十一月二十一日 木曜日② 予約
家に帰って、玄関のドアを閉めた。がちゃり、と鍵の音がやけに大きく響く。
部屋の電気をつけると広がるのは、いつもと同じ部屋、同じ景色。
なのに――今日は、どこか違って見えた。
「……はぁ」
思わず小さく息が漏れる。
ベッドに腰を下ろし、ぼんやりとテレビのリモコンを手に取り、電源ボタンを押す。画面が点き、ニュース番組が流れ始める。
やっていたのは――やっぱり、あの事件だった。
『本日も引き続き、連続自爆テロ事件についてお伝えします――』
落ち着いたアナウンサーの声が部屋に流れる。
画面には、警察車両。規制線。ぼかされた現場の映像。
『犯行声明を出した宗教団体について、警察は関係者の事情聴取を進めており――』
宗教団体。犯行声明。犠牲者。そんな言葉が、淡々と並んでいく。
ニュースの中では、ただの情報だ。
でも――
(その中に……信先輩の家族も、含まれている)
胸の奥が、重く沈む。テレビの音だけが部屋に流れていた。
俺にとってテロなんて、ニュースの中の出来事だった。
遠い世界の話。どこかの国の出来事みたいに感じていた。
でも――違った。
(現実なんだ、これは……)
俺はベッドに仰向けになり、天井を見上げた。
白い天井。何もない、ただの天井。そこに、信先輩の顔が浮かぶ。
通夜の会場で見た、あの顔。
疲れていた。目の下には濃い影ができていて、顔色も悪かった。
それでも――俺に笑って「よかったな」と言ってくれた。
あんな状況なのに。自分の奥さんと娘さんを亡くしたばかりなのに。
胸の奥が、じんと熱くなる。
おもわず、両手で顔を覆った。
「……信先輩」
ぽつりと呟き、ゆっくり息を吐いた。
(土曜日……)
頭の中に浮かぶのは、照宮さんの顔だ。
笑っていた表情。少し照れたみたいに笑うところ。
(絶対に成功させよう)
自然と、そう思った。
これはただのデートじゃない。たぶん、俺にとって大事な一歩だ。
俺はスマホを取り出し、映画館のサイトを開いた。
照宮さんが昨日見たいと言っていた、話題のアニメ映画。
(どうせなら、いい席を取っておきたいよな)
上映スケジュールのページを開く。
でも――
「……あれ?」
思わず声が漏れた。
画面をスクロールする。
戦うヒロインのアニメ映画。顔がパンのヒーローのアニメ映画。子供向けの作品ばかり並んでいる。
それっぽいタイトルがない。
もう一度、最初から見直すが、やっぱりない。
「……マジか」
スマホを持ったまま、頭を掻く。
「タイトル聞いとけばよかったな……」
完全に失敗だ。昨日は舞い上がっていて、そこまで気が回らなかった。
映画の話題になったときも、頭がいっぱいだった。
(どうする……)
少し考えてから、俺は苦笑した。
「……仕方ない」
こういうときに頼れる場所は、一つしかない。
俺はいつもの掲示板を開いた。
事情を書き込むと、すぐにレスがつき始めた。
「はや……」
相変わらずの反応速度だ。
その中のレスに、リンクが貼られていた。映画公式サイトらしいURL。
「……これか?」
ページを開くと、黒い背景の中央にタイトルが表示された。
【ネクロマンサー建国記】
「……ネクロマンサー?」
思わず眉をひそめる。
下にスクロールして、あらすじを読む。
追放されたネクロマンサーが、死者を蘇らせる禁忌の力を使い、辺境で国を作り、やがて自分を追放した国と戦う――
「……なるほど」
わりと王道のダークファンタジーっぽい。
掲示板のレスをもう一度見ていると、そこに、少し気になることが書いてあった。
この映画、例の自爆テロを起こした宗教団体が、製作に関わっているという噂があり、話題になっているらしい。
「……は?」
思わず、指が止まり、小さく声が出た。
例の宗教団体。つまり――
(自爆テロを起こした……あの団体?)
