↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公爵様、私より前に出ないでください!  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/21

第15話 契約が終わったら、二人で

 私は頷き、もう一度、ゆっくりとその一連の動作をなぞってみせた。

 アルヴィン様が私の背後を滑らかに移る。

 途中で「ストップ」と声をかけて動きを止めてもらい、振り返って確認する。彼の構えた剣の切っ先と目標の的を結ぶ直線の真ん中に、私の右肩が確かにわずかに重なっていた。


「では、私もあと半歩だけ早く横へ抜けるようにします」

「待ってくれ、足元を見てほしい。そこに浅い窪みがある」


 言われて視線を落とすと、私の右足のすぐ隣に、雨水で削られた小さな地面の窪みがあった。

 ただ闇雲に急げばいいというものではなかった。自分が動きやすくなったとしても、背後のアルヴィン様がその窪みに足を取られて体勢を崩してしまっては、すべてが水泡に帰してしまう。


 最初の構えの位置を靴一足分だけ手前へずらし、再び滑車を走らせてもらった。

 今度は、アルヴィン様の踏み込みの足音に微塵の迷いも乱れも生じなかった。


 放たれた風の刃が、的の中央の赤い印を真っ二つに切り裂いた。

 間髪を入れず放たれた二撃目が同じ裂け目を通り抜け、厚い木板が木っ端微塵に砕け散って地面へ落下する。


 私は結界を解くことなく、足元で跳ね返る木片が完全に静止するまで、じっと魔力を注ぎ続けた。

 竜を討ち果たしたとしても、その巨体が私たちの目の前へ崩れ落ちてくるのだ。急所を貫いたからといって、その瞬間に防御を解いてしまっては、巻き添えを食らって命を落としかねない。


「今の呼吸、今の立ち位置でもう一度お願いできますか」


 私からお願いすると、アルヴィン様は力強く頷いてくださった。

 新しい的がロープに吊り直されるのを待つ間、私は腰の水筒を外して一口喉を潤した。アルヴィン様も私のすぐ隣で、水筒の栓を外していた。


「公爵様、左腕のお怪我は痛みませんか」


 気になっていた彼の左腕へ視線を落とす。

 あの幾重にも巻かれていた白い包帯は、昨日の夕方、医師の診察によってようやく完全に外してよいとの許可が出たばかりだった。


「まったく痛まない。さっきの動きも、医師から動かしてもよいと許可された範囲内だ」


 アルヴィン様は左肘を滑らかに曲げ伸ばしして見せてくださった。

 私は安心して頷き、水筒を腰へ戻した。以前なら、きっと「剣は振れる」としかおっしゃらなかった。今は診察の結果まで教えてくださるので、こちらも安心して次をお願いできる。


 その後、的の進入角度を変えて何度も実戦訓練を繰り返した。

 すべてが完璧にいくわけではなく、赤い印からわずかに刃が逸れたときには、二人で地面にしゃがみ込んで足跡の乱れを細かく見直した。


 最後の的を撃ち抜く頃には、夕日が沈みかけ、岩場の上に長く伸びた二人の影が、寄り添うように重なり合っていた。


     ◇


 岩場を撤収する前に、セドリック様が明日の最終配置図を広げた。

 私たちは大人の膝ほどの高さの平らな岩を机の代わりにして、その上に広げられた図面を覗き込んだ。


 竜を巣から誘き出す進入経路。私たちが迎撃のために立つ場所。周囲の街道を封鎖する騎士たちの配置地点。

 私が訓練の途中で見つけ、避けるように決めたあの足元の小さな窪みの位置まで、図面には正確に書き込まれていた。


「万が一、緊急退却を余儀なくされた場合は、こちらの南側の谷筋へ。別働隊も合図の中継を受け次第、即座に退路を確保します」


 セドリック様の指先を目で追いかける。

 私たちが予定通りの立ち位置を維持できなかった場合、竜の炎から身を隠せる岩も、逃げ込む順に示されていた。王都から届いた防火布と救護用の薬は、その先の待機所に用意されるという。


