第四章 成長 第四十二話 絆
第四章 成長 第四十二話 絆
深い山々に囲まれたその村には、古くからの言い伝えがある。
山が怒る夜、宵闇から這い出す「影」が村人を食らうという伝承だ。
神代蒼也は、十三歳の中学一年生だった。
全国の中学生剣道大会で優勝を果たしたその腕前は、並みの大人を凌駕する。
彼に備わった力は、霊力を込めた呪符による「封印」と、卓越した剣技。
そして、妖を「視る」瞳。
神代家の縁側には、いつも先客がいる。
九尾の狐、葛の葉。
彼女は戦う術を持たぬ居候だが、妖を判別するその瞳は、神代家の誰もよりも鋭い。
「蒼也、右の藪に二体。……あの個体、急所は左の眼球の裏側ね。
そこを突けば、核ごと砕けるわ」
葛の葉がゆったりと尻尾を揺らして告げると、蒼也は背中の竹刀袋に手をかけ、
母・レイカと視線を交わした。
「わかった、ありがとう葛の葉。母さん、行くよ」
「ええ。任せなさい」
母・レイカには霊力も特殊能力もない。
しかし討魔庁で鍛え抜かれた射撃技術だけは、一流だった。
しかし、彼女が両手に握りしめているのは、妖を射抜くための二丁拳銃。
丹念に手入れされたその銃口からは、妖力すらも削り取る冷徹な殺気が放たれていた。
森の奥。暗闇から、巨大な獣の形をした妖が飛び出した。
レイカはその姿を見ることすらできない。
しかし、葛の葉から受け取った「急所」の情報を、彼女は絶対の信頼を持って行動に移す。
乾いた銃声が二度、夜気を切り裂く。
霊弾は葛の葉の言った通り、妖の守りが最も薄い一点を穿った。
しかし、今回の妖は今までとは違った。
銃弾を霧のように散らし、レイカの肩を鋭い爪で切り裂いた。
「母さん!!」
銃を取り落とし、倒れ込むレイカ。
妖の影が、無防備な母に最後の爪を突き立てようとする。
『蒼也、ダメ! あそこへ行っては……!』
絶望的な光景の中、倒れた母の周囲に、黄金の光が渦巻いた。
葛の葉だった。彼女は戦う力を持たない。
けれど、その身を投げ出すことで、母を守るための強固な結界を展開したのだ。
妖の攻撃を全身で受け止め、葛の葉の白い毛並みが血に染まる。
「葛の葉!!」
蒼也の霊力に応えるように、竹刀袋の奥で眠っていた神剣が共鳴する。
蒼也の瞳に、怒りを超えた絶望的な決意が宿る。
背中の竹刀袋から、古の神威を放つ刃――「草薙の剣」が顕現した。
「母さんも、葛の葉も……傷つけさせない!!」
蒼也が踏み込んだ。全国優勝の極限の集中力が、神剣に宿る。
『蒼也……そこよ……!!』
葛の葉が血を吐きながら叫ぶ。
彼女が見抜いた、妖の心臓の鼓動が止まる瞬間の綻び。
その一瞬を、蒼也は逃さなかった。
「――断ち斬る!」
黄金の閃光が夜の闇を物理的に焼き切り、草薙の剣が弧を描く。
蒼也の剣筋は、葛の葉が見抜いた「一点」を、寸分狂わず貫いた。
神剣が、妖の怨念を根源から消滅させる。
凄まじい衝撃波が森をなぎ倒し、妖は断末魔すら上げられずに光の塵となって消えた。
夜明け前、神代家には、いつもの静寂が戻っていた。
二人がボロボロの姿で、血を流す葛の葉を抱えて帰宅する。
布団の上で、葛の葉は小さく息をしていた。
「葛の葉、どうして……あんな無茶を」
蒼也が涙を流すと、葛の葉は弱々しく目を開け、ふっと微笑んだ。
私は千年以上生きてきた。
でも…誰かを家族と思えたのは初めてだった。
レイカは震える手で葛の葉を抱きしめる。
「ありがとう、葛の葉。貴方がいてくれたから、
私たちは今、こうして生きているわ」
蒼也は、全国優勝のメダルよりも、この母と、命を懸けて導いてくれる葛の葉との絆こそが、
自分にとって何よりも尊いものなのだと、改めて悟る。
闇は去り、空は白み始めている。
神代家の古民家は、今日も穏やかな朝を迎えた。
葛の葉の呼吸が整うのを見届けながら、蒼也は強く誓う。
この日常を守るために、自分はこれからも剣を振るい続けると。
その絆が続く限り、二人の前には決して消えない光が灯っている。
それは、どんな闇をも焼き払う、母と息子と狐の、不屈の物語の、始まりに過ぎなかった。




