第12話 本物、偽物。愛理、アイリーン
第十二話です。
メイド長アンとの会話。
アンとの駆け引き。そして呪いとは。
「端的に申し上げます」
アンは静かに言った。
「記憶を失っておられるのですか?」
アイリーンは息を吸った。
「……いえ、そんなことはないわ。少し混乱しているだけ」
「そうですか」
アンはアイリーンの目をのぞき込むように。
ほんの少しの上目遣いで。
「そうですよね。ぶしつけな質問申し訳ございませんでした。なにぶん、お困りのことが多そうに見えましたもので」
「そ、それはそうよ。あんなことがあったのだもの。私だって混乱するわ」
「あんなこと? ああ、先ほど広間であったことですか?」
「そうよ。私、クリス様のことが心配で……」
「アイリーン様、私が言っているのはそんな『今』のことではございません。『これまで』のことなのです」
そうして、いかにも心配そうに。
何かアイリーンとの間に見えない線を一本引いているかのような丁寧さで。
アンはこちらを見てくるのだった。
目をそらしてはいけない。
アイリーンは何となく。
何となく彼女には記憶がないことを知られてはいけないと思った。
全くの直感だが。
直感と言うのは見えない記憶に基づいていることが往々にしてある。
「大事なお話と言うのは、呪いのことについてです」
「呪いの話?」
「こんな話を聞いたことはありませんか?」
アンはアイリーンを見る。
頭からつま先まで。
再び頭まで戻ってくると、視線はアイリーンの目の中に落ち着く。
「今ヨルク家を蝕んでいる呪いは、前王がかけた呪いだと」
「え、ええ……知っているわ」
それは……知っている。
アネモネが前に教えてくれた話だ。
「あれはね、正解です」
「そう、よね」
「そうです、大正解でございます」
でも……と言って、アンは唇に人差し指を置いて小首を傾げた。
「どこでその話が漏れたのかは不明なのですが……ちなみになぜ前王の呪いが発生したかご存じですか?」
「それは……」
どっちだ?
知っているのが正解なのか、知らないのが正解なのか。
アイリーンの虹彩がわずかに揺れる。
「前王は……殺されたから……」
「アイリーン様も大正解でございます」
アンは拍手をした。
誰もいない休憩所に乾いた音が響く。
正解……。
アイリーンは心の中でほっとため息をつく。
太ももの上に置かれた両手が冷たい。
「そうです。謀殺されたのです。現王のリチャード王の一派によって」
リチャード王の一派によって殺された?
初めて知る情報だ。
が。
アイリーンは努めて冷静な表情を装う。
「それ以来、リチャード王の体には消えることのない死の痣が浮かんでくることになったのです」
……アンにはまだ、アイリーンの心中は漏れていないようだ。
「上級貴族の間では禁句とされていますが」
下級貴族の間では分かりませんが、とアンは付け加えた。
「ところでアイリーン様」
アンは言う。
圧力が上がって、一瞬声の輪郭が鋭くなる。
「呪いは生者しかかけることができないことを覚えておいでですか?」
そうは尋ねるが。
アンはアイリーンの答えなど待たずに話を続ける。
「それを踏まえますと見えてくる結論はこう」
一。
二。
アンは指折り数える。
「前王は生きている」
一。
「もしくは生き残りがいる、とか?」
二。
衣擦れの音。
アンの顔が少しだけ近くなった。
「生き残り……」
「ええ、まあ、こんなことは皆さん分かっていることですけどね。口に出さないだけで。犯人はそのどちらかだと」
禁句……。
だから私は近くにいる誰からもその話を聞くことがなかったのか……。
ふとアンが口をつぐむ。
「もちろんアイリーン様は知っておいでですよね?」
「え、ええ。当り前じゃない。そんなことのために私を呼び出したの?」
「ああ、申し訳ありません。これはただの『確認』でして」
アンは恭しく頭を下げる。
……表面上は私の方が格上ということみたい。
「そう。それじゃ私、体調がすぐれないから」
言いかけながら立ち上がるアイリーンをアンは呼び止めた。
「お待ちください、アイリーン様。もう一つ大事な話があるのです」
アンはエプロンから何か小さなものを取り出す。
「それは……」
「ペンダントでございます」
アイリーンは目の前に掲げられたペンダントを見る。
どこかで見た気がする。
しかし、どこで見たかが思い出せない。
「こちら見たことはございますよね」
「……もちろん」
「そうですよね。お好きにお触りください」
アイリーンは受け取ると、しげしげと眺める。
ペンダントには薔薇の模様があしらわれている。
「アイリーン様、どうぞお好きにお触りください」
アンはアイリーンに再び言った。
なんだ、触る?