「この布陣でいこう。明日は頼む」


 アルヴィン様の明確な決断を受け、セドリック様は騎士たちへ明日の最終準備を指示しに離れていった。

 私は粉々になった的の破片を拾い集める作業を手伝い、使わなかった予備の木板を荷車へ積み込んだ。


 岩場へ戻ってくると、アルヴィン様はまだ先ほどの岩の前に立ち、広げたままの図面を見つめておられた。

 吹き抜ける冷たい夕風に図面の端がバタバタと煽られ、彼の手袋をした指先が、それを静かに押さえ直す。


「公爵様。図面を片付けましょうか」


 声をかけると、アルヴィン様はようやくハッと我に返ったように顔を上げられた。


「ああ……頼む」


 私は紙面を丁寧に巻き、革の図面筒の中へ収めた。

 アルヴィン様はその作業の間も、何事かを深く考え込むように、何もない岩の上を見つめ続けておられた。


     ◇


 帰路は、馬に乗らずに手綱を引いて歩いた。下り坂の山道には雨水で浮いた小石が多く、馬の脚を痛めないよう慎重に歩きたかったからだ。

 先を行く騎士たちの荷車の影が、九十九折の曲がり角の向こうへゆっくりと消えていく。


 アルヴィン様は、道中ずっと口を開かれなかった。

 普段の訓練の帰り道なら、「さっきの三本目の立ち位置はどうだった」とか「明日はあちらの角度からも試してみよう」など、歩きながらも熱心に意見を求めてこられる方なのに。


「公爵様、まだ何か作戦で気になるところがおありですか」


 私は抱えていた図面筒を少し持ち上げてお尋ねした。


「いや。配置も段取りも、今できる準備は済んだ」

「そうですか……」


 頷いて歩き直したけれど、やはり胸の奥がざわついて落ち着かなかった。

 もし私が気づいていない懸念事項があるのなら、今のうちにすべて聞いておきたい。私は足を止め、手綱を引いてアルヴィン様の方へ向き直った。

 彼も私の気配を察して足を止めた。


「……あの落石事故のとき、待つ側というのは、これほど堪えるものなのだと知った」


 馬の手綱を握り締めていた彼の手が、わずかに強張った。


 私は思わず、「今度は最初から最後まで、すぐ後ろにいていただけます」と申し上げようとした。二人分に絞り込んだ結界なら驚くほど長く維持できることも、今日の訓練で何度も確かめ合った。図面を広げ、立ち位置を指し示そうとしかけた。


 けれど――アルヴィン様が見つめていたのは、私が抱えている図面筒ではなかった。

 夕暮れの光の中、私の瞳を、まっすぐに見つめておられたのだ。


 開きかけた唇が、そのまま言葉を失って止まった。


 あの事故のとき、私は怪我人を連れて岩陰へ滑り込んだ瞬間、ようやく安堵の息をつくことができた。アルヴィン様が瓦礫を切り拓いて退路を確保し、そこで待っていてくださることを、私は疑いすらしていなかった。

 待っていてくださるあの方が、どんな思いでこちらを見ていたのか。私は自分が助かったことばかりで、そこまで考えていなかった。


「……私は、あのとき、公爵様のお姿が見えた瞬間、心からほっといたしました」


 あのときの情景を鮮明に思い出しながら、静かに言葉を紡ぐと、彼の瞳がわずかに揺れた。


「道が綺麗に切り拓かれていて、担架も準備されていて……あそこまで辿り着きさえすれば、あとはすべて公爵様が引き受けてくださると、信じることができました」


 先日の事後報告では、うまく言葉にできなかったことだった。私は図面筒の革の縁を、指先でそっと撫でた。


「それから……お屋敷へ戻ってからも。震えが止まらなくなった私のそばに、お忙しいのに帰らずにいてくださって……本当に、嬉しかったです」


 アルヴィン様は、すぐには返答をなさらなかった。

 夕方の冷たい風が、二人の間を通り抜けていく。

 明日も絶対に怖くありませんなんて嘘は吐けないし、待っていただく時間を一秒でも短くするとお約束することもできない。

 それでも――あの土煙の向こうで彼が私を待っていてくれたことが、どれほど私の心の支えになったかだけは、どうしても伝えたかった。


「……そうか」


 長い沈黙のあと、アルヴィン様が静かに、深く頷かれた。

 馬が足元の青草へ首を伸ばし、手綱が微かに引かれる。

 私たちはそれを合図にしたように、再び並んで歩き始めた。


「討伐が無事に終わったら、また町の店へ行かないか」


 並んで歩きながら、アルヴィン様がふいに前を向いたまま口を開かれた。


「あの、中央広場の茶店ですか?」

「ああ」


 顔を上げると、彼もこちらへ視線を向けた。


「夜は美味い食事も出すそうだ。……今度は夕食の時間に、二人だけで行きたい」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。