれども、ここまで強く別れたくないと思ってしまうとは考えてもいなかった。
イラが私に対して普通に接してくれるのが嬉しくて、私はそれに甘えているのかも知れない。
現に今だって私はイラが早く目を覚まして欲しいと、また言葉を交わしたいと思ってしまっている。
絵本を黙読する内に、最後のページを読んでは、最初のページから読み直す、と言うのを何度も繰り返す。
けれど、いつもなら、イラと出会う前なら、これで落ち着ける筈なのに、私の心は冷静さを取り戻してはいたけれど、落ち着いてはいなかった。
どれだけ絵本に意識を集中させても、出会って間もない筈なのに、イラとの思い出や彼への心配ばかりが脳裏に過り続ける。
ふと隣で木にもたれかかっているイラへと視線を向ける。
こちらの心配を他所に眠り続けている姿に、私は音に鳴らないため息を吐いてから再び絵本へと意識を戻して、イラが目覚めるまでの間絵本を何度も読み返し続ける。
イラが目覚めたのはそれから数時間が経過した、高原に夕暮れが差し込む時間になってからだった。
あけましておめでとうございます!
新年最初の投稿がまさかの主人公不在(厳密には気を失っているだけです)で、ヒロインであるツァーイ視点の話になりました。
今回のように主人公であるイラ以外の視点で物語を進める場合はサブタイトルの『記憶○○』に小数点が入ります。
元々このサブタイトルの『記憶』と言うのが、記憶喪失で異世界転生をしたイラにとっての『記憶』を表しているので、イラが関与していない部分でカウントを進めるのはどうなんだ?って部分から小数点を入れようとなりました。
プロットを書いてる段階では『メモリーズ○○』とか『外伝○○』、『番外○○』にしようかとも思ったのですが、これはこれでしっくり来なかったですし……。
ツァーイ視点の話は今後も何度か挟む予定ですが、普段イラ視点で書いている時とは違う感覚で書けたので少し良い気分転換にもなりました。
しかしツァーイ視点だとイラの視点では出揃っていない情報を出さざるを得ない描写が度々あって、これ読者さん的にはどうなんだろうな……と思ったり、思わなかったり。
その辺りに関してコメントを頂けると幸いです。
次回は再びイラ視点に戻ります!
一章も終盤に差し掛かっているので、春が来るまでには一章完結まで書き上げたいと思っています。




