第四章 成長 第五十七話 心
第四章 成長 第五十七話 心
ある村に、一人の男が住んでいた。
男は、全盲で、目が見えなかった。
男は、生涯光を見ることはできないと医師から告げられていた。
男は、ドナー提供者による順番を待つことになった。
ある日、男は、自宅の近所で遊ぶ子供達を呼び、神社に連れて行ってもらった。
暫くして、男は、子供達無しで、神社に行けるようになった。
そして、毎日、神社に通い、お百度参りをした。
毎日、毎日、通った。
千日が過ぎた頃、神社の神様が、男に尋ねた。
「目が見えるようになったら、何を見たい?」と聞いた。男は、こう言った。
「神様、私が見たいのは、世界でも、美しい景色でもありません」
男は、慣れ親しんだ手すりの冷たさを掌で確かめながら、静かに答えた。
「私が一番に見たいのは、私を神社まで導いてくれた子供たちの『今の顔』です。
彼らは私を連れて歩くとき、
いつも
『こっちは危ないよ』
『今は桜が綺麗だよ』
と、自分のことのように喜んで声をかけてくれました。
私が見えないことを知っていながら、まるで私に世界が見えているかのように、
一生懸命に説明してくれたその優しさ。
その言葉の向こう側にある、彼らの温かな笑顔を、この目に焼き付けたいのです。
そしてもう一つ。
もし許されるのなら、その次に、この千日間、私を支えてくれた『風の音』や『光の匂い』が、
どんな色をして世界を満たしていたのか、その正体を見てみたいのです」
男の言葉を聞いた神様は、穏やかに微笑み、こう告げた。
「あわてることはない。お前の心には、すでにそのすべてが、誰よりも鮮明に映っているはずだ。
だが、お前のその無欲でまっすぐな願いに免じて、明日の朝、その瞼を開くことにしよう」
翌朝、村に朝日が差し込んだとき、男の瞳は光を取り戻した。
視界に映ったのは、少し背の伸びた子供たちの、誇らしげで少し照れくさそうな笑顔。
そして、神社の境内に溢れる、眩いほどの緑と命の輝きだった
男は静かに涙を流した。それまで想像していたどの景色よりも、今のこの目の前の光景が、
何よりも美しく見えたからです。
男は神社に御礼を言いに行った。
しかし、神社は、男が予想していた神社とは異なり、廃れていた。若者が村を離れ、参拝する者も少なくなり、神社は長い年月の中で静かに朽ちていったのだ。
男は、これではいけないと思い、村長に会いに行った。すると、村長は、修繕するには、お金が掛かる。無理だ。と断られた。男は、今まで角膜移植に必要だった手術費用を神社の修繕費にあてた。
それでも、修繕を行うことが出来なかった。
男は途方に暮れた。せっかく授かった光で見たのは、荒れ果て、崩れ落ちた柱に、寂しげに絡まる蔦だった。かつて自分が毎日参拝していたあの温かな空気は、もうどこに無かった。
男は、自分の貯えをすべて差し出しても足りないという現実に、深い無力感を覚えました。しかし、男は諦めなかった。
男は村中を歩き回り、かつて自分を導いてくれた子供たち、そしてその親たちに声をかけた。
「あの神社を、もう一度だけ、みんなの場所に戻したいんだ」
最初は、誰もが首を横に振った。「今の時代、そんな古いものに意味はない」「お金の無駄だ」と。
しかし、男は語り続けた。目が見えるようになった今の瞳で、かつて自分を導いてくれた子供たちの手をしっかりと握り、彼らの瞳の奥に宿る純粋な光を見つめながら、千日間感じてきた「神社の温かさ」を伝え続けたのです。
「私が見たのは、ただの建物じゃない。君たちが私を連れて行ってくれた時、君たちから溢れていた優しい心そのものなんだよ」
その情熱に、一人、また一人と村人が心を動かされました。
大工の親方は「俺の技術を奉納させてもらうよ」と木材を担いでやってきた。
子供たちは、境内に落ちた枯れ葉を、まるで宝物を拾うように、毎日一生懸命に掃き清めた。
何ヶ月か経ったある日のこと。
修繕を終えた神社は、派手な装飾などなかったが、村人たちの手仕事による温もりに満ちた場所として蘇った。
祭りの日、男は境内の隅で静かに座っていました。
ふと、男の視界の端に、あの神様の姿がうっすらと浮かびました。
神様は、かつて男が毎日通った道を、今は子供たちが走り回っている様子を眺めながら、
満足そうに微笑んでいました。
男は、ふと気づいた
神様が本当に守りたかったのは、建物そのものではなく、
この村の人々が互いを想い合い、支え合う「心」だったのだと。
男は再び、自分の目で見ることができたその場所で、心からの感謝を捧げた。
光を取り戻した男の目には、遠くの景色よりも、自分を囲んで笑い合う村人たちの、何よりも美しい「今の顔」がしっかりと焼き付いていた。
その夜、男は眠りの中で、神様が最後に言った言葉を聞いたような気がしました。
『お前が修繕したのは神社ではない。この村の、未来そのものなのだよ』
翌朝も、景色は穏やかに輝いていた。
目が覚めた男の視界は少し霞んでいましたが。心はどこまでも晴れ渡っていました。
男は杖を手に取ると、軽やかな足取りで、
新しくなった神社へと続く道を歩き始めた。
レイカは、帰りの車の中で、蒼也に説明した。
「蒼也。人はね、神様に救われることもある
でも、本当に世界を変えるのは、人を思う『心』なのよ」
第五十七話 了




