第11話 溢れ出す呪い
第十一話はアイリーンが狙われる話です。
ここから話が進み始めます。
「次の舞踏会のパートナーになってほしいという話だが……どうだろう。なってくれるかな?」
ハナ……レロ……
突然視界が歪んだ。
どういうこと……?
全てのつながりを失ったように、世界は一瞬ちぐはぐな色彩をアイリーンに見せる。
時間は引き延ばされ、ゆっくりと物事は進んでいく。
――頭が痛い。
ジリジリ。ジリジリ。
脳内にノイズがあふれ出す。
何の声……?
ハナ……レロ……。
ハナ……レロ……。
『俺の……女から……ハナレロ!』
ほぼ意味をなさないノイズに近い男の声。
体の内で何かが蠢いた瞬間。
その瞬間、世界の理は元に戻り。
アイリーンとクリスは何かの力でお互いに弾き飛ばされた。
その二人の隙間を黒い何かが、勢いよく通り過ぎていく。
それは一本の矢だった。
しかし、それはただの矢ではない。
黒くおぞましい何かをまとっている。
まるで何かの怨念を宿したかのようなそれは。
息の根を止められなかったそれは旋回して、再びアイリーンたちをめがけて飛んできた。
『伏せろ!』
アイリーンは呪いの声にとっさにしゃがみ込む。
矢はアイリーンの動きに合わせて、正確に軌道を変える。
アイリーンの脳天を突き刺す……。
そう思われた時。
軌道修正にかかったわずかな時間が。
アイリーンを守る呪いの反撃を可能なものにした。
――ガンッ。
身に見えない力で弾かれた矢は制御を失い、あらぬ方向へ飛び。
そのままクリスの右肩へと着弾した。
「ぐうっ……」
クリスが左肩を押さえ膝をつく。
矢を覆う黒い何かは次第に消滅し、何の変哲もない金属の矢だけがクリスの肩に残った。
「ひっ……お兄様!?」
クリスの肩から血がにじむ。
「大丈夫だ、バーバラ。それよりアイリーン殿は……?」
駆け寄るバーバラを安心させると、クリスはアイリーンを見やる。
「私なら大丈夫です。クリス様、私のせいで……」
「誰か、お願い。医者を呼んで!」
騒然とする広間にバーバラの声が響く。
「クリス様、今そちらに……」
アイリーンもクリスに駆け寄ろうとする。
が。
体が動かない。
正確には、アイリーンは体を動かすことができない。
え? なんで?
アイリーンの眼球が自分の意志とは関係のない方向へ動き出す。
『あいつだ』
呪いが、アイリーンがそれを見つける。
広間を慌てて出ていく人影。
手に弓矢らしきものが見える。
アイリーンは人影を追って広間を走り出した。
落ちかけた日が城内を赤く照らす。
広間を抜けると、城内の廊下の先を曲がっていく人影が見えた。
「待ちなさい!」
アイリーンは力の限り走る。
廊下には二人以外誰もいない。
二人は廊下を渡り切り、城の外に出る。
日は暮れかけてほとんど夜の様相だ。
でも、なんで衛兵の一人もいないのよ。
というかここどこ?
こんな出口から出たの初めて……。
一人考えるアイリーンの前を。
あいかわらず一定の距離を保って人影は走っていく。
距離が離れていて、身長も性別も分からない。
景色は次第に変わっていく。
城は遠ざかり、草花の世界へ。
これ……。
庭園の方に向かっているわ。
女王の庭だ。
入り組んだ花壇の合間を二人は走っていく。
二人の体に触れた花が暗闇に散っていく。
アイリーンは人影に徐々に引き離されていく。
息が切れそうになる。
でも足を止めたら私の負けだ。
負けるわけには、いかない。
人影は女王の庭を抜ける。
アイリーンも遅れて抜ける。
不意に香ってくる薔薇の匂いにアイリーンは記憶を呼び起こす。
ここ、白の庭だ。
見覚えがある。
小径を走る二人。
あのベンチを超えて。
道を曲がった先で。
アイリーンはその人影を見失ってしまった。
「なんで……?」
ありえない。
確かに人影からは引き離されていたけど。
こんなすぐに見失うはずが……。
アイリーンは周りを見る。
どこかに、いる……?
体が震える。
心臓に何かの冷たい手が触れてくる。
私への殺意をはらんだあの矢。
その黒く純粋な悪意を思い出すと。
アイリーンは唾をのんだ。
この闇の中のどこかで私は命を狙われている。
この身の呪いに守られているかどうかは関係ない。
悪意のその冷たさに。
……うまく息ができない。
ふと。
がさりと。
草むらの一部が揺れた。
アイリーンは近づく。
そこに、いるの?
……これは罠だろうか?