胸の奥が、もやっとする。
信先輩の奥さんと娘さんが亡くなったばかりだ。
その原因になった宗教団体。その団体が関わっているかもしれない映画。
そんなものを、俺は今、予約しようとしている。
「……なんだかなぁ」
スマホを見つめながら呟く。
嫌な気分だが――
(照宮さんが見たいって言ってたんだよな)
そこが引っかかる。
俺一人なら、別に見なくてもいい。
でも、これは二人で行く約束だ。勝手に変えるのも変だ。
(……一応、確認するか)
俺は、照宮さんにメッセージを送る。
伊原 啓人
【土曜日に見たいって言っていた映画って、ネクロマンサーですか?】
送信すると、すぐに返信が来た。
照宮 灯
【はい、それです。】
「……やっぱりか」
間違いないらしい。
俺は少し息を吐き、メッセージを打つ。
伊原 啓人
【じゃあ予約しておきますね。十五時の回があるので、それに合わせてホテルディナーも予約しておきます】
送信すると、またしても、すぐに返信が来た。
照宮 灯
【ありがとうございます。楽しみにしています。】
その一文を見た瞬間、胸の奥のモヤモヤが、少しだけ軽くなった。
「……楽しみにしてる、か」
思わず小さく笑う。
映画のチケット予約ページを開き、二人並んで見やすそうな席を予約した。
次に、ホテルのレストランのディナーコースを予約する。
映画の時間から逆算して、ちょうどいい時間を選ぶ。
料理の写真が並ぶページを見ながら、俺は小さく息を吐いた。
(……なんか、ここまで来ると本当に大人のデートって感じだな)
俺は予約ボタンを押すと、ディナーコースの予約完了の画面が表示される。
(これで……映画と、ディナーはOK)
スマホの画面を見つめながら、俺はホテルの客室予約ページを開いた。
指が、ほんの一瞬だけ止まる。
(いや……落ち着け、俺)
心の中で、自分に言い聞かせる。
(別に、変なことをするつもりじゃない。ただ、その……万が一というか、雰囲気というか。映画を見て、ディナーを食べて、そういう流れになったら、泊まるという選択肢も自然だろ)
俺はホテルの部屋一覧をスクロールする。
シングル。ツイン。そして――ダブル。
画面に表示された客室の写真には、大きなダブルベッドが置かれていた。
部屋の照明は落ち着いた色合いで、窓からは夜景が見えるらしい。
(……いや、これは……)
俺は思わず喉を鳴らす。
想像してしまう。土曜日の夜、この部屋に俺と照宮さんがいる光景を。
映画を見て、ディナーを食べて、少しお酒も飲んで。部屋に誘って――
(いやいやいやいや)
俺は首を振る。
(考えすぎだ。正式に付き合ってすらいないんだぞ。ただのデートだ。普通に映画見て、食事して、帰る可能性の方が高いに決まっている……でも……)
俺は、もう一度画面を見る。
(もし、万が一。もし、本当に万が一だが……)
照宮さんが「はい」と言ったら。
「……俺、何考えてんだ」
小さく呟くが、覚悟はもう決まっていた。
予約ボタンを押す。
ダブルベッドの部屋の予約完了の画面が表示された。
俺はしばらく、その画面をぼんやりと眺めていた。
(……本当に、予約しちゃった)
もし何も起こらなくてもいい。無駄になってもいい。でも――準備だけはしておく。
俺はスマホを置き、深く息を吐いた。
「……なんだかなぁ」
ぽつりと呟く。
今日は、通夜だった。
その夜に、デートの準備をしている。
どこか、後ろめたい気持ちもある。
(でも……)
俺は、ベッドに入り部屋の明かりを消す。
目を閉じると、信先輩の顔が浮かんだ。
『絶対に幸せにしてやれ』
あの言葉が、何度も頭の中で響く。
「……はい」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟き、静かに目を閉じた。