「アイリーン様……」
アンがアイリーンの目をのぞき込んでくる。
「アイリーン様は本当に記憶を失っておられないのですか?」
「そんなことないわ」
「それとも……アイリーン様は本当にアイリーン様なのですか?」
「……どういうこと?」
のどが渇く。
口の中が水分不足で上手くしゃべれない。
「いえ……野暮な質問でしたね」
アンは笑って言う。
「正解」
一。
「不正解」
二。
「今、正解と不正解は一対一なのですから」
その指でアンはクエスチョンマークを描く。
「呪いの件は正解、ペンダントの件は不正解。アイリーン様はまだアイリーン様でございます」
「あ……当り前じゃない」
「ええ、その通りでございます」
……このままじゃ相手に吞み込まれる。
多分もう私はアンにとって「黒」だ。
下手な言い訳は通用しない。
そしたらもう。
こうするしかないわよねえ。
「あなたって本当に優秀ね、アン」
アイリーンは『無』に近い彼女を見据える。
飄々とした彼女の表情からは何も感じ取れない。
「もし、私が私じゃなかったらどうするつもり?」
震える手を押さえてアイリーンは言う。
やられっぱなしは私の性に合わない。
悪役はもう捨てたけど。
今だけは悪役令嬢でいさせて。
どんな相手であれ。
やられる前にやるのよ。
「どうなると思いますか?」
アンはアイリーンに尋ね返す。
「また謎かけ?」
アイリーンは言う。
「私の答えを聞いたって意味ないんじゃないの」
だって。
「あなた、本当にいろんなこと知っているんだもの。私に刃を向けたらどうなるかってことくらい、知っているわよねえ」
『無』だったアンの目に冷たさが宿る。
「……私には分かりかねますが、アイリーン様」
もうこのままの勢いで行くしかない。
「簡単なことよ。あっという間に私は天国へ」
アイリーンはアンの両手をつかみ。
自分の首を握らせた。
「今ここで試してみる? ……どっちが先に天国へ行くか」
「……お戯れはここまでにしましょう、アイリーン様」
アンはアイリーンの手を払いのけた。
アンは再び『無』に戻る。
「そのペンダントはアイリーン様に差し上げます。それが私からのヒントです」
「あら、ありがとう」
「正確に言うとお返しします、ですが」
アンは立ち上がる。
「犯人を見つけ出してくださいね、アイリーン様。これは王からの命令です」
何かが蠢く。
それに。
アンは言う。
「それに『あなた達』はとてもお強いみたいですから……。期待しております、アイリーン様」
頭からつま先まで。
再び頭まで戻ってくると、アンの視線はアイリーンのほんの少し後方に落ち着いた。
アイリーンが広間に戻ってきたときには、部屋の明かりはすでに消えていた。
広間には誰もいなかった。
皆自室に帰ったのだろう。
クリスに謝りたかった。
アイリーンは目を伏せる。
私のせいで本来負うはずのない傷を負わせてしまった。
明日、謝りに行こう。
そして、こう言おう。
私なんかで良ければ。
一緒に踊ってください。
次の舞踏会は無理でも。
クリスの傷が完治したら素敵なワルツを踊るのだ。
申し訳ないけれど、私にはクリスとの思い出が『アイリーン』ほどにはない。
私が寵愛を受ける資格なんてないかもしれない。
でもクリスとの数少ない思い出を思い浮かべると。
心が温かくなった。
これが恋なのかは分からない。
現実世界でも本ばかり読んで、大して恋愛なんてしてこなかったから。
でも。
それでも。
もう少しあなたのことが知りたい。
ここで死んでほしくない。
もっとあなたのことが知りたいから。
……犯人を探し出そう。
クリスを殺そうとする犯人を、私を狙う犯人を。
手ごわいアンだって、ロバートだって利用してみせる。
私ならきっとできる。
ねえ、こんな時くらい力を貸してくれる、呪いさん?
じりじり、と。
何かの声が聞こえて。
私の肩に誰かの手が置かれた。
呪いからの返事の代わりに。
アイリーンの背後に広がる闇の中から。
冷たい手が。
第十四話執筆中です。
明日、明後日には上げる予定です。
三章のタイトルは「憎しみの中に潜むもの」になります。




