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レテ川に記憶の欠片を沈めて  作者: なつ
第七章 星の輝く場所、名探偵の到着
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 7

 目が覚めると、篠塚桃花の姿がないことに、甲斐雪人は気がついた。壁にもたれて、とはいえ、適度な暖かさな室内の温度に、すっかり眠ってしまったようだ。時計を探そうとするが、近くにないことを知っている。光取り用の窓からは、かなり角度の低い光が差し込んでいる。

 甲斐が立ち上がろうとすると、下から階段を駆けるように上ってくる足音が聞こえる。しばらく待つと、入り口に篠塚の姿が現れた。

 JS学園の制服を着ているが、背が低いせいか、まるでませた小学生の人形のようだ。それに、スカートが必要以上にふわりと膨らんでいる。篠塚が好きなゴシックな服を着るときと同じように、コルセットを使い、わざと膨らませている、とのことだ。

「なんだ、ようやく起きたのか。せっかくたたき起こしに来てやったというのに」

「ちょうど起きたとこだよ」

「それでは、出かけるぞ」

 小学生にしてはハスキーな声で、篠塚は甲斐の腕をひっぱる。

「なんだよ、どこに行くんだ?」

「学食に決まっておるだろう。もう私はおなかがすいて死にそうだよ」

「先に食べてくれてよかったのに」

「うるさい、行くぞ」

 今度はゆっくりと、甲斐は篠塚に引かれながら時計塔の階段を下りていく。

「それよりも、もも、何か調べてたんじゃない?」

「何かとは何だ」

「僕に言えないような、何か」

「甲斐に隠さなければならないことなどない」

「じゃあ、何を調べてたの?」

「……菫お姉ちゃんが、なんで日本に来ていたか、だ」

「?」

「甲斐はこの間の雅の誕生日のときに、会ったのだろう? それなら、あれが普通じゃないことに気がついたはずだ」

「普通じゃない?」

「こういう言葉が、現代に当てはまるのか分からないが、ファム・ファタール、という表現が一番近いと思うが」

「ふぁむ?」

「あれの瞳の鋭さは、私でも逆らうことができない。たぶん、私たちの中でもっとも危険で、脆い」

「ももより?」

「危険、というのは正しい。いつからか日本から離れていた。それが突然日本に戻ってきたのだからな。まさか、誕生日を祝うなんて殊勝な気持ちはないだろう。だったら、何か理由があるはずなのだ」

 甲斐は、8月末の芹沢雅の誕生日の出来事を思い出す。深夜、甲斐の眠りを耳元で甘い声を出して妨げ、甲斐がわめこうとするのを、柔らかい手で口を押さえ、暴れないで、とまっすぐな瞳で甲斐を見る。あの瞳を、確かに甲斐は、避けることができなかった。誕生日のたくらみ、すべてがそれで氷解してしまうというのに、甲斐は、彼女こそが芹沢菫なのだと、確信できた。そして、もたらされた真実。けれど、彼女が日本にいること自体が、奇跡に近いのだとしたら、ただあれだけのために、屋敷に来たとは思えない。

「その理由というのは?」

「まだ確信にはいたっていないが、おそらくそうだろう、という予想はつく。甲斐にも、私と同じだけの情報が揃っているのならば、同じ結論になるだろう」

 時計塔から続く階段は終わりを向かえ、そこから甲斐の背を越える背丈の棚に幾多もの本が並べられた図書棟を、二人は並んで進む。篠塚は、それ以上のことを話さない。それはきっと、情報を甲斐がすべて持っているということだ。けれど、甲斐にはまるで想像できない。


 危険で、脆い、その彼女がなそうとしていることを。


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