第四章 成長 第六十七話 残された約束
第四章 成長 第六十七話 残された約束
討魔庁より派遣された神代レイカは、凄腕の二丁拳銃使いとしてその名を轟かせる陰陽師だ。凛とした佇まいと、その瞳の奥に宿る揺るぎない正義感、そして何より、霊的障壁すら貫く銃弾を操る技術は、討魔庁の中でも随一の評価を受けている。彼女の元に舞い込んできた今回の依頼は、地図の端に小さく載るような、山間の鄙びた村から寄せられたものだった。
「毎晩のように、古びた神社から子供の泣き声が聞こえるのです。それも、ただの泣き声ではない……この世のものとは思えないような、聞く者の魂を凍りつかせるような声で」
村長は、痩せこけた頬を強張らせ、懇願するように語った。その奇怪な声に怯え、村人たちは日が暮れると神社へ近づくことさえできなくなっているという。先月あたりから始まったというその現象は、静かな村の日常を破壊し、人々の心に得体の知れない不安の影を落としていた。レイカは、護衛兼助手として同行していた息子の蒼也を連れ、村長に礼を述べてから、さっそく現地へと赴くことにした。
村の端、鬱蒼とした木々に囲まれた古びた神社。長い年月を経て打ち捨てられたかのような石畳の階段を登り、境内に足を踏み入れたとき、レイカは肌を刺すような異様な気配を感じ取った。背筋に冷たい電流が走るような感覚。鳥居の向こう、長い時を経て枯れかかった御神木の陰に、ぽつりと人影があった。
白いワンピースを纏った、あどけない少女だった。
境内の静寂の中で、彼女だけがまるで異質な色を放っているかのように浮かび上がっている。蒼也がその姿を認めた瞬間、少女は顔を上げ、先ほどまでの沈黙が嘘のような、眩しいほどの笑みを浮かべた。
「蒼真……!」
その名前を呼ぶ声は、驚くほど透明で、そして切実だった。弾かれたように駆け寄ろうとする少女に、蒼也は戸惑いながらもその場に立ち止まる。母親の背中に手をかけ、警戒心を露わにしながら問いかけた。
「……僕は蒼也だよ。蒼真は、僕のお父さんだ。君は誰?」
少女の瞳が、ふっと翳った。透き通るような肌、悲しげに揺れる瞳。彼女は静かに、しかし先ほどまでとは別人のような冷たい声で呟いた。
「ユズハ」
その名を聞いた瞬間、レイカの全身に戦慄が走った。背筋を氷の槍で貫かれたかのような激痛。討魔庁の古い記録、そして何よりも、レイカ自身が忘れたくても決して忘れられない、血塗られた過去の記憶が、鮮明に脳裏で蘇った。彼女の瞳孔が細まり、指先が愛銃のグリップを強く握りしめる。
「嘘……どうして、あなたがここに……」
「あの戦いで確かに魂は浄化されたはず…」
ユズハの表情が、一瞬にして豹変した。愛らしい少女の面影は崩れ去り、怨嗟と憎悪に歪んだ霊体へと変貌を遂げる。黒いオーラが彼女の周囲を渦巻き、境内の木々が軋み、空気がどろりと重くなった。
「蒼真は……私の婚約者よ。あの人は、私を置いていった裏切り者……! 私だけが、あの暗闇に取り残されたまま、終わらない苦しみに耐えているというのに!」
殺気が爆発した。ユズハは鋭い悲鳴を上げながら、レイカめがけて凄まじい速度で襲いかかってきた。蒼也は反射的に、自身の霊力を込めて常に持ち歩いている強力な護符を、空中に投げ打ってユズハの額へと叩きつけた。しかし、その護符は彼女の深い恨みの前では無力だった。彼女が触れた瞬間、護符は一瞬で塵となって砕け散った。彼女の抱える執着と情念は、通常の霊を遥かに凌駕し、もはや怨霊の域に達していたのだ。
「ダメよ、蒼也! 離れて!」
レイカは二丁の愛銃を瞬時に抜き放ち、霊力を極限まで込めた銃弾を放った。火花が散り、銃声が山間に響き渡る。ユズハの身体に幾重もの風穴を開けるが、彼女は消えるどころか、より激しく黒い霧を纏ってレイカに迫る。
「貴方はもう亡くなっているのよ! 現世に留まる理由なんてない! 過去の記憶に囚われて、自分を傷つけるのはもうやめなさい! 成仏しなさい!」
レイカの叫びも虚しく、ユズハの爪がレイカの首筋を掠めた。防戦一方で追い詰められる母の姿を見て、蒼也は決断した。腰に帯びていた、父から受け継いだ神剣『草薙の剣』を抜き放つ。鞘から引き抜かれた神の宿る刃が、この世のものとは思えぬ銀色の輝きを放ち、境内に満ちていた邪気を一瞬で払いのけるように切り裂く。
「母さんに近づくな!」
蒼也の叫びと共に、振るった剣が、ユズハの身体を両断した。その瞬間、少女の顔から恨みの表情が消え、どこか懐かしげな安堵の笑みが浮かんだ。彼女の魂は煙のように空へと舞い上がり、朝焼けの光の中に溶けて消えていった。
「蒼真……約束、守れなかったね」
静寂が戻った境内には、風の音だけが聞こえていた。レイカは深く溜息をつき、震える指先を隠すように拳銃をホルスターへ収めた。村長に事の顛末を報告し、レイカと蒼也は無言のまま、長い帰り道を歩き出した。
夕闇が空を覆い始め、星が瞬き始めた帰り道、レイカは重い口を開いた。
「ユズハはね……あなたの父さん、蒼真の幼い頃から婚約を約束した仲だったの」
レイカの声は低く、どこか遠くの過去を見つめていた。
「私たちはかつて、同じ討魔庁のチームで働いていたの。戦闘の最中、彼女は私を庇って命を落とした……。あの時、私は彼女を守れなかった。蒼真も、私も、ずっとその罪を背負って生きてきたのよ。彼女が亡くなってから、どれほどの月日が流れたか……まさか、こんな形で再会するなんて」
初めて聞く父と母の過去。そして、目の前で消えた少女との切ない繋がり。蒼也は何も言えなかった。ただ、父の背中が時折見せていた、あの深い孤独と寂しげな表情の理由が、少しだけわかったような気がした。
風が吹き抜け、木々がザワザワと音を立てる。帰宅までの長い道のり、母と息子の間には、これまでとは違う、複雑で、けれど確かな絆の重みが横たわっていた。過去という名の呪縛を乗り越え、彼らはまた、明日の戦いへと歩き出すのだ。
第六十七話 了