……良いじゃない。
真っ向勝負と行こうじゃないの。
アイリーンは身構えながら一歩、また一歩と歩を進める。
草むらをかき分けると。
闇。
宵闇に沈む悪意。
じっとりと体にまとわりついてくる悪意のただ中に。
何かを探し求めるように。
赤い制服を着た長身をかがめた。
衛兵のジャックの姿があった。
「「え?」」
お互い声が出なかった。
お互いに見つめ合う。
「ジャック……? そこでなにしているの?」
「アイリーン様こそ……。こんな夜遅くに……」
「やはりお前だったか、ジャック」
アイリーンたちの会話を遮って男の声がした。
振り返ると、ロバート公爵が立っていた。
ロバート公爵の後ろには数名の衛兵が控えている。
「常々怪しいと思っていた。こっちへ来い、命狙う者」
ロバートの命令で、衛兵たちがジャックを拘束する。
「呪いでなかなか殺せないからと、物理的に殺そうとしたな……」
「何の話ですか? 俺はそんなこと」
「じゃあ、そこにあるのは何だ?」
ロバートの指さす先を見る。
そこには木でできた弓が落ちていた。
「い、いや、これはここに落ちていたんですよ」
「そんな偶然があるか。ただの言い逃れだろう、ジャック」
「本当ですって……」
「ちょっと待ってください!」
アイリーンはロバートに言う。
「彼の話も聞いてあげてください! これだけで彼を犯人と断定するのは……」
これは状況証拠になるだろう。
でも、状況だけで、この弓が本当にジャックのものかは分からない。
それにあの表情……。
私を見たときのジャックの表情。
今しがた私を殺そうとした人間には、とても見えなかった。
それに……。
何かを見落としたような違和感がある。
頭の片隅でそっと何かが警告を鳴らし続けている。
「とにかく一度落ち着いて考えてみましょう。もしかしたら真犯人がまだそこら辺にいるかも……」
「やけに庇いだてしますな、アイリーン様」
ロバートはアイリーンを見る。
「それとも何か、彼が捕まると困ることでも」
この目。
あの時と一緒だ。
デニーズが亡くなった日。
私を凝視していた目。
そうか、と。
アイリーンは理解した。
私の事を疑っていたのね……。
「そんなことないわ。私はごく普通のことを言っているだけ」
アイリーンは食い下がる。
「可能性をつぶすのは危険だわ、ロバート様。ここはいったん冷静に……」
「アイリーン様……」
ジャックがアイリーンの名を呼ぶ。
剣呑な空気が流れる。
ロバートはアイリーンを冷たい目つきでにらむ。
アイリーンも一歩も譲る気はない。
違う人を逮捕させるわけにはいかない。
ジャックは犯人ではない。
多分、ここで間違えたら犯人の思うつぼだ。
これ以上犠牲は増やせない。
……私だって、絶対に負けないんだから。
アイリーンもにらみ返す。
「アイリーン様……」
ロバートはため息をついた。
「あなたはジャックの過去を知らないからそんなことを言える」
ロバートの語気に荒さがこもった。
ジャックの、過去……?
「……仕方ありません。不本意ですが、私もここで退くわけにはいかないのです」
ロバートは片手を上げる。
「衛兵、アイリーン様を捕ら……」
「すみません、少しよろしいでしょうか」
突然声がして、アイリーンは後ろを振り返った。
ロバートの目がそちらを向く。
「アン殿……。どうしてこちらに」
メイド長のアンが静々とアイリーンに後ろに立っていた。
「お話途中申し訳ございません。アイリーン様に少し用事がありまして」
ロバートは手を下ろした。
「そうですか。わかりました」
手は降ろしたが、目はまだアイリーンを睨んだままだ。
「では私はこれで」
命拾いしたな。
そんな言葉が聞こえてきそうな視線を残して。
ロバートはジャックと衛兵とともに去っていった。
「アイリーン様」
アイリーンはアンに向き直る。
「少し大事なお話があります」
お話?
「お話って何?」
アンは恭しく頭を下げる。
「突然のことで申し訳ございません。ですが、アイリーン様にとってひどく大事なことなのでございます」
アンは続けて言った。
「私とこちらへ来ていただけませんか?」
アンは道の先にある、小さな小屋を指さした。
「あそこは古い休憩所です。あそこなら落ち着いて話ができますので」
「嫌だ……とは言えないんでしょう?」
「ええ、まあ」
アンは感情を見せずに言った。
「アイリーン様も知りたいお話でしょうから、ついてきてくださいな」
そしてアンは、ふふ、と初めての笑顔をアイリーンに見せた。
ぞぞ、と。
何かが蠢いた。
第十二話はアンの話の詳細の予定です。




