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第四章 成長 第四十四話 恋文

第四章 成長 第四十四話 恋文


夜の帳が下りた村外れの廃校。

ここには、かつて「忘れ去られた恋心」が溜まり、妖を生み出していた。


神代蒼也は、鉛の味のする空気を吸い込みながら、校舎の廊下を駆けていた。

手には、母レイカから託されたばかりの、浄化の呪符。


「蒼也、右だ!」


レイカの声が響くと同時に、彼女が振るった拳銃が火を吹いた。

霊力を帯びた銃弾が、廊下の壁から這い出ようとする無数の影を打ち抜く。

レイカの拳銃術は正確無比だ。

彼女は、あくまでも「討伐」という冷徹な役割を演じることで、

息子の繊細な心を守ろうとしていた。


しかし、今回の妖は違った。


図書室に追い詰められたそれは、一人の少女の姿をしていた。

ただし、その体は半透明で、心臓のあたりから無数の文字が黒い糸となって溢れ出している。


「……もう、書けないの」


少女の妖は、震える手で何も書かれていないノートを抱きしめていた。


彼女はかつてこの村に住んでいた文学少女だ。

想いを寄せていた少年に、一通のラブレターを書き終える前に病で命を落とした。

その未練が、死してなお、妖としてこの場所に留まっていたのだ。


「蒼也、今だ!」


レイカが合図を送る。

蒼也は呪符をかざし、印を結ぼうとした。

しかし、少女の悲痛な眼差しが、彼の手を止めた。


「待って、母さん。彼女は……人を襲っていない」


「妖が人に害を成さないはずがないわ。迷いは死を招くわよ、蒼也」


レイカは拳銃を構え直したが、その引き金に掛かった指はわずかに震えていた。

彼女にも分かっていたのだ。

この妖が纏っているのは、邪悪な殺意ではなく、

ただ純粋な「伝えられなかった想い」であることを。


「……ねえ、君」


蒼也は、防御用の呪符を握りしめたまま、一歩ずつ少女に近づいた。

少女は怯え、身を縮める。

彼女の溢れ出す黒い糸が、

蒼也の足元を絡め取ろうとする。


「君は、誰に届けたかったの? その手紙」


少女は驚いたように顔を上げた。

蒼也の目には、彼女の瞳の奥で、

まだ少女が懸命にペンを走らせている姿が見えていた。


「……彼に。私の、名前も、好きだということも……何も、言えなかったから」


「教えて。君の想いを」


蒼也の問いかけに、少女は泣き崩れた。


言葉にならぬ想いが、空間を震わせる。


蒼也は、懐から筆と紙を取り出した。


呪術師として鍛えた集中力で、彼女の言葉を一つひとつ、書き写していく。


それは、美しい詩のような告白だった。


季節の移ろいや、彼と図書室で過ごした静かな時間の記憶。


それらが紡がれるたび、少女の体から溢れていた黒い糸が、淡い光の粒子へと変わっていく。


「こんなにも、真っ直ぐな心だったんだ」


蒼也が最後の文字を書き終え、紙を少女に差し出した。


少女は、半透明の指でその紙に触れる。


その瞬間、彼女の姿が輪郭を保てないほどに光り輝き始めた。


「……ありがとう。これで、やっと、胸が軽くなる」


少女の体は、透き通るような桜色の花びらとなって、校舎の中に舞い始めた。


彼女は最後に、蒼也に微笑んだ。それは、彼が守りたかったもの。


一人の少女の、等身大の純粋な心だった。


「これで、お別れね」


少女の姿が消え、静寂が訪れる。


レイカは静かに拳銃を下ろし、ホルスターに納めた。


彼女の目元もまた、ほんのりと赤く染まっている。


「……蒼也、あなたのやり方で、救われる魂もあるのね」


「うん。……妖だって、心がある。そう教えてくれたのは、母さんだろ?」


レイカは少し照れくさそうに微笑み、蒼也の頭を乱暴に撫でた。


「生意気な口を利くようになったわね。

でも、いいわ。

あなたのその優しさが、いつか誰かを本当に救う力になるはずよ」


校舎の窓から、朝の光が差し込んでくる。


二人の影が、廊下に長く伸びていた。


蒼也は、彼女が最後に遺した言葉の断片を、自分の心に刻み込んだ。


蒼也は胸ポケットに、一枚の白い便箋をそっとしまった。


今日もまた、一つの想いが救われた。


それだけで十分だった。


村の朝が、今日もまた静かに、そして希望と共に始まろうとしている。


第四十四話 了

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