第4話 め、目立ちたくないのですが
第四話です。
王太子クリスとの一幕。
アイリーンの手を取るクリス。
ここぞとばかりに発動する「あれ」。
アイリーンはくんくんと、自身のにおいを嗅ぐ。
いつもより少し多めに振った香水の奥の方にほんのり紅茶の匂いがする。
……これくらいなら大丈夫か。
そもそも紅茶自体も良い匂いなんだからオーケーかもしれない……。
朝の早い時間にシャワーを済ませることになったアイリーンは城内を歩いていた。
「あの手紙、まだ続きがあったなんて」
アイリーンは一人ごちると、足早に城の上階へと向かう。
つきましては、ご面倒だとは承知の上でお願いがある。
正午、大広間まで来て頂けないだろうか。
直接謝りたい。
手紙の最後の方にそんな文面があったのに気が付いたのは、少し前の事だった。
いつもと同じだからと、最後までしっかり読んでいなかった。
小説内でもこんなイベントはあったはずなのにね……。
さすがにお呼びされて訪ねに行かないのは失礼だ。
波風を立てることにもなる。
仕方なく、ということではないが。
王太子クラスになると少し億劫だ。
どうしても緊張してしまう。
もし無礼を働いてしまったら。
もし言葉選びを間違えたら。
下手したら私の首飛ぶ……?
なんて変な想像をしてしまう。
……まあ、あの王太子ならそんなことはしないか。
さすがにね。
そう思い直していたら、まだ階段の途中なのだというのに、クリスの姿が見えた。
何やら思いつめていたような表情が、アイリーンの姿を見つけると、ぱっと明るくなった。
「アイリーン殿!」
クリスはアイリーンに駆け寄ってくる。
「クリス様」
なぜ大広間から離れたこの階段に?
時間ぎりぎりになってしまったことに少しの罪悪感を抱きながらアイリーンはクリスに返事をする。
「少しでも早くお会いしたかった」
クリスは誠実そうな笑顔をアイリーンに見せる。
それだけで周りの空気も一段と明るくなった気がする。
クリスの緩くパーマがかった明るい金色の髪。
妹とよく似ている鮮烈な印象を残す青色の瞳。
目鼻立ちのはっきりした顔には常に柔和な表情。
クリスのそばにいるだけで、明るい陽に照らされているようなそんな気分になる。
彼の着る、金の刺繍に縁どられた純白の服も彼のそんな魅力を引き立てていた。
爽やかでしかしそれでいて嫌味っぽくない。
確かに。
一目見るだけで、次期王と言われるほどのカリスマ性を彼から感じることができた。
「度たびの非礼……ただ手紙に書かれた言葉だけでは、私のすべての気持ちを伝えることなど到底できない」
クリスは自身の手を胸に置く。
「今一度、しっかりと自らの口で伝えておきたかったのだ」
「クリス様……」
クリスは妹のバーバラとは正反対だ。
誰にでも誠実で、誰にでも優しい。
それはどのような階級の者にも同じだった。
「私めにこのような気を使っていただいて、まずはありがたく思います」
アイリーンは眉を困らせて言う。
「クリス様がわざわざ出向くなんて……申し訳ないですわ」
アイリーンの偽らざる本心だった。
遅刻気味だった私を心配してのことだったのかもしれない……。
謝罪の意味も込めてそう言うとクリスは明るく言った。
「これは私がしたくてしたのだ。だからアイリーン殿が気を病む必要はない。むしろ私は嬉しいのだ」
クリスは微笑むと、まっすぐな目をアイリーンに向けた。
「アイリーン殿とこうして会う機会を得たのだからね」
言って、クリスは慌てて訂正した。
「もちろん妹がかけた迷惑には心から謝罪したい! ただそれとは別に私個人としてはそんな思いを抱いているのだ」
クリスは手をアイリーンに差し出す。
アイリーンはほんの少し赤面してその手を見つめた。
クリスはいつもこうだった。
誰にでも優しいが故に、相手の心を開かせるのが上手い。
彼に好意を抱かない人はそうそういないだろう。
「貴婦人にはこの階段は少々長く険しいだろう。私の手をどうぞお手に取ってください」
「それは……良いのですか? 私が手をつなぐなど」
「私と手をつなぐのは……嫌かね?」
クリスは、はて、と言った顔で聞いてくる。
「嫌では……ありませんわ」
「それは安心した」
クリスは微笑む。
「身分の上下より大切なものがあると私は常々思っている。なにより、そのように息を切らしている女性を見て、無視することなど私にはできない」
優しい。
優しすぎる。
しかしその優しさが、時としてアイリーンを苦しめる。
もちろんクリスと手をつなぐことが少し気恥ずかしいのは事実ではあるのだが。
アイリーンはさっきからざわついている後ろをそっと見る。
何人かの女性が階段の上のアイリーンとクリスを見ている。
クリスには今で言うところのファンが多い。
それは驚くべき程に。
まあそれはそうだろう。
将来有望なうえにこのような行いを誰にでもしていたら。
だが。
とにかくアイリーンは目立ちたくない。
それだけはやめてほしい。
「だ、大丈夫ですわ、クリス様。こう見えて私、体力には自信がありますの」
アイリーンはクリスを無視して階段を上がり始める。
今の私にとってその優しさは、敵を増やすだけの行いなのだから。
「アイリーン殿!」
急にアイリーンは手をつかまれる。
温かい手のひらだ。
「お待ちください。……実はアイリーン殿にお話ししたいことがもう一つあるのです」
……まずい。
首の後ろをチクチクとさしてくる視線が、その痛みを徐々に増していく。
「クリス様、それは……」
もう後ろを振り向くのも怖いのですが。
「次の舞踏会なのですが私と……」
私の中で、それが蠢いた。
「「きゃあ!?」」
後ろで悲鳴が上がった。
……ああ、やってしまった。
「どうしたのだ!?」
はじかれたようにクリスが振り返る。
後ろで私に視線を送っていた女性の一人がしりもちをついている。
そのすぐ横には甲冑。
飾られていた甲冑が倒れてきたらしい。
甲冑が彼女の鼻先をかすめるように「ひとりでに」倒れてきたようだった。
「大丈夫か!? すまないアイリーン殿、この話はまた今度の機会に」
一瞬の躊躇を見せた後、クリスは階下の女性のもとへと駆け寄った。
「え、ええ、クリス様……」
そう言ってアイリーンはひっそりとその場を離れる。
どうしたものかしら……。
アイリーンはひとり考え込む。
この身についてきてしまった呪いについて。
私に敵意を向ける者には不幸を与えるこの制御不能の力について。
私がどれだけやめてと心で願っても、話を聞いてくれないこの呪いさんについて。
目立ってはいけない。
殺人犯が私という存在に気が付かないように……。
ひっそりと静かに暮らしたい。
それなのに。
そんな私の気持ちとは裏腹にそれは暴走し続ける。
……何かあった時には守ってくれるかなあ。
そう考えれば。
もちろん感謝している部分もあるけど。
でもそれにしたって身勝手が過ぎませんか?
「こ、今度はこっちの甲冑が!?」
後ろで聞こえてくるクリスの声を聞きながら。
アイリーンはそそくさと自室へ帰るのだった。
見ない、聞かない、逃げますよっと……。
第五話は城を覆う呪いについてのお話。
お茶会という名の会議にアイリーンは出席します。
第一部も佳境。
少しホラー要素が出てきますが、お付き合い頂けると幸いです。




